帝王院高等学校
のらりくらりと渡るはノアの中!
「す」

社名を掲げた玄関ホールに、初めて足を踏み入れた男は緊張した面持ちで、着慣れないのが丸判りであるタキシードの襟を手繰り寄せた。

「す、すて、ステル…」

それを見守っている誰もが固唾を呑み、必死で声を絞り出している黒髪の男よりずっと、鬼気迫る表情だ。

「ステル…シリー!」

Stealthily。たったその単語を絞り出すまでに、一体何分懸かったのか。
ドキドキと今にもはち切れそうな胸元を手繰り寄せたまま、恐る恐る見守ってくれていた皆へ視線を送った男は、全く表情が変わらない社長以外が無表情に近い事を認め、へにょりと眉を下げたのだ。

「な、何か間違ってた、か?!」
「いや、何も間違っていない」
「ほ、本当か?!」
「私が君に嘘を吐いた事があったか、ナイト」

現在進行形で嘘を吐いているではないかとは、流石に誰も口にはしない。
ネイティブスピーカーの耳には、己らの社名とは違って聞こえたとは流石に誰も口にはしなかった。

理由は単純明快。
四度目の結婚にして三度目の結婚式を挙げて以降、極力側に新妻を置きたがっている社長その人が、悪びれない笑顔で『我が社はステルシリーだ』と宣ったからだ。その瞬間から、そこで働く全ての社員に社訓が増えたと言えよう。
今後二度と、少なくともナイト=メア=グレアムの耳に入る範囲内では決して、正式なイントネーションで社名を語ってはならない。つい最近、社内公用語に日本語が増えたその刹那から、誰にも拒否権などなかった。

「ステルシリー」
「ああ、上手だ。私も船旅の合間にお前達から現地の日本語を教えて貰ったものだが、日本人の発音には敵わないだろう?だから無理はせず、今後も私と一緒に少しずつ覚えていこう、夜人」
「レヴィ、お前の日本語は初めて会った夜から目ん玉飛び出ちまうくれェ完璧だけど、そう言う然り気無い優しさ、好き…」
「この世に完璧なものなどないと教えてくれたのは、お前じゃないか。けれど新たな家族を迎えた今の私に泣き言を言う余裕はないな。愛しいナイト、君を視界に映しているだけで私は幸せだ」

ああ、あの甘ったるい微笑みを浮かべている銀髪は、誰だ。
ほんの2年前、つまり度々思いつきで行動する困った男爵がアジアに目をつけた時までは、少なくとも彼の出発を見送るまでは確かに、レヴィ=ノア=グレアムと言う男は氷の如く表情と感情のない、鉄の男だった。

「俺もレヴィと…その…結婚出来て、幸せだぞ…」
「夜人」

それが当初の予定を遥かにオーバーして帰国した時、何故か新たな嫁として日本人の男と双子の子供を連れ帰ったかと思えば、三度目の結婚でヴィーゼンバーグの娘を迎えた時には『三度も式を挙げる必要はない、時間の無駄だ』と宣ったその口で、近々結婚式を執り行うなどと宣ったのである。
果たして、首を長くして主人の帰国を待ち構えていたアシュレイ一族以下、レヴィ=グレアムが幼い頃から仕えている者も、彼がアメリカ大陸に腰を据えてから仕えている者達も、皆が唖然とした。

「あーあー、こほん。えー、ミスターナイト、キスが済んだら陛下を離して下さいますか?」
「あ、は、はい!すいませんテレジアさん、職場の入口でこんな事…っ」
「夜人、ステルスは私の忠実な下僕だ。私達の為す事が我が社の為すべき事なのだから、謝る必要はない」
「畏れながら陛下、会長が奥様の腰を撫でているだけの光景を見せつける為に全社員を招集なさったのですか?このままでは、新たな部署をお披露目する為の組織改革セレモニーが進みません」

前述の通り、デレデレと鼻の下を伸ばしまくっていても美丈夫であるレヴィ=ノア=グレアムは、見慣れない土地で怯えながらもそれを悟らせまいと健気に毛を逆立てているドーベルマンの様なチワワを、それはそれは派手に飾りつけ、甘ったるい愛の言葉を囁きまくり、終いには挙式前日。
マリッジブルーを拗らせた遠野夜人が日本へ帰ると盛大に暴れ回っても、ひたすら零れ落ちる笑顔で宥めすかし、既に一人息子が居るにも関わらず二人もコブを連れてきた癖に、挙式後真っ直ぐ『子作りをしよう』と夜人の手を掴み寝室に籠って、半月程出てこなかった。

「レヴィ!テレジアさんが怒ってるって!あっあっ、尻揉むのはやめなさいッ!」
「何故だ?夜人の尻は私が揉む為にあるんだろう?」
「そんな筈があるかァ!離縁するぞボケェ!」
「それは困る」

一連の大事件で社内は騒然としていたが、社長が出来る筈もない男同士の子作りで無断欠勤では、社の存続も男爵家の存続も危ぶまれた為、あっと言う間にハーヴェスト=グレアムを舎弟の様に扱っていた冬月双子の協力により、新婚で抱き殺される瀬戸際だった夜人の救出を果たしたのである。
暫くご機嫌斜めだったレヴィ=ノア=グレアムは、夜人の前では絶対に見せない恐ろしい無表情で円卓に現れると、数年前に11部署まで拡張した為に11人在籍している幹部らを恐怖で染めた。

生まれた時からノアに忠誠を誓っている、若き幹部のレイリー=アシュレイなど、無表情の男爵に軽く睨まれただけで急性胃潰瘍を発症し、家の事情で医学の知識がある夜人の看病を受けた程だ。レイリーに非はないが、それ故に益々レヴィから睨まれてしまった為、完治には今暫く懸かるだろう。

「それにしても、そ…組織…何だっけ?」
「組織内調査部」
「それだ!…で、それって何すんの?」
「社内監査だ。不正や虚偽、社に不利益な真似をする部署や社員が居ないか監視する役目が主軸になる。今まではそれぞれの部署を統べるマスターに任せておいたが、組織が肥大化するにつれて、どうにも目が甘くなっていた」
「警察みたいなもんか…!」
「そうだな」
「医者の息子に出来るのか判んねェけど、俺だってやれば出来る!筈だ!任せてくれレヴィ、皆!俺がステルシリーを監視しまくってやるからな!」
「馬鹿夜人、お前なんぞに組織内調査部長が務まるか」

ぼそりと、鼻で笑う様な声が響いてきた。
まさかと素早く眉を吊り上げた夜人はキョロキョロと辺りを見回すが、エントランスホールの外には大勢の社員達がきっちり整列しており、ホールの中には会長兼社長である夫の他には、数名の親しい幹部らだけだ。

セレモニーと言っても、内情は社長による社員への嫁自慢でしかなく、幼い息子らは会社用の建物から外に出て暫く歩いた所に建設されている、瀟洒な屋敷でお留守番している筈だった。然し、今の大人を馬鹿にした声音は明らかに、幹部の誰もの耳に聞き覚えがある。
遠野夜人、近頃グレアム姓に変わったばかりの日本人は吊り上がり気味の眉をこれ以上なく吊り上げると、幹部陣の中でも長身であるレヴィ=グレアムよりもまだ大柄な、夜人と歳の近いレイリー=アシュレイをキッと見上げたのだ。

「What?!あ、あー、ナイト、どうしたデスか?」
「悪いなレイ、ちょっとそこ退いてくれない?」

にっこり。
笑顔がこれほど似合わない人間が、果たして世界広しと言えど存在するだろうか?ほんの最近までアメリカと長く戦っていた島国の、曰く侍と呼ばれる殺人集団の末裔ではなく医者の息子だと言うが、レイリーにはどの角度から見ても夜人が堅気には見えない。
年齢が近いと言っても19歳の夜人より年上であるレイリーは、幾つか年上である従姉のテレジアを見やった。頭を抱えている彼女がレイリーを助けてくれる気配は、残念ながらない。

ならば厳格な兄はどうだと振り向けば、陛下が再婚されるなら私も妻を娶ると宣う程には男爵に陶酔し、レヴィとハーヴェストに忠誠を誓っている程の堅物だが、レイリーが初めて見る表情で弟の背後を凝視していた。

遂には恐ろしい笑顔でボキボキと拳の骨を鳴らし始めた夜人に飛び上がったレイリーは、ムキムキな筋肉を纏う199cmの恵まれた体格を縮こまらせると、震えながら背後を振り返ったのだ。

「ばーか、ばーか。夜人の脳味噌はノミ並み、お前に組織内調査部長が務まるか。ばーか、ばーか、不細工馬鹿。DとEの違いも判らない癖に」
「…く、くっくっ、くぇ。龍一郎ォくぅん?流石の夜人さんもさァ、たまには怒る時もあるんだけどねェイ?」
「短足、面食いホモ、お前なんかすぐに捨てられるんだばーか、ばーか」
「龍一郎ォオオオ!!!」

鬼だ。
ああ、あれはもうただの鬼だ。悪魔だ。サタンにしてハデスにしてルシファーだ。
イギリスやアメリカのみならず、世界までも恐怖で染めつつある男爵は麗しい微笑を浮かべたまま、始まった夜人と龍一郎の凄惨な鬼ごっこを見守っている。止める気配などない。ただにこにこと見守っているだけだ、使えねぇ。

「…陛下、ナイト=メアはお忙しいご様子。僭越ですが、特別機動部技術班班長である私から、開会の挨拶を始めさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「そうか。新設部署である対外実働部の幹部として迎える為に、ミラージュに会いに行くつもりだったが、知っての通りその前にナイトに出会ってしまいすっかり目的を見失ってしまったからな」
「陛下ともあろう方が」
「言い訳はしない」
「ナイト様を連れてお帰りになっただけでも僥倖ですとも」
「君ならそう言ってくれると思っていた」

にっこり。
誰が見ても幸せそうな微笑みに、唯一の女幹部は眩しげに目を細めた。

「後はリリアを見つけてやれれば、更に良いのだがな…」

彼に忠誠を誓う者は幾らでもいる。
彼を愛する者もまた、幾らでもいる。

「そっちに逃げたぞハーヴィ!龍一郎を捕まえとけ!喰らえ、大人げない俺の蹴り!」
「母上、それは龍一郎ではなく龍人です」
「しまったァ、垂れ目だったァ!大丈夫か龍人ォ!お前の尻を本気で蹴っちまったァ、しっかりしろー!うわアアア!龍人の尻がっ、割れてるー!!!」
「母上、尻は初めから割れています。この通り、私の尻も」
「その通りだハーヴィ。私の尻も、無論夜人の尻も割れている」

例え大空に恵まれた大地の上でなくとも、だ。



「…きっと見つかりますよ、陛下」

ただ、彼から愛される人間が自分ではなかっただけだ。






















「…愛?」

波打つシーツの上、派手なタイダイ染めのパジャマで身を包む背中は、無防備に尻と背中を晒した四足歩行の猫の如き体勢で、ペラリとページを捲る音を響かせた。

「そう、ラブが一番大事♪ハァハァ…何で外科医攻めって萌えるのかしら、やっぱ内科ってだけに内に入れる立場だから内科医受けが萌えるのかしら?」
「誰か、気になる人間がいるのか」
「今気になってるのは佐久間先生の婚約者がイイ感じで邪魔してくれた所で次号に続いちゃう編集の腕前なり。お陰様で腐男子の眠れない夜は次号まで続いちゃうにょ!」

パタンと雑誌を閉じた背中が、波打つシーツの上でゴロゴロと転がっている。広々と設えられた帝君に与えられる一人部屋に、部外者が居座っているにも関わらず、それを疑問にも思わない外部入学生はベッドの上でさえ眼鏡を掛けたまま、もぞりもぞりと枕を抱き締めて。

「やっぱり、愛に試練はつきものなのょ。でもラブラブになる予定のカップルをこうも見事に邪魔されると、何とも堪んない気持ちになるにょ。無理なのは判ってるのに、助けたくなるんだもの!ハァハァ、萌えるけど邪魔しないで欲しい気持ちともっとやれって気持ちがミキシングオールナイト!どうしたらイイにょ!このままじゃ眠れないにょ!明日テストがあるのに!」
「漫画の中に描かれた恋愛など、所詮作り事でしかない。お前自身はどうだ」
「ほぇ?どうって?」
「惚れた相手がおるのか」
「タイヨーが好きです」
「欲情すると?」
「えっ?大浴場?!そう言えば僕ってば忍者に捕まってぽっくり逝きそうになったのょ、何で男子校に忍者がいたのかしら!もしかして俺様会長のさりげない心遣いだったりして!」

判らない事ばかりだ。
金より愛だと言った癖に、どうも自分の話ではなく他人事の様に思える。ならば遠野俊と言う一個人の価値観は、何処にあるのか。

「俊」
「むにゅむにゅ。なーに」
「まだ寝るには早い」
「ほぇ。ふぇ。あふん。でも何故かしら、お目めがショボショボするにょ…」
「テスト勉強をすると勇ましく風呂から出るなり漫画を開くからだ。立て続けに20冊も読めば目が疲れるのも無理はない」
「ホ…ホモォ…。たゆまないホモが、オタクを零点に導く、にょ。グースカピー」
「仰向けになると即座に眠りに落ちるか。眼鏡を外すぞ」
「むにゅむにゅ」

ああ。
似ているのだろうか。在りし日のあの人に。
白いブレザーに白いネクタイ、朧気な記憶のあの人はいつも高等部の制服を纏っていた。

「俊」
「すーすー」
「窓を開けたまま寝るのは無用心だと、誰からも言われなかったか?」

窓の外には染井吉野と夥しい数の星が煌めく夜空。
開け放した窓からはそよそよと風が舞い込み、この部屋はいつも静かだ。

「俊」
「すーすー」
「金もまして名すら必要としないのであれば、俺がお前に差し出せるものは何もない」

人は須く欲深い生き物だ。
例外などない。つまりは、自分自身ですら。

「…ステルシリーの語源は文字通りStealthilyからだ。開設時の登記はステルシーだが、そう名付けた初代会長が十数年後に改名を指示し、今に至る」

手にした全て。
その全てに、何ら価値がないと言われたのであれば。他に何を差し出せば良いのか、幾ら考えても答えはない。

「亡命を希望したレヴィ=ノアを受け入れたアメリカ政府は今頃、後悔している事だろう。ステルスは文字通り、人目を盗みアメリカ大陸に巣食った。あの広大な黒の皇国は、艶やかなお前の髪とは比べるまでもない穢れた場だ」
「すーすー」
「偽りの空、偽りの楽園、偽りの私には相応だろう」

何か一つでも。
その場限りで構わないから、求めれば良い。



「レヴィ=ノヴァは伴侶たるクイーンに望むものを与えてきた。そなたから須くを奪ったルークから何が欲しい、ナイト」

いつか憎悪を知った自分が無様にも求めた様に、有り余る権利を一時的にでも望むのであれば、所詮その程度の人間だったのだと、嘲笑を込めて認められるのに。

「私から忌々しい雑音を消し去ったお前が望むのであれば、如何なるものですら与えてやろう。例え、この星そのものであろうと」

無防備に眠る15歳の子供は、命を狙われた事がないのだろう。当然だ。そんな事は、自分が決して許しはしない。
平凡な毎日を送ってきたからか。何一つ望まない素振りで、俺はお前とは違うのだと、嘲笑っているのだろうか。本当は。

本物の、天神の末裔は。(仏の如き)
本物の、十番目は。(神たる運命を与えられるべき、魂は)

「お前の指輪は私のプラチナプレートを溶かし、形を変えたものだ。お前がその意味に気づけば、地上も地下も須くがその手に委ねられるだろう。文字通り、誰に気づかれる事なく密やかに、この地球はお前のものだ」
「むにゅ。ふぇ、ふぇ、ふぇっくちゅん!」

人目を憚るつもりなど更々ないとばかりに、奇抜なレインボーカラーのパジャマから覗く尻を震わせ、躊躇いなく他人の顔へ唾を浴びせた男は波打つシーツの上を転がった。眠ったまま手探りで布団を探している様だが、寝返りと共に蹴り飛ばされたブランケットは床で沈黙したままだ。

「何が欲しい、俊」

せめて。
例えば、落ちたブランケットを掛けてくれでも良い。何か一言でもあれば。



「…俊」

その程度の些細な欲ですら欲している哀れな人の成り損ないが、所詮ただの人間なのだと思い知らせている。眠り人が求めているのは睡眠だけ、他には何も欲していない。
夢でも見ているのだろうか。自分だけが知り得る、誰にも見る事が出来ないささやかな夢でも。



(人の形をした無慈悲な神の子よ)
(知っている)
(神とは常に、愚かしい人間には何も望まないものだ)

空に見える星も太陽も、決して落ちては来ない。

(嘲笑っているのか)(単に無関心なだけか)(例えば私の様に)(退屈凌ぎにすらならない赤の他人の如く)



「何も、要らんのか」

神は常に空の向こうに在って、降臨する事など有りはしない。(例外など、ある筈がない)















望め
いつかの見窄らしい悪魔の子の様に

人の姿をした悪魔だから捨てられた
人とは欲深い生き物だ



だから、
お前もそうなのだと



(傷つけた所で)
(その上で捨てた所で)
(悔いなどある筈もないと)





(お前が穢れたノアの弟だと謳うのであれば)

















ボッフーン。



「な、」
「は?」
「おわっ」
「ひょえ!」

爆発する様な巨大な風船が現れ、半裸の男は胸に巻いていたバスローブの紐だけが先に吹き飛び、たっぷり風船に衝撃を吸収されてから再び吹っ飛んだ。

「むむ?」

パンツ一丁で空を飛んだ男は、その衝撃でパチッと目を開くと、凄まじい目付きをそのままに空中で体勢を入れ換える。

「ああ。俺が、飛んでいる」

ポツリと呟く声がしたのは、気の所為だろうか。数百人は殺していそうな人相をそのままに、オタクらしからぬ身体能力ですたりと着地を決めると、呆然としている他人には構わず巨大なゴムボールを見つめ、漆黒の双眸はゆったりと瞬いた。

「成程、これは見事だ。デカい以外に相応しい言葉が見当たらない。何だこれは、俺には判らないものが多過ぎる」

叶二葉の背に庇われながらも、逆に庇っているつもりなのか二葉の背中を抱き締めていた山田太陽と言えば、呆然としている二葉を抱いたままくるりと体を回し、何とか己の背後に二葉を入れ替えてから、凄まじい勢いで膨らんでいる余りにも巨大な黒いボールを見上げてみる。
己の小ささを思い知らされる様だと言うよりは、部活棟の二階にまで軽々と届いている風船に対し、純粋に驚いている様だ。

「な、何だい、これ?!もしかして、さっき中で見たでっかい風船と同じもん?!」
「技術班の万能ルーターです。モバイルWiFiルーターの機能の他、オーディオプレーヤー、諸々ふんだんに詰め込んだものですが…」
「はい?!何でそんなハイテクなもんが爆発すんの?!つーかこれ誰がっ」
「非常時に衝撃を受けると作動するエアバッグなんですが、ご覧の通り個体によって膨らみ方に差がありすぎるんですよねぇ。物によっては膨らむ衝撃で命の危険がある為、製造中止になったんですが…」
「そんな危険なものがどうして二つも?!」
「高坂君にあげたのは正規品ですよ。然しこちらは、明らかに不良品ですねぇ」

俊が眺めている風船から目を離した太陽は、足元に見てはいけない銀色の何かを見た気がしたがさらっとスルーし、いつも以上に作り物めいた二葉を見やった。

「ちょいと二葉先輩、怒らないから心当たりがあるなら言ってごらん?」

悪戯がバレた子供の様な表情で校舎をちらっと見上げた二葉は、浴衣の合わせをわざとらしく直しながら、

「あれは去年のクリスマスでした」
「うん」
「クリスマスにかこつけて校内で不純な行為をしている生徒を見掛けましてねぇ」
「イチャイチャしてた訳ね」
「そうなんです。寂しいクリスマスを過ごしている私の目の前で」
「で?」
「ちょっと強めに指導した後、懲罰棟にぶち込みました。当然です、私は風紀委員会の主なのですから」
「早い話が八つ当たりでボコボコにしたってコトかい」
「その通りですハニー」
「判った、今年のクリスマスは一緒に遊んであげるからねー」
「えっ、結婚してくれる?」
「しない」
「なんて事でしょう、騙されました…」
「騙してないっちゅーね〜ん。…で?クリスマスにリア充に嫌がらせして、何でこんな事になるんです?洗いざらい吐かないと、」
「おや、吐かないと?」
「絶交するよー」
「どうしてそんなに酷い事を仰るんですか?私には拒否権などないも同然ではありませんか、私の体を好き勝手弄り回した癖に!」
「俺の体を好き勝手弄り回したのはそっちだろ」
「そうでした」

まったりした二人だ。
呆れるほどにマイペースな太陽と二葉に、この事態を巻き起こした加賀城昌人もオレンジの作業着を纏うカルマの二匹も、言葉を失っている。

「謹慎連行する時に、一人が暴れたんです。お陰様で私のブレザーはサンタクロースの様な有り様になってしまいましてねぇ」
「あーね、暴れられてムカついて更にボコボコにしたら、制服が真っ赤になったってコトかい」
「そうです」
「そんな魔王みたいな。知ってたけどねー」
「で、丁度通り掛かった理事長に『サンタに転職したか』と聞かれまして…」
「血まみれの生徒が堂々と歩いてるとは思わないよねー、そりゃ。聖なるクリスマスに」
「流石に、歯が三本抜けるまで顔面を殴って黙らせた生徒を懲罰棟にぶち込んだ帰りだとは言えないでしょう?」
「こっわ」
「なのでサンタに転職した事にした私は、偶々持っていたゴミ…ごほん、不良品のルーターを理事長にプレゼントしたんです」
「今ゴミって言ったよねー」
「ハニーへのクリスマスプレゼントにはそんなもの渡しませんよ?ハニーへはいつでもプライスレスなふーちゃん食べ放題権を、」
「肩叩き券のがマシかなー」

笑顔で頭を掻いた太陽は、やっと風船から目を離した俊がオレンジの作業着に囲まれている事に気づき、見ない様にしていた足元に目を向けた。つられた二葉も太陽と同じく足元を見やったが、一瞬目を丸めたかと思えば、口を押さえて膝を崩したのだ。

「笑ったら酷だよ、二葉先輩。勇敢な中央委員会会長が後輩を救おうとして、尊い犠牲になったんだからねー」
「…!」
「そなたらこそ己らが血で染めてやろうか」

余りにも低い声が響き、巨大な風船が凄まじい音を発てて弾け飛んだ。
その衝撃を浴びた太陽と二葉は間に合わず軽く吹き飛び、素早く俊を庇った松木竜と竹林倭も堪えきれず芝生へと転がった。
何とか踏み留まったのは加賀城昌人だけで、だから彼と大差ない長身の男が、割れて弾けた黒い風船の残骸を苛立たしげに蹴り飛ばしながら立ち上がるのを真っ向から眺めていたのも、バスケット部主将だけだ。

「…忌々しい真似をしてくれる、人間風情が」

乱れたプラチナブロンドを無表情で掻き上げた静かな眼差しが、片方だけ深紅へと染まりつつある。
それに気づいた昌人が口を開くより早く、転がっているオレンジの作業着へとブラッディゴールドの双眸を向けた帝王院神威は、そもそもの無表情から幾らか温度を下げた。

「I'm surrounded by airbrain's. To make a long story short, You have to fuck off all noise.(悉くが目障りだ。馬鹿でも理解出来る言葉で言ってやる、消え失せろ雑音共)」

誰が見ても明らかに、無表情から怒りが放たれている。
無意識に太陽の手を掴んだ二葉は、先程まで笑いを耐えていたとは思えない表情で躊躇わず走り出した。半ば担がれている太陽は目を丸めたまま、何事が起きているのか理解していない表情で去っていく。

「か、かっちゃん…だろ?何て言ってんのか全然判んないけど、何か怒ってる?」
「…馬鹿でも判る言葉すら判らんか、」
「おい」

右手と左手、それぞれに他人の髪を掴みながら既に金色とは言えない赤で濁った眼差しで昌人を睨み付けた男は、然し松木と竹林の髪を鷲掴んだそれぞれの手首を、恐ろしく低い声と共に凄まじい力で握られ、瞬いた。

「誰の家族に酷い真似をしている、竜と倭から手を離せ愚か者が」
「俊」
「Why don’t you just say sorry first?(謝罪の言葉も知らんか?)」

大気が蠢いているかの様だ。
真昼から黄昏へと変化していく空の如く色を変えていく双眸を、真っ直ぐに睨み返した漆黒の双眸は星一つない静寂の夜空の如く。

「初対面で暴力を奮うとは、どっちがエアヘッドだ愚か者が!月へ祈り、」
「ちょ、総長!」
「駄目だって、総長!」
「己が過ちを悔いるがイ、」

神威の手首を握り潰さんばかりに力を込めた男は、反射的に止めようとした作業着らに腰へ抱きつかれても怒りを収めなかったが、残念ながら遠野俊が最も得意とする右ストレートは不発に終わったのだ。



「ふむっ」


引き寄せて殴り付けるつもりだった相手から、唇に吸い付かれた瞬間に。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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