帝王院高等学校
しんしんと粉雪が舞うその時に。
しんしんと。
降り積もる白から遠ざかる様に闇の中へと、密やかに密やかに、地上を蔓延る群衆の目を盗んで下っていく。

「疲れたか」
「…別に」
「楽にしていろ、外も此処も大して変わらない」
「冗談。全然違、」
「着いたぞ。…ほほ、流石にじゃじゃ馬なお前でも言葉がないか?」

闇は奈落だと語る者がいる。
地下は暗いものだと嘯く者がいる。
けれど地獄にはマグマの如く紅蓮の業火が燃え盛っているのだと、同じく人が嘯いた口伝に対して人は、微塵も矛盾を感じないのだろうか。

「ようこそギョーム、セントラルへ」
「…その呼び方やめろ。ヨーロピアンは空気が読めない馬鹿ばっかだ」
「正に、餌を待つ鯉の様な表情の今のお前の様に、か?」

ポカン、と。
地下に広がる広大な青空を見上げたまま、目深に被ったフードをぱさりと落とした少年に笑いを耐えながら、年齢不詳な白味掛かったブロンドの男は顎髭を撫でる。揶揄めいた皮肉を放てば、即座に睨まれた。


「じじーい」

芝生の上を、飼い主を見つけた柴犬の如く駆けてくる赤毛が見える。
ビクッと震えた傍らの少年を横目に、どうしたものかと顎を押さえた男は上へと視線を向けたが、遠くから『カムバック』と言う叫び声が聞こえてくるのだから、幾らか年下の男の寿命が縮まりつつあるのではないかと、男は見事な白髭を撫でた。

「いい加減くたばっちまったかと思ってたのに、テメーまだ生き永らえてやがったかコラァ」
「久し振りだなエンジェル、実に120時間振りだ。今のは日本人が使う巻き舌の練習だろう?巻けていると言うよりは間延びしていた感じだぞ」
「う。だって巻き舌って難しいんだもん、雌犬がオーガズムに呻く感じで喉をビブラートさせるんだって。ビッチは判るけどオーガズムが良く判んないんだよ、ジジイは知ってる?」
「それは教育係に聞くべき難題だな。所でエンジェル、少し背が伸びたかな?」
「マジ?」

たった5日で目に見える変化などある筈もないが、荒っぽいスラングを平然と使いこなす温室育ちの幼子は、スラム育ちの少年を呆気に取っている事に気づいていない。実年齢以上に育っているものの、中身は物心ついたばかりのお子様だ。例え見た目は、小学生程に見えたとしても。

「デカくなったら枢機卿になれるって言ってた癖に、アシュレイの奴がクックを覚えろって言うんだ」
「Cook?(料理?)」
「肉が18だって言ってた。訳判んない」
「九九の事か!確かにあれは便利だ、覚えておいて損はないぞ?」
「でも背が伸びたから覚えなくても良い?」
「ううむ、儂が縮んだのかも知れんな。何せ、お前を鬼の形相で追いかけてくるアシュレイよりずっとジジイなのであるからにして、90歳になれば背もあそこのサイズもしょんぼりよ」
「あそこって何処?しょんぼりって何?」
「良いかエンジェル、いつまでもあると思うな親と持続力」
「マスターライオネル!」

ああ、元気な年寄りだ。
いや、年寄りに年寄りと言われたくはないだろう。例え鉄面皮と名高い、セントラルノアの忠実な従者とは言え、あちらは元老院の中核を担っている男だ。

「ファーストに無用な知識を植えつけるのは控える様に再三申し渡した筈だが、はぁ、はぁ、お忘れか!」
「これはこれは、久し振りだなアシュレイ。畏こくも本家伯爵でありながら、2歳の子供に振り回されて膝が笑っているとは、嘆かわしい。レヴィ陛下とナイト猊下と、生前は牛の乳絞りをこよなく愛していた亡き兄さんが、その辺の草葉の陰でハンカチを湿らせておいでだろう。嘆かわしい」
「ご冗談を、乳絞りを愛していたのは昔の貴方でしょうが。所で、そちらの少年は?」
「アルゼンチン産まれらしい。育ての親だったキューバンを亡くし死にかけていた所を、メキシコのスラムで拾ってきた」
「…は?」

居心地が悪そうにたじろいでいる、見事なブロンドの少年の背をバシッと数回叩けば、触るなとばかりに無言で爪先を踏まれた。とんだ餓鬼だと苦笑い一つ、胡散臭いものを見る目で睨んでくるファーストの教育係から目を逸らす。

「畏れながらマスターライオネル、まさか貴方本気で?」
「産まれてこの方90年、本気ではない発言をした覚えはないんだがな。対外実働部の名と、とうに捨てたアシュレイの名に誓っても良い」
「マジェスティノアに誓って言えますか」
「それは難しい問題だスチュワードアシュレイ、儂如きが麗しい陛下の御名へ軽々しく誓う事など出来ん。それに今は、命は差し出せても体は差し出せん。寄る年波にはこのライオネル=レイですら敵わないのだ」
「Shit, you son of a bitch.(穢らわしい事をほざきやがって)」
「形だけとは言え英国貴族の端くれとは思えない台詞が聞こえた様だがサー=アシュレイ、儂はレヴィ陛下が日本語を公用語にすると麗しい笑顔で頑なに命じられたその日から、母国語を忘れた老兵よ。アイケントスピークイングリッシュだ」
「マジかよジジイ、世界で一番簡単な英語が喋れなくなったなんて、馬鹿じゃん」

すると、大人しいと思っていた赤毛がダークサファイアの双眸を瞬かせ、不貞腐れている金髪の少年を覗き込んでいるのが見えた。大人しいと言っても普段に比べればの話だ。即座に人を馬鹿にして笑い飛ばす所など、あの凶悪なシリウスに育てられたも同然なアシュレイに似てきたのではないか。

「エンジェル、年寄りを苛めるのは弱虫がする事だぞ」
「マスターライオネル、人目のある場ではファーストとお呼び下さい」
「ニックネームだろうに。全く、あれもこれも駄目とは、老い先短い年寄りを何だと心得ているのか」

ほんの数ヶ月前までは歌が上手い、まるで天使の様な子供だったのに。何かにつけてネルヴァの話ばかり聞きたがる癖さえなければ、我が孫の様にライオネル=レイは赤毛の王子様を可愛がっていたのだ。そう、セントラルへ戻った時には真っ先に様子を見に来る程度には。

「ねぇ。お前、新しいランクC?何処に配属されたやがったんだ?湿っぽい面しやがってファッキンビッチ、まさか対外実働部じゃねぇよな?」

ダークサファイアを細めた満々の笑みで吐き捨てられた台詞は、およそ三歳間際の幼子のものとは思えない。頭を抱えた教育係を横目に、対外実働部長は顎髭を撫でる。

「…は?ランクCって何だよ、知らねぇよ」
「ジジイ、何かコイツの英語変だよ。シスターのレコードで聴いた事あるから平気だけど!」

成程、スラム育ちの悪餓鬼は大人相手には警戒心がある様だが、子供相手には別の意味合いで持て余しているらしい。ベタベタと張りついてくる赤毛から逃れようと後退りしている少年が見えたが、大柄なライオネル=レイに肩を抱かれているので逃げられはしない。

「まぁまぁ、そう苛めてくれるな。これで居て、中々見所のある少年なんだぞ。何しろ賢い。まだ16歳だが、マサチューセッツをスキップしたばかりだ」
「ふーん?でも僕より馬鹿に決まってら」
「それ以前に、13歳でコロンビア大学を卒業しているんだ。可愛いげのなさはネルヴァの若い頃と大差ないが、見たまえ。この美しいブロンドを」
「金髪は陛下と同じだよ?」
「そうとも!我がステルシリーの生きた宝石、麗しいマジェスティ=キング=ノアに隠し子がいると聞きつけた儂のハートは、ジェラシーがごうごうと燃えた。このライオネル、陛下をそんなふしだらな男に育てた覚えなどない!」

バーン!と胸を張る老人を、執事長と無理矢理連れてこられた金髪の少年が冷めた目で見つめた。状況が判っていない赤毛だけが首を傾げ、ライオネル=レイの真似をしたかったのか、バーン!と胸を張っている。幾らIQ200と診断された神童であろうと、中身は幼児だ。やる事の脈絡はないに等しい。

「ふーん。ジェラシーは燃えるんだ。こないだ政府軍の地質調査隊が未開発の北西部を掘ってマントルを目指したら、途中でメタンハイドレートが出て逃げ帰ってった」
「ほっほー、相変わらず地上を這う蛇共は情けない。ハイドレートの下にはメタンガスが眠っていたろうに、それに火をつけて爆破させればマントル到達も早まると言うものよ。特別機動部技術班は、とうの昔にマントル900度の世界を調査しているんだがな」

中央情報部のサーバーに記載されているのは簡潔に一言、『マントルは儲からない』だけだ。儲からない仕事に対しての見切りが早い彼らは、二度と地層を掘ろうとは思わないだろう。地熱と言う名の床暖房と、海水と言う名の天然クーラーを利用すれば、巨大地震でも来ない限り雨風の驚異もない。無論、暴風雪の驚異もない。平和なものだ。

「ジェラシーはメタンガスより燃える?」
「そうともエンジェル。ボインな姉ちゃんをナンパして子作りに励もうかとも思ったが、先に言った通り我がキャノン砲が錆び付いてしまった。我が息子はまるでブルータスの如く儂を裏切り、ボイン姉ちゃんとホテル所か、ホスピタルにしけこむしかない。…さようならボイン、こんにちはバイアグラだ」
「ファースト、元老院の元に許可します。歌って差し上げなさい、レクイエムを」
「病院?ジジイ病気なの?葬式、いつ?」
「儂が陛下を裏切る事などそれこそ絶対的にないが、古代ジュリアスシーザーは部下に次々と裏切られ、死んでいったんだ。立てない柱は地に伏すのみ、儂はノアの12柱には最早相応しくないED野郎なのさ」
「See ya, old timer. Rest in peace you.(さよならジジイ、地獄に落ちろ)」

悪気のない赤毛の台詞に対し、能面じみた表情の執事長と金髪の少年が同時に顔を逸らした。ライオネル=レイは髭を撫でながら二人を見やったが、どうにも笑いを堪えている様だ。
悪気がないとは言え、口汚い訛りを無邪気に使う赤毛は胸元で十字を切り、聳え立つ数百メートル先の漆黒の居城に向かってお祈りを捧げていた。確かにグレアム男爵が住まう巨大な塔じみた宮殿は聖地の様なものだが、目の前でまだピンピンしている人間の冥福を祈らないで欲しいものだ。

「どんな教育をしているんだアシュレイ、このままでは穢れを知らないエンジェルが世俗にまみれてしまう。うっかりつまみ食いした姉ちゃんから妊娠したと迫られ、逃げるに逃げられず路頭に迷ったりしたらどうするんだ…」

ギリッと歯噛みしながら宣った対外実働部長の表情は、自棄に鬼気迫っている。能面顔を益々凍らせた執事長と言えば、『阿呆を見る目』だと言えば正確かも知れない。

「まるで若かりし日のどなたかの様だと申し上げましょう。さてファースト、ライオネル卿は長旅からのお帰りで疲れてらっしゃる様です。勉強に終わりはない、部屋に戻りなさい」
「僕知ってる。メキシコって定規で図ると3cmくらいしかないから、近いんだよアシュレイ」
「ご高齢のライオネル=レイには、此処から陛下の玉座までの距離ですら長旅と言って良い距離です、若く見えてもご高齢なのだから」
「全く、何年経ってもお前は日本語が上手くならんなアシュレイ。そんなんだからあの狐と見紛うばかりの垂れ目なんぞに、惚れた女を取られるんだ」
「いつの話をなさっておいでか!私が遥さんに憧れていたのは、もう40年も前の話であって…!」
「儂がちょっと良いなと思った姉ちゃん共はこぞってオリオンに乗っかり、とうとうこの歳まで独身を貫いてしまった。我らアシュレイはあの双子と決して判り合えない呪いが掛けられているに違いない」
「I said what you have to be quiet Sir.(黙れと言っているのがお判りにならないか、枢機卿)」

どうやら、甥の堪忍袋の緒が限界らしい。
少しばかり苛め可愛がり過ぎたかと反省しつつ、アシュレイに引きずられていく赤毛へ手を振った。
曲がりなりにも執事の癖に、イギリス人とは思えない口の悪さを散々披露しただけで去っていった男は、内心複雑ながら、居なくなった娘の子を可愛がれない代わりに、恐ろくその弟を可愛がっているつもりに違いない。どう足掻こうと、アビスの烙印を捺された嵯峨崎嶺一と亡きエアリアス=アシュレイは、二度と此処へは来ないのだから。

「何だったんだ、アイツら…」
「お前と同じ風と言う名前を与えられた、神の子だ」
「神ぃ?」
「覚えておいて損はないぞ、ウィリアム=エアー。儂が口利きをするとは言え、ファーストが言った様に、良くてランクCに取り上げられる程度の話だ。我が対外実働部にランクCの登用はない」
「まだやるなんて言ってねぇだろうが、糞野郎。…俺ら兄弟を学校に通わせてくれた事には感謝してるけど、俺はパルミタスに戻って、」
「いずれ意味もなく殺されて、墓もなく骨になってジエンドか。フランス人とイタリア人の親を持ち、本来なら幸せに暮らしていたろうに」
「だからその変な作り話はやめろって言ってんだろうが。俺はアルゼンチンに捨てられて、キューバの養父に拾われて、一家でメキシコに出稼ぎに来て、俺以外はテロで死んだ。それが俺の人生の全てだ、ウィリアムなんて名前は知らねぇ」

腕を振り払われ、静かな眼差しで吐き捨てた少年に肩を竦めてみせる。
ステルシリーに調べられない事などないと、いつか思い知るまでは納得しないだろう。壮絶な人生をたった16年で一通り経験してきた彼には悪いが、その程度の身の上の人間はセントラルには何千人も存在している。天才とは常に、過酷な状況下で産まれるものだ。

「構わないが、取引を忘れたか?お前が儂の養子になる代わりに、親のないスラムの子供らに知恵を与えたんだ。教育があれば仕事にありつけ、食い損なう事はない」
「…」
「だがお前が約束を反故にすると言うなら、投資した金は1ドル残らず返して貰うぞ?例えば、そうだ、体や臓器を幾つか売れば足りるかも知れないがな」
「くそ、これだからアイリッシュは…!」

そう口癖の様に言った男を知っている。銀髪にダークサファイアの双眸が大層美しかった、銘を持たない唯一の男爵だった。

「エンジェルは歌が上手い。ダンスと音楽に造詣が深いお前は、きっと気が合う」
「見た所、高嶺の花って感じだったろうが。それとも何かよ、アンタの養子になれば軽々しく王子様に会えるってのか?」
「さっきの子供がいずれ、儂の対外実働部を継ぐだろう」
「…神の子なのに?キングの後継者じゃねぇのかよ」
「いや、陛下には息子の存在が確認された」
「何だよ、その『確認された』ってのは?」
「中央情報部が隠していたデータらしいが、レイも知らなかったと言うのだから、きな臭い話だ」
「はぁ?」
「まぁ良い、カラオケに付き合えギョーム」
「おい、ギョームはやめろっつってんだろ」
「ビリー、ヴィルヘルム、ビル、どれもこれも嫌がる。そんなにスラムネームが気に入っているなら、そっちで呼んでやっても儂としては良いがな。まずは日本語のヒアリングだけではなくスピーキングも覚えろ」

日本語で宣う元気すぎるムキムキな90歳を前に、金髪の少年はスラムで培われた荒んだ眼差しで舌打ちを放った。

「覚えたら十万ドル寄越せよ」
「はっは、その程度のはした金で良いなら幾らでもくれてやるわ。精々難解な漢字に翻弄されて来い、アート」
「抜かせ、糞ジジイ」

遠くから、可愛らしいボーイソプラノでファックユーと言う叫び声が聞こえてくる。
概ね、晴天の地下大陸は平和な様だった。

「カラオケなんて何処にあるんだよ」
「年中25℃のセントラルにはUSJと言う施設がある」
「あ?」
「アンダーステルシリージャム。ボーリングもカラオケも何ならビリヤードもやり放題のテーマパークだ。儂としては毎日行きたい場所だがな、何故か閑古鳥が泣いている」
「…真面目に働けよ給料泥棒」

外は雪だ。
作り物の青空の遥か彼方、分厚い地層の向こう側は、静かに。
















…白い。
真白いそれが網膜を強く焼いた。この島国は酷く眩しい国だ。

「準備が出来ました。流石に聖地へGPS搭載車で乗り込む事は出来ませんので、此処からは乗り換えます」
「…あー。やっとか、待ち兼ねたっつーの」
「シャドウウィングの機能に比べれば格段に落ちます」
「飛行機っつーのに乗れりゃ、少しは楽しめたのかもな。地上は面倒臭ぇな、何だよパスポートっつーのは…」
「作成するには国籍が必要とされています。ファンディング加盟国以外への渡航の際は予め政府への連絡がなければ、海軍の迎撃を受ける覚悟でしたが…今の所は大丈夫そうです」

ほんの数時間とは言え、閉じ込められたかの様に乗り込んでいた車から降り立ってすぐに、深く肺へ空気を吸い込んだ。やはり空気の匂いは地下の方が澄んでいる。

「はん。どうせセカンドの仕業だろ。日本の海軍は海上自衛隊だったか?GPSもセンサーも一時的にハッキングしてんだ」
「恐らく、そうでしょう。プリンスルークが気紛れに姿を消す事は多々あれ、セントラルは未だに気づいてさえ居ない様です」
「目障りなネイキッドがフードマーケットに3日も姿を現さねぇってのに、何で誰も疑問に思わねぇのか。肉だの西瓜だの、『血に似てるもんは何でも好物』だのほざく猫被り大飯食らいが3日だぞ、3日」
「エラー、心理的根拠に於いては正確な演算の妨げになります」
「鉄屑には難しいっつー事だ」

初めて地下から地上へ上がったばかりの時にも思ったものだが、他人は何故驚いた表情で振り返るのだろう。誰も彼もが真っ先に頭を見ている気がした。

「此処で良い、止まれ」
「ラジャー」

ヘルメット2つ。
狭苦しいシャドウウィングより、やはりファントムウィングの方が好きだ。問題は、ランクB以上でなければ貸与許可が下りない所か。空飛ぶ車とバイクは対空管制部が大半を所有しており、基本的に幹部級に値するランクB以上の任務を優先して貸し出しを行っていた。
格下に値する対陸情報部はそもそもの保有台数が少ない。名の通りバスや陸上車、時には戦車や船などを保有しているが、流石に幾ら『プリンスファースト』の名があろうと、五歳の子供には貸し出し許可を出さないだろうと言う事は判っていた。

「ご予定は?」
「さぁな。お前は邪魔だ、とっとと失せろ」
「エラー、不法入国である状況下で個人行動は認められません」
「アンドロイドの癖に口答えすんな。折角鬱陶しい奴らを撒いてきたんだ、ついてきたら強制自爆コード歌ってメルトダウンさせんぞ」

お供は人の形をしたアンドロイドの試作機が一体と、頼んだ覚えもないのに嗅ぎ付けてついてこようとした元老院の数名だ。途中で何とか撒いた様だが、遅かれ早かれ気づかれる。

「ですがファースト、今回の来日にはマスターライオネルのサインを偽造した許可証を議会へ提出なさっています。万一トラブルが起きれば、責任問題になりかねない」
「アートを脅してジジイのサインを真似させたからってな、奴はランクCになったばっかだ。俺に何があろうと、円卓や元老院が奴を処分する事はねぇ」
「畏れながらプリンスファースト」
「Why was 6 afraid of 7?(何で6は7にビビってんだろうな?)」
「Because, Seven ate Nine.(7が9を喰らったからです)」
「Nice Nexus.(良く出来ました) ルーク義兄様を見つけたらすぐ帰る、大人しくスリープしてろ。命令だ」

機械は逆らわない。
無理矢理羽交い締めにでもしてきたら、自爆するだけだ。そっと優しく、AI回路に触れてやるだけで良い。

「俺を拘束出来るとは思うなよ。機械は俺と相容れねぇ、ショートしてメルトダウンしたくなけりゃな」
「…ラジャー。ご連絡があるまで、スリープモードに移行します」

はらはらと、光の粒が乱反射している。
見た事もない雪と言うものはきっと、これに似ているのではないかと思った。



「つーか、ミンミン煩ぇ」

手始めにそう、太陽が登る国に忍び込んだ深夜の月を探し出そうか。手懸かりはなくもない。

「探されたくない時、普通は『選択肢にすら入らない場所』を選べば良い。ステルス、グレアムが絶対に近づかない場所。巡礼地。聖地。敵。日本だったらその上で、ヴィーゼンバーグ…」

息を吸い込め。
耳を澄ませろ。
静寂の中心に立つあの人が見つけられないのは仕方ないけれど、あの生意気な日本人は人間だ。

「見つけ出してぶっ殺してやる、ネイキッド」

あんな血生臭い男が見つからない筈がない。


















「あ、カラス」
「好き?」
「黒いから好き。ねぇ、それ何?」

橋の手前、茄子と瓜の飾り物を指差した長い髪は、雲間に隠れて黒ずんだ世界に溶けて、色濃い黒へと変化した。燃える様な黄昏時に、燃える様な赤は、人の網膜では正しく捉えられない様だ。

「ご先祖様をお迎えする、えっと、タクシー?です」
「違う。この漢字、何?」
「えっと、鳥乃橋?」
「トリノ」
「光が丘は、鳩が沢山いるから?」

尋ねた癖に返事もせず歩き出した背中に、慌てて息を吸い込む。何を言えば良いのか、幾ら考えても判らない。

「待って!えっと、えっと、名前!」
「…は?」
「じ、神社でお祈りしたら、神様が叶えてくれるからっ」
「ジンジャー?祈るのって教会だろ?」

面白そうに唇を吊り上げている子供の瞳が細まって、紺はやはり黒に見えた。近くで見なければ判らない不思議な色合いを、他にも誰か知っているのだろうか。

「I don't go back church, because I am in seventh heaven.(教会には行かない。楽園は此処にあるから)」

もし知らないのであれば、このまま誰にも言わず、秘密にしたいと思った。理由は判らない。

「もし誰かに聞かれても僕の事を話しちゃ駄目だよ。セカンドはきっと、近くにいるから」
「う、ん。言わないよ」
「左目が蒼くて、右目が碧い。悪魔を見ても、嬲られても。言っちゃ駄目」

まるで心の中を覗かれたかの様だった。
言われなくても誰にも言わない。そうか、天使だから悪魔に知られてはいけないのだと、催眠術に掛かったかの如く。わざわざ小指を繋いで約束しなくても、きっと一生、誰にも言わない。

「これあげる」
「え?」
「美味しいよ」

貰った包みを握り締めたまま。
キラキラと、雲間から覗く閃光の様な夕陽は目映い。思わず目を瞑ってしまうほど、とても。

「もう帰っちゃうですか?」
「セカンドが毎年スイカスイカって騒いでるから、買い物に行くんだ」
「黄色のスイカ、買う?」
「腐ってなかったら何でも良い。赤でも青でも、林檎は林檎だ」
「りんご、好き?」
「質問ばっか」
「う。ごめんなさい」
「Why don’t you go home?(そろそろ帰らないの?)」

誰もいない夕暮れの、小さな橋の上。
ほんの少し歩けば、純和風家屋の門扉に出迎えられて、厳つい男達がいつもの様に声を揃えるだろう。お帰りなさいと、今日もきっと。

「エデン」
「え?」
「日本語だと何だっけ、Heaven?」
「それが名前?」
「そう。もう誰も呼んでくれないけど」
「僕だけ?」
「変な顔。Are you on cloud nine?(嬉しい?)」

カラスを好きだと言う子供を初めて見た。
カラスは賢く恐ろしいものだと、確かにその日、その瞬間まで思っていたけれど。

「Yes!」
「…ふふ。お前、変な奴」

西日を背にした天使が、笑う声がした。





















しんしんと、冷たく白い粉雪が舞う夜に。
消えた息子は何処へ飛び立っていったのか。

望む事は全て受け入れてきたつもりだった。
その思想に関しての一切を、理由なく否定した事などないと断言出来る。

大切に大切に、守ってきたつもりだった。

(それならば何故、)
(この腕には何も)


(…何も残っていないのか)








「陛下」
「…ネルヴァか」
「日本より報告が上がりました。シリウスの見立てでは命に別状はない様ですが、著しく身体機能が落ちているのは事実かと」
「そうか」

黒よ。
黒よ。
親愛なるノア、迫害された一族の最後の灯火よ。

「…円卓を開く」
「は?然し上院総会がは些か早いのでは、」
「人事会の召集があったばかりだろう。奇しくも役員がセントラルに揃う」

私はこの手で、その儚い火を消そうと思う。

「私が人へと還る、良い機会だ」
「ご冗談を」
「私が70歳になったと言う事は、龍一郎も次の晩冬に70歳だと言う事だ」
「陛下!」
「18歳の終わりに父上と母上を亡くし、早50年が過ぎた。気高き黒を名乗るには、随分老いたと思わんか」
「…身勝手な事を仰るでないのだよ!貴方は今まで築いてきたステルスを掻き乱されるおつもりかね!」
「龍一郎が最後に目を掛けていた幼き日のそなたが、『皇帝でありながら私情でセントラルを出てはならない』と宣ったから、その忠告に従ってきた」
「でしたら!」
「その忠告に従い、我が名代として送り込んだロードが犯した罪だ」

左胸に触れれば脈動が掌に伝わった。老いた体はけれど、まだ生きている。人は突然死ぬものだ。父であるリヴァイ=グレアムの様に、母である遠野夜人の様に、言葉は生きている内にしか交わせない。

「私はどれほど残されているか知れない生涯を懸けて、秀皇に、帝王院駿河に、帝王院隆子に、赦しを乞わねばならない。この期に及んで私よりずっと若い駿河に先立たれては、私はとうとう悔いを知るだろう」
「…」
「死を願った母を制止しなかった時ですら覚えなかった、これは後悔と言う感情だ」
「陛下…」
「…哀れな。愚かしき私の過ちで、龍一郎は罪を犯した。ロードもまた罪を犯した。サラは狂った。秀皇は消えた。駿河も隆子も心身共に深い傷を負った事だろう」

黒よ。
黒を崇拝する地下世界よ。
ノヴァへと葬られし我が身を嘲笑い、目映い白へと呑み込まれてしまえ。

「然し私は、カイルークの笑顔を見た事がない事だけを悔いている。あれこそ私の罪が生んだ最たる被害者だ」
「…」
「そうは思わんか、カミュー」

いつか快活に子供らしく笑った秀皇とは全く似ていない、己の顔を仮面で隠すほどに憎む哀れな子供にせめて、この命が続く限りは。





(他の何を犠牲にしても)

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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