帝王院高等学校
終わらない演奏会へのカウントダウン
「もーいーかい」
「もーいーよ」
「アキちゃん、どこー?」

兄弟だろうか。
同じ様な髪型に同じ様な服装の、けれど体の大きさが一瞥しただけて違うと判る子供が二人、ちらちらと降り始めた雪を毛糸の帽子に引っ付けたまま、神社の境内で隠れんぼをしている。

「あ、みーつけた」
「見つけただけじゃ駄目なんだよヤス、タッチしないとさー」
「だってアキちゃん、木に上るのはナシだよって言ったじゃん」
「やっぱアリになったんだよねー」
「それ、こないだも言ってたよ?だから僕だけ西園寺に、」
「コラ、アンタらお参りもしないで何遊んでんの」

お守りを買ってくると、アルバイトの巫女の元へ行ったきり戻ってくるのに時間が懸かった母親の声で、立派な木の下で兄を見上げていた弟は困り顔をすっと控えた。 

「父さん居なくなってるじゃん。また喧嘩したの?」
「昼から仕事だって言ってたでしょうが。…元旦から何の仕事だって話だけど、うちは365日営業中の小売り店なんだわ」
「納得してるって感じじゃなさげだけど?」
「一言多いわよ、アンタ。で、太陽は何処に行ったの?」
「アキちゃんはねー、ここだよー」

ふわふわした声音が頭上から落ちてくるなり、次男坊にお守りを手渡していた女は眉を吊り上げ、弾かれた様に太い幹を目で追い掛け、枝から垂れ下がる一対の足を見つける。
双子にお揃いの新しい洋服を買ってきたのは彼女の父親で、元旦は新しい服を着ると言うのが、村井陽子の産まれた時から続くお決まりだ。

「また、この馬鹿は…!アンタ何やってんの?!」
「遊び人にジョブチェンしたから、初木登りやってますー」
「アキちゃんアキちゃん、僕も登りたい」
「夕陽が真似するから降りてきなさい、ンのすっとぼけが!何が遊び人なのっ、お祖父ちゃんが買ってくれたゲーム捨てるわよ?!」
「えっ、やだー!お母さん、何で初意地悪言うの?おばさんって意地悪だよね、ヤス」
「女は歳を取ると女性ホルモンの減少で野性が目覚めるんだよ」
「…夕陽、お母さんに向かって何だって?太陽、罰当たりな事をしてると神様に天罰を下されるんだからね!」

ガミガミ口煩い母親の叱責で、参拝客の視線を集めている事に気づいた山田太陽は、雪が大粒に変化したのを認めると、仕方なく幹を抱き締め、するすると下へ戻ってくる。鼻の頭が真っ赤に染まっている所を見ると、寒くて仕方ない様だ。

「はー、ちょいと休憩かなー。初休憩ー」

幹の中腹で降下を止めた子供は、年寄りじみた溜息一つ。

「あっあっ、そんなとこでお休みすると落ちちゃうよ、アキちゃん」
「落ちないよー、お前さんじゃないんだからさー。ヤスはプールでビート板使わなきゃ泳げないでしょ?アキちゃんはこないだ、21メートルも泳げたもんね」
「アキちゃん凄い」
「まーね」

コアラ宜しく木にしがみつく長男と、それを見守りながら手を叩く次男。
微笑ましい息子らのマイペースさに呆れ果てた母親は額を抑え、ひくりと震えた唇の端を何とか笑顔の形に整えようとして、然し盛大に失敗していた。それなりに賑わっている初詣客の幾らかが、彼女の表情を認めて距離を取る程には、それはもう般若だ。

「アキちゃんはかけっこも早いし木登りも出来て、凄い。流石は僕のアキちゃん」
「まーね、選ばれし存在だもんねー。お前さんも今度しょーがくせーなんだからさー、そろそろアキちゃんの事はお兄様って呼びなよ。子供っぽいって苛められるよー?」
「兄さん、格好いい。やっぱ兄さんも西園寺に、」
「行かないってばー。アイツ、アキちゃんに向かって『うっわ、双子なのに兄平凡』ってゆったもんね。あの変態、今度は蹴りよりメラゾーマかな」
「そうだった。兄さん、西園寺遥は既に呪われし存在だよ。勿論、この僕からね。いつか僕が捻り殺す予定だから、選ばれし存在のアキちゃんは、あんな失礼なオッサンの事は忘れるべきだよ。理事長らしいから卒業までにニフラムだから」
「ヤス、雑魚が魔法使ってもミスるだけだよ?アキちゃんは勇者だからニフラムなんて使わないけど、たまにはザラキーマ使うよねー」
「アキちゃんはいずれ父さんの会社を継いで社長になるんだから、その時には副社長になってる予定の僕が西園寺財閥を倒産に追い込んで…」
「ヤス、独り言が多いと友達出来ないんだよ?」
「え?友達なんか要らないよ?前にアキちゃんも言ってたじゃん、友達より下僕だって」
「そーだっけ?ねー、ゲボクってなーに?」
「判んない」
「良いから早く降りてくるんだわ、馬鹿たれ!」

ぺしっとそれぞれの顔に飛んできたお守りを片方は受け止め、片方はデコに貼り付けたまま降りてきた。どんな表面張力が働いているのか、山田太陽5歳がキョンシー宜しく貼り付いたお守りを手に取ったのは、着地するなり陽子の平手打ちが飛んできてからだった。

「都会産まれ都会育ちの筈なのに、何でアンタは変な所で野性児なのよ…!新年早々、親に恥を掻かせて、馬鹿!」
「痛、痛いよー。あっ、初でーぶい」
「母さん!アキちゃんを虐待しないで!」
「アンタら…!」

バチバチと頭を叩いてくる陽子の手はお叱り半分、太陽のコートやら髪やらについている雪や葉っぱを落としている。可愛らしい見た目に似合わずえげつない双子に翻弄されている若い母親の姿に、通り掛かった人々の微笑みを誘った。
それに気づいた陽子の頬が染まり、元日の午前中から説教で皺を増やしたくないと口を噤んでいるものの、それでも太陽の額を最後に一回余分に叩いたのは、叩き易そうなデコをしていたからと言う理由だけではあるまい。

「おーい、お前らは何をやっとるんだ。そろそろ約束の時間だぞ」

そこに、義理の息子を見送ってきたらしい陽子の父が近づいてきた。
朝の挨拶代わりの明けましておめでとうもそこそこに、家族で初詣に行こうと朝食後間もなく提案した張本人は、参拝が済むなり鳴った携帯電話に応答すると、わざとらしい笑みを浮かべて『残念、仕事だ』と宣ったのだ。

「何をやっとるじゃないんだわ、お父さんも少しは叱ってよ!年々言う事を聞かなくなるんだから、コイツら」
「はっはっ、子供なんてそんなもんだ。俺の手を煩わせてくれた誰かさんが、自分の番になって楽な子育てが出来ると思ったらどえらい大間違いだぞ、陽子」
「ちょっと、どう言う意味よ!」
「言葉のままさ。なぁ、太陽、夕陽」
「じーちゃん、カンザケってなーに?」
「ん?太陽、カンザケって何だ?ドラクエの新作か?」
「あそこに書いてる。アキちゃんね、ゲームやってるからね、漢字読めるよ!あれ、甘味のカンだよー」

父娘の微笑ましい言い合いは、日本に生まれ日本国旗と同じ名を持つマイペースな子供の一声で終了し、家族は揃って太陽が指差す幟旗を見やる。古いお守りを供養する為の護摩焚き場の隣、パチパチと爆ぜる焚き火の火と本格的に降り始めた雪に見守られた一角では、御神酒と甘酒を振る舞っていた。

「馬鹿ねアンタ、あれは…」
「ひ、太陽…!」

賑わうその場を見やった一同のうち、紅一点の山田陽子だけは呆れた様に溜め息を零し、カンザケではなく甘酒だと指摘する為に口を開こうとしたが、その前にふるふると震えた村井和彰によって妨げられる。

「まだ5歳なのに漢字が読めるとは、お前は天才だわ!いやいや知っていたとは言え、まさか此処まで天才だとは!じーちゃんはもう、いつ死んでも悔いはないぞ…!」
「えー?やだよ、死なないでじーちゃん。アキちゃんのゲーム買ってくれるじーちゃんがいないと、困るよー。じーちゃん、死んでしまうとは何事だ。教会で生き返らせたまーえーやー♪」
「何と!老い先短い年寄りを働けと叱咤激励する事で、生き甲斐を持って生きろと言うのかっ!お前は…お前はぁ!天使だったかー!うりうりうり」
「あはは、じーちゃん、ヒゲちくちくー」
「お祖父さん、アキちゃんに気安くチクチクしないでよ。アキちゃんは僕の兄さんなんだから。呪うよ」
「す、すまなんだ、夕陽。良いか、現実はドラクエみたいに簡単に呪いは解けんのだから、スピーディーに呪うのはやめなさい…」
「教会でお祓いしたらいいんだよねー。始まりの町のスライムで全滅しちゃうじーちゃんはレベル1だから、安いし」
「お祖父さんなんかにも優しいんだね、アキちゃん。僕の兄さんが格好良すぎて困る」
「夕陽はじーちゃんにも優しくないけどなぁ…」
「もー、仲直りしなよー。ほら、おみくじ引いて、初仲直りだよー!笑う門には伏魔殿だよー」
「ああ、太陽。伏魔殿はいかんな、呪われるぞ」

マイペースな長男はお年玉袋を握り締め、御神籤売り場の列に並んでいた。中身が500円しか入っていない母親からのお年玉袋にどんな期待をしているのか、焦った和彰は口は達者だが太陽ほど活発ではない夕陽の手を引いて、太陽の後を追う。
売り場の番台に頭が届いていない太陽はお年玉袋を掲げ、御神籤下さいとほざいているが、バイトの巫女は目を丸めていた。苦笑い一つ、太陽と夕陽をそれぞれ抱き上げて御神籤を選ばせた和彰が支払いを済ませると、双子は早速何処かへ行こうとしている。目を離すとすぐにいなくなるその疾走感は、一体どんな仕組みなのか。

「大人しくしなさい」
「カンザケがアキちゃんを呼んでるのに、回り込まれたー。お母さんのレベルが高過ぎて勇者もお手上げだよねー」
「は?何?」
「負けられない戦いがあるけどー、勝てない戦いもあるー。ふー、命大事に」

然しそこはそれ、素早く陽子に捕まって無言で頭を押さえられている太陽は、仕方ないとばかりに微笑んで御神籤を開いていた。誰が見ても母親に虐げられている様な光景だが、実際虐げられているのは寧ろ母親の方だ。
賢者の様な表情でクジを開こうとした太陽は、寒さでかじかんだ指先に敗北を悟り、ぽいっと夕陽にクジを押しつけた。兄に逆らわない弟はペリペリとクジを開き、ぱちぱちと瞬いている。

「アキちゃん、前に来た時は凶だったけど、今日は末吉だって」
「うそー、スラキチ?やったー、今年はアキちゃんの時代だねー」
「僕はまた中吉だ。僕もアキちゃんと同じ末吉が良かった…」
「ヤスは選ばれし者じゃないからさー。やっぱ勇者の資質がアキちゃんにはあるってゆーかー。ぐふふ、スラキチ!アキちゃんスライムが一番好き。テレビの中だけじゃなくてこの辺にもメタル系出ないかなー、本物のはぐれメタル触りたいんだよねー」
「アキちゃん、スライムより僕に触って」
「もー、」

落ち込む弟をポフポフと撫でながら、慈悲の表情で諭す兄は末吉のクジをポケットに突っ込むと、弟の中吉をワシッと掴み、南天の木を探すまでもなく、絵馬が括られている掲示板にクジを括りつけた。

「もっかいお参りしてこよー。今度来た時はヤスでもスラキチが引ける様に、アキちゃんもお願いしてあげるねー」
「ありがとー」
「初詣は一回きりで良いっつーの!じっとしとけない餓鬼共、誰に似たんだか…」
「母さんじゃない?」
「夕陽、アンタ後でしばく」
「じーちゃん、アキちゃんのスラキチあげるから、長生きしてねー」
「太陽ぃいいい!!!」

らんらんらん、と踊らんばかりに孫を抱き上げくるくる回っている和彰の隣、甘酒の列に並んだ陽子と夕陽は冷めた顔で甘酒を受け取ると、大晦日の晩にお年玉代わりのゲームを手に入れた筈の太陽が、抜け目なく和彰からポチ袋を貰っているのを眺めた。無論、現金を渡さないでくれと父に強く言っておいた筈の陽子は、早速目を吊り上げる。
然し和彰の孫馬鹿は末期だ、止めるだけ無駄だと言う事は、言わずもがなだ。

「お前と同じ500円ずつだ、何でもかんでも頭ごなしに叱らんで良いだろ」
「全く…父さんは甘いんだわ。夕陽、その甘酒持ってってアンタもお年玉貰っといで」
「孫に形振り構わず散財するのが年寄りの楽しみだから、って事でしょ。って言うか、じーちゃんってまだ50代じゃなかったっけ?」
「娘しかいなかったから、孫の代で男の子が急に二人増えてブレーキが効かなくなったんでしょ。こっちとしては、いい迷惑なんだわ」
「母さんも大変だね」
「…ま、大変なのはこれからだけど」
「は?」

ポチ袋をゲットするなり、神社の外へ飛び出して行きそうな太陽のコートのフードを捕まえた和彰は、然しなんだかんだ太陽に言い含められ、神社の並びにある和喫茶店に連れていかれそうになっていた。
困り果てた顔で陽子にヘルプを送ってくるので、夕陽が甘酒の紙コップを小走りで届けに行く。

「アキちゃん、はい甘酒。熱いから気をつけてね」
「えー、アキちゃんお酒飲まなきゃ駄目なの?仕方ないなー、お兄ちゃんだもんね。うえー、何か甘そうな匂いするー」
「おいしい?」
「んー、フツー。アキちゃんは抹茶の方がいー」
「アキちゃん、抹茶と僕、どっちが好き?」
「抹茶」
「今年もかー。じゃ、甘酒と僕は?」
「んー、ギリでヤスかなー」
「ギリなの?」
「いー勝負だねー」
「そっかー」

渋々舐める様に紙コップを煽り始めた太陽の関心が甘酒に移り、夕陽の頭を撫でた和彰は小さな息を吐いた。いつもなら太陽が体液が緑に染まりそうなほど抹茶をしばこうと笑顔で見守るものだが、今日に限ってはそうもいかない。
そろそろ予定の時間だと思えば、そわそわが止まらなくなるからだ。

「父さん、本当にこっちから迎えにいかなくて良いの?」
「ああ。去年まで…少なくとも夏までは東京で暮らしてらしたんだがな、急に三重に引っ越された」
「それじゃ山田会長の?」
「…あの膨大な屋敷を暫く放っていたそうだから、これからが大変だろう。身内だと思っていた部下の所為で、大変な苦労をなさった方だ。夫婦二人三脚でやれるだけの事は賄っていくと、仰っていたな」
「…何だか複雑なんだわ、堂々と会わせてやりたいもんだけど。…ったく、思えば大空ってかなり面倒臭い男よね」
「まぁ、そう言うな。然し昨夜から駅前のホテルで宿泊されとるそうだが、昼飯にはまだ少し早いか。何処ぞで時間を潰して、開いてる店に入ろう」
「玄関の防犯カメラに映って、万一見られでもしたら面倒だからって、そこまで徹底する?」
「卒業こそしとらんとは言え、初等部から高等部まで一貫して帝王院の上位だった頭脳を俺らが騙し通せると思うなら、止めはせんが」
「…ああ、もう、我ながら面倒臭い男を選んだもんだわ」

雪が強くなったが、風はない。
ひらひら、ひらひら、次から次に落ちてくる白を誰もが見上げ、新年一日目を穏やかに過ごしている。

「直接的に何かされた訳じゃないけど、あの社長が会社を傾けた所為で父さんがリストラされる羽目になったんじゃない。…もっとしっかりしてくれてれば、私達はあんな苦労しなくても良かった」
「陽子」
「…判ってるわよ。ちょっと愚痴っただけ、今年の愚痴はこれで終わり」

子供にはノンアルコールとは言え甘酒は早かったのか、何とも微妙な表情で飲んでいる双子は、目に見えて無口だ。母親達の緊張に気づいていたのかも知れない。

「今日はまだ、俺の古い知り合いって事にしてくれって言われてる。太陽と夕陽を紹介したら、帰って良いからな」
「あのね、そんな訳に行かないでしょうよ」

減りが遅い息子達の小さな手からコップを抜き取り、疲れた表情で冷えた頬に温いコップを押し付けた陽子は、息を吐く。

「私は母さんとは違うんだわ」
「お前、まだそんな事を…」
「あの人だってそう。父さんとは全然違う男なんだわ。少なくとも、甲斐性は今のところあるみたいだけど」
「陽子。大空君は、」
「人の心を試す様な真似、私ならしない。どんな理由であれ一緒になったんなら、最後の最後まで支え合うのが夫婦じゃない。違う?」

孫二人を抱えた和彰は、そろそろ抱っこは厳しいなと溜息混じりに苦笑一つ。

「お前の言う通りだ。俺の育て方が良かったな」
「馬鹿言っちゃって。そんな事より父さん、独身男が恋人の一人や二人作るのは勝手だけど、『今の人』と再婚するのは認めないんだわ」
「はっ?!ななな、何の話だっ?」
「携帯にフルネームでメモリー登録するのやめたら?」
「…」
「何で大空の携帯に名古屋の伯父さんから電話が掛かってくるのか意味判んないだけど、理由は聞かないでおくんだわ。少なくともあの馬鹿、伯父さんの番号を私が覚えてないとでも思ってんでしょうね。こちとら携帯デビューしたのが社会人になってからの貧乏育ちだってのに、愛人からの電話を装ってんだから」
「…参ったな、これは。大空が可哀想だ」
「浮気男に情状酌量なんてないっての」
「いや、まぁ、それは…」

子犬の様に雪の中を走り回る双子は、神社の前で停車したタクシーには見向きもしない。

「例えば19歳。初産が双子でえらい難産で、帝王切開を薦められたどっかの19歳が、傷つけるのはやめてくれだの子供は諦めるだの、馬鹿みたいな事を泣きながら叫んでるのが聞こえたら、陣痛の痛みを忘れてぶん殴ってやろうかと思ったもんだわ」

二人、仲良く降りてきた男女と目が合った。
父親の和彰より幾らか年上の様だが、目を惹く美男美女の取り合わせはまるで芸能人の様にも思える。

「それから指一本触れてこないんだから、馬鹿を拗らせたら周りを巻き込むんだって事を、いつか身を以て学んで欲しいもんだわ。私は父さんみたいに、わざわざ離婚してやったりしないわよ」
「…そうか。まぁ、お前が選んだ道だ。好きにしなさい」
「あけましておめでとうございます」

余所行きの笑顔を浮かべている娘を横目に、久し振りに見る、記憶より大分老けた男を見据えた和彰は、正月早々名刺入れを取り出した。電話では何度か話した事があるが、顔を合わせるのは実に十年振りだ。
間には、空気を全く読まない孫が二人。和喫茶店に行こうとする長男を、次男が体当たりで止めているが、一回り大きい太陽は夕陽を引っ付けたまま、ずりずりと雪の中を突き進む決意を秘めた目だ。眉は下がり気味だが。

「おめでとうございます。えっと、君が陽子さんかい?」
「はい。そっちの二人が、太陽と夕陽です。ほらアンタら、ご挨拶しなさい」
「えー?あのね、アキちゃんはね、5歳だよー。でもねー、すぐ6歳になるからねー、おめでとー」
「山田夕陽です。待ってアキちゃん、500円じゃ抹茶ケーキセットは無理だよ」
「やだ!抹茶食べないとアキちゃんの一年が始まんないんだもん!ヤス、弟の癖に邪魔しないでよっ」

目元をハンカチで押さえている女性の傍ら、太陽に負けず劣らず下がり気味の眉を益々下げて微笑んだ男は、双子の目の高さに合わせて屈み込む。

「抹茶が好きなんだ。渋いねー、太陽君」
「おっちゃん、抹茶の良さが判るのー?」
「コ、コラ太陽!おま、初対面でおっちゃんとは何だ、おっちゃんとは…!すすすすみません榛原社長、ご無沙汰しております…!私はこう言う者で…」
「社長はやめてくれ、もう僕は引退した身だ。気軽に名前で呼んでくれないかい、和彰さん」
「それじゃ、宍戸からは…?」
「年末で正式に退社したよ。還暦を迎えてからも、暫く置いて貰っていたからね。ああ、ほら、二人にお年玉を持ってきたんだよ。どうぞ」
「おっちゃん、ありがとー」
「おっちゃん、有難うございます」
「コラ、夕陽までおっちゃんはやめんか!」
「はっはっは、良いよ良いよ、おっちゃんでもじーちゃんでも、好きに呼んでおくれ。然し東京に珍しく雪が降ったかと思えば、結構寒いもんだ。何か温かいものを入れてから、食事にしたいと思うんだがね。陽子さん、宜しいかい?」

気恥ずかしげに自己紹介を済ませていた女性陣に、勿論否などあろう筈もない。ぺりっと早速ポチ袋を開けて中身を除いている孫らに飛び上がった和彰は、叱る前に中身が一万円札である事を見やり、益々飛び上がった。

「ちょ、コイツら月末誕生日とは言え、まだ五歳ですよ?!」
「二人共、入学祝いも含めてるんだよ。夕陽君は西園寺に厄介になるんだろう?跡取りの遥はまだ学生だけど、いずれは東雲、加賀城に並ぶと称される人物に育つだろう。今の西園寺当主は僕の幼馴染みでもあるから、夕陽の事を頼んでおくよ。心配しなくて良い」
「いや、そんな畏れ多い事は…」
「畏れ多い?冗談だろう、和彰さん。いや、ワラショク代表取締役と言った方が良いかい?」
「冗談?」
「君の所の総務課長、偶然見掛けたんだけどね…。あれは駄目だ、大空の部下だなんてとんでもない話だよ」
「総務課長って、遠野君が何か…?」
「そう、遠野秀隆と名乗ってるんだったか。戸籍は完璧だったから騙されそうになったけどね、産まれた時から見てる宮様の顔を忘れる筈がない」

かしましい双子と共に、女性ら先導で並びの喫茶店に入っていくのを見送りながら、榛原優大は困った様な笑みと共に、吐息混じりの囁きを零す。

「…帝王院秀皇。彼は、帝王院財閥会長帝王院駿河さんの、一人息子なんだ」
「そ、んな、馬鹿な事が…」
「どうも面倒事に巻き込まれている様だ。帝王院学園に悪魔が住み着いたと、数年前からピリピリしていたらしい。丁度僕が辞任に追い込まれた頃で、そっちまで気が回らなかった」
「悪魔?」
「一般人には手が出せない、大陸の覇者だ。…少し困った事に、太陽が榛原として不適格だと釘を刺された」
「は?待って下さい榛原さん、それは一体…」
「今の大殿、つまり帝王院駿河公の周囲には、姿なき守護者がいるんだ。と言っても、駿河様のお父君の代で表向きは解体したと言われてるんだけどね」
「?」
「皇は灰と化した、今や灰皇院は榛原のみ…だったのに、よりによって僕らの結婚が遅かった所為で大空は若すぎて、駿河様の力にはなれない。だったら秀皇の宮様に尽くせと教えてきたんだけど、この様なんて…」
「は、榛原さん?」
「僕ぁ、天国のお義父さんにどう報告すれば良いのか…っ」
「えっ、ちょ?!」

喫茶店を前に、地に埋まりそうなほど壮絶に落ち込んでいる榛原を見やり、人目を気にした和彰は慌てて彼に手を貸した。物騒な話であるのは雰囲気で判るが、早々に店内へ入っていった家族らが戻ってくる前に店に入らねば、面倒な事になりそうだ。

「判りました、話は後にしましょう!今はとりあえず中に入って、皆で温かいものでも食べましょうよ!」
「ぐすんぐすん、僕の所為で苦労したのに優しいんだね。それなのに、僕は龍一郎兄さんの睨みに震え上がって尻尾巻いて土下座してしまったんだよ」
「榛原さんって長男じゃなかったですっけ?」
「おい、何をしている。邪魔だ」

泣き崩れんばかりの榛原を抱えながら背を正した和彰は、べしっと背中を叩かれた様な気配に振り返り、上質の杖と帽子の老人に気づいた。
その傍らには一体何人居るのか、黒服の男らを引き連れたサングラスを掛けた男が寄り添っている。

「…お前は何と言う酷い真似をするんだ。申し訳ない、連れが無礼を。クリーニング費用は持つので、此処に連絡を下されば」
「は?いや、大丈夫です!こちらこそ申し訳ありません、通路を塞いでしまって…」
「退け有象無象、儂の大福巡りを妨げるのであれば、容赦せんぞ」
「おい、いい加減にしないか龍、」
「じーちゃん、まだー?」

後ろにはヤクザの様な一向、背後の店内からは待ち兼ねたらしい太陽が顔を出し、榛原に肩を貸したまま困り果てた顔色の悪い村井和彰は、自分よりまだ顔色の悪い榛原が震えながら指を差すのを見たのだ。

「す…すすす駿河、君?」
「ん?…これはまた珍しい顔を見た。宍戸…いや榛原の…」
「ええい、無駄話は余所でせんか!」

ビシッ。
杖で地面を叩いた男が、凄まじい眼光で帽子の鍔を押し上げる。凍りついた和彰と榛原が孫を背後に隠し、今にも逃げ出しそうな瞬間、

「悪いが、俺にはじーちゃんの方が邪魔だ」
「…おお。早かったな、御神籤は引いてきたか」
「興味がない。どうせまた大吉だからだ。老い先短いお年寄りに失礼を承知で宣うが、そもそもこの人数で初詣に行くのは無理があったと言えるだろう。それ以前に、俺は大福よりも家で茹でたての鶏ガラをしゃぶりたかった」

その年寄りの胸元辺りに頭がある、小学校高学年くらいの子供が静かに囁く声で、場は音を失った。何故に鶏ガラ、と、誰が呟いたのかは定かではないが、恐らく誰もが同意見だろう。

「ちょいとお前さん達、じーちゃんを苛めてなかったー?アキちゃん怒るよー?」
「いや、苛めた覚えはないが、悪かった」
「謝れば済むと思ってんの?」

マネキンの如く動かない榛原を掴んだまま、ワラショク幹部もまた凍りつく。ヤクザの様な老人に負けず劣らず人相の悪い少年が、今にも人を殺しそうな眼差しで太陽を見据えていたからだ。

思ってる
「じゃ、いーよ」
「かたじけない」
「じーちゃん、おっちゃん、早く早くー」

のんびりと祖父二人を引き摺っていく太陽の背を横目に、ピクリとも動かない表情筋をそのまま、凪いだ夜の如き漆黒の双眸を大人らへ向けた子供は、微かに瞬いた。

「温かいお茶しかない店は、俺には些か敷居が高すぎる。申し訳ないが、キンキンに冷えた飲み物が欲しい気持ち。朝一番の水道水がうまい」
「…俊。すまんが、大福を包んで貰う数分付き合ってくれんか」
「判った。俺はじーちゃんの御神籤を南天に括りつけてくる」
「大吉は手放す必要はない。ご覧、俊君。君と同じく、私も龍一郎の様に物心ついてから今日に至るまで、大吉しか引いた事がないんだ」

帝王院駿河がサングラス越しに淡く微笑むと、取り巻きの黒服達が僅かに顔を伏せる。

「そうか。だが俺には、大吉も大凶も等しく無価値なものに思える」
「…無価値?」
「ささやかな退屈凌ぎだ。つまり、どうせ記憶から剥奪される今日の様に」

外は白く烟り、参拝客で賑わう店内からは瑞々しい茶の香り。日本人に紛れて観光客の姿が目立つ店内は、大層賑やかだ。





「昨日と何ら変わらない今日を新年と宣う人々にとっては、泡沫の価値があるのだろうが」

去年の夏は、強い嵐が通り過ぎたと。
異国からの観光客の話し声は、甘い和菓子の香りで掻き消されていく。

(#)ばかん→
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