帝王院高等学校
しっかり相互理解を深めなさい!
「期待…されてなかったのは知ってるのに、やっぱりそうだったんだって気づいたんだ」

凄まじい量の記憶が目の前を通り過ぎていく。
けれど真っ暗だ。世界は一つの光もない、純粋な黒の宇宙。

「おれの所為でじーちゃんが嫌な思いをしてるんじゃないかな、って。思ってるよ。でも届かなかった…」
「何に?」
「金色で、キラキラした、Sバッジ…」
「欲しかった?」
「比べられたくなかった、から」
「出来の良い従兄と」
「…そうだよ。運動は嫌いじゃないけど、昌人兄ちゃんみたいに活躍出来たりしないんだもん。おれなんか、何の特技もないつまんない奴なんだ」

ああ、落ちていく。飛んでいく。何処へ?…判らない。
さっきまで誰かと一緒に居た様な気がするのに、もう思い出せない。真っ暗な何処かで、何からも見放された様な気分で、目の前を通り過ぎていくのは生きてきた課程で蓄積された記憶の断片。見えているのに良く判らない。
ただただ、真っ暗だった。何も彼もが。

「初等部の時に、見たんだ…」
「何を?」
「出来の良いお兄さんと比べられてる、人」
「一つ年上の」
「…そうだよ。毎晩アンダーラインから抜け出してるんだって、噂になってた」
「紅蓮の君」
「『グレて手がつけられない君』から紅蓮の君になったんだって、影で笑ってる奴もいた。おれ達より6こ年上の烈火の君は、中等部1年の時から中央委員会に入ってたんだって。それまで会長だった紫水の君が卒業して、後を継いだんだ」
「紫水の君?」
「東雲財閥の、跡取りなんだって…」

数年後、伝説の中央委員会会長は戻ってきた。
教育実習生としてほんの半月だけ。それから更に一年を経て、今度は名実共に教師として。更に彼は就任直後から進学科専属の教師となり、ただでさえ高かったSクラスの倍率は跳ね上がった。

「勉強は…本当はあんまり好きじゃないんだ」

加賀城獅楼はただ、何にも逆らわずに呟き続ける。
疑問はない。唯一聞こえてくる声が誰のものかになど、構わずに。

「要領が悪いんだよ、おれ。苦手な科目は特にないつもりだけど、いざ選定考査になると手が震えるんだ。最高で32位だった。だから、始業式典の時にケンゴさんとユーヤさんの名前がAクラスの掲示板に載ってるのを見た時、おれだけじゃないんだって…思ったのに」
「違ったのか」
「違ったんだ。総長が居なくなって、ユーさんが荒れて、ハヤトさんもカナメさんも笑わなくなっちゃって、だからきっと、二人はわざわざAクラスに落ちたんだよ。Sクラスに居たら身動き取れなくて、探しに行けないから」
「探しに?どうして」
「総長が居なきゃ駄目だから」
「何故」
「っ、駄目なんだよ!だっておれじゃ、ユーさんを慰める事も出来なかったんだ!おれ、おれなんかじゃ、昌人兄ちゃんにはなれないんだよ…っ」
「当然だろう」
「っ」

落ちていくのか。
沈んでいくのか。
それとも、浮かんでいるのか?

「俺の『体』はお前の元にはない。俺の『体』は光の慟哭に巻き込まれ、ノヴァに呑まれた。白く塗り潰されたそれはもう、俺のものではない」
「だったら、誰のもの…?」
「嵯峨崎佑壱は光を見捨てた炎なき星の残骸だ。地獄の業火で焼かれた鳥は、繰り返される絶望の果てに、僅かな希望を抱く。唆すのはいつの世も、腹に野望を抱く狸だ」

ゆらり。
ゆらり。
揺れているのか、震えているのか。母親の腹の中はきっと、こんな揺りかごの様な所だったのではなかったか、と。

「光ばかりが羨望される世を、俺は塗り替えようと思う。お前は俺が選んだ光なき負の子、名に獅子を抱く負の系譜」
「…負の系譜…」
「罪を負う者の血は、禁忌の色」

真っ暗だった。
いつかの自分ならきっと怯えていただろうと思ったが、撫でられる感覚に今はただ、



「反転した世界でお前は、罪を白く塗り潰せるだろうか?」

眠る様に目を閉じた。


















負けたと聞いていたのに、チームメートから肩を借りてバスから降りてきた男は、晴れやかな笑顔だった。
出迎えたつもりはない。ただ何となく、暇なGWを持て余していただけだ。

「お?おーい、もしかして獅楼か〜?」

何度も何度も染めた髪は近頃パサついているけれど、やっと思い描いていた色に近くなってきた。クラスメートは「何があったの?」と口を揃えたが、加賀城獅楼を理解してくれる生徒は残念ながらAクラスには居なかった。
だからこの時、Dクラスの彼らなら理解してくれるのではないかなんて、考えた訳ではない。中等部に上がるまで、皆の噂話をまるっきり信じていた獅楼はEクラスが怖くてならなかったが、実際工業科の先輩は誰も、口は荒いが仲間意識の強い良い人ばかりだ。中には意地悪な人間も居るには居たが、獅楼が憧れている一学年上の先輩の名を口にすると、反応は誰も「男ならやり遂げろ」と言ったものだった。

「わ、髪の毛どうした?真っ赤だな!」
「昌人兄ちゃん、練習試合負けたんじゃなかったの?」
「おー、負けた。100対40でボコボコだった!」

だったらどうして笑顔なのかと、高等部へ上がったばかりの従兄を見つめて顔を顰めた獅楼は、彼が右足を引き摺っている事に気づいたのだ。肩を貸してくれていたチームメートは呆れ顔を隠さず、恐らく上級生だと思わしきジャージ姿の生徒が寄ってくるのが見える。

「肉離れやらかした加賀城バカトは真っ直ぐ保健室に迎え!安藤先生が懇意にしてるスポーツトレーナーをお招きして下さってるから、他の皆は第二講堂だ。先にラウンジゲートで汗を流してこい」
「待って、ゴリ!俺もお風呂入りたい!」
「誰がゴリだテメェ!って、おわ!馬鹿の癖にデケェんだよ、その顔寄せんなっ。助けろ香川!」
「赤坂キャプテン、俺を昌人の世話係にすんのやめてくれません?基本的にコイツの日本語は誰にも通じないんですよ」
「ミッチー、そんなにゴリを責めないでやってよ。俺を秘密兵器のまま出さなかった所為で都大会ベスト8止まりの雑魚相手にボコボコに負けてしまったけど、俺を差し置いてスタメンだったミッチーも緊張してたもんな。うん、いつも以上に動けてなかったぞ。大体、高がスリーポイントを外す意味が判らない。俺はコート上の何処にいてもシュートを決められるのに」
「「「お前と一緒にすんな!」」」

負けたと言ったのにどうしてそんなに楽しそうなのか。
声を揃えて怒鳴ったバスケット部メンバーの誰もが、最終的には笑っている。獅楼にはその意味が判らなかった。

「あ、獅楼」
「…何?」
「負けたのは一試合目だけだからな」
「へ?」

抱えられて連れられていく従兄は、チームメートから頭を撫でられながら振り返り、やはり快活に笑っている。

「練習試合が一回で終わりなんて決まりはないだろ?二試合目から俺が出て、十試合目まで全部勝ったんだ。そんでも負けたらやっぱ、悔しい!」
「幾ら悔しかったからって、ぶっ通しで100点ゲームする奴があるか!しかも5ゲーム目で肉離れした事を隠しやがって、こんの馬鹿が!お前は何だ、桜木花道か!」
「ああー、それ言ったら駄目な奴ですよキャプテン!調子に乗るから!」
「去年のペナルティで、中等部卒業まで部活に出られなかったフラストレーションが溜まってるんですから!だからベンチに座らせとけって言ったのに…!」
「とっとと治して俺をIHに連れてけよ、バカト!もしIHに出られたら俺は…俺は…っ、お前に処女をやっても良い!」

高等部の白いジャージ姿は、高等部のブレザーに負けずに映えた。下級生上級生の隔たりなく楽しそうな一行は、騒がしい。

「ミッチー、ゴリは何を言ってんの?少女なんか貰っても困るよ俺、晴子さんみたいな人と結婚するんだから。コブつきだと色々大変なんだろ?」
「落ち着けや、まー坊。ゴリ…じゃねぇ、赤坂キャプテンは去年IH逃した事を悔やんでるんだ。替え玉で中学生を入れて都大会優勝したのがバレた所為でな」
「あー、俺の所為かなぁ。でもミッチー、あの時はリョーチンが出て良いって言ったんだもん。インタビューの時にうっかり加賀城昌人15歳中学3年ですって言ったら、大会運営部の大人に凄い怒られたけど」
「そりゃそうだろ。新聞に載ったもんな。つーかリョーチンってお前、前キャプテンの事だろ?いい加減殺されんぞ」

高々練習試合で怪我をして、高々練習試合でトータル777点をもぎ取ったバスケット部のエースは、その年、IHと選手権大会に出場した。
三年生が引退するなりキャプテンに選ばれた男は、キャプテンと言う重圧に負けて胃に小さい穴を開けて力が出しきれず、結局2大会とも優勝は逃した様だが、加賀城昌人の名は瞬く間に世界にまで広まったと言われている。

「あ!言うの忘れてたけど、獅楼!」
「だから何っ?早く保健室行きなって!」
「お前、その髪ちっとも似合ってないぞ!」
「っ、余計なお世話…っ」
「でも良いな、桜木花道みたいで羨ましいぞ!でも俺は染めない!赤頭にはトラマナがあるんだ!」
「トラウマだろ。何だそのドラクエの呪文はよ、何処の毒の沼地を歩くつもりだよまー坊」
「ミッチー、今夜は焼肉かなぁ?肉離れの時にお肉を焼くのって何か恐くない?俺のふくらはぎの離れたお肉も、鉄板で焼かれんのかな?」
「「「怖い事を抜かすな馬鹿が!」」」
「か、香川、俺は心配になってきた…。俺らが引退した後の事は、お前に任せるからな…」
「無理言わんで下さいキャプテン、昌人以外にキャプテンなんか務まりませんよ。上級生に指示出すなんて、繊細なハートの持ち主な俺には無理です」
「あれ?何か足が変だと思ったら、この靴下俺のじゃないかも」
「何だよ加賀城、靴なんか脱いで。あ、親指の所だけ破れて親指が飛び出ちゃってるじゃないか」
「うーん。あ、これミッチーの靴下かも。変だな、俺は何でミッチーの靴下なんかはいてんの?」
「ご覧下さい赤坂キャプテン、コイツの鋼鉄のメンタルを。特待生で一人部屋の癖に一人じゃ生きていけないって訳の判らない理由だけで、俺は初等部一年の時からコイツの面倒を押しつけられてるんです」
「あたた、ミッチー!ミッチー!どうして俺の耳を引っ張るの?!あたた、ミッチー、ちょ、待ってミッチー、右耳だけ引っ張んないで!左耳も引っ張ってくれると、痛くないかも知れない!」
「これ以上、他の奴らの面倒まで見たくないっス」
「そ、そうか。判った、次期キャプテンは加賀城を指名しておく…」
「あいたー!ミッチー、変だぞ?!両方引っ張られたらさっきより痛い!」

賑やかな男達は賑やかなまま遠ざかっていく。
中等部2年Aクラス一番、加賀城獅楼はその後ろ姿を暫く見送ると、深い溜息を吐いた。

「…良し!今日も紅蓮の君を探しに行こ、っと」

三年帝君を見掛けては、親衛隊発足の許可を貰おうと奮闘する事、早一ヶ月。
世間はゴールデンウィークで賑わっているが、Sクラスにそんな休みはない筈だ。



けれどゴールデンウィーク中に獅楼が嵯峨崎佑壱を見掛ける事は、とうとうなかった。カルマが町中でカフェを経営している事を獅楼が知ったのは、その年の夏休みだ。外泊届けを提出した獅楼は毎日の様にカフェへ通い詰めたが、叩きつけられたカルマ入隊試験にそれから間もなく不合格一回目を喫した。

「入隊試験は一回しか受けられないんスか?!」
「あ?…別にンな決まりはねぇが、諦めねぇつもりか?」
「諦めねーつもりっス!おれ、絶対認められますからっ」
「…好きにしろ」
「はい!」

十回落ちて、工業科だけに留まらず体育科やFクラスの生徒にまで、獅楼の噂は広まっていた。諦めの悪い馬鹿だの、フェニックスのストーカーだの、不名誉な噂が流れている事は知っている。
けれど、その逆に諦めない心意気が潔いと誉めてくれる人もいた。ネガティブな噂ばかり耳につく事を、獅楼は知っている。順風満帆な人間など一握りだと言う事も、知っていた。

「昌人兄ちゃん、胃炎だったんだって?」
「…ぐすっ。俺があの時シュート決めてたら、勝ってたんだ。俺が倒れたりするから、安西先生がチェンジを…」
「諦めるの?」
「絶対諦めない!来年は全国制覇して、」
「その次は?」
「世界制覇」
「その次は?」
「宇宙制覇だ」

例えば加賀城昌人が五人居たなら、彼のチームに敵はなかっただろう。
例えば昌人が主将と言う役職にストレスを感じないほど無頓着な人間であれば、例え話は幾らでも。現実は、どんな天才でも負ければ人知れず泣いている。

「おれも諦めないって決めたんだ。諦めない限り、負けてないんだよ。きっと」
「…おう」
「次は勝てると良いね」
「獅楼がチアガールの格好で応援に来てくれたら」
「行かない。おれ、親衛隊作ったんだ」
「知ってる。烈火の君の弟のだろ」
「カルマに入りたいんだ、おれ」
「そっか。苛められたら言えよ、助けに行くから」
「来なくて良いよ。おれだって、鍛えてるんだからな!」
「だったら俺とフリースロー勝負するのか?!」
「しない」
「どう言う事だ獅楼、何でそんなツンデレになってしまったの?もしもしミッチー、獅楼が冷たいんだよ!え?そんな事はどうでも良いから早く帰ってこい?ぐすっ、嫌だ!焼肉のない反省会には行きたくない!…え?ジンギスカンは羊のお肉を焼いた奴なの?判った、今から行く!」

落ち込んでも、すぐに前を向ける人間が強いのだ。
今の今まで膝を抱えていた男が走っていくのを横目に、獅楼は買ったばかりの携帯電話に登録した電話番号へ、本日何十回目かのモーニングコールをした。時間は既に夕方を回っている。

『…うぜぇ!テメー、毎日毎日何百回鳴らしやがる!ぶっ殺すぞコラァ!』
「おはようございます、ユーさん!紅蓮の君親衛隊隊長、加賀城獅楼です!」
『何がおはようございますだボケ!何時だと思ってやがる、5時だ!7時までに総長の仮面ダレダー弁当を作らなきゃなんねぇ時に、』
「仮面ダレダーって、特撮の奴っスか?それだったら、うちの系列会社が専属で玩具作ってる奴っス。ダレダーの絵が入った弁当箱とか、変身ベルトについてる宝珠の形におむすびが作れる型とか、要りませんかっ?」
『…んだと?テメー、まさかダレダープロの関係者か?』
「いえっ、カガトイズの社長が叔父さんなんです!知らないっスか、特撮系の玩具作ってるメーカーなんですけど」
『知らねぇ訳じゃねぇが、そりゃ確かバスケ部の加賀城昌人の家じゃ…』
「はい!おれは従弟です!」
『んだと?ちょっと待て、デケェ声出しやがるから要に聞こえてやがる。代われっつってるから、待て』

4月から張りついて、8月の頭に親衛隊を発足させて、今は12月末。
山間部は既に先月から真冬の気候で、雪は降るが積もるほどではない。けれど明日からは雪の予報だった。都心は積もらないだろうが、学園内は判らない。進学科以外の生徒は昨日から冬休みで、敷地内には人影が少なかった。

『もしもし錦織要と申します。仮面ダレダーに詳しいそうですね、今から6区のサンフレアマンションに来れますか?』
「あ、はい!タクシー呼べば、えっと、30分くらいで!」
『待ってますのでお願いします。最新仮面ダレダーの情報がネット上ではまだ少なくて、難儀している所でして。所で、美術は得意ですか?』
「えっと、普通科の必修科目だから、普通です。5段階評価で4」
『上等。普通科なら家庭科もありますよね、そちらはどうですか?』
「家庭科は5段階評価で5っス!」
『マーベラス』
「へ?」
『失礼しました。ユウさんを含めて、和食が得意な人間が少ないんです。最後の質問ですが、トンジルと言うものを作れますか?』
「トンジルって、豚汁の事かな?えっと、味噌汁に豚肉入れただけの」
『それなんですが、ハヤトは65点でユウさんは40点でしてね…。やはり味醂を入れたりナンプラーを入れたのがいけなかったんだと思うんですが、我々の中に所謂家庭の味である味噌汁を作れる人間が居ないんです。君はどうですか?』

獅楼の母親は、所謂お嬢さん育ちと言われる人間だ。
然し婿養子を迎える為に花嫁修行としてあれこれ学んでいた人間で、獅楼が東京の寮に入る事が決定してからは、最低限の自炊が出来る様に鍛えてくれた。味噌は体に良いからと、それまで沖縄で暮らしていた獅楼は、慣れない都会で体を壊さない為にも毎日味噌汁を飲めと言われ、8年間母の教えを守ってきたのだ。

「っス、作れると思います!」
『良く言いました。総長から80点以上貰えたら、入隊試験を練り直してあげない事もありません』
『テメ、勝手に話を進めんな要!』
『言ってる場合ですか!クリスマスパーティーに間に合わなくなりますよ?!』

ちらほらと、細かい白が落ちてきた。
賑やかしい携帯電話の向こう側を探りながら、獅楼が人生で初めて自分で買った携帯ではなく、入学祝いに親から与えられていた携帯でタクシーを呼び、慌てて駆けつけてきた加賀城財閥から派遣されている秘書達を片手で制す。

「獅楼様、お出掛けなら我々が」
「平気だよ、ユーさんの所に行くだけだから。皆が来ると、迷惑になる」
「ですが…!」
「宗家で名古屋を越えてしまったのはおれだけだから、皆は昌人兄ちゃんのお世話だけして?おれの所為で昌子叔母さん達も悪く言われたら、嫌だもん」
「…お心、承知致しました。何かあればすぐにご連絡下さい」

過保護だな、と。
我ながら己の置かされた立場に呆れそうになりながら、漸く携帯電話の向こう側が静かになった事に気づいた獅楼は、ひらひらと落ちてきた雪を一つ、手で掬う。すぐに溶けてしまったそれは、掌の中で水の粒に変化した。

「仮面ダレダーのキャラ弁を作るのって、明日ですか?今日ってクリスマスイブですよね?」
『そうです。総長のリクエストで、明日の7時にクリスマスパーティーを開く予定でして。君は俺達の同級生でしたね、ハヤトを知ってますか』
「もしかして星河の君?」
『ええ。和食に詳しくないユウさんを除いて、ハヤトが最も料理が出来るんです。ですが、ハヤトの味噌汁は先程も言った通り65点でした。総長曰く、「温かさが足りない」そうです』
「温い味噌汁は美味しくないもんなぁ」
『君はまだ部外者なので、カフェには客としてしか入れる事は出来ません。なので今夜はユウさんのマンションに泊まり込んで貰います』
「………へ?えっ、ええーっ?!」

諦めない限り、チャンスは訪れる。
クリスマスイブの奇跡は、獅楼にとっての好機だったのか、否か。


















ああ、背中が勝手にピンと伸びる。

馬鹿笑いしながら駆けずり回る皆はどうして、そんなに楽しそうなのだろう。
ただでさえ慣れない空気の中に一人だけ、明らかに種類の違う人間が混じっているのだ。少なくとも加賀城獅楼にとって、その異質とも言えるたった一人の存在が、落ち着かない世界を益々彩っている様に思えた。

「おい、新入り!つまみが足んねぇぞ!」
「えっ、あ、はい!あの、つまみって何ですかっ?」
「は?何だコイツ、本気で言ってんのか?馬鹿にしてんじゃねぇよな?」
「がはは、おーい皆、シンジが新入りいびり始めたぞ!」
「コイツこないだまでホークをいびってた癖に!」

ゲラゲラと、何が可笑しいのか獅楼には全く判らない。
カウンターをちらりと伺えば、馬鹿騒ぎには無関心なカルマ幹部陣が背を向けている。一人だけ椅子を回転させて、体半分だけこちらを向いているのは、殆どテレビを見ない獅楼ですら知っている、センター街で最も巨大なポスターを飾る男だ。

「視界の隅っこで赤いのがチョロチョロしてるとさあ、捻り潰したくなるんだよねえ。何でだろー?」
「副長、ハヤトがこないだ座薬ぶち込んだ事まだ恨んでるっしょ(´`*)」
「一度や二度じゃあるまいに、いい加減慣れろっつっとけ。グダグダ抜かすと次は指も突っ込むぞコラァ」
「つーか榊のシフト毎日じゃねーかよ。いつ大学行ってんのか判んねーぜ」
「太郎が留年し続けてとうとう退学になってしまったら、此処に就職すればイイんじゃないか?所でイチ、俺の唐揚げとタルタルソースはまだかしら?」
「総長…!俺は総長が漫画を読みながら唐揚げを完食するまでの一部始終をこの目で目撃しましたが、総長のご命令とあれば最高級烏骨鶏のモモ肉を取り寄せ、至高の唐揚げを作ります!」

客としてではなく、スタッフとして店に入れる様になったのは、中等部3年のゴールデンウィークからだった。今年の梅雨は例年より長く、どんよりした気分で受けた一斉考査と選定考査では、獅楼は自身初の32位。Aクラスとしては一番だったが、Sクラスにはやはり届かない。
現在はFクラスに降格した謹慎中の同級生が一人抜けている為、本来なら33番だった筈だ。

「いーや、カナメちゃんは胡瓜のスライスが乱切りになっちゃう腕の持ち主だから、台所には立たない方がよいよ。食材に対する冒涜だよ」
「うひゃ。ユウさんを除きゃ、俺らの中で一番まともに料理出来んのってハヤトだもんな(;´艸`)」
「全くだ。隼人は一度教えりゃそこそこ喰えるもんを出すが、要は駄目だ。記憶力は悪かねぇが力加減が出来ねぇ。天然木のまな板を出刃包丁でぶったぎった事、俺ぁ忘れねぇぞコラァ」
「総長、無意識で唐揚げ喰ってたんスか?凹んでも一度食ったもんは戻って来ねーからよ、気を取り直してセロリ囓った方が良いぜ」
「知ってるぞ裕也、バーニャカウダだな。俺にそんなハードルの高いものを食べさせようだなんて、お前は小悪魔か」

そんなSクラスで悠々一桁台に名を連ねている人間が、少なくとも獅楼の目の前に5人居る。高等部一年帝君の佑壱を筆頭に、中等部三年帝君、獅楼らの学年で首席である神崎隼人、二番の錦織要、三番タイの高野健吾と藤倉裕也。獅楼と同じAクラスの生徒がこの状況を見れば、何人倒れるだろうか。

「あ、あの、総長っ。おつまみ、カナッペで良いですかっ?」
「あは。ボスは何でも食べるけどお、隼人君が素手で生ハム乗せた奴が一番美味しいと思うんだよねえ。豚汁しか作れない新入りのより、ずーっと」
「俺にだって苦手なものはあむサクサクサク」

獅楼と張り合っている隼人が、グサッとカナッペを突っ込んだ男は、そのままもしゃもしゃとカナッペを咀嚼する。一口でなくなってしまったクラッカーに目を丸めた獅楼は、口の中の水分がなくなってしまっただろうとグラスにコーラを注いで、サングラスを掛けた男へと手渡した。

「えっと…そうなんスか?」
「ああ」
「それってどんな…おわわ!えっ、偉そうに聞いてすみませ…っ」
「理解出来ないもの、と言えば、判るか?」

獅楼から受け取ったグラスを一気に飲み干し、ゲフッと豪快なゲップを放った男は、隼人に張り合った要からコチュジャンを豪快に塗りつけた罰ゲームの様なカナッペを放り込まれ、またサクサクと咀嚼し、楽しくなったらしい健吾が二枚重ねただけのクラッカーを突っ込むとやはりサクサク咀嚼したが、とうとう口の中で事件は起きたらしい。
ガッと獅楼が握っていたコーラのボトルを奪った男は、ビシッと腰に手を当てて、そのま豪快にラッパ飲みする。ごっごっごっと減っていく炭酸に、カフェはやんややんやと盛り上がった。

「ぷはー!」
「「「いよっ、総長日本一!」」」
「よっしゃー!お握りもバーニャカウダも唐揚げも片っ端から持って来いやァ!お握りの具は出来れば明太子で!出来なければ塩だけで構いませんので!」
「総長、座って下さい。まだ炊けてません」

こめかみに青筋を刻んでいる佑壱の冷ややかな台詞で、カフェの盛り上がりは一気に鎮火する。飯が炊ける前におかずの大半を食べてしまった男は、空になったペットボトルを静かにゴミ袋へ捨てると、そっと獅楼の背後に隠れたのだ。

「へ、え、そ、総長?!」
「イチはまだ怒ってるんだ。昨日の帰りにマンションの下で酔っ払って寝てた女の子を部屋に入れてやれって俺が言ったから、怒ってるんだ」
「え?え?」
「まさか目が覚めたその子が、彼氏と間違えて俺を押し倒すとは思わなかったんだ。シャワーから出てきたイチがつまみ出してくれたお陰で、俺は狼にならずに済んだけれども…それから半日経つのにまだ怒ってるんだ。イチ、しつこいぞ」
「え、ええっ?押し倒されたんですかっ?」
「あんなもん、端から俺か隼人狙いだったに決まってんでしょうが!コイツらの雑魚寝部屋にぶち込む訳にも行かねぇし、厨房に転がしとく訳にも行かねぇし、仕方なく俺の部屋に入れてやったらあの女…!俺が消えたのを見計らって総長に唾つけようとするなんざ、殺しても殺したりねぇ…!」
「俺達全員で丁寧に脅しておきましたから、大丈夫。酔っ払った女はみっともないですね、あれほどユウさんに怒鳴られた癖に、今度は俺らを誘惑しようとしましたから」
「よっぽど自信があったんだべ?(*´`*) 判り易い面食い女だったよな、ユーヤとハヤトで悩んでたっぽいっしょ(´Q`*)」
「あの程度に落とせると思われてるなんて、マジ有り得ないんですけどお」
「ハヤトの腐れチンコは勃起するだろーが、オレのおしとやかなチンコはビクともしねーぜ」

成程、幹部クラスともなると下ネタすら豪快だ。
童貞の獅楼は目を白黒させたが、獅楼の背後でどことなくもじもじしている男は、未だに何故か隠れている。

「総長、女の人は男より怖いって聞いた事があるっス。今度からは気をつけて下さい」
「判った。だがシロ、俺は怒ったイチも怖い。テーブルの下に隠れたくなるんだ」
「それ地震じゃ…?」

意味が判らない。
どう見ても異質でしかない男が、まるで自分と同じ童貞の様に思えるのだと宣った所で、全員から袋叩きにされるだけだ。

「天気が良過ぎると嘲笑う声が聞こえる。満月の夜には優しい声が聞こえる。どっちがイイか、俺にはまだ判らない」
「?」
「俺には判らないものがまだまだ多いらしい」

確かに、理解出来ないものは獅楼も苦手だ。背中に張り付いている男の様に。

←いやん(*)(#)ばかん→
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