帝王院高等学校
オタクのオタクの魂は何味ですか?
初めて、何の感情も宿らなかった。
反して高まる体の奥の熱は意思に逆らい続け、静かに、けれど激しく唸った。最後の最後まで。


「…は」

求める事も求められる事もなかった終始沈黙の果てに、体を離した男は掠れた声で呟いた。

「こんなもんか。大した事はねぇな」

何を思い何を考え、感情を圧し殺した声を漏らしたのか。
突き詰めれば、沈黙を守ったまま自分が考えていたのは、それだけ。

「精々後悔しやがれ」

冗談の様に言ってやれれば良かったのだろうか。
キスをしないセックスなど、初めてだった。終始沈黙したままの行為は自棄に白々しく思えた。全身から立ち上っていそうな湯気と引き換えに、とても空虚だ。何も彼もが。


ああ。
それでも後悔などしない。そうだ、自ら選んだのだ。悔しいではないか、どうなろうと、例え空しさで押し潰されそうになろうと、後悔だけは、するものか。

あの男は、後悔しているのだろうか。
指の感触、触れる汗ばんだ肌の質感、そんなものを追う前に話し掛けていれば。
少しは、少なくとも、今よりは。



皮膚の全て、欠片も余す所なく熱い。
眼圧が上がっただけだ。目尻から滑り落ちたのは単に、汗が目に入ったから、たったそれだけの事。






(言い訳の言葉に不自由はなかった)
(空っぽな感情)
(それは何処に宿るものだろう?)


(左側の胸か?)
(空っぽな頭の中か?)
(それとも、)








(抱き合った時に自分のものではない鼓動を感じた、)


(右側の胸・か?)



















「そう、つまりあの日『俺』はSTであり、間もなくSMからSSとなる。残念ながら誰が希おうと、壊れた楽器は戻らない。戻れないのではなく戻れないんだ。それを俺は知っていた。

 遠野俊、延いては『天』であり『空』でありつまりは『空っぽ』な『人形』であり『平凡な人間の成り損ない』は、文字通りSilent teller(無音の語り部)でしかなかった。

 歌う力を持たず、踊らせている様で躍り続ける哀れなスケープゴート。何の役も持たず(だからこそ役を求め)、傍観者でありながら(誰よりも主役を望み)、全てが悉く矛盾していた15歳の少年。

 けれど結局、『異常』である事を許さない社会に発生した異端児は、けれど自然の摂理の前では『正常』な『個』でしかなかった。この世には一つの例外もなく『普通』などなく、『例外』もないからだ。全など何処にも存在しない様で、全ては『個』であると説明しようにも、宇宙とは即ち夥しい数の個を取り纏めて、宇宙と呼ぶのだ。


 俺から派生した『俺』遠野俊は、誕生と同時に『俺』として帝王院俊の名を得た。STはSMの銘を受け、『虐げる』事も『虐げられる』事も須く等しくを悉く受け入れた。そう定められたからだ。名には銘が宿る。銘とは役だ。言葉と言う鎖だった。


 帝王院俊、Single Majesty(絶対勝者)は、けれど産まれる前から呪いを『負』っている。緋の王でありながら決して『正』でも『聖』でもないそれは、帝王院神と言う名を淘汰した罪深き『殺人者』だからだ。

 帝王院神、Stealthily sacrifice(虚無の贄)は何処にも存在しない。つまり帝王院神威の『弟』も『妹』も誕生する前に排除された。一介の医者の手前勝手な都合だけで、SSはSMになるしかなくなる訳だ。





 さて、此処まで聞いて何人が『俺』に同情するだろう?」
















さようなら
さようなら

貴方へ赤い贈り物を捧げましょう

さようなら
さようなら

昨日までの無知な世界と無垢なる罪よ



輪廻とは廻っているのです
楔とは穿つものであると教えられました

朝と夜の狭間
その手を血で汚した貴方の罪を私は許しましょう

朝と夜の狭間
この身を血で汚した私の選択を貴方が喜んだ様に



私は悪夢の眷属
私は虚無の眷属



私は大地に落とされた日溜まりの陰

















「シルバーで偽ったシーザートランスファーは、所詮人形の悪足掻きだった。だってそうだろう、シーザーのスペルはCaesarであってKaiserであって、そのどちらも遠野俊には得られなかったものだ。

 言葉遊びは好きかい。
 盤を使わないボードゲームの様だろう、退屈凌ぎに何度も遊んだものだ。勝つ事に全く執着しなかった俺とあの子の勝負は、いつも始まった瞬間に終わってしまう退屈なものだった。



 少なくとも、あの時までは。」

















さようなら
さようなら
昨日までの自由な命を燃やし尽くし
私は貴方を燃え盛る刹那の閃光で呑み込むでしょう



貴方は全て私のもの。
(お前の全ては俺のもの)







可哀想なお姫様に贈り物を捧げましょう
真紅の手紙を、添えて。


















「神様」

初めて人の視線に捕らわれた日の事を、覚えているかい。

「貴方は、神様?」

空を游ぐ光の龍を、それは熱心に眺めていた。
何度も何度も空を見上げては、太陽へ手を伸ばし、微笑んでいた。

「世界は貴方が作った。貴方は世界の、母だ」

それだけが、微笑む。
それだけが、手を伸ばす。
決して触れられないと知りながら、飽きずに話し掛けてくる。

「朝には光輝く蛇が見えるのです。ゆらゆらと泳いでいるのが、ほら、楽しそうに踊ってる」

何故諦めないのだろうと。

「夜には星が瞬くでしょう。母よ、貴方に見せてあげられない事が悲しい」

何故飽きないのかと。

「黄昏に招かれ、躍り疲れた蛇が見えなくなる頃。星が瞬くまでの僅かな瞬間に、民は家へと帰る」

思っただろうか。

「夢の中で歌を歌いましょう。そうすれば星一つない夜だってきっと、怖くない…」

けれど。
太陽と月が重なり、真なる闇に呑み込まれた世界は怯えていた。


懸命に歌う声が徐々に震えていく。
いや、もしかしたなら初めから、震えていたのだろうか。



稀に訪れる僅かな黒時間を除いて、人は光に満たされていた。

光の神は星を廻り、朝と夜を繰り返す。
光の導くままに泳ぐ羅針盤は雲の上、小さな楽園に目を奪われた。

空を游ぐ金色の龍は人に興味を得て、楽園に住まう無知なる兄妹は遥か雲の上、金色の蛇へと姿を変えた光の神に唆されて、禁断の果実へと手を伸ばす。罪の始まりを知っているかい。

ああ。
無垢なるアダムは知恵をつけ、人類初の雄となる。王子は軈て王となり、光に愛された島国を統べたのだ。

ああ。
無垢なるイブは愛を覚え、人類初の雌となる。お姫様は軈て母となり、人類初の母となる間際に命を落とした。罪は裁かれねばならない。




龍が泣いている。
愛しい愛しい我が娘を失い、狂ってしまった我が子が孫を手に懸けるのをただただ眺めていた。空の眷属は地に降りてはならないと、定められていたからだ。

ああ、なのに。


「母様」

どうして分厚い雲の下。
楽園のずっと下を這う地の民で唯一、その子だけが。

「貴方は私達の母様ですか?」

アダムでもなくましてイブでもなく、その子だけが。

「歌いましょう。悲しまないで、母様」

僅かに差し込む光の元、黄昏に染まるまで絶えず見上げてくるのか、と。




人の奏でる音楽は傷ついた龍の心に触れました。
龍は定めを破り雲の下、自分のよりずっとずっと小さい大地の民にほんの少しだけ近づきたいと願い、己の体を金色の蛇へと変えたのです。

その姿はいつかの光の神にそっくりでした。
人類の父と母を誑かし、禁忌の林檎を食べるように唆した悪しき蛇と、余りにもそっくりだったのです。




人はその蛇を殺してしまいました。
けれどそれは罪でしょうか?
愛する父母を騙し、楽園から落とした憎き蛇への復讐を果たしただけなのです。ただ、その蛇と殺した蛇は同じではなかった、それだけの事。


けれど、長針を失った短針は狂ってしまったのです。
最早、崩壊した時は戻りません。短針の犯した罪が長針を殺してしまった、それこそが真実でした。

狂った光は大地を乾かし、軈て分厚い分厚い憎しみの雲で星を覆い隠すと、慟哭のままに嵐を呼んだそうです。
同じく、自分が呼び掛けてしまったが為に母なる龍を死なせてしまった事を、神に触れる力を持った神の子は嘆きました。

神の子は生き絶えた蛇の躯を手厚く埋葬し、神の怒りで今にも沈みそうな大地でただ祈りを捧げ続けた末に、人知れず生き絶えたのです。

神の子は死んで尚、母なる龍への謝罪を繰り返しました。父なる光の神への贖罪を望み続けました。哀れな子供の願いは、大雨が上がり、崩壊した世界でけれど人が懸命に生きようと足掻いた世界に響き続けました。


そうして、壊れた時に輪廻が産まれました。
声なき願いは、光を失った世界の最初の真の闇に唯一響いた音楽だったのかも知れません。



「ああ、そうか。壊れてしまった時計を治す事は出来ないけれど、針が刻む限り時は止まらない。短針も長針もない文字盤には、それでも未だ、秒針が残っているからだ」

全てが存在する事を許されない純粋な闇の世界に、その穏やかな声音だけはあの時確かに、存在しました。

「お前を始まりの主人公にしよう、太陽と大地の狭間に産まれた『天命』として」

それは囁きました。
死して尚、健気にも祈り続けた魂に同情したのでしょうか。それとも、ただの退屈凌ぎだったのでしょうか。

「お前の名は『天元』だ。お前がただの躯へと落としてしまった空の眷属を、空蝉として側に置いてやろう。いつか蝉が羽根を失い、けれど翼を得る事が出来たなら、贖罪の輪廻は形を変える」

けれど。

「但し、お前は『候補』の一人でしかない。絶望した龍は108の鱗を大地へと落とし、全ての感情を淘汰してしまった。定めを破った龍は、二度と空を游ぐ事は出来ない。永久に大地の下、イブの躯を抱いたまま、絶望の炎を燻らせ続けるだろう。それこそが唯一の幸福だ。何故ならば全ての命は、産まれながらに死ぬ運命を背負っている。死以外の絶望を覚える必要はない。それでは余りにも、哀れだからだ」

真なる神の語る『幸福』とは、『永遠の無』の様に思えたのです。
何もしなければ悲しまずに済む、それは正論の様で、ただただ悲しいだけにも思えました。

「…成程、不満なのか。ならば俺の定めを破り、お前の望む結末を見せてくれないか」

そして私は、神に挑む『主人公候補』となったのです。

「お前は『民』、もう一人は『王』として、どちらが先に俺を納得させるか見守っていよう。龍の業は地の下に、魂は108に分かれたまま、体は一匹の犬として。更に、光の神の魂と業は永久の裁きを受ける為に羅針盤へと戻し、体は一匹の狼として。お前の全てを監視し続ける」
「監視…」
「最後の審判を受けるのは誰か、俺には既に見えている。けれどそれを覆す事が出来るか否か…」
「必ず、覆します」
「ならば大切なものを作ってはいけない」
「え?」
「贖罪の為に歌い続け、他を望んではいけない。絶望はいつでも口を開いて待っているのだから」
「判り、ました」
「…二度と戻ってこない事を願っているよ、天の子」

けれど。
約束は果たされはしませんでした。



私は家族を失い、絶望の果てに、鳥居を潜ってしまったのです。





「お帰り。…だから言っただろう、大切なものを作ってはいけないと」
「助けて下さい、神様」
「俺は神などではない。ただの傍観者だ」
「狐が、死んでしまいました。どうか、助けて下さい…」
「ならば全てを差し出すか?」
「全て…?」
「お前が記憶した全ての物語を俺に捧げるのであれば、お前にもう一度時間を与えてやろう。それが東屋の夫婦の願い」
「…?」
「お前は帝王院天元として、緋の系譜を紡ぐだろう。虚無へと身を投じた王の代理として、お前は民の幸福を謳い続けなければならない」
「歌い続け、る?」
「さァ、選べ」

主人公は遂に産まれなかった様でした。
真っ黒なそれは常に何の表情もなく佇んだまま、静かに世界を眺めている様です。とても退屈なのではないかと、何故かそう思いました。神は神こそが唯一無二であり、反して、他の誰とも同じではない究極の例外ではないか・と。

「人にとっての『そら』は、そこにあるのかないのか。俺はその答えが知りたい」

優しい歌声が響いたのを覚えています。
けれど次の瞬間には全て忘れていた事もまた、覚えていた筈でした。





その時までは。















「などと幾ら語った所で、誰にも『俺』の物語は届かない。
 例えば膨大なインターネット世界の、ほんの些細な数メガバイト程を占拠している小さなホームページ。余程の物好きでもない限り辿り着けないサイトの片隅に、ほんの数万文字で終わる短い物語があったとして。

 それが遠野俊が産み、遺した、例えば『全て』だったとして。

 産まれながらに不完全を負っていた緋の王は反転し、決して輝けない民へと生まれ変わったのだ。そう、男の反対は女だが、王の反対は常に民だった。民とは国の命だった。
 民とは『命』、光が負うのは常に『影』で、影が負うのもまた『光』なのだ。

 緋とは血の色だった。血は螺旋を描いて流れ続けていく、メビウスの如く裏も表もなく、永久に終わらない。個を現す遺伝子は螺旋、捩れた摂理の全て。



 さァ。
 覚えているかい、仔猫が描いた脚本のタイトルは『堕落』だった。




 光の国の王は、『スポットライトが嫌いな一般的な民』として、『闇』に染まるのだろうか?」





















「総長」

笑っているのか困っているのか、一見では判断が出来ない人間は珍しくはなかったが、それでも稀だった。記憶している限りではたった二人目だが、それも暫くの事だと知っている。

「俺の誕生日って26日なんだよぃ。知ってる?」
「今知った」
「うひゃひゃ、そりゃそうだぞぃ。今初めて言ったし!」
「そうだな」

遠巻きに何人かの視線を感じる。
怯えを孕んだ視線に敵意は感じられなかったが、それでも、その違和感に気づいていない筈はなかった。
チラシの裏を『帳簿』と言い張る青髪や、安かったが歯応えが悪いと言う理由で賄いに回されたゴボウの素揚げを止めどなくカリカリ貪っている緑髪や、常にない真剣な表情で包丁を磨いている赤髪はともかく、他人に無関心な様で皆の行動をそれとなく見ている淡緋色の髪の少年は、誰よりも先に気づいていたに違いない。

「蟹座か」
「そ、キャンサー♪良く知ってんね、星座詳しかったりするんスか?(´Д`*)」
「昔読んだ本で覚えた。12星座は一通り言えるが、詳しいと言う程ではないだろう」
「ふーん?めざましテレビの占いとか気になる方?(・∀・)」
「血液型占いは最も単純なもので4種類、然し血液を調べれば偽り様がない分類が確定するだろう?」
「ん?どゆこと?(・∀・)」

だからこそ、向こうから大した理由もなく話し掛けてきたのだろうと、平日の日中に商店街を彷徨いた事のない男は、掛け慣れないサングラスを押し上げながら、並々と注がれた炭酸水のグラスを煽ったのだ。

「逆に、誕生日は下手をすると、戸籍に乗っている日付が正しいとは限らない訳だ」
「あー、成程。自分が信じてる誕生日が合ってるかどうかなんて、産んだ母親しか判んないもんな」
「国が変われば時間の概念が変わる事もある。産まれたその瞬間に世界中の時計を止めれば、実にバラバラだろう」
「うひゃ。面白い事考えてんね、時差で日付も時間も国ごとに違うっつー事っしょ?(・∀・)」
「その不確かな情報を元に占われても、国ごとに結果が違うのは目に見えている気がしないか」
「するするwうひゃひゃ、総長って結構ひねくれてる人なん?」
「まァな」
「照れてる意味不wwwいやー、総長マジ受けるwコーラお代わり入れて来てやるっしょ、待っててw」
「有難う」

カリカリと言う音が近いと思えば、たった今、カウンターへ走っていった健吾と入れ替わりに、隣のボックス席に座っていた裕也がサラダボールを抱えたまま向かいに座ってきた。
彼が抱えている鮮やかな蛍光カラーのサラダボールは、商店街の小さなリサイクルショップで要が見つけてきた掘り出し物だ。選り取り10個で500円と言う在庫一斉処分ばりの叩き売りを、実に20個も掘り出しまくっていた要は、リサイクルショップの店主から『目利きの神』と言うお墨付きを貰った様だ。単価が一番高いサラダボールのみ20個も購入すれば、さもあらん。

「ちわス」
「ちわ?」
「こんにちはの略だぜ」

今日も今日とて、裕也は誰よりもやる気がなかった。何せやる事もやる気もなさすぎて、流石に不味いと思ったのか『頑張っておやつを食べる係』と言う、全く意味が判らない役目を自らに課した程には、思考ニートだ。

「そうか。ちわにちわ?」
「早速新しーのぶっ込んでくんのかよ」
「すまん」
「は?何でオレ謝られたんスか?」
「えっ?」
「えっ?」
「すまん」
「うわ、面倒臭ぇの通り越して、面白過ぎかよ。パネーぜ」

若者受けが良さげな蛍光カラーのサラダボールは、ランチメニューを始めた時に流行のコブサラダを盛りつけて提供すると、何処で聞きつけたのか地元のフリーペーパーの取材を受け、すぐに女性客を釣った。
お陰様でボックス席に8席、カウンター5席の店内で、20個のサラダボールは一時も休む暇なく出払っているそうだ。プラスチックで覆われたステンレス製と言う事もあり、朝仕込んで冷蔵庫に入れておけば昼にそのまま提供出来る。成程、実に素晴らしい掘り出し物を格安で仕入れてきた要には、頭が下がる。

然し店が繁盛するにつれて、備品が色々と足りなくなってくるものだ。見切り発車と言われればその通りだが、こんな寂れた商店街の狭いカフェが開店後間もなく繁盛するなど、誰が気づくだろう。余りにも嬉しい悲鳴だが、妥協と言う言葉を許さない熱血漢が存在した。そう、妥協しなさ過ぎて原価が上がる一方、値上げは負けた気がすると頑なに首を振らないオーナーだ。

妥協しないオカンは、回転率が落ちる事を許さなかった。とは言え、こだわりのサラダを有り合わせの皿に盛りつけるのも良しとしなかった。だが然し、要が買ってきたサラダボールを作っていたメーカーは倒産しており、ネットではとうとう見つからなかったのだ。
とうとう最後の綱とばかりにリサイクルショップに飛んでいった佑壱は、同じものを追加で20個欲しいと店主に頼み込み、見た目は派手だが中々に熱い男だと佑壱を見込んだバーコード頭の店主は、禿げた頭頂部をビシッと撫で付けると、任せておけと力強く頷いてくれる。

果たして、リサイクルショップ店主は都内を駆けずり回り、何本かの髪の毛を失いながらも、古物商のコネで掻き集めてくれたのだった。以来、カルマはその店主を『おやっさん』と呼んでいる。店主の名字が小山さんだったからだ。
気が利きまくると言うか、寧ろ頼られてやり過ぎたと言うべきか、店主は同じメーカーが製造していたと言う蛍光カラー食器シリーズをありったけ買いつけてくれ、サラダボールだけではなく、同系色のシリコントング、グラタン皿、更にはランチプレート、数えればきりがないあれこれを『もってけ泥棒』と言って、まさかの全部で1000円で売りつけてきた。もう『おやっさん』ではなく『おやっさま』と呼ぶべきだっただろう。

佑壱は小山店主に『コーヒーパス』を提供し、カフェが開いている時はいつでもコーヒー無料と言うお礼をした。
これに感極まったのか小山店主は涙を浮かべ、『餓鬼が気ぃ使いやがって…っ』などと何処の頑固親父だと言う台詞を口にし、店主の奥さんは呆れ混じりに『うちの人、息子が欲しかったのに娘ばっか三人出来てね』と漏らした。

以降、何かにつけて佑壱の父ちゃん振ってカフェにやってくる小山店主は、ランチのトマトを残す以外は一番の常連であり、商店街仲間のおっちゃんを次から次にカルマに連れてきてくれるお得意さんでもある。
因みに、何故か俊を『おやっさん』と呼んでいる小山店主は、恐らく俊を極道か何かと勘違いしている節があった。おやっさんがおやっさんって言っていると言うコントの様なやり取りを、訂正してやるカルマはいない。

父である秀隆と並んで、何故かいつも父親だと勘違いされる俊は慣れていたので、これまた訂正しなかった。つい先日はとうとう、

『佑壱は真面目な奴なんです…!そっちの道には行かせないで貰えませんか、社長!』

とまで涙ながらに懇願されて、頷いた俊は丁度買い物から帰ってきた佑壱に「次からはあっちの道から帰ってきなさい」と言った。一部始終を見ていた健吾はその日、笑いすぎて酸欠を起こした程だ。

「総長」
「はい」
「そこは『はい』じゃやべーだろ。いや、やべーっスよ。アンタ総長なんスから、もっと上から目線で『あ?何だテメー、気安く喋り掛けやがって泣かすぞ』くらい言わねーと」
「難しいな。俺は出来れば気さくな総長になりたい」
「その提案乗ったぜ総長、アンタ最高かよ。だったらとりあえずオレと無意味なお喋りしよーぜ、オレはこう見えてお喋りが得意な男なんだぜ?」
「そうか」
「手始めに『何だユーヤ』って言って貰えるっスか?」
「呼び捨ては気さくを通り越して気安過ぎないか?そう言ったものは関係を築く上で、適切なステップを踏まないと…」
「処女かよ。だったら『裕也君』から始めんのかよ、そんなんじゃオレとの溝が深まるぜ?」
「そうか。『何だユーヤン?』」
「略した」
「苦肉の策だ」
「『く』抜きの策だろ」
「バレたか。あだ名は信頼の証だぞ」
「言い訳じゃねーか。ま、良いぜ、騙されてやんよ。で、総長、ゴボウの可能性知ってるっスか」
「唐揚げの可能性を語る自信は、こんな俺にも恥ずかしながらあるんだが、ゴボウ単体の知識はそんなに多くないんだ。学のない男ですまない」
「マジかよ、オレもそんな詳しくねーっスけど。ゴボウの花はアザミだぜ?」

そんな曰く付きのサラダボールにキッチンペーパーを敷き、溢れんばかりにゴボウチップスを盛りつけている。今日の賄いランチのメニューで最も『おかずにならない』と皆が見向きもしなかったそれは、裕也のおやつになっていた。
新メニューの試作も兼ねていた本日の昼食は種類も多く、現在週三日のお試しランチタイムを週五日に増やすべく在庫の見直しも計った為、実にご馳走だらけだったのだ。

「薊はキク科アザミ属に属する植物の総称だった筈だ。確かに牛蒡はキク科だが、花は薊ではなかった筈だ。牛蒡はキク科ゴボウ属だからな」
「マジかよ。や、ググれカスだぜオレ」
「いや、俺の記憶違いかも知れないし、インターネットの情報を鵜呑みにするのは余り感心しない。ああ言ったものは一つのエンターテイメントとして楽しむ程度に留めておけば、情報社会に貧富などないと思えないだろうか?少なくとも俺は、ノンフィクションと記載された全てを疑っている。そんな自分を恥ずかしくも思う」
「博士かよ」

厨房から佑壱の怒鳴り声が聞こえてくる。
成程、冷凍庫の中のアイスクリームを盗み食いしたのがバレたらしい。磨いだばかりの包丁の錆にされそうな健吾を、丁度ドアを開けた学校帰りらしい榊が慌てて庇っている声が聞こえた。

「確かに、この世は嘘ばっかっスけど」
「ん?そうなのか?」
「アンタ想像以上に異常な感じかよ」
「すまん」
「オレの誕生日は本当は22日なんスけど、何かいつの間にか23日になってるぜ」
「そうか、6月生まれが多いな」
「12月だぜ?何で錯覚したんスか?」
「すまん。俺は18日だ」
「今日じゃねーか」
「いや、8月だ。何故今日だと錯覚した?」
「パネェ、やり返されたぜ。A型かよ」
「B型だ」
「だろーな」
「お前もB型だろう?」
「何でオレがB型だと思うんスか?」
「TシャツにB型って書いてあるからだ」
「やべ、血液型Tシャツに気づかれた。中々抜け目ねーっスね、総長。油断出来ねーぜ、ゴボウ喰うっスか」
「有難う。む、うまい」

腹がはち切れんばかりに食らった皆は店のあらゆる所で転がっており、痛み掛けていた青唐辛子をゴボウを揚げるついでに天ぷらにした佑壱は、店の帳簿をつけてくれている要のおやつとして『休日手当て』を支払ったらしい。
何にせよ、調味料にしかならない唐辛子を止めどなくポリポリしている要は、メニューの質を落とさず単価を維持させる為に頭を回転させていた。黒い液体を並々と注いだタンブラーを時折煽っては、唐辛子天ぷらをもぐもぐしている。因みにグラスの中身はコーヒーではなく、めんつゆだ。残念ながら。

「つまる所、B型っつーのは興味ねー事はやりたくねーっつーか、やりたくてもやれねー可哀想な奴らなんスよ」
「否定はしないが、少なくとも俺とお前に限っての話だな。俺は現状、不完全な平凡でイイ」
「はっ、平凡?アンタの何処が平凡だよ、笑わすぜ」
「いや、結局は預かってるだけなんだ。『理不尽』で『不完全』で『あくまで平凡』と言う『個』の設定は…」
「この設定は?」
「軈て全巻を負う」
「?」
「負巻全として」

例えば人を煙に巻く様な物言いを『狐の様だ』と直喩するとしたら、目の前の表情が乏しい少年は、正に狐そのものだった。

「定められた日に負うんだ」
「追うって、何を?」
「文字通り『腐』を」
「文字通りじゃなくねースか?」
「そうか?」

但し、自分は狸ではない。
単に性根の腐っている人間なのだ。

「物語は物が語るから物語なんだ。者は語らずに演じるだけ。…そうだろう?」
「全然判んねーぜ。お喋り飽きたんでしりとりするっスか、城縛りで」
「必然的に城で終わるから、『う』と『ろ』縛りか」
「上田城」
「ヴァルトブルク城」
「日本じゃねー」
「日本縛りだったのか?」
「もう良い、寝るぜ」

狸寝入りとは言うが、裕也は完全に熟睡モードだった。
待てど暮らせど届かないコーラはどうなっているのか、佑壱からゴミ袋に詰められて外へ連れ出されていった健吾を追い掛け、尋ねるべきだろうか?

←いやん(*)(#)ばかん→
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