帝王院高等学校
珍事件!訳わかめ!俺とオレとお前も増える?!
他人への評価が、落ちる事はあっても上がる事はまずなかった。それまで。
良い所は探さないと見つからない、悪い所は秒刻みで見つかると言うのに、何故だろう。

「あ。何か、判ったかも」
「あ?」

でかい置物かと思ったら、やはり生きている人間だったらしい。無人の店内でピクリとも動かない男しか居ないのだから、新種のマネキンだとばかり思っていた。

「プラスから始まってマイナスに傾いていくって事はあ、至って普通な訳じゃん」
「あー、…あ?」
「マイナスから始まったら、それ以上落ちるよりは上がる方が簡単って事」
「………質量保存の法則…?」
「あは、馬鹿なの?それとも寝ぼけてんの?」

教室では一度も話した事がない男は、今の今まで閉じていた髪の色と同じ鮮やかな緑の瞳を瞬かせ、ガクンと全身を揺らした。カウンターで頬杖をついたままうつらうつらと船を漕いでいたからか、筋肉の緊張が解けたらしい。

「あー…此所何処、アタシ誰?」
「此所は総じて馬鹿しかいないカルマのアジト、アンタは馬鹿の一人」
「危ねー所だったぜ、オレ今どっかに落ちそうだった」
「一ミリも落ちてないっつーの。つーか何、アンタ最近何かデカくない?」
「アンタには負けるぜ。オレは176cmだった」
「あは、隼人君より10cmもちっさいじゃん。その割りに何かデカく見える」
「まーな、裕也君は骨太さんなんだぜ?クラスメートの癖に知らんかったのかよ」

暖簾に腕押し。
普段は使わない慣用句を呟き掛けて、痙き攣った唇の端を指で揉み解す。高野健吾と藤倉裕也、教室で悪目立ちしている3年Sクラスのツートップは、珍しく相方の姿がなかった。

「今日は奥さん居ないじゃん、三番君」
「あー、オレは50音順で四番だぜ?ケンゴと同じ点だったかんな」
「成績までびったり引っ付いてて、気持ち悪いよねえ」
「オメー、相変わらずオレと仲良くする気ねーな。ま、どうでも良いけどよ」
「カルマってさあ、何でどいつもこいつも慣れ慣れしいんだろうねえ。カフェの中だけ馬鹿騒ぎしてさあ、私生活は崩壊してる癖に」
「崩壊かよ」
「藤倉君のお母さんってさあ、梅雨時に亡くなったんでしょ?」

喧嘩を売る時は、悪びれない態度で。笑顔は忘れず、悪気のない失言を演じる方が効果的だ。

「さーな、ドイツに梅雨はない感じだぜ?乾燥すっからな、湿度が足りねーとお肌がトラブルになるかもな」
「ふーん」
「オメーはヨーロッパに住まねー方が良いぜ、ハヤト。芸能人はお肌が命だろ」

然し敵も然る事ながら、表情を変えなかった。これで中学三年生なのだから、呆れてものが言えない。

「馬鹿朱雀、大阪に行ったらしいじゃん」
「知らね。朱雀のケータイ、知らねーかんな」
「従兄弟なのに?」
「さー?オレよりオメーの方が、朱雀と仲良かっただろ」
「よい訳あるか。何処を見てそう思ったのアンタ、馬鹿じゃない」
「さーな、総じて馬鹿だからな、オレらはよ」

どうやらしょうもない口喧嘩は引き分けらしい。
それとも単に、裕也の方が隼人を相手にしてなかったのだろうか。髪型と髪色が違うだけで、いつも緑のカラーコンタクトをつけていた大河朱雀と藤倉裕也は兄弟と言っても良いほど、顔立ちが似ていた。
ただ、人付き合い=セックスだと思っている節のある朱雀と、人付き合い=面倒臭いと言い切る裕也では、クラスメートからの評価が分かれるだろう。朱雀は品行に難がある男だが、嫌がる相手に手を出したりしない。6歳から覚えた日本語は所々可笑しい所があるものの、普段朱雀が使っている北京語よりは幾らかマシだった。
反して裕也は、口調が荒い訳でも形振り構わず喧嘩を売る訳でもないが、基本的に高野健吾以外とは会話が続かない為、遠巻きにされている。二人がクラス上位陣だからと言う事もあるだろうが、カルマの初期メンバーとして佑壱統治時代から幹部に名を連ねている健吾と裕也は、クラスでも別格の扱いだ。

「ねえ」
「あ?んだよ、やっぱりオレと仲良くしてーのかよハヤト」
「何でもよいんだけどさあ、何でアンタ、カナメをハブってんの?」

成程、裕也にはこちらの方が良かったらしい。母親の話を振った時よりは少しだけ、表情が険しさを帯びた気がする。

「は?ハブってねーぜ、勘違いだろ」
「あは、あからさまに教室じゃ目も合わさない癖に。つーか、クラスの何人が錦織君=カルマだと思ってんだろうねえ」
「知らねーよ、オレに関係ねーだろ」
「ふーん、そう言うスタイルね…」
「…面倒臭ぇな、寝るから起こすなよ」
「ご自由にどうぞお」

だから、四重奏の中で誰が最も浮いているかと仲間に訊ねれば、まず間違いなく隼人だと即答した筈だ。けれどクラスメートに同じ質問をすれば、恐らく答えは変わってくる。





「つーか何であの時、隼人君とユーヤは二人きりだったんだっけ?」

と言う、淡い記憶を思い出した神崎隼人は今、痺れた表情で両手をわきわき蠢かせていた。ふんふんと鼻息が荒いが、それを除けばいつも通りイケメンな垂れ目だった。狐顔とも顔とも言う。
傍らの高野健吾はマネキンの如く動かず、藤倉裕也の両手もまた、隼人に負けず劣らずわきわきしている所だ。

「覚えてねーぜ、ンな事。大方、他の奴らはユウさんの買い出しについてったんじゃねーのかよ」
「正解。時にユーヤさん、君は今、あのかわいこちゃんをカナメさんと言いましたか?」
「あれの何処が可愛いのか全く判んねーけど、ありゃ確かに昔のカナメだぜ」

動かない健吾を至近距離から凝視している緑頭は、ごくっと息を呑んだ。それと同時に、裕也の台詞で垂れ目をかっ開いたモデルも、ごくっと息を呑んだ。

「どうしよう、藤倉君。実は今、コンドーム持ってないんだけどさあ」
「オメー、アレに勃起したら犯罪だぜ?」
「平気平気、だってこれ夢だし」
「マジかよ。確かにこれ夢だよな」
「だから何しても捕まんない」
「マジかよ。オレもコンドーム持ってねーぜ、おいケンゴ、オメー持ってんのかよ」
「(°ω°)」

それぞれカルマが誇る二大イケメンは今、頭の中で事件を繰り広げているのだ。もう一人のアイドル系は違う意味で事件を起こしている。恐る恐る獅楼が耳を澄ませてみるが、どうも呼吸をしていない様だ。

「ハ、ハヤトさん…っ、ケンゴさんの息が…っ」
「判ったからお黙りシロ、後で餌あげるからお座り」
「お、おれハヤトさんの犬じゃないよっ?ユーヤさん!ケンゴさんが息してないっ」
「マジかよ、人工呼吸が必要な気配かよ」
「人工呼吸で目を瞑るのやめて!ケンゴさん、起きてケンゴさん、奪われちゃうよ〜!」
「ちっこいカナメちゃんハァハァ」

ネイビーグレーのブレザーを纏う若かりし神崎隼人が、棒キャンディーをガリッと噛み潰す程には、オフホワイトのブレザーを纏うメタボ疑惑勃発中の神崎隼人の目はやばかった。

「お…お兄ちゃん…」
「よいから、後ろに隠れて出てくんな。アイツは隼人君に成り済ました変態だから」
「あは。え?ちょっと小便臭い中等部、今この隼人様を変態と言ったかね、ん?笑わせんじゃないわよお、隼人様の何処が変態だって?どの角度から見てもただのイケメンじゃない、殺すわよ」
「ハヤト、何でオカマ入ってんのか判んねーぜですわよ。そこの餓鬼がカナメかどうかはどうでも良いだろうが、連れ去られたっつーカナメを探すべきですわよだぜ?」

何故かオカマ口調が移っている裕也の台詞は尤もだと獅楼は思ったが、いつの間にか北緯の姿がなくなっている事に気づき、それ所ではない。

「ユーヤさん!ハヤトさん!ホークさんが居ないよっ」
「あは、何かさっき煙の様に消えてたよ。ユーヤが猿に吸い付こうとした時」
「マジかよ、やべーんじゃねーのかよ。吸い付こうとしたんじゃなくて吸い付いたんだぜ、間違えんなハヤト。視力やべーぜ」

獅楼の狼狽っ振りをちらりとも見ない隼人と裕也は、鼻の下を盛大に伸ばしている。何故か健吾の頭を嗅いでいる裕也に突っ込む者はなく、怪しげな眼差しで中等部隼人の後ろに隠れている錦織要を見つめる隼人は、ぺろりと唇を舐めた。補食モードではないか。
対して、垂れ目を懸命に吊り上げている若隼人は臨戦態勢だ。近寄らば殺すと、全身で訴えていた。

「つーか、そっちのハヤトはオレと目線が変わんねー感じだぜ。白百合2号も12歳っつってたし、一年の頃のオメーじゃねーか?」
「ケンゴさん、しっかりして!ユーヤさんがお尻揉んでるよっ!」
「(°ω°)」
「あは。あは、あは、何これ。いつも目と眉が吊り上がってるカナメちゃんってば、子供の頃はこんなにかわゆかったわけえ?あは、あはっ、やだ、何か目がうるうるしてるよお、あは!」
「気色悪い面で近寄ってんじゃねえ、失せろデブ!」
「お兄ちゃん…っ」

ひしっと今より幼い隼人に抱きつく要は、どう見ても幼稚園児だ。然し、いつも四重奏のリーダーに睨まれ蹴られ蔑まれているスーパースターには、要と同じ顔をした気弱げな子供と来れば、誘拐しない方が難しいと思える。

「うきゃー!( ノД`)」

然し、真っ先に飛び出したのは健吾だった。
奇声を上げながら裕也を振り払い、凄まじい早さで幼い方の隼人を蹴り払うと、ポカンとしている幼い要を震えながら凝視したのだ。
余りの早業に、健吾を捕まえ損ねた裕也すら目を丸めている。

「か、かかか、カナちゃん!俺、俺の事判る?!健吾!俺、高野健吾!」
「え…え?」
「ほ、ほら、音楽祭で会ったべ?!美月と一緒にサンフランシスコに来たろ?!」
「し…知らない…」
「うっそー!何で?!カナちゃん、何歳?!」
「4歳…」
「本当に俺の事知らねーの?!」
「し、知らないってば!」

ぐいぐい詰め寄ってくる健吾を小さい手で押し退けた要は、蹴り飛ばされた隼人に擦り寄って、涙目で睨み付けてきた。素早い健吾の動きに対応出来なかったらしい隼人は、忌々しげに睨み付けてきながら抱きついてくる要を片手で抱えている。

「な、何で俺睨まれてんの?(((;´ω`;))) 何であんなゴキブリを見る目で睨まれてんのっ?!」
「ケンゴさんがぐいぐい行くからだよ、カナメさんに似てても相手は子供だよ?」
「おい、何でオレには塩対応でカナメにはぐいぐい行くんだ。ちょっと話し合いが必要かよ、ケンゴ。今すぐこっち来い、オレが優しく笑ってる間によ」
「てんめーが優しく笑ってるとこなんか見た事ないんだけどお?んな事より、隼人君の顔で猿に一撃で負けるとかさあ、もお、情けなくて泣けてきたあ」

全く涙など出ていない目元を拭った隼人は、要を抱き締めたまま後退ろうとしている自分へ目を向けると、極上の笑顔を浮かべて腕を広げた。

「カナメちゃん、そっちのお兄ちゃんより、こっちのお兄ちゃんの方がさあ、ずーっと優しいよ?」
「えっ?」
「うぜえ、失せろデブ。幼児に盛ってんじゃねえ」
「あは、何自分だけ聖人君子振ってんの?」
「あ?」

保護者宜しく、まるで本当の兄弟の如くひっついている隼人と要に、悔しげな健吾は裕也からブツブツ叱られているが気づいていない。獅楼は裕也の嫉妬が判らなくもないだけに同情したが、

「俺がモロ好みって事はあ、お前もモロ好みっつー事だろーが、クソ餓鬼」

にこり。
カメラの前で見せるお高い笑顔を浮かべた隼人はただのイケメンスーパーモデルだったが、それを向けられた隼人は、狐と言うよりは狸の様な顔だった。目を丸めて動きを止めており、抱えた要が不安げに眉を寄せるのを、青ざめた表情で見やる。

「お兄ちゃん、変態なの…?」
「ち、違…」
「そうそう、そいつは隼人君の振りをしたただの変態なのお。おいで、カナメちゃん。中学生なんてねえ、やる事しか考えてないチンコ野郎なんだからねえ。カナメちゃんなんか、ひょいっと剥かれて、パクっと食べられちゃうよお?」
「え?!や、やだ、離して…っ」
「ちょ、違…!」

決着は着いたらしい。
15歳の大人げない隼人に涙目で駆け寄ってきた4歳の要は、青ざめてオロオロしているネイビーグレーをキッと睨み、舌足らずに変態と罵ってきた。

「ち、違、俺、そんな事考えてないよお…!」
「嘘つき!チンコ野郎!」
「あは。ちっちゃいカナメちゃん、可愛いお口でそんな事言ったら駄目だよお?」

可哀想に、要から下品な罵りを受けたネイビーグレーは膝をカクンと崩し、勝ち誇ったオフホワイトは獅楼の冷めた眼差しを浴びながら、ぎゅっと抱き締めた要をうっとりと見つめ、

「悪いお口には、ふっといお注射ぶっ差しちゃうからねえ?」
「え…?」
「「サイテー」」

獅楼と若隼人の台詞が重なり、注射の単語で動きを止めた健吾は何を考えたのか、若干頬を染めた。凍えるエメラルドの眼差しを細めた草食系男子は、肉食でしかない笑みを浮かべて「注射萌えかよ」と一言。

「オレの注射は用意万端だぜ?」
「うへぇ、ユーヤフェラ下手そうだから嫌だ(´`)」
「マジかよ、話が噛み合ってねーぜ」
「噛み合う訳ねーべ、良いかユーヤ。誰も彼もがお前に抱かれたい訳じゃねぇっしょ(´°ω°`)」
「あ?何?」
「何でもねーよ?(*´`*)」

がしり。
獅楼は笑顔の健吾が裕也の尻を鷲掴むのを見た。裕也だけが真顔で首を傾げていたが、ある意味本物の肉食男子とベジタリアンでは勝負は着いたも同然だろう。裕也の手つきよりも、両手で尻を揉みしだく健吾の手つきの方が、獅楼が見てもエロかった。

「言ってる場合じゃない。ハヤトさん、ハヤトさんから蹴られてるよ。カナメさんのホッペに吸い付くの、やめたら?泣いてるし…」
「え?やだ」
「てめ、離せっつってんだろうがあ!変態が!」

悪どい隼人に騙された要は、オフホワイトから顔中に吸い付かれて声もなく震えている。荒ぶるネイビーグレーの隼人は懸命に殴り掛かって来るが、蹴られても蹴られても要から離れないド変態は、伸びきった鼻の下をそのままに、笑顔で獅楼に首を振った。

「もうさ、このカナメちゃんだけは連れて帰ろっか。何なら今のカナメちゃんは置いてけばよい訳で、心配しなくてもカナメちゃんは隼人君が育てるからさあ」
「ひ、ひっく、やだ…!離してっ」
「ハヤトさん、いい加減にしないとカナメさんにチクるよ」
「あは?チクればあ?カナメちゃんが何処に居るかも知らない癖に、」
「俺を呼んだか、ハヤト」

激怒しているネイビーグレーに首を絞められても笑顔だった隼人が、ピシリと凍りつく。
無理もない。何処から現れたのか、真っ黒なマントを羽織った何者かが、ネイビーグレーの隼人の隣でオフホワイトのブレザーを鷲掴んでいるのだ。

「あ?(´°ω°`)」
「何だ?」
「へ?誰?」
「何、こいつ」
「ひっく」

カルマの誰もが反応出来なかったのだから、中等部時代の隼人も、勿論幼い要も、鼻の下を伸ばしている高等部の隼人もその人物に気づかなかった。
隼人のブレザーをぐいっと引き寄せた黒い物体は、もう片手で被っていたマントを剥ぎ取ると、凍りついている隼人の首元へガブリと噛みついたのだ。

「な」
「は」
「あ?」
「(°ω°)」

獅楼とネイビーグレーが目を丸め、裕也は眉を寄せ、健吾は再び呼吸を止めた。
幼い要を抱いたまま動きを止めている神崎隼人15歳は、徐々に青ざめながら、己の首に牙を突き刺しているそれを見たのだ。

「う、え?!」

さらさらと、目が覚める程の青が隼人の肩口辺りに見える。
後ろから伸びてきた凄まじい握力を込めた手が、隼人の顎を掴んで離そうとしない。両腕には羽毛の如く軽い要を抱いたまま、離せば落としてしまうので、それも出来なかった。

「餓鬼相手に何してやがる、尻軽が…」
「あ、あの、え、まさか、あの」
「相変わらず、絶望した満月みてぇな目をしてやがる。どうせ灰になるなら、俺の下で哭いてから燃え尽きろよ、仔猫ちゃん」

健吾は素早く裕也の背後に隠れた。裕也は獅楼の背後に隠れた。その獅楼は目を丸めているネイビーグレーの隼人の手を掴み、逃げてと悲鳴混じりに叫んだのだ。

「え、ちょ、何、」
「駄目だよハヤトさん2号!あ、あれは、カナメさんじゃないっ」
「ひょえ!何で夜でもないのにああなってんの?!(´;ω;`)」
「オレに聞いても判る訳ねーだろ」
「ちょ、皆して逃げる気なのお?!待って、待ってえええ!!!」
「おい、ハヤト」

漸く隼人の首から唇を離した男が、隼人の顎を掴んでいた手を離し、隼人が抱えている小さな要の頭を鷲掴んだ。ゆらりと顔を上げた男の耳元の羽根が揺れると、その羽根よりも深い青の瞳が露になる。

「餓鬼から手を離せ、俺の握力に逆らうと銅から首が離れるぞ」
「ひい!は、離します!離します!ご、ごめんなさいカナメちゃん、怒んないでえ!」
「あ?何で俺が怒るんだ、可愛らしく哭かせてやるよ」
「やだ、痛い…っ」

黒髪を問答無用で掴んだ錦織要は、怪しげな笑みを浮かべたまま、幼い自分を放り投げた。震えながら見守っていた健吾と獅楼はさっと顔を逸らし、裕也は立ったまま寝た振りをしている。ネイビーグレーの隼人は灰色の瞳を丸めたが、恐ろしい笑みを浮かべた要を前に、何とか沈黙を守りつつ投げ飛ばされた方の要へ駆け寄った。

「っ、大丈夫?!」
「ひっく、お、お兄ちゃん…!」
「ふん、俺を真似をするなら泣くな、惨めったらしい。…へぇ、俺だけじゃなく、ハヤトのクローンまで出やがったか。くっく、良いな、最高に燃えるシチュエーションじゃねぇか…」

凍りついた隼人の肩を抱きながら…いや羽交い締めにしながら、カルマ四重奏のリーダーは吊り目がちの眼差しを細め、麗しい笑みを湛えたまま、泣いている要を抱き締めた隼人を眺めたのだ。酷く、扇情的な表情で。

「俺を放って随分楽しそうだったなぁ、ハヤト」
「ち、違、そんな事ないってば、や、やだなあ、カナメちゃん…」
「あ?誰がカナメちゃんだと?」
「す、すみません、カナメ様!」
「チッ。雑魚が人を見下してんじゃねぇ、屈め」

しゅばっと正座した神崎隼人以下、若隼人を除くカルマメンバーは、びしっと背を正した。訳が判らない隼人2号と要2号は、ひしっと抱き合ったまま、

「カ、カナメ様、何でそんな、あの、満月でもないのにどうして、その…」
「総長に解放して貰っただけだ。やっぱり、自分を偽って生きるのは無理だったっつー事だ。…ハヤト、無駄口叩いてないでとっとと咥えろ」
「ひい!ごめんなさいごめんなさい、それだけは許して下さい!」
「だったら、そっちのハヤトで良い。目の前で自分が喘がされるのを見たけりゃ、脱がせろ」
「えっ?!」

神崎隼人は感電した。
何処からどう見てもいつもの錦織要とは掛け離れた、色気が暴走しているとしか思えない今の要は、カルマの誰もが恐れる満月モードの裏人格だ。あの佑壱ですら無傷では止められない、殺戮モードと言っても過言ではない。

「ぬ、脱がせろと言われましてもお…」
「お、お兄ちゃんを苛めないで!」
「…誰に口を聞いているんだ、餓鬼が。殺されたいのか」
「口悪ぃな、おっさん」

気丈にもネイビーグレーの隼人を小さな体で庇った涙目の要に、笑みを消した要は青い瞳を細めて舌打ちを零す。15歳のカルマメンバーが揃っても分が悪い、満月状態のリーダーは然し、上から聞こえてきた子供の声に瞬いた。

「あ?」

要につられるまま木々を見上げた一同は、つい今しがたまで青空だった筈の空が満天の星に彩られた夜へ変わっている事に気づくと同時に、ゆったりとした旋律が鼓膜を震わせた事に目を見開く。

「スペシャルヒーリング即興曲、残念ながら今作ったからタイトルはない!今だヒロスケ、カナちゃんを助け出せ!」
「誰がヒロスケだよ」
「良いから助けろって!」
「カナちゃん、こっち」

まったりとした繊細な旋律は子守唄の様に響き、油断した一同の前を素早く駆けていった黒髪の少年が、しゅばっと小さな要の手を引いて再び走り出していくのを、ただただ見守るしか出来ない。
一足先に我に返った隼人二人は、揃って灰色の瞳を丸める。小さな要の隣に、緑色の瞳を眇めたこれまた子供が、立っているからだ。

「え?何?」
「今度は誰」
「え?待って、今の音楽は誰が弾いてたの?」
「俺!」

本気で寝そうだったらしい裕也が傾いて転びそうだったので、慌てて支えた健吾を余所に、獅楼は周囲を見回した。ポカンと目を丸めたまま佇んでいる要の目の前に、木の上からピョンっと飛び降りてきたのは、満面の笑みを浮かべた茶髪の少年だった。
誰が見ても明らかに、十人中十人が可愛いと言っただろう、まるで天使の様な顔立ちの子供だ。

「やいやい、おっさん共!俺のカナちゃんをよってたかって苛めてくれやがって、ユーフォニアムで殴り倒すぞコラ!金管楽器の殺傷能力舐めんなよ、マジで!」
「殴るんならクラリネットの方が良いぜ、笛は武器になるって母ちゃんのばーちゃんが言ってたらしい」
「マジかよ!お前の母ちゃんはアレか、アサシンか!」
「あさしん?何、それ」
「ググれよ、後で俺のケータイ貸してやっから」

とんでもなく声の大きな子供と、とんでもなく覇気がない子供が、離れた位置で会話をしている。ぺちぺちと裕也を叩き起こした健吾は、痙き攣る笑みを浮かべたまま、一番声の大きい子供を見つめた。

「ちょ、起きろってユーヤ!アレ見ろ、アレ!何か、小さい頃のオメーが居るっぽいっしょ!(´°ω°`)」
「…あ?藤倉君はオンリーワンだぜ、世界に一人しか居ねーよ…グー」
「グー、じゃねぇ!起きろ、何か俺に似た餓鬼も居んだよ!(´;ω;`)」
「あ?」

涙目の健吾に腹を蹴られた裕也は、仕方なく目を開けて暫く動きを止めると、再び目を閉じたがすぐに目を開いた。

「あ?何でケンゴが若返ってんだ?」
「だべ?!つーかあっち見ろし、アレってお前だべ?!(°ω°)」

ちび三匹は徒党を組み、こそこそと作戦会議をしている。可愛らしい光景に口を開けている隼人は涎を垂らさんばかりの表情で、恐ろしく冷えた眼差しの要から足で頬をつつかれた。

「その面は何だ、ハヤト。折角俺がお前を奴隷にしてやるっつってんのに、何を阿呆面で餓鬼共を凝視してやがる。直腸突き破って、胃の中で中出しされてぇのかテメェ…」
「ひい!ご、誤解ですう!阿呆面なんかしてませんんん!」

人格が変わった要に自ら近寄る様な男は居ない。俊以外には皆無だろう。
女は変わっているもので、いつもの要より偉そうな要の方が燃えると宣って、罵られようが荒っぽく扱われようが、構わず擦り寄っていくのだ。
然しながら、人格が変わっている時の要は記憶が朧気らしく、大半を覚えていない。その所為で何人の女性から引っ叩かれてきたか、数えるのも馬鹿馬鹿しい程だ。

「へぇ、だったらさっき俺を置いて行くっつってたのは、何だったんだ?」
「ぎゃふん!」

付き合った恋人の名前ですら別れたら忘れると言うあんまりな特技を持つ、あの嵯峨崎佑壱ですら真顔で「お前、酷ぇな」とぼやく程だ。満月の要は「やり捨て男」として囁かれているが、それでも構わないと挑んでくる女性は後を絶たない。

「は・や・と・くーん?」
「ご、ごめ、ごめんなさ、うえーん、許してえ」

それを知らなかったカルマ入隊直後の神崎隼人14歳は、初めてのクリスマス集会でアルコール入りのシャンパンをこっそり要に飲ませ、酔わせて襲おうと企んだ。残念ながらホワイトクリスマスではなかったが、代わりに、フルムーンクリスマスだったのである。
何だかんだ要をその気にさせたまでは良かった。然しいざ本番となると哀れ秒殺でマウントを取られた隼人は、前戯皆無で突っ込もうとした要に死に物狂いで抵抗し、運良く股間に膝蹴りを決めて、事なきを得た。

「で、俺とあっちの俺、どっちが何だって?怒らないから本音で言ってみろ」
「ほ、ほんとに怒んない?」
「チッ。ぐだぐだ抜かすと殺すぞテメェ…」
「ひい!あ、あっちのカナメちゃんの方がかわゆいよお!天使!こっちのカナメ様は悪魔だから、チェンジー!」

実のところ、先端がちょっとインしていた様な気がしないでもないが、スーパーモデルは認めていない。あれはノーカンだ。誰が何と言おうが、神崎隼人は処女なのである。多分。

「オレってあんな小さい時あったかよ」
「そらあっただろうがよ!何で?!ハヤトとカナメだけでなく、何で俺とオメーまでショタ化してんの?!(´;ω;`) つーかカナメ様に至っては、静かすぎて怖いっしょ…」
「ちょっと待って、もしかしてあの声が大きい子がケンゴさんで、凄い睨んでくる子がユーヤさんって事?」
「シロップの癖に冷静かよ。伏兵発揮しやがって、侮れねーぜ」
「いやあ!カナメ様、笑顔で隼人君を踏み殺すのやめてえええ!!!」

同じ要なら可愛い方の要と取っ替えたい、などと考えたのが悪かったのか、半泣きの隼人の前でネイビーグレーの隼人を蹴り倒した要は、笑顔のまま蹴り倒した隼人の頭を踏み潰した。
さらさらと砂へ変わっていった隼人は消えてしまい、残されたのは、寄り添っている子供集団と、涙目のカルマだけだ。

「糞程気に食わねぇ面が三匹も揃ってやがる。良い機会だ、俺がテメェら雑魚より優れてる事を証明してやろう。くっく、俺より弱い奴らは生かしておく価値がねぇ…」

無論、錦織要の瞳だけは乾いていた。パーフェクトなドライアイだ。
いつもの要も怖いが今の要よりはマシだったと、ぶわっと涙を浮かべた隼人は息を吸い込んだ。

「カナメちゃんの性格をひん曲げた奴、出てこいコラー!」

隼人の絶叫に答えられる者は居なかったので、最後に記しておこうと思う。
当然、犯人は叶二葉だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!