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溺れる魚を掬うのは
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 エール・オルタンシア。本当なら彼にも王位継承権が与えられるべきなのだが、彼を取り巻く環境がそれを許さなかった。この世界では双子は不吉の象徴として忌み嫌われ恐れられていた。その為、王族に双子が生まれた場合は片方を世継ぎとして育て、選ばれなかった方は誰にも知られる事なく処分されるのがこの世界での常識だった。当然エールとサフィールもどちらを生かしどちらを捨てるかと言う議論をされていた。サフィールを生かし、エールを処分すると上の者達で話がまとまった時、王妃は烈火の如く怒り狂った。

『尊い命を身勝手な理由で奪うは何事か! 双子が不吉? そんな確証も根拠もない理由で我が子を殺すって言うの!? 巫山戯ないで! 人の命を何だと思っているの!』

 王妃が激怒するとは思っていなかった側近達は「しかし」やら「不安要素が」やらごにょごにょと言葉を渋る。そんな彼らの態度に王妃は更に腹を立てた。此処に国王が居れば愛する王妃の願いを叶えていただろうが、彼は急な仕事で隣国を訪れていた。ならば国王が帰って来た後に双子をどうするか決めればいいものを、周囲は自分の事しか考えておらず王妃にある事を提案した。

「王位を継ぐのはサフィール様です。エール様の存在は隠し、離宮で過ごしていただきます」

 完全な厄介払いだった。何処までも人の命を踏み躙ろうとする側近に王妃は腹を立て「エールが離宮に住むなら私もそちらで過ごします」と断言した。それは困ると、サフィール様はどうなさるおつもりでと慌てる周囲の反対を押し切って、王妃はエールと共に離宮で過ごすようになった。勿論、王妃としての責務や国王とサフィールとの交流も欠かさず続けていた。

 しかし、元々体が強くなかった王妃は過労で倒れ、衰弱していった。当時三、四歳だったエールは大好きな母親が突然倒れて驚き涙を流した。まだまだ甘えたい年頃のエールを残して死にたくはなかった。けれど、王妃は自分がもう長くない事を悟っていた。自分が死んでしまえば、一体誰がこの子を守ってくれるだろう。私が死んだのはエールのせいだと決め付けられるかもしれない。そんな事を許せる筈がない。国王にエールの存在を教えようとも考えたが、そうなると今度は王位継承権問題が発生する。サフィールが王位を継ぐ事が確定しているのに、突然エールの存在を周囲が知ったら。サフィールもエールもとても優しい子になってくれた。王妃はどちらも同じくらい心から愛していた。愛する我が子を争わせたくない。兄弟同士で啀み合ってほしくない。それだけが王妃の心残りだった。

「エール。お願い。何があっても、強く生きて。辛い事や理不尽な事があっても、決して負けないで。生きて、私の可愛い子。私の愛しいエール」

 泣きじゃくるエールの頭を優しく撫でて、王妃は亡くなってしまった。王妃が亡くなった事は直ぐに国王の耳に届き、速やかに葬儀が行われた。しかし、存在を隠されたエールは大好きな母の葬儀に参列する事は許されなかった。母が亡くなって悲しみに暮れていたエールに待ち受けていたのは地獄のような日々だった。

 王妃が思っていた通り、エールの存在を知る者達は王妃は彼に呪われて殺されたと言い始めた。不幸を招く。だから生まれた時に処分しておけば良かったんだ。今からでも処分するかと、恐ろしい事を話す大人達がエールは怖くて怖くて仕方なかった。助けを求めても、誰も助けてくれない。何時も悪意から守ってくれた王妃はもう居ない。幼いエール一人の力では、側近達を黙らせる事など不可能で、まるで操り人形のように扱われた。

 サフィール殿下の代わりに式典に参加しろ、この社交界にはお前がサフィールとして出ろ、サフィールの代わりに……

 側近達は狡猾だった。エールが参加させられた行事は、全て命の危険と隣り合わせだった。ある時は食事に毒が盛られ、ある時は王族に恨みを持つ者に殺されそうになり、ある時は馬車の移動中に崖から突き落とされそうになった。国王には「身代わりを用意しておりますので」と上手い事言って納得させていた。国王もサフィールの身代わりをしているのがまさか自分の息子だとは思うまい。初めて会った時、国王はサフィールに変装したエールを見て「よく似ておるな」と側近を褒めるだけで気付かなかった。

 あの場にサフィールを出していれば命を奪われていたかもしれないと、国王は身代わりを提案した側近達を褒め称え褒美を与えた。それで味をしめた彼らはエールをサフィールの身代わりにする回数をどんどん増やしていった。元々生まれた時に処分する筈だった命なんだ。我々が有効活用して何が悪い。どうせ死んだって困らない命なんだから。エールが居る場所でゲラゲラ笑う側近達を見て、エールは無力な自分を呪った。悔しくて、苦しくて、辛くて、悲しくて。けれど、助けてくれる人は誰も居ない。国王やサフィールに存在を知られる事なく、サフィールの身代わりを続けさせられ、何時か本当に殺されてしまう。

 エールが考えていた通り、側近達はサフィールよりもエールの方が優秀だと気付いた途端、彼を消し去ろうと目論んだ。何時ものようにサフィールの身代わりをさせて、パーテーィーに参加するよう命令し、そして船の中で開催されているパーティーで、エールは側近達に冷たい海に突き落とされた。

 賢いエールは「やっぱりこうなったか」と不思議と冷静だった。勿論、側近達を憎んでいるし悔しさだってあるが、エールはもう疲れ果てていた。誰もエールの存在を知らない。王宮に戻ってもまた都合の良い操り人形にされるだけ。ならば、奴らの思惑通りになるのは癪だが、今此処で死んでも良いのではないか。そうすれば、大好きな母の元へ行けるのではないか。

 ザブン。

 冷たい水に覆われ体が沈んでゆく。あぁ、やっと死ねる。エールは遠くなる水面を眺めた後、ゆっくりと目を閉じた。

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あきゅろす。
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