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溺れる魚を掬うのは
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 貴族階級も古くさい掟やしきたりも、セシルは鬱陶しくて仕方なかった。貴族同士で集まるパーティーだって、優雅で楽しいものだと思ったら大間違い。食事のマナーや挨拶の仕方、ダンスに他の貴族に気に入られる為の知識。求められる事が多いにも関わらず、得られるものは疲労と気苦労と息の詰まるような窮屈な時間だけ。

「何であんな奴が王族の従者に選ばれてるんだ?」

「主が誰なのか分からないとか普通あり得ないだろ?」

「前まで下っ端の庭師だったのにな」

「どうせ直ぐ消えるに決まってる」

 主が主ならば、従者も従者。似た者同士でとてもお似合いだと思う。彼らの視線の先には一人の青年の姿があった。色々と嫌がらせをされたのか、頭はびしょ濡れ衣服は泥や草木だらけ。幼い頃から従者として教育を受けてきた彼らに取って、あの青年は気に入らない存在なのだろう。何処の世界へ行っても差別やいじめは存在する。王族や貴族が権力を持っている世界ならば尚更。

「あぁ、もう。だから無理だって言ったのに! 俺に従者は向いていないんだって! 何であの人は俺なんかを従者にしたのかな!? こうなる事も分かってた筈なのに!」

「あの」

「俺はそこら辺に居るモブで良かったのに。下っ端の庭師が突然従者になったら周囲から妬まれるに決まってるだろ。他にも色々と方法はある筈なのに何で従者!? もう訳が分からねえよ!」

「あの!」

「はいはい! 何ですか!? お前は従者に相応しくないと言いに来たんですか!?」

「そう、じゃ、なくて……」

「…………」

「えっと、大丈夫、ですか? 怪我、とか」

「…………」

 普通、従者とは主を守る為に存在する。主への忠誠を誓い、主の為に心も体も捧げるのが従者と言うものだ。多分。しかし、彼は主に忠誠を誓うどころか不平不満を大声で漏らしている。思った事が直ぐ口に出てしまうタイプなのだろう。黒い髪に黒い目をした彼は、何故かとても懐かしく感じた。彼の外見が日本人に似てるからだろうか。

「あの」

「……せ、せせせ、セシル様!? な、ななな、何故俺の最推しが目の前に!? 夢!? これは夢なの!?」

「え?」

「グハ! な、何と言う可愛いの暴力。隠しエンド見てからセシル推しになったけど、やっぱり本物の可愛さは国宝級……」

「隠し? え?」

 何故彼が「隠しエンド」と言う言葉を知っているのか。この世界の人達は「最推し」なんて言葉は使わないし、その意味すらも知らないだろう。それなのに、彼はその言葉を知っている。まさか、とドキドキする気持ちを落ち着かせてセシルは彼に聞いた。

「あの、日本って、知って、ますか?」

「え!? な、なんでセシル様が日本を知って……」

 青年の言葉を聞いてセシルは目頭が熱くなるのを感じた。

「うわ! ど、どどどど、どうして泣いて!? 何処か痛いんですか? それとも、何か嫌な事でもあったんですか? ぎゃぁああああああ! あ、あああ、足! 足、怪我してるじゃないですか!? ちょ、ちょっと待っててください!」

 き、救急箱ぉおおおおおお! と叫ぶ青年の頭上から突然木箱が降って来た。ガン! と当たった青年はあまりの痛さに涙目になる。何が起こったのか分からず立ち尽くしているとバサリと音がして、白い何かがセシルの前に着地した。

「梟? すごい。真っ白だ」

 全身純白の梟はそれはそれは美しかった。トントン、と両足を使ってセシルに近付くと梟は彼の足をツンツンと軽く突いた。

「お前、何で俺の頭上に落とすんだよ! 絶対に態とだろ! あの人の親友だからってやりたい放題しやがって!」

 どうやらこの梟と青年は知り合いらしい。梟は全く気にした様子もなく、青年を無視し続けた。そんな梟に怒りをぶつけつつも青年はセシルを木箱の上に座らせてテキパキと手当てを施していった。

「人魚の鱗は高価だと言われていますが、だからと言って無理矢理剥がす事はもうやめてください。剥がしたまま放置すると、傷が悪化して二度と歩けなくなってしまう可能性だってあるんですよ。それはセシル様だって分かっているでしょう?」

「な、んで、知って……」

「こう言うと変態みたいで嫌なんですけど、セシル様の事なら何でも知っています。今はまだ言えませんが、俺の主はセシル様の事を心から愛しているんです。なので、他の人達には期待も信頼もしなくていいから、俺の主の事だけは信じてください」

 今はまだ、難しいと思いますけど。

 そう言って、青年は綺麗に笑った。それは、一度も与えられる事のなかった本当の優しさだった。父親であるコーラルからも、一応婚約者と言う事になっているサフィールからも、与えられる事のなかった愛情。何も悪い事をしていないのに、悪者だと決め付けられ、疑われ、警戒され、敵意を向けられる。けれど、目の前に居る青年は初めて会ったセシルに幼い子どもに言い聞かせるように「自分を大切にして」と言った。

「なんか、お母さんみたい」

「そこはお兄ちゃんって言ってほしかったかな!?」

 青年の反応が面白くて、セシルは小さく笑った。安心したような、心から楽しいと思っている笑顔は青年の心にグサッと突き刺さった。所謂、尊死である。

「手当てしてくれて、ありがとうございます」

「いえ。俺が勝手にやった事なので。って、あぁあああああ! 大切な事を忘れてた! それじゃあ、俺はこれで!」

「え? あの」

「その救急箱、セシル様に差し上げます! 怪我が治るまでちゃんと手当てしてくださいね!」

「……行っちゃった」

 騒がしいと言うか、五月蝿いと言うか。確かに彼は従者には向いていない。けれど、他の誰よりも思いやりがあって、心優しい人だと言う事は分かった。従者は主の命令には必ず従うのが常識なのだが、あの青年は平気で自分の主の愚痴を零していた。本来なら罰を与えられても可笑しくないのだが、何もないと言う事は彼の主がそれを許していると言う事。他の王族や貴族よりも、彼の主は見る目があるなとセシルは思った。

「また、会えるかな」

 重く沈んでいた気持ちが彼と出会ってスッと軽くなった気がした。それに、まだ彼の名前を聞いていないし、彼とはもっと沢山話してみたい。渡された木箱を大事に抱きかかえながら、セシルは嬉しそうに笑った。

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あきゅろす。
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