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初恋の味はアップルパイ《完結》
9
 鈴を助けたのは黒い布を纏った男だった。鈴を抱いて飛び降りると振り返る事なく走り出した。背後からは騎士達の慌てたような声とバタバタと走る音が聞こえる。

「なん、で……」

 男は答えない。奪われまいと鈴を強く抱いて只管走る。前は見えなかった男の顔を鈴は呆然と見上げた。燻んだ赤茶色の髪。沈んだ鉛のような濁った瞳。何を考えているのか分からない能面のような顔。野性的で生命力に溢れていた姿は何処にもない。

 誰かに操られているのか、意識を奪われているのか。自分の思うように動けないにも関わらず、何故鈴を助けようとするのか。どうして、彼の側を白い鷲が飛んでいるのか。その理由を、鈴は知っていた。ザアッと大雨が降っているのに、男が居る場所だけは晴れている。そんな不思議な光景を見てしまえば、もう認めるしかない。

「本当に、神子だったんだな」

 走る男の頬にそっと手を添える。しかし、男の表情は変わらない。黙って走るだけだ。鈴はそんな男を見て顔を歪めた。自分を見てくれない事が悲しいのか、この男をこんな風にした奴が許せないのか、何もできない自分に腹を立てているのか、鈴は分からなくなった。

 追っ手の足音が近付いて来る。騎士の誰かがナイフを投げ、男は鈴を庇いながらそれを躱した。しかし、それが原因で足がもつれ鈴と共に地面に転がってしまう。慌てて起き上がると、既に囲まれた後だった。鈴と男を囲む騎士達は剣を構え、じりじりと近付いて来る。

「逃げても無駄ですよ。大人しく殺されてください」

 ゆっくりと鈴に近付き、神官が静かに告げる。鈴は何も答えず、黒い布を纏った男を見た。先程転んだ時にフードが外れ、男の顔がはっきりと分かるようになった。燻んだ赤茶色の髪も、鉛のような濁った瞳も鈴の見間違いではなかった。男は地面に膝をついたまま人形のように動かない。

 男を見た神官は醜く笑って「何をしても無駄ですよ」と告げる。もう終わりだと思っているのか、神官はぺらぺらと話した。この男が太陽の神子である事。シェルスが彼を欲しているから強力な洗脳の術を使って操っている事。その術を解く方法はないと言う事。

 神子の力は絶大だと、クラウスが言っていた。その力を悪用する輩も存在すると。神官は己の欲の為に太陽の神子を洗脳して操り、シェルスに媚を売った。全ては神子の力を独占する為。そんな事の為に太陽の神子から意思を奪ったのかと思うと、鈴は沸々と怒りが込み上げてきた。

 神官の言葉も騎士達の敵意も今はどうでも良かった。鈴は一刻も早く目の前の男を元に戻したかった。神官が無駄だと嘲笑おうとも、騎士達が鈴を偽物だと断言しようとも、鈴は全く気にしなかった。洗脳を解く方法なんて分からない。しかし、こう言った類の術を解く方法は知っている。それが有効なのかは分からないが、やってみる価値はある。そう自分に言い聞かせ、鈴は全く動かない男の頬に手を添え、不敵に笑った。

「そう言えば、お前は童話が好きだって言ってたよな? お姫様が王子様の真実の愛のキスで呪いが解けて、二人は末永く幸せに暮らしたって言う結末が……なら、悪い奴に魔法をかけられたオウジサマの呪いも、オヒメサマの真実の愛のキスとやらで解けるのか?」

 そう言って、鈴は太陽の神子にそっと口付けた。

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