創作小説
始まりの紅
記憶の最奥に手を伸ばす。
そうするとまず思い出されるのは視界一杯の紅だった。
そしてそれを追うように蘇る鉄錆の匂いと温かさ。
全ての始まりは、溢れ出す紅から。
人里離れた森の中、一人の青年が川沿いを歩く。
青年の姿は異様そのものだった。
この国では珍しい銀の髪を顔の左に結い、白の死装束を纏っている。まるで空間を白く切り取られたようなその姿の中央に、斜めに一筋の黒が走る。それは腰に携えられた、黒い鞘の刀だった。
不意に、木から鳥が飛び立つ音が辺りに響き、青年は足を止めた。
青年が音の方を振り返れば、森の小道を一人の男が歩いてくる。男は青年をチラリと見やると、青年の姿に訝しげな表情は浮かべるものの、すぐに目を離す。
しかし青年はそうではなかった。じぃっと男から目を離さない。
青年の視線に気が付いた男は立ち止まり、再び訝しげな表情で振り返った。それでも青年は表情一つ変えることなく、男を見続ける。
「……何か?」
そんな青年に、男はおずおずと話しかけた。
そこで青年はやっと動きを見せる。青年は体を男の方へ向けると、小さく口を開いた。
「……稲葉仁斎か?」
その声は川のさざ波の音に掻き消されることなく、男に真っ直ぐ届く。
「……そうだが……貴様は誰だ?」
青年は問いに答えずに、一歩、また一歩と、目を男へ真っ直ぐ向けたまま、男の方へと歩き始めた。
そして青年は男の二歩程手前で立ち止まると、問いに答えるべく再び口を開く。
「俺は、お前を殺す者だ」
言うが早いか、青年は腰の刀を抜刀した。そしてその勢いのまま男の胸の中央に刀を刺す。流れるような動きに、男は何が起きたか分からないといった表情で己の中心に刺さる刀と目の前の青年を交互に見た。
青年の表情は一つも変わらない。
そのまま青年は力任せに男に刺した刀を、力任せに抜いた。
途端に男の胸からは紅が溢れる。
男は体を支える柱を失ったかのようにぐらりとよろめくと、そのまま崩れるようにゆっくりと倒れる。
そして地面と体がぶつかるその直前に、ふつりと男の意識は途切れた。
青年は軽く刀を振るって紅を飛ばすと、刀を鞘に仕舞う。
男から溢れた紅は、青年と青年の純白の死装束を鮮やかに染めていった。
しかし男は特にそれを気にした様子もなく、再び川沿いを歩き始める。
紅く切り取られた侍は、そのまま森の中へと消えていった。
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