novel
オツカイ
作兵衛は支度を整えると学園を出て金楽寺へと向かった。
本日の天気は快晴で、作兵衛は木々から零れる暖かい木漏れ日に時折目を細めた。
(こりゃしばらく晴れが続くな……)
作兵衛は頬―――本来彼の髭のあるあたりを軽く掻く。
作兵衛の髭は気運に悟い。
変化術により隠されているその髭が、雨足が遠いことを作兵衛に教えていた。
(まぁ雨は嫌いだしな。丁度良いや)
そんなことを考えながら作兵衛は道を急いだ。
金楽寺に行くのは初めてではない。
授業の野外実習の目的地として使ったこともあれば、用具委員会予算確保のため時鐘を直しに行ったこともあった。
そのため、迷うことなく作兵衛は目的地に辿り着く。
長い階段を登り終えた作兵衛は、門を潜って中へ入る。
そして作兵衛はキョロキョロと和尚を探した。
「和尚さーん!忍術学園三年ろ組富松作兵衛ですー!学園の使いで参りましたー!!」
そう呼び掛けると、遠くから笑い声が聞こえてきた。
「作兵衛くーん、よく来たねー。中庭にいるから入っておいでー!」
和尚からの返事に作兵衛はお礼を言って中庭へ向かう。中庭では和尚が放棄を片手に掃除をしていた。
「久しぶりだね、作兵衛くん」
「お久しぶりです」
軽い挨拶を済ませると作兵衛は早速先生から預かった文を取り出した。
「学園からのお届け物です」
「はいありがとう」
和尚は文を受け取るとすぐに広げて中身を確認した。しばらく文を読むと、「やっぱりねぇ」と言いながら空を見上げた。作兵衛はそれにつられて思わず空を見上げる。
空には雲一つ無い快晴が広がっていて、眩しさに作兵衛は目を細めた。そしてすぐに空から視線をそらし、未だに空を見上げている和尚を見る。
作兵衛は文の内容が気になっていた。
密書ほど重要な物ではないにしろ、今日中に確実に届けて欲しいと言われた文。
もちろん忍者になるための勉強を受けている作兵衛は文の内容を聞くような野暮なことはしないし、中身を覗くこともしなかった。
しかし学園が出した文ということもあり、何か自分達に関わるような内容なのではないかと気になって仕方なかった。
そんな作兵衛の様子に気付いたのか、和尚は空から目をそらすと柔らかく微笑んだ。
「今日は見事な快晴ですね」
突然振られた話題に作兵衛は少し動揺しながら「はい」と頷く。
「ここ最近はこんな快晴が続いてますね。何日くらい続いているか、作兵衛くんは覚えてますか?」
作兵衛は言われてからここ最近を振り返ってみる。そして一週間くらい晴れが続いていることを思い出した。
「一週間くらい……ですかね?」
そう言うと和尚は頷いた。
そして先程まで見上げていた西の空を指差した。
「忍者は気の運を読むことも大切な事ですからね。作兵衛君も読み方は習ったことがあるでしょう?」
作兵衛はその言葉に一瞬肩を揺らすと、少し頬をひきつらせながら頷いた。
確かに気の運の読み方は習ったし、その事は作兵衛も覚えてはいたが、髭のお陰で感覚的に分かってしまう作兵衛は詳しいやり方まで覚えてはいなかった。
そんな作兵衛に和尚は「どうかしましたか?」と笑いながら話を続ける。
「気の運は風の向き、湿度、西の空の様子など、様々な現象から読むことができます。……学園の先生方も気の運を読み、そして気付いたのです……この快晴は、この先もしばらく続いてしまうことに」
この文はそのために出されたのですよ。
作兵衛は和尚の言葉に首をかしげた。確かに自分の髭も、この天気がしばらく続くということを読み取っている。しかし、だからと言ってそれがどうしたというのだろうか。わざわざ和尚に文を出すほどの事なのだろうか。
和尚は穏やかな表情のままゆっくり言葉を紡いだ。
「―――先生方が懸念されているのは水不足ですよ」
作兵衛は和尚の言葉に目を見開いた。そして思わず口を開く。
「え、そんな……たった数週間の日照りですよ?気温だって春にしては暑いかもしれないですけど……でも夏ほどではないですし……」
これまでにもこのくらいの……いや、これ以上の日照りは何度かあった。しかし多少水を節約こそすれ、そのどれも深刻な水不足に至ることはなかった。
和尚はゆっくり視線を移動し、中庭の木々を見る。
「確かに、このくらいの日照りでは飲み水には苦労しないでしょう。……ですが、時期が悪かったのです。今は植物が冬越えの傷を癒し、草花を生み、木々は新緑を伸ばし、果実を実らせる―――植物が水を求める春」
和尚の言葉をようやっと理解した作兵衛は、ことの深刻さに顔を歪ませた。
「今はまだ目に見える影響はありません……しかし、このままでは今年の春の作物は凶作となってしまうでしょう。下手すれば夏の作物にも影響を与えかねません。多くの人間を抱える学園としては、それは何としてでも避けたい事態です」
だから私のもとへ文が来たのですよ。
和尚は再び作兵衛に微笑みかけるとそう言った。
作兵衛は俯いて眉間に深くシワを刻む。
(……忘れてた……ヒトは作物が実らなきゃ死ぬ……雨一つに命を左右されるんだ……)
ヒトの常識の多くを覚えたとはいえ、やはりアヤカシ。
どうしても己から最も遠い存在である『生命維持の常識』を忘れてしまいがちだった。
作兵衛は己の甘さを反省しながら、未だ解消されない疑問に顔をあげた。
「……この事を忍術学園が和尚さんに相談したということは、和尚さんは降雨術が使えるのですか?」
住職が厄落としや除霊に長けるというのはよく聞くが、雨を降らすと言うのは聞いたことがない。そんな作兵衛の疑問に和尚は笑って首を振った。
「生憎と、私に雨を降らす力はありません。でも雨を喚べる知り合いならいます。仕事柄そちらに顔が広いですからね」
そう言った和尚に作兵衛は納得したように頷いた。
「先生方への返事を書かなければいけないね。作兵衛くん、少し待っててください」
和尚はそう言うと寺の母屋へ入っていった。作兵衛はついていこうかとも思ったが、自分が来たことで掃除が止まってしまったことを思い出す。色々と教えて貰ったせめてもの礼に、と作兵衛は和尚が置いていった箒を手に取った。
「お待たせ……おや、庭を掃除してくれたんですか」
大体掃除が終わった頃、和尚が母屋から戻ってきた。
「色々教えていただきましたので……」
そう言うと和尚は細めて笑った。
「ありがとう、作兵衛くん」
作兵衛は掃除道具を片付けると、和尚から返事の文を貰った。
「それから、これはお駄賃です」
そう言うと和尚は懐から小さな袋を出した。同時に黒砂糖独特の甘い香りが作兵衛の鼻をくすぐる。
「黒砂糖の鼈甲飴です」
「そんな、悪いですよ」
作兵衛は慌てて断ろうとしたが、和尚は首を振った。
「良いんですよ、持て余してますから。これは年寄りが食べるには少し甘過ぎます」
そう言われては断れず、作兵衛は袋を受けとるとお礼を言った。
文と飴を懐に入れ、和尚に別れを告げると作兵衛は学園へ帰るため石段を降りていった。
和尚は作兵衛が見えなくなると手を振るのを止め、ゆっくり手を下ろす。
「……時鐘の時と言い、彼は本当に良い子ですね。さて、大事に至る前に『彼女』に雨を喚んで貰えるよう依頼しなければ」
和尚はしばらく作兵衛の行った方角を眺めていたが、やがて母屋の中へと消えていった。
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