第1章・第6話 数千年放置されていたこの世界は、想像以上に乱れまくっていた。 地底を覗けば、蟻の巣のように喰屍鬼の住処ができていたり、とある廃家の屋敷地下には、石像のチャウグナル・ファウグンがいたりと酷いものだった。 まさか旧支配者格の生物が鎮座していたなんて、ノーデンスもビックリである。 帰り際にエイボンの書が落ちていたが、疲労のあまりそれに気付かず、蹴っ飛ばして水底に沈めてしまった。 やっちまった! でも悪い事をしたなんて思ってはいない。 だってアレが存在していれば、他の生物が召喚されかねないのだ。 蹴り飛ばしたのがエイボンの書で良かったと言った所か。 だがそれに当たる信者に文句を言われても、私は受け流すぞ。 そこら辺にエイボンの書を置いている奴が悪いんだ。 私は悪くねぇ! 【第1章・第6話 たらし大帝ノーデンス】 管轄外の慣れない仕事を終えて、クタクタになってスラム街へ帰ってきたナマエ。 一目見れば疲労困憊が吹き飛ぶ彼がいるであろう水路へと、覚束無い足で入って行った。 「本当に帰ってくるんだな」 「そこはおかえりって出迎えたくれたら、疲れが吹っ飛ぶんだけどなぁ…」 「ここに住ませた覚えは無いが」 「そんな酷い…… でもカイト君を1日1回は見なきゃ疲れが取れないから、これくらいは許して欲しいかな。 何ていうんだろう、パーキングエリアみたいな物?」 「パーキ……? よくわからないが、変な喩えをするんじゃない」 そう言われながらもズカズカとカイトの元へ歩いていく。 そんなマイペースなナマエに、カイトが溜息を付く回数は日に日に増えていった。 「そう鬱陶しがらないでほしいな。 ほら、昨日言った通りお土産買ってきてあげたからさ」 そう言って、取っ手の付いた大きめの箱を渡す。 「それは確か南に位置する異国の…何だったっけ、取り敢えず美味しい物。 それともう一つ、ちょっと目を瞑っていてくれないかな?」 「何するつもりだ」 身を引いて警戒心をMAXにするカイトにちょっと心の距離を感じたナマエ。 やはり初対面がアレだったから、こんなに友好関係に響いているのか。 肩を落として落ち込むが、こんな事で心が折れる程では無い。ナマエは気を取り直して弁解をする事にした。 「そんなに警戒しないでくれよ… ちょっと擽ったいかもしらないけど、変な事はしないよ。 神に誓って言うから、ね!」 神が神に誓うのは変な事かもしれないが、そんな事突っ込んでられない。 良いではないか、神が神頼みしても。人が人に懇願する事と対して変わらないだろう? 「この通り!」 と両手を合わせて懇願するナマエに、カイトは「変な事したら吊るし上げる」という条件付きで何とか納得をしてくれた。 まあ吊るし上げるなんて冗談だろう、と思ってカイトの目を見てみると、とても殺気立っていた。 ああ、これは人1人殺すのを厭わない目だ。 幼いとは言わないが少年がそんな目をする事に、ちょっとした恐怖を抱いたナマエ。SAN値チェックです。 ビクつくナマエを見て、これで変な事をしないと確信したカイトは、言われた通りに目を瞑った。 あの目線が送られなくなり、ホッと安堵するナマエは、こっそりと懐に隠していた物を取り出して近づく。 チラリとカイトを見ると、腕を組んで目を瞑る姿は、何とも言い難い可愛さがあった。 人はこういう姿を”キス待ち”なんて言っていたかな。 うん、良い物が見れた。 カイトの知らない所で元気を補給したナマエは、早々と事を済ませる事にした。 彼の長い髪を巻き込まないように、慎重にそれを首周りに通すと、簡単に外れないように留め具を付ける。 最後に位置を整えると納得したように頷き、目を開けても良いと声をかけた。 目を開けたカイトは首元から下に少し重みを感じ、目線を落としてみる。 そこには、あの深い輝きを持つ青い宝石が埋め込まれ、銀のチェーンに繋がれたペンダントが着けられていた。宝石の埋め込まれた裏の銀部分は、アラベスク模様が施されている。 「これは…」 「カイト君から今朝預からせて貰った物だよ。 人は宝石を原石では持ち歩かず、ペンダントや指輪、そういった装飾品に加工して身に付けると聞いてね。 ポケットに入れていたら落としたりするだろうし、良い物なのに勿体ない気もして、ペンダントにしてみたんだが…気に入ってくれたかな」 「ああ…まあ…… だがこれ、かなり良い物なんじゃないのか?」 「プレゼントするなら、長く持つような良い物がいいだろう? 例えばこの銀、とある崇高な聖女様からのお祈りを受けた聖銀を使ってもらったんだ。 このブルーサファイアも、私が長い間旅をして見つけた、心から惹かれた産物なんだ」 伝えはしなかったが、その聖女様のお祈りはかなり効く。 ナマエがそれを持って夜鬼に近づいたら、夜鬼が蒸発してしまったのだ。 だからこそ、一つの尊い命とナマエのSANを引換に、恐るべき効果を目の当たりにしたので、是非カイトにあげたいと思ったのだ。 「そんな大切な物、本当に俺にやってもいいのか?」 「勿論だよ。 寧ろ君に渡すために、私はこれを見つけたんじゃないかと思うくらいさ」 ナマエはそんな恥ずかしい台詞を全く恥じずに言う。 まるで意図的に落としにかかっているのでは無いかという行為。 しかしナマエには、人を口説き落とすような能は無い。生まれて数万億年、意図的に人に愛を囁くような事はした事は無いのだ。 そんなナマエが、西洋の紳士に引けを取らないこんな口説き文句を言えるのは、それも一つの才能なのだろう。 一方のカイトは鈍感なのか「そうか」とだけ言ってペンダントを見つめていた。 この時カイトが色事関係に鈍感だった事は、幸いだったのかもしれない。一歩間違えれば、このたらし神に落ちていたかもしれないから。 「よし、元気も補給できたしそろそろ次の仕事に入るかな…」 「さっき仕事が終わったばかりなのにまた仕事か?」 「今まで溜まっていた仕事が沢山あるから忙しいんだ。 でも大丈夫、カイト君には1日1回は会いに来るからさ」 「遠慮する」 心に突き刺さる言葉にウッと呻き声をあげる。 胸部を抑えてわざとらしく苦しむナマエに複雑な目線を送っていると、カイトの冷たい目線に気が付いたナマエは、身を翻した。 「いらなくっても帰ってくるからね! じゃあお仕事頑張ってくるから、いってきます!」 どうせ見送りの言葉は無いんだ! 悲しい現実に向き合いながら、ぐっと涙を堪えて駆け出す。 「ああ、頑張れよ」 「あ……ああぁぁあっ頑張る!!」 現実は優しい。 大袈裟だが、カイトからの思わぬ激励の言葉に涙が零れてしまったナマエ。 釈迦や仏やキリスト様アザトースの言葉より価値のある”頑張れよ”。 暫くこの言葉は多少美化をされて、ナマエの心にリピートされ続けた。 後日、何処かの新聞で”南側の大陸で数刻の間、様々な場所に流れ星のような早さで飛び回る未確認生物が出現した”という記事が書かれることになるのだが、ナマエは知る由もない。 [*前へ][次へ#] [戻る] |