八丁堀もしもなお話集
一郎太・桜編E
「私みたいな同心の下っ端が言えることじゃない。与力のあなたはとてもじゃないが私の手には届かぬ存在。それはわかってます。でも……男として私は思いを伝えたかった。あなたを守っていきたいと思ったんです」
「一郎太……」
わかってる。
こんな下っ端の同心が言ったって無駄なのは。
わかってるんだ……。
一郎太は両手の拳をぎゅっと握りしめた。
「……本当にそう思ってくれてるの?」
「え?」
佐々岡の与力の時とは違う優しい声に一郎太は一瞬驚いた。
「私は与力として、男として生きてきた。だから他の武家の娘(こ)とは違って可愛らしさもなければ力は強いし口調も乱暴。だから一郎太が思ってるような可愛い女じゃないのよ?」
「そんなの関係ありません。私はそのままのあなたが好きなんです!」
「一郎太……」
その言葉を聞くと佐々岡は一郎太に駆け寄り抱きついた。
「佐々岡様……」
一瞬戸惑ったが一郎太はしっかり佐々岡を抱きしめた。
「有り難う一郎太。そういう風に言ってくれて凄い嬉しい。こんな私を女として見てくれて……」
「自分を低く見すぎですよ。女として佐々岡様は十分すぎるほど素敵なんですから」
「一郎太……私でいいの?」
「勿論です!あなたじゃなきゃだめなんです!」
「有り難う……私もあなたが好きよ」
聞けぬと思っていたその言葉に一郎太はこれ以上ない愛しさに包まれた。
「……嫉妬だったのかもしれない」
「え?」
「さっきあなたに女がついてくのは嫌かって聞いたの」
「嫉妬?」
「なんとなく嫌だったの。女のとこに一人で行かれるのが。弥生さんと一緒ね、これじゃ」
ふふっと一郎太に笑いかける。
佐々岡様が……私に?
まったく勝ち目がないと思ってた勝負はどうやら勝ちが決まっていたようである。
「もう女の所への聞き込みは行かないようにしますよ」
「それじゃあお勤めに影響が出るわ。私が与力でいる間は一緒にいけばいいでしょ?」
「わかりましたよ。そうしましょう」
「あと、2つ約束して。お勤めや奉行所にいる時以外はその話し方はしないことと佐々岡様じゃなくて桜って呼んで欲しいの。こんな上下関係は与力と同心の時だけで十分だもの」
そう言うと佐々岡は先を歩こうとする。
離れようとするその手を一郎太は掴んだ。
「桜!」
そう言うとそのまま自分の方へ再び引き寄せる。
「え?」
引っ張られ驚く佐々岡。
そんな佐々岡を優しく抱きしめ、そっと唇を重ねた。
優しい一郎太の気持ちが伝わる優しい口づけ。
しばらくしてそっと離すと佐々岡を再び抱きしめた。
「俺が一生守る。命をかけて桜を守るから」
「有り難う。……命ある限りずっとあなたについていきます」
春から初夏に移り変わる爽やかな風が二人を祝福するように優しく吹いた。
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