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小姓に続いて部屋を後にしようとしながらも、佐紀は高虎の言葉尻を一々捉えて指摘する。

「あなたなんかに名前で呼ばれたくない!今すごい夜紗の気持ちが分かった‥」

「まぁ夜紗に共感出来ても彼女には全体的に及ばないけれども」

「もう!何それ、うぅ〜だからあなたっていや!大っ嫌い!」

「うん‥夜紗に嫌いと言われるのは良いけど、君に言われると腹が立つね」

次第に脱線と険悪を深めていく高虎と佐紀を、置いてきぼりを食らった小姓は怯えたように見守るばかり。

だが、さすがに佐紀の声のトーンが一段階上がってくるとおずおずしながらも制止の声が混じった。

「あ、あの、お二方とも落ち着いて下さいませ‥」

「‥あっ変なところ見せたね、あんな人気にしちゃ駄目だよ。さっさと行こっ」

ぷい、と背を向けた佐紀に、高虎はまるで気にせずひらひらと手を振った。

もう彼女を視界と興味の外に放ってしまったらしい高虎に、佐紀は振り向きざまに小さく舌を出す。

お陰で小姓は部屋の襖が閉まってなおハラハラと焦らされたのだが、勿論佐紀はそんな心の内など知る由もない。



(はぁ‥何だかきれいな子ばっかりだ)

気が付くと彼女の思考は目の前を先導する小姓をはじめ、聚楽第ですれ違う人々が片端から美男美女ばかりである事に独占されていた。

(秀次様は美人好きって聞いたけど‥凄いな、もしかしたら秀吉様以上かも)

佐紀自身もそれなりに美貌を愛でられてきた才媛のはずなのだが、平安絵巻に紛れ込んだのかと錯覚するような耽美の世界には後込みする思いだった。

以前何度か秀次と顔を合わせたことはあったが、秀吉の背に隠れて窺っていた時には解らない、秀次の空気に改めて触れたとでも言おうか。

佐紀は最奥の部屋に案内されるまでの道のり、きょろきょろと辺りを見回しながら過ごしてしまった。



「失礼致します、関白殿下。石田治部少輔様が参られました」

「通せ」

襖の向こうから届いたくぐもった声に小姓が答え、佐紀の脇ですっと静かに金襴の襖を開いた。

膝を付き、頭を垂れた佐紀が名乗ると、その頭上から再び声が届いた。

「よく参られた‥御許は日々多忙と聞いている、我が為に時を割かれた事‥礼を言う」

「いえ‥勿体ないお言葉です」

顔を上げて、佐紀はふと息を漏らした。

‥秀吉様に似ている。

姉の子だからなのだろうか、秀次は秀吉の容貌の中の柔和なところだけを均整の取れた顔に溶け込ませたような妙な既視を感じさせる姿をしていた。

政庁ながら「聚楽」の名に相応しい公達装束で端座しているが、佐紀はほんの一瞬、そこに終ぞ見たことのない二十代の秀吉を垣間見た。

だが、それだけ。

良く言うなら秀次は品の良い貴公子であり、悪く言うなら覇気に欠けた。

とても農民上がりとは思えない貴やかさと知性を浮かべて、秀吉を一回り優しく甘くしたような声で秀次は微笑する。

「才媛と名高い御許に史書の解釈について問いたい。さあ、こちらへ」

人払いと共に室内に招き入れられた佐紀に書物を見せようと、秀次は手近に積まれた本を物色している。

正面に対峙する佐紀は、伏し目がちにちらちらと部屋を見回した。

(品もあるし、綺麗な部屋‥だけど)

侘び錆びを感じさせる調度の中で一際異彩を放つ、秀次の佩刀「浪游兼光」はどのような逸品よりも大切に彼の手元近くに飾られていた。

それは愛着のようでもあり、ひどく静かな恫喝のようでもある。

「関白殿下が平時でも過ぎた武装を欠かさないのは謀反を企てている証ではないか」
彼女の脳裏にそんな巷説が思い出された。

「御許は例えば‥兵範記や今鏡と保元物語の記述の食い違いをどう思われる?単なる物語と史書の表現の差で乱の様子とはこうまで変わるだろうか」

「元よりそれらは同じ乱を描いていても記された時代が違いますれば、信じるものも変わりますし、見解が異なるのも致し方ないことでしょう」

「だが時に真実は物語より奇異な事もある。石田治部少輔ともあろう方が、些か頭がお堅くおられるようだ」

戸惑った佐紀に、秀次は楽しそうに笑った。

垂らした糸に魚が食いついた、そんな表情だった。

「ゆえに、物語より興味深い真実をお教え願いたい、御許はかの乱の当事者なのだろう?いや、正しくは‥御許に宿る狐、であったな」

「それは‥」

佐紀は顔をしかめた。

狐憑きと言われる事には慣れたが、そういう「自分ではない誰かが為した事」にばかり言及されるのは気に入らなかった。

往々にして、その時の相手は佐紀を見ない。

彼女を通り越した明後日に視線が飛んでいる。

「非常に心躍ると思わないか?縁起絵巻と史書でしか触れられぬ数百年前の過去を知る生き証人が目の前に居るというのは」

案の定、秀次はうっとりと佐紀を見つめていた。

その目は佐紀を向いていながらも、何処か別の虚ろなところを熱っぽく凝視している。

「南蛮の宣教師達もそうだ。天主だの、聖母だの、遙か過去の縁起をまるでその目で見たかのように語るが、その信憑性に目を向けることをしない。彼らが見るのは神秘性ばかり。確かに興味深い話ではある、だが‥この目で見なくば如何な縁も信用出来ないではないか」

秀次の言葉に佐紀は小さく頷き、畳に両手を付いた。

「‥御命令とは申せ、その仰せには従いかねます。殿下のように然るべき地位のある御方はあまり人ならぬ物には触れるべきではないと、どうかその事を御心に留めおき下さい」

「ほう」

秀次の声に険が生じた。

「私の‥玉藻前の事を御存じならば、妖狐の力に惑わされた古の支配者がどのような末路を辿ったかお分かりでしょう?史書に触れる事は賢明です、しかし何に触れるべきか、触れざるべきか、努めて熟考なさって下さい」

佐紀は深く頭を垂れ、更に続けた。

「太閤殿下は、私を物憑きという理由でお取り立て下さった訳ではありません。先天的な資質以上に、私の意志を汲んで下さったのです。現に今も唯人と違う私に気遣いこそすれ、その差異に言及なされた事は‥初めてお会いした時以来一度たりともありません」

一度たりとも、はとんだ嘘だけれど。

佐紀は秀次に対して決定打になり得ると敢えて秀吉の名前を出して諫言した。

秀吉の力を借りた脅しだけでなく、彼の如くあれと多分な期待を込めたはずであったのだが、どうやら言葉を発する時勢が読めないのは佐紀も秀次に負けず劣らずであったらしい。


「‥二言目には太閤殿下か。我が叔父は、今や天下どころか人の口の端まで治めているらしい」

ふっ、と秀次は自嘲気味に笑った。

笑った顔は秀吉には似ていない、作り立てたような妖しげな美しさがあった。

「そのような天下人の跡を継ぐには‥血筋の有利を失った今、古の支配者の顰みに倣い、人を越える力でも使って奪い取るしかないのだろうな」

「関白殿下?何を仰っているのですか‥!」

「いや、解っているのだよ。もはや嫌疑が掛けられ、我が命数が尽きるのは時間の問題だ。‥不思議なものでな、叔父上に地位を認めて頂こうと打った布石が、気づけば叔父上が我が命を奪う布石に変わってしまった」

さながら碁を打っていたら気づかぬ内に白黒が入れ替わってしまったようだ、と秀次は述懐する。

「確かに、太閤殿下が貴方様を疑う風を私も感じてます‥ですが、早まらないで下さい。私もなし得る限り説得してみますから」

佐紀は膝を進めて、乗り出すようにして秀次に訴えた。

「‥御許は優しいな。そうだな、そういう和を愛する所をきっと叔父上も頼みになさっているのだろう」

「考え直して下さいましたか」

哀願する佐紀の視線に、うなだれていた秀次は顔を上げて力なく微笑した。

次に彼が頷いて答えるであろう一瞬を待つ、その沈黙を硬く嫌な衣擦れが破った。



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