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まだまだ幼さが抜けきらず名も知られていないが、父譲りの戦才から将来を嘱望されている。

佐紀とは、妻のひなを通じた親戚関係にあり以前から面識があった。

血縁はないが全く物怖じしないさっぱりとしたにいなは、何処となく佐紀と似たような空気を感じさせる。

「殿下の事はお任せ下さい。治部少輔様の青いお顔は見ているこちらの肝を冷やしますから」

「うぅ‥でも佐紀だって」

「言い訳無用!ほら、さっさと執務にお戻り下さいな」

反論しかけた佐紀をぴしゃりと遮って、にいなはその背を部屋の外に押しやってしまった。

さしもの口達者も実力行使に出られると二の足を踏みまくるらしい。

押されっぱなしの佐紀を秀吉は遠慮なく笑っている。

廊下に放り出された佐紀が文句の一つも言おうと口を開くが、にいなの小さな囁きがそれを止めた。

「‥大変な失言をなさる前に、少し頭を冷やされた方が宜しいですよ。近頃殿下は疑り深くいらっしゃるから」

「にいな‥」

襖の間からひょっこり顔を出したにいなは不敵に笑みを見せた。

「では、ひな様に宜しくお伝え下さい」

その一言を残して襖は閉められてしまった。



突っ返されるように執務部屋に戻ってきた佐紀を待っていたのは、見るからに暇を持て余した吉継だった。

「ん、やっと帰ってきたか?多忙な俺を待たせるとは不遜極まりない」

「えぇ?待ってるなんて聞いてないもん‥何かあったの?」

礼装の上着を脱ぎながら尋ねる佐紀に、吉継は難しい顔で懐から書状を取り出した。

近頃病気がちな吉継は、その弊害か視力に不調を訴えることが多い。

手探りのゆったりした動作で、ざらついた和紙の包みの宛名を目を凝らして見つめていた。

「細川侍従殿からこれを預かった。お前の顔も見たくないらしいから、彼曰く物好きな俺が代わりに渡せと言うことらしい」

「何それ!失礼だなぁ」

ぷりぷりとむくれながら書状を受け取る。

疲れたように目を伏せながら吉継は続けた。

「どうにも関白殿下がお前を相伴衆に御指名したそうだ」

「‥関白殿下が」

紙面に目を走らせるとその通り、関白秀次が佐紀を召し出したがっているから顔を出せと(教養人と名高い細川忠興らしく)流れるような美辞麗句の恫喝がつらつら書き連ねられていた。

「さてさて誉れ高い事かな、俺から言わせて貰えば今の御時世では迷惑な名誉だが」

「‥‥」

「佐紀が閣下の側近だと忘れた訳じゃあるまいに‥敢えて閣下に譲歩の意思をお示しになりたいのか‥。だとしても拾君がお生まれになった直後では‥時期が悪過ぎる」

表情を曇らせて黙ったままの佐紀の横で、吉継は一人で勝手に批評を続けている。

「ねぇ、紀之介」

書状から顔を上げ、佐紀は不安げに尋ねた。

「何だ?てか俺の話聞いてなかったなお前」

「さっき秀吉様の側にいたんだけどね、もしかしたら秀吉様は秀次様が事を起こすように煽ってるんじゃないかなって」

「ほう」

吉継は興味深そうに微笑を浮かべ、ついた頬杖から顔を上げた。

「あまり顔を合わせないのも、何だか疑ってるのも‥全部秀次様の疑心暗鬼を誘ってる風に見えてきたの。だから秀次様の悪い噂も、本当は秀吉様にとっては計算通りなのかも知れない」

佐紀はもじもじと辺りを気にしながら呟いた。

「思い過ごしであって欲しいけど、処断するつもりだってあるかも‥。そんな時に佐紀が秀次様に会いに行ったりなんかしたら悪いことにならないかな、秀吉様に何か口実を与える事になったら‥」


「‥何を今更」

吉継はばっさりと彼女の言葉を切り捨てた。

「俺は拾君が現れた時点で関白殿下の存在価値は無くなったと思ったが‥ああ、閣下の価値観の中での話、な。関白殿下の御息女を拾君に娶せたのも妥協案だろうし‥まぁとにかく、佐紀の予測は甘いくらいだよ。
閣下はさっさと甥を引きずり下ろして御子息をそこに据えたいのさ、今はまだ理由がないだけだ。難癖つけられるようなボロを関白殿下が見せたら終わりだろうな」

「同じ一族で争う内輪揉めなんて一番不毛じゃない」

「お前の中の御前殿がよーく知ってる話だな」

「‥‥ふん、公家と武士共を巻き込んだ皇族の跡目争いをただのお家騒動と同じにするでないわ」

「おっと失礼」

一言申さずには居られなかったのか、表れた玉藻が毒づいて吉継を睨んだ。

突然目つきの鋭くなった佐紀に彼は苦笑する。

「御前殿を含めあの戦は三大怨霊の二つを生み、平家の繁栄と武家の隆盛を生み、ひいては歴史を大きく変えた‥確かに次元が違う。だが、当事者の俺達にとっては同等以上に危機感を感じるんだよ」

「なれば答えは一つ、手遅れじゃな。身内の反目は禍根じゃ、関白が死のうが生きようが豊臣家には傷しか残らん。佐紀は認めたくないのじゃろうがな」

玉藻前は溜息混じりに頬にかかった自分の髪を撫でるように掻き上げた。

一息ついた直後、相変わらず暗い表情の佐紀が戻ってくる。

玉藻前にまで散々に言われて隠せない程へこんだらしい。

あからさまな消沈ぶりに吉継は苦笑して、佐紀の頭を撫でた。

視力は失われても、不思議と手を伸ばすとその先には彼女の小さい頭がある。

慣れとも縁とも付かない因果が二人の微笑をほんのりと深めた。

「とりあえず大人しく顔を出してこい。佐紀に拒否権はないんだ。その後どうにかするのが手腕だが、まぁ、やらかした時は協力してやるから一人で抱え込むな」

光を浮かべなくなった吉継の目が仄かに佐紀を写す。

弱々しくそれを見返して、佐紀は小さく頷いた。



数日後、聚楽第を訪れた佐紀は、通された部屋で高虎と鉢合わせた。

高虎は仕えていた秀長父子の死後は高野山に上っていたが、秀吉に請われて還俗している。

今は細川忠興、伊達政宗と並んで秀次と懇意な大名として知られていた。

「これは珍しい客人だな。御機嫌よう治部少殿。時に夜紗と大喧嘩したそうじゃないか、相当な御冠だったが」

「喧嘩じゃないもん、夜紗が勝手な事するからいけないの」

つんと外方を向いて、途端に機嫌を悪くした佐紀に、高虎は堪えきれずに鼻で笑った。

仮にも一度出家した身分にありながら、相変わらず人を食ったような雰囲気は変わらないようだ。

「で?今日は聚楽第に何の御用かな」

「関白殿下がお呼びなの。あなたには関係ないでしょ」

「その割にしっかり話してくれたねぇ、そうか、関白殿下が直々にか‥面白い」

「どういう意味?」

「色んな意味。」

佐紀を軽くあしらいつつ高虎は手を打って部屋の外に控えている小姓を呼びつけた。

「何の御用でしょう、佐渡守様」

「治部少殿を関白殿下の元にお連れしてくれたまえ‥多忙な戦姫を待ちぼうけさせては悪いからね」

「は、はい‥申し訳ありません」

小姓は慌てて頷く。

「私の用は後回しで構わない。さしずめ呼びつけたのも忘れて書籍に没頭なされているんだろう」

「さすが佐渡守様‥御名答です、幾度か声は掛けたのですが」

「やはりね、殿下はこっちが出向かないと中々顔出されない方だから。ほらほら、早く行っといで、佐紀」

「むー!その呼び方しないでよ」



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