小説 オフィスらぶ 第一話 written by 参食堂順 「本日付で九課へ配属されました、星野です。至らないところも多々あるかとは思いますが、どうぞよろしくお願いします」 腰を九十度に折り曲げ、頭を下げると、拍手の音が聞こえてきた。自己紹介がうまくいったことに胸をなでおろす。 安心して腰を戻すと、肩に手が置かれた。 「はじめまして、星野君。私は課長の荒泉だ。これからよろしく頼む」 「自分こそ、よろしくお願いします」 起こした腰を、再び折り曲げる。 「ははっ。まあ、そう固くならずに。困ったことがあれば、彼を頼りなさい」 課長はそう言うと、後ろに立っていた男性社員を指差した。 すると、指名された彼は、露骨に嫌そうな顔をする。 「ええ? やっぱ俺っすか」 「嫌かね、伏見君」 「当たり前です。そんなメンドイこと、誰が好き好んでやりますか」 「……ふむ。引き受けてくれたなら、礼はしようと思っていたのだが」 「よろしくな、星野。俺が指導係の伏見だ。分からないことがあれば、何でも聞いてくれ」 「よ、よろしくお願いします」 よろしくしてしまって、いいのだろうか。 あまりの変わり身の早さに軽く引いてしまう。 それを察したのか、課長が、すまない、と言った。 「こんな奴だが、悪い人間ではない。学べるところもあると思うので、しっかり話を聞くように」 「はい」 まあ、課長が選んだ人なんだ。きっと大丈夫だろう。 そう思わせるような頼もしさが、課長にはある。 「それじゃあ、私はこれで」 そう言って彼女は、自分のデスクへと戻っていった。 その後姿は、惚れ惚れするほど美しかった。 「きれいな人だな」 見蕩れていると、隣の伏見さんから声をかけられた。 「惚れたか? 新入り」 「そんなんじゃないです。ただの感想ですよ」 ぶんぶんと、胸の前で手を振ってみせる。 「ふん、それもそうか」 だが、と伏見さんは真剣な顔になって言った。 「課長にはあまり近付き過ぎないほうがいい」 「なんですか、怖い顔して。先輩のほうこそ、課長にホの字なのでは?」 「ホの字って、おまえなぁ……」 伏見さんは、呆れた、という風に肩をすくめた。 「彼女は無類の女好きでな。人の恋人にまで手を出しちまうんだよ。そのせいで、今まで何人の男が涙を流したことか」 そう言うと彼は、何かを思い出したのか、ぶるっと身震いした。 ひょっとすると、彼も涙を流した一人なのかもしれない。 「そうなんですか」 ちらりと、仕事に戻った課長を見る。 彼女は一切手を休めることなく、パソコンに向かっていた。 「あんなに美人なのに」 少し、もったいないな。 何故かそう思った。 「ほら、無駄話はこの辺りにして、そろそろ始めるぞ」 伏見さんが仕切り直すように、ぱん、と手を叩く。 その音に合わせて、気持ちを切り替える。 そうだ。今日から社会人なんだ。色恋話もいいが、仕事をしなければ。 改めて気合をいれ、伏見さんに向き合う。 「よろしくお願いします」 仕事人一日目が、始まった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |