その他二次創作の部屋
あなたとともに、いけるところまで(戯言シリーズ)
その日、ぼくと零崎は困っていた。端的に言って困っていた。
「……傑作じゃないか、人間失格?」
「……いや、この状況こそ戯言ってヤツだろ、欠陥製品」
吹く風が冷たい。どころではない。バナナで釘が打てるとはよく聞く表現ではあるけれど、まさか生きている間にそれをこの眼で見れるとは思わなかった。
……屋外で。もう一度言う。屋外だ。
ほらほら、いーちゃん。優しいアタシはちゃーんとバナナ持って来たぜ、と。ぼくらをこんなところに拉致した赤い張本人は笑っていた。
笑って、いた。
――悪魔だ。
天災。
人間竜巻。
赤い征裁。
哀川潤は――悪魔だ。
ぼくはもう彼女の事を名前で呼んだりはしないだろう。アタシを苗字で呼ぶのは敵だけだ、と常套句の様にそう言われようと。
「そもそも、商売『敵』だしね」
「かははっ、確かにそうだ。傑作だな」
「戯言だよ」
ぼくらは笑う。「極地使用」のゴツいコートを着けて、吐息が口から排出された傍から凍っていった。
「で、ここはどこだよ、欠陥製品?」
「ぼくが聞きたいところだ、人間失格。多分、南極か北極かどちらかだとは思うけれど」
だけど正直、今のぼくらにとって踏みしめた氷の下に地面が有ろうが無かろうが、そんな事に何の意味が有るって言うのか。
「笑えねえな」
「いや、笑うしかないよね」
再度言う。ぼくと零崎は困り果てていた。

西東天――人類最悪がまた周期的に繰り返される痴事を始めたらしいと聞かされて。その一端に噛む事を決意したのが一週間前。
その後、彼が所有しているであろう殺し名呪い名からの、ボディーガードとして零崎がどこからともなく現れて。
まあ、零崎が神出鬼没なのは今に始まった事ではないけれど。
この間、京都のコンビニで少年ジャンプを立ち読みしてたし。
それは置いておくとして。
「おいおい、いーちゃん。そりゃ大問題だろ。いつまでも子供心を持ち続けていようぜ」
「……別にぼくは少年ジャンプを読んでいた事を咎めてる訳じゃない」
「お前と俺は水面の向こう側だ。一人だけ先んじて大人になろうなんてのは無理なんだよ。人生は諦めが肝心、ってな」
殺人鬼に人生を説かれたくなんてないな。
「ぼくはマガジン派なんだよ」
ちなみに人類最悪はサンデー派らしい。
――えー、こほん。話を戻す。
そして、なんやかんや有象無象が出て来ていつもの通りに全てが有耶無耶に雲散霧消した――その、挙句の果てに。
ぼくと零崎は何の因果か世界の果てに来ていた、と。
「ここから先は勇者一人で行かなきゃなんねぇんだよな?」
「それは『がいあのへそ』だ」
嗚呼、なんという戯言だろう。

「……で、いーたん?」
「なんだ、ぜろりん?」
いーたんぜろりん。なんかコンビ名みたいだ。それも二昔前の。
「どうやって帰るよ?」
ぼくは顔を背けた。決して返答に困ったからじゃない。ただ、顔面刺青が余りに見るに耐えなかっただけ。
決して返答に困った訳じゃない。
だって、顔面刺青って。
ねぇ?
どうなんだよ、そのセンス。
中学生かよ。
「おい、目と話を逸らすな」
「ぼくから『話を逸らす』を取ったら何も残らない」
「戯言遣い」が只の「遣い」になってしまう。初めてのお遣い、的な。
「だったら俺なんか散々だぜ、いーちゃん。殺し名の零崎一賊。殺人鬼の一員なのに『殺せない』んだからな。『鬼』なんて言われても反応に困っちまう。傑作だろ」
「いいじゃんか。これを機に真っ当に生きてみたらどうかな、ぜろりん」
そう軽く言うと零崎は刺青で彩られた少年のような顔を少し歪めた。
「こないだ、コンビニでバイトしてたら」
……殺人鬼がレジ打ちをするコンビニエンスストア。そもそも、よくそんなナリで採用して貰えたなあ。脅したんじゃないだろうな。
「そのコンビニ、俺がシフト入って二日目に廃墟になったんだよ」
そう言って、顔面刺青は溜息を吐いた。溜息はすぐに凍ってしまう。
「殺せない殺人鬼ってのは、格好の的だよなぁ、オイ」
どうやら、零崎は零崎で大変な人生を送っている様だった。ぼくとしては祈る事しか出来ない。
……祈る以上の事なんてしたくないし。
「だったらさ。このまま、ここに永住してみたら?」
うっかり殺してしまうような相手も居ないし、流石にこんなところ(極地)にまでコイツを殺しに来る暇な殺し名もいないと思う次第。
だって、彼らはプロだから。
仕事として割の合わない事は、やらないだろう。と言うか、普通にこんな所は来たくない。
「ヤだよ。だってここ、コンビニもカラオケも漫画喫茶も無えじゃん」
中々、零崎は賊っぽい訂正俗っぽい趣味の持ち主だった。
「つーかさ、こう寒いと肉まん食いたくならねえ?」
「ぼくはあんまん派なんだよ」
水面の向こう側。鏡写しの人間失格と欠陥製品の只一つの差異は、優しさとかそんなのじゃない。
勘違いしないで貰いたい。ぼくは決して優しくなんて、ない。
ぼくと彼の違いは、端的に言えば趣味嗜好の違いだ。
ぼくは紅茶派。零崎はコーヒー党。
何かにつけて、ぼくと零崎の間で共通認識は得られている、まるで双児の様なぼくたちだけれど。
こういった方向に関してのみ、一度として意見が合った時が無い。
いや、一つだけ共通していた。
人を殺すのが好きか嫌いか。
この質問にだけならば、ぼくらの回答は一致している。

「そんなのはどっちでも、同じ事」だ。

北極か南極か。とりあえず極地である事には変わりが無いそこ。
ぼくと零崎は掘っ建て小屋(前線基地?)で時間を潰す事にした。
当然と言うか、何と言おうか。西東天の元アジト(彼は秘密基地とか第三帝国とか言っていた)には人気が無い。静かなもので。まるで真夜中みたいに、ひっそりと静まりかえっていた。
第十一期十三階段は、既に全員撤退済みだ。
ちなみに。今回もノイズ君は哀川さんの引き立て役。
彼ももう、狐さんに付き合うのは辞めれば良いと思うんだけど。
あんな中年に付き合っても、良い事ないよ。もう七年は付き合ってるぼくが保障する。保障出来るのが、とても切ないけれど。
大体、ノイズくんってば。十一回出て来て、十一回ともリタイアの理由が「交通事故」って……名前は無いのに、凄く根性が有るよね。
以下、彼が意識を失う前に口にした台詞。
「……死にタイ気分ダ」
十三階段って労災下りるのかなあ……。下りねえだろうなあ……。

ぼくらがアジトの休憩室で救助が来るまで暖を取っていようとの合意に達して、その部屋の扉を開けた時。
ソイツは、そこにいた。
いつもの様に、偉そうに。
いつもの様に、大胆不敵に。
いつもの様に、威風堂々と。
「よお、また縁が『合』ったな、俺の敵」
西東天は、そこに居た。
休憩室に備え付けの自動販売機。ちなみにコカコーラ社仕様。
その機械の、下部の隙間に右手を差し入れている、見ようによってはヨガのポーズにも見えなくは無い、そんな体勢を取っている――。
――人類最悪がそこには居た。
……。
…………うん。確かに。最悪に格好悪い事は間違いない。
ぼく は 咄嗟に 他人の振り を したっ !
零崎 は 口笛を 吹き始め たっ!
「なあ、いーちゃん。こんな極地にもコカコーラの配達員って来るモンなんだな」
「ああ、ぜろりん。世界一の清涼飲料水メーカーの名前は伊達じゃないんだよ」

「おい、丁度良い所に来たな、人類最弱。お前に俺を助けさせてやる」

――無視。
「温かいコーヒーとか、マジで助かる」
「小銭持ってるか? ぼくはミルクティで頼む」
「おっけー」
「さんきゅー。愛してるぜ、ぜろりん」

「俺はそこのコーンポタージュだ」

――無視。
「オイオイ、『愛してる』なんて戯言にも程が有るだろ、欠陥製品」
「傑作、じゃないかな?」

「俺とお前らの仲だろ。固い事は言いっこ無しにしようぜ」

「黙ってろ」
「黙ってろ」
ぼくと零崎の意思が一つになった瞬間だった。

「で……どうするよ、いーちゃん?」
「……どうしようか、ぜろりん?」
その日、ぼくと零崎は困っていた。端的に言って困っていた。
弱り果てていた。
「どうするもこうするも無い。お前らに出来るのは一つだけだ。つまり、俺の右腕を救出する事だけだろう」
西東天は、人類最悪は、かつてのラスボスは、無様にも自動販売機相手に敗北していた。
「俺は小銭は持ち歩かん主義でな。財布には万札とクレジットカードしか入ってない」
「そうですか」
「だが、この自販機には千円札までしか入らない」
「まあ、普通の自動販売機はそうですよね」
「ふん、普通の自動販売機はそうですよね、か。しかし俺はこういったものとは『縁が無く』てな。そして俺はこの秘密基地に一人取り残されて……飢えていた」
「ああ、哀川さんなら貴方を置いていくでしょう。うん」
「つまり……今の状況だ。――俺はキメ顔でそう言った」
ソイツは偉そうに。心の底から偉そうに、潰れた蛙みたいなポーズのままでもキメてみせた。
当然だけど、キマってなどいない。
踏みてえ。
踏み潰してえ。
「なあ、いーちゃん。俺がソイツの右腕切ってやろうか?」
殺人じゃなくて救助だし、確かに狐さん相手なら哀川さんも大目に見てくれそうではあるけれど。
……出来ればぼくは中年がのた打ち回る所なんて見たくないなあ…………。
「おいおい、零崎の異端児。なんて物騒な事を考えやがるんだ」
西東天は言って、不遜なままにそう言って、そしてもがき始めた。
ジタジタと。
バタバタと。
足の一本だけを捕らえられた昆虫みたいに。
ジタバタと。
いい歳をした中年のおっさんが。
「……落ちてる小銭を回収する以外に選択肢は無かったんですか?」
「ふむ。俺もそれは考えた。薬缶で湯を沸かし煎茶を淹れる選択肢も、無くは無かった。……が」
チラリと、狐面がぼくを見据えた。その面が、哂ったように見えた。勿論、そう見えただけだ。面は表情を変えたりなんて、しない。
「代替可能理論(ジェイルオルタナティヴ)――手ずから茶を淹れようと、床に落ちている小銭を回収してコーンポタージュを買おうと」
そう言って、ソイツはゆっくりと一拍溜める。

「――それは同じ事」

つまり、何をやっていようとこのおっさんは自販機に腕を捕らえられる結果となっていたらしい。
ただ、単純にお湯を沸かすのが面倒だっただけだとぼくは思うのだけれど。
というか、ほぼその想像で間違いないのだろうけれど。
そこに「物語」が有るなんて、ぼくは思わない。思いたくない。
そんな物語は犬にくれてやれ。
「俺はいつか必ず世界の終わりに辿り着く」
ぼくには、狐さんが見せているその無様さ加減が、キャラ的に「終わり」に見えて仕方が無かった。

「おっさんは無視してさ。なあ、いーちゃん、この基地って基地ってぐらいだから通信施設くらい無いのか?」
零崎がブルーマウンテンを傾けながら、ぼくに聞いてきた。
「多分、有るだろうね。それで玖渚にでも助けを求めれば明日にでも迎えが来るよ」
ぼくは紅茶花伝を傾けながら、そう答える。
「ふん、無駄だぞ、人類最弱。ここに有るのは十三階段専用のホットラインだけだ。外部のネットワークとは遮断されている。解散した『チーム』の連中でも無い限りはこの基地への通信(アクセス)すら不可能だろう」
一々偉そうに言う人類最悪。
「俺をここから解放するのならば、知らん仲じゃない。木の実にでも救助信号を送ってやる」
「いや、いいよ」
至極あっさりと西東天の要求を突っ撥ねるぼく。
「ネットに繋がってるなら、『ちぃくん』が知らない訳無いだろうからさ」
っていうか「チーム」ってそもそもぼくが助けを求めようと思っていた玖渚達の事だし。
玖渚友が一週間以上もぼくからの音沙汰が無い状況で動かない訳は無い。
ぼくがアイツの前から消えれば、それこそ戯言でも何でも無く世界の危機だ。
「おー、流石は欠陥製品。顔の広さは人外レベルだよな」
「ぼくが知ってる人って、ほとんど人外なのが悲しいんだけどね、人間失格」
「あ? そりゃ俺の事か?」
「うん」
「なら、お前の事でも有るよな、そっくりさん。かはははは、傑作だぜ」
「うんにゃ、戯言だよ」
ぼくたちは一人途方に暮れる(狐面のせいで表情は読めないけれど)おっさんを置いて、顔を見合わせて笑った。

ぼくが通信施設を探してアジト内を歩き回っていると、通路に有った電話が鳴った。
……。
……うーん。
先ず通路に電話が有るのをツッコむべきなのだろうけれど。
ああ、十三階段って携帯電話持ってないヤツ多そうだしな。
――その前にこんな僻地、圏外に決まってるか。
「……やれやれ」
考える。一択。
電話の主は実は女の子の呼び声高い、姿は見せないあの人だろう。
まあ、予想が外れていても別に良いんだけれど。
どうでも良いし。だったら考える必要も無いか。
基本、ぼくって状況に流される人間だし。
「戯言なんだよ……と。もしもし」
腹を括って(と言うほど大袈裟な事でも無いけれど)ぼくは電話に出る事にする。
受話器から聞こえてきたのは意外や意外。
いや、よく考えたら意外でも何でも無いのかな。
それは懐かしい、大泥棒の声だった。
「お久しぶりですわ、ディアフレンド」
受話器の向こうから聞こえてきたのはどことなく楽しそうな声。
と言うか、彼女は基本的に楽しそうなのだけれど。
「お友達、長く連絡を致しませんでしたけれど、連絡も有りませんでしたけれど、十全かしら?」
「いえ、全然ですね。一全くらいですか。お久しぶりです、小唄さん」
大泥棒。
石丸小唄。
自称、人類最強の好敵手。盗み出せないものなど無いと豪語する、リアルルパン三世。純粋な個人で唯一哀川潤に匹敵する、そういう存在。

「えっと……用件を聞く前にどうやってこの場所に連絡をしたのか教えて頂けますか?」
「愚問ですわ、お友達。私の名前は石丸小唄。この名前は哀川潤に並び立つ唯一ですのよ?」
彼女はそう、言い切る。自称であっても、哀川潤を少しでも知っている人間には決して口に出せないそれを。
彼女は――彼女だけはそう断言する。
「あの女に出来る事で私に出来ない事はそうありませんわ。つまり、私に出来ない事はそう無いという事なのですけれど」
「なるほど、通信回線を『盗む』……我が物にする、くらいはお手の物ですか」
「理解が早くて助かりますわ、ディアフレンド」
……この人も大概何でも有りだよなあ。
「えっと……ああ、そうだ。真心は元気ですか?」
「十全ですわ」
彼女の口癖。けれど、それは十全と言う割には少しうんざりとした調子が混ざっていた……らしくない。
「人類最終、でしたか。少し元気が良過ぎるのが玉に瑕ですが。しかし、筋が良い事は間違いありません。流石はお友達のお友達ですわ」
……遠回しに馬鹿にされてないか、ぼく?
「彼女ならば躾ければ立派に二代目石丸小唄を名乗れるでしょう。三代目まで後一人。私の野望まで後一歩といった所でしょうか。十全と、言って言えない事も有りません」
「いえ、貴女にそんな方向の教育を頼んだ覚えはありません、小唄さん」
少し連絡を怠っていたばっかりに、ぼくの友達が道を踏み外す寸前だった。危ない危ない。
「あら、そうでしたでしょうか?」
「ええ。ぼくとしては真心ばかりでなく、貴女にも真っ当な道を歩んで頂きたいくらいです」
だってぼくの友達って、常識人居ないんだもん。
あの頃は普通って絡みづらいと思ったけれど。撤回する。今となっては頭巾ちゃんの退場が本当に、本当に惜しい。
彼女の普通さは、ぼくにとって清涼剤だったんだろうなあ、と。悔やんでも悔やみ切れない。
あーあ。過ぎてしまった事なんだけどさ。
それこそ、戯言だけどさ。
「真っ当な道、ですか。でしたら私は何を盗めば良いのでしょう、ディアフレンド?」
「いえ、盗みを止めて下さい」
泥棒は真っ当な職業じゃねえよ。
……いや、そんな事を言ったら請負人もだけどさ。
「そんな! お友達は泥棒から呼称を盗み出すというのですか!? これは……王泥棒ですわ」
ぼくの名前はジンじゃねえよ。
「私が『泥棒』を盗まれたら『大』になってしまいます。何が大きいのでしょう、お友達?」
「そのネタは先刻、ぼくがやりました」
ああ、この人面倒臭え。
「今、私の事を面倒臭いと思いましたね、ディアフレンド」
……見抜かれていた。
「筒抜けですわ」
見透かされていた。
「実は姫菜真姫とは私の二つ名の一つだったのです」
「マジで!?」
「変装は泥棒の基本スキルですわ、お友達」
「いやいやいやいやいやいや」
無い無い。こんなSSで設定をひっくり返すとか哀川さんでもない限りやっちゃダメだよ。うん。
「お気付きでは無いかも知れませんが、ディアフレンド。私、石丸小唄はシリーズを通じて必ず登場していますわ」
「衝撃の事実だ!?」
っていうか、その設定だと赤音さんと被りません?
「園山赤音も私ですわ」
「貴女は『大泥棒』じゃなくて今度から『虚言遣い』を名乗って下さい!!」
……こんなキャラだったっけ、小唄さんって。シリーズ終わってから長いし、どっかでキャラ変更でもあったのだろうか。
「ああ、それは兎も角。お友達、哀川潤がお話が有るそうですわ。替わってもよろしい?」
「哀川さんですか!? なんで!?」
今回の諸悪の根源。どうやら今は石丸さんと行動を共にしているらしい。
ぼくの事を放っておいて、良いご身分だな、おい。

「よう、いーちゃん」
その人は、声まで赤い。赤い台詞を、赤い声で、赤い口紅で彩られたその唇から放つ。
彼女は《死色の真紅(オーバーキルドレッド)》の二つ名で呼ばれる人類最強。
「元気ぃ?」
ぼくと零崎をこんな状況に陥れた張本人は、いかにも軽い口調で言いやがる。
元気ぃ、じゃねえ。
「いいえ。誰かの所為で地球の端っこに捨て置かれて非常に迷惑している最中です」
なのに、真っ向から反抗出来ないぼく、チキン。
「ああ、それな。悪い悪い」
「悪いと思ってるなら迎えに来るか迎えを寄越して下さい」
「嫌だね」
……おっと? 今、哀川さんは何と仰いました?
ぼくの耳が確かなら、嫌だ、って言ったように聞こえたんだけど?
「だってそこ、あのクソ親父居るじゃん。アタシの――哀川潤の名に掛けて人なんかやらねえよ」
「ぼくと零崎も居るんですが!?」
「ああ、それな。いーちゃんなら自力で脱出出来るって信じてる!」
……哀川さん。受話器口で今、イイ顔で親指立ててるんだろうなあ。
人類最強が、その名に掛けてぼくたちの救助をしないと、言い切ったという事は。
それはつまり、道は絶たれた、という事に他ならない。
玖渚機関も四神一鏡も、手を出せないという、そういう意味だ。
「あの……哀川さん?」
「潤だ。アタシを上の名で呼ぶんじゃねえよ。下の名で呼べ。アタシを苗字で呼ぶのは敵だけだ」
「ああ、すいません、哀川さん」
「いーちゃん……喧嘩売ってんだな?」
彼女の声に怒気が混じる。受話器越しでも感じる、確固とした威圧感(プレッシャ)。
肺に出し入れする空気が一気に重くなったように錯覚する、そんな重圧。
正しく、存在感。
だけど――だけど。
首元に刃物を当てられていたとしても、それでも戯言遣いは口を閉じない。
それが、ぼくの持つ、唯一の――誇り。
「ええ。喧嘩を売っていると解釈して貰って構いませんよ、哀川さん。見捨てたという事は貴女にとってぼくはもう、身内ではないのでしょう? 身内に甘い貴女が、身内判定した人間にこんな事をする筈がない」
身内でないのならば、哀川潤はぼくにとって、商売敵でしかない。
敵でしかない。
「だったならば。ぼくは貴女を敵に回さない理由が無い。敵に回す理由こそ、十分ですが」
「ふぅん。面白いじゃねぇか、いーちゃん。人類最弱でありながら、人類最強を敵に回すと宣言するかい?」
楽しそうに。愉しそうに。
彼女はいつだって好敵手に飢えている。
強過ぎるから。
最強であるが故の弊害。敵が居ないという障害。
誰とも並び立てない、生涯。
けれど。
「弱い」は「強い」に対して圧倒的に有利なのだ。
強者を倒すのは、いつだって弱者なのだから。
王政に革命を興すのは、市民でしかないという話。
「だから『哀川さん』。貴女の、人類最強の敵と成り得るのは。正反対のぼくだけなんですよ」
そう宣誓して。ぼくの膝は情けないけれど震えているのに。
ぼくの心は、震えている。
心臓は、打ち、震えている。

「卑怯者ですから。弱者は弱者らしく弱者の戦い方をしますよ。卑怯者は卑怯者らしく卑怯な手を使わせて貰います。それくらいは了承して下さい、『哀川さん』」
ぼくの啖呵に笑う彼女。笑う笑う笑う笑う哀川潤。
「良いね。分かってきたじゃねえか、いーちゃん。嫌いじゃないぜ、そういうの」
「でしょうね」
貴女が気に入りそうな言葉を選んできましたから。
「まさか、哀川潤とも有ろう人が、挑戦から逃げるなんてしませんよね」
「はっ! 誰にモノ言ってんだ、いーちゃん。このアタシが! 逃げる!? ねーよ。有る訳ねーよ」
ああ、ぼく、一番敵に回しちゃいけない人を敵に回してるんだろうなぁ、今。
けれど。
こればっかりは成り行き上仕方ない。
こればっかりは感情を抑え切れない。
「では、ぼくはここから動く事は出来ませんので」
「こっちから出向いてやるよ。砕氷船を真赤に塗ってな!」
砕氷船、哀川潤仕様。
……豪快だなぁ、この人。
「首を洗って待ってろ、いーちゃん」
「貴女こそ、寝首を掻かれぬように、気を付けて下さいね」
そう言って。ぼくは過去、最高難易度の喧嘩をする事になるのだった。
武器は……決まってる。
ぼくは「戯言遣い」だから。
武器は「戯言」だけだ。

「喜べ、人間失格」
「おう、喜んじゃうぜ、欠陥製品」
零崎は不思議な踊りを踊った。スパスパスパスパと。休憩室の椅子がテーブルがソイツの腕の動きに合わせて切り刻まれていく。
「助けは来ない」
「喜べねえ!!」
……「ズコー」とか器用な音立ててすっ転ぶんじゃねえ。そんなキャラじゃねえだろ、お前。
「でも、人類最強が来る」
「よっしゃ、助かった! ……ん?」
零崎が一瞬置いて怪訝な顔をする。
「なあ、いーちゃん。俺、嫌な予感がするんだけどさ」
「恐らく、その予感で正解だ」
「人類最強……哀川潤が来るんだよな」
悩む零崎を差し置いて、口を挟むのは狐さん。
「俺の娘が来るのか?」
「ええ、狐さん。貴女の娘さんがいらっしゃいます」
ぼくは頷く。そして、両の手のひらを上に翳した。お手上げ、ってヤツ。
「助けでは、残念ながらありませんけれど」
「なぁ。いーちゃん。俺は頭が悪いからさ。確認しておきたいんだけど」
「発言は挙手をして行え、ぜろりん」
零崎は素直に挙手する。はい、零崎人識くん。
「人類最強は、助けに来るんじゃないとしたら何しに来るんだ?」
ぼくは舌を出した。
「ぼくらを倒しに来る。てへっ☆」

「『てへっ☆』じゃねえよ! キャラじゃない事やってんじゃねえ! でもってなんで自分から死亡フラグ踏んでんだよ!!」
「いや、ほら。仕方ないって言うかさ」
ぼくは言葉を濁す。
「アレだよ、アレ。《なるようにならない最悪(イフナッシングイズバッド)》って、ぼくそんな能力の持ち主らしいから」
体質が悪いのであれば。これはもうしょうがないじゃん? ねえ?
「今回も考えられ得る一番最悪な展開になっただけでさ。っていうか、それがぼくのデフォルトだったりするし」
「自分だけにしとけ! 俺を巻き込むんじゃねえ! 死んで詫びろ! つーか、今俺が殺してやる!!」
「ぜろりん、震えてる。震えてる」
「怖ぇんだよ、あの女!!」
零崎はガタガタと歯の根を震わせていた。……コイツと哀川さんの間に何が有ったのかはよく知らないけれど、想像は出来るかな。
あの人の事だから、コイツもメッタメタだったんだろうなあ。
「死ね! 本気で死ね、いーちゃん! 介錯なら『非殺協定』もギリギリセーフだろ!?」
ああ、ぼくだって死ねるんだったら死にたい。
こんな人生は、死んでしまった方がマシだと毎日毎時毎秒考えるような人生は、終わってしまった方がきっと良い。
戯言だけれど。
心底。
正直。
本心から。
戯言だけれど。

ぼくは、それでも、「こんなん」でも、生きていたいんだ。

「落ち着けよ、零崎の異端児」
下方から、傲慢不遜な声がした。
「《いーちゃん》の所為だけじゃないぜ。俺が見る限りな」
自販機と床の間に挟まったままなのに、この人本当に偉そうな姿勢崩さないな。
ある意味尊敬。
「どういう意味だよ?」
零崎がジロリと西東天を睨む。それは殺意すら篭っていそうな視線だったが、けれど狐面に阻まれてそれはソイツには届かなかったようだ。
「ふん。考えてもみろ。生きているだけで厄災を呼び込むのは、何も《いーちゃん》だけの専売特許ってワケじゃねえ」
そう言って、西東天は哂う。哂う。
「俺もここに居る。なるようになど、なるはずが無い事は自明だとは思わんか、零崎人識」

「誇って言う事じゃねえんだよ!!」
「誇って言う事じゃねえんだよ!!」

ぼくと零崎の心は再び一つになった。
っていうか、この人自覚有ったんだ……。

「いいや、才能というものはどんな類であれ誇るべきものだ」
西東天はそう言い切る。
「周囲に対して『なるようにならない』ようにする才能の持ち主が二人も居る。そして、その能力の効果は俺の娘であっても逃れられん」
……確かに。ぼく一人であれば哀川さんであっても、その力ごとぼくが弄ばれるだけだけれど。
けれど。
ここには唯一と言っても良いだろう。
哀川潤を過去、手玉に取った男が居る。
「人類最弱」
「はい」
「人類最速」
「ンだよ?」
「そして人類最悪の俺。結束さえすれば、俺の誇るべき娘が相手だとしても、それほど勝ち目の無い話だとは思わんけどな」
狐面がニヤリと哂った。
哂った。哂った。
「だから先ずは……俺の腕をここから出せ」
最悪に無様な締め方だった。

「子荻ちゃんプログラム」
作戦室という名のパソコンが何台も並んでいる部屋の、モニタの一つに彼女が映っていた。
首吊学園の被害者。
策師。
萩原子荻がモニタ上で生首となって浮かんでいた。
「害悪細菌(グリーングリーングリーン)とかいうヤツに発注して作らせた、過去最強の、策戦(プログラム)を作成(プログラム)するソフトだ」
……。
……ぼくは何も聞かなかった。
何も聞いてない。
何も聞いてないんだ。
グリなんとか、なんて聞いちゃいない。
「当然だが本人には劣る。だがしかし、それなりのレベルには仕上がったそうでな」
モニタの中の子荻ちゃんは、生首だけでありながら、しかしそれは確かに素晴らしい出来栄えだった。
そう。あまりあの菌類を褒めたくは無いが、それでも。流石は元「チームの一員」だと。言わざるを得ない出来で。
正直、この生首の映像って注力し過ぎだろうと思う程に。
スクエニ真っ青の映像技術じゃねえか。
「私ノ名前ハ『子荻ちゃんプログラム』」
「喋った!?」
零崎が驚愕するけれど、ぼくとしては喋った事よりもその際の口元の滑らかな動きと声の再現具合に驚いていた。
……何やってんだよ、兎吊木…………。
「例エ相手ガ人類最強デアロウトモ、私ノ名前ハ『子荻ちゃんプログラム』。私ノ前デハ悪魔ダッテ全席指定、正々堂々手段ヲ選バズ真ッ向カラ不意討ッテゴ覧ニ入レマショウ」
「コイツにな」
狐面は得意気に説明する。
「登場人物と勝たせたい側……つまり今回は俺達だな。の情報を入力すればそれだけで最善最良の手を導き出しやがる」
そういうソフトだ、と。いや、勝ち誇ってるけど、アンタが作ったんじゃないよね?
「おー、すげー!」
そして零崎。お前も素直に褒めるんじゃない。
ぼくと丁々発止をやった頃の賢い系キャラはどこへ行った?
ぱっぱらぱーか?

「今回の登場人物は四人。ふん、シンプルで結構な事だ。子荻ちゃんプログラムに掛かれば一瞬で俺達が勝つ策を提示してくれるだろうよ」
萩原子荻。首吊学園開校以来の優等生にして策師。
その力は、ぼくもよく知っているし、狐さんはずっと渇望していた人材だった。
そう、それは。ある意味では哀川潤ですら敵わない才能。
哀川潤すら手玉に取りかねない、恐るべき少女。
それを、こんな形で復活させるなんて。
西東天は、やはり「最悪」だ。
呼称の方がチープになりかねない程に「最悪」の男だ。
……生首だけじゃなくて、胸部まで復活させろってんだ。
……。
……いや、戯言ですよ?
意気揚々と、西東天が登場人物を入力してエンターキーを押した。その瞬間にビープ音。
ブッブー、ってヤツ。
「無理デス。物事ヲ最悪ニ運ブ能力者ガ二人モ居ル以上、私ニハ策ノ立テヨウガアリマセン」
「ですよねー」
「だよなー」
ぼくと零崎が顔を見合わせて、そしてほぼ同時のタイミングで肩を落とした。
「……子荻ちゃんプログラムに計算出来ない……だと?」
「ドチラカ一人ガ退場シテ頂ケレバ、策ヲ立テル事モ可能デス」
「よし、零崎。その役立たずのおっさんを殺れ」
「やれやれ……久々に零崎を始めるか……しゃあねえな」
対哀川潤共同戦線、早々に崩壊。

対哀川潤対策会議。
休憩室で、先ほどの零崎の魔手を免れた幸運なテーブルと幸運な椅子に座って、ぼくたち三人はそれを開く事にした。
はずなのに。
全会一致で対策を練ると決定した、はずなのに。
「恥ずかしい告白大会しようぜ。一番、人類最悪。実は俺、何も考えてないんだよ」
早々に一人が役立たず宣言をして。
「なあ、いーちゃん。どう考えてもあの女に勝つ方法なんかねーよ。最強なんだぜ? 最強ってのは負けない、って意味なんだぜ?」
言い放った零崎は基地の食料を漁りに離脱。
ぼく、一人だ。
……ぼく……独りだ…………。
一人で、人類最弱が人類最強を相手にして、子荻ちゃんじゃないけれど、そんなのどう策の立てようも無いじゃん。
どうすんだよ、これ。
……どうしよう。
啖呵、切っちゃったしなあ……。
いつもの戯言でした、で胡麻化せないかなあ……。
「おい、《いーちゃん》。今からでも遅くない。俺の娘に謝れ。九割殺しではあっても生き残る道は残る」
九割ってそれ、殆ど死んでますよね、狐さん。
「九割九分よりはマシだろう?」
……性質悪いよなぁ、殺さない、って。
だって、殺さないだけだもん。
死なないだけなんだよ?
今回のノイズ君だって酷いモンだったんだから。
赤いスノーモービル(当然ながら人類最強仕様。スピードは推して知るべし)で、どかん。
絵本さんが言うには全治半年だってさ。
あの超敏腕おねーさんが付いてて半年だよ?
有様はそりゃもうグッチャグチャ。
「……死にタイ気分ダ……」
他にどんな気分にもなり得ないだろうとぼくは思うんだけど。

「そうだ、京都に行こう」
散々悩んだ結果としてぼくの脳は現実逃避を始めたようだった……違うって。京都に行く前にここから出る算段すら無いっていうのに。
行けるもんなら、行きたいよ……。
「ぼく、顔広いんですよ」
ぼくは対面に座る狐面へと話し掛けていた。
「ふん、『ぼく、顔広いんですよ』か。しかし、俺には及ばないがな」
「かも知れませんけど。とりあえず、呼べるだけの応援を呼ぼうと思います」
「ふん。通信は生きているが、しかしここは北極だ。どうやってお前の仲間とやらはここまで来るつもりだ? 瞬間移動でも使えるのか?」
ドラゴンボールじゃないんだから。さすがにそんな知り合いは居ませんよ。
「いいえ。ですが、玖渚機関にとって、北極なんてのは地続きと変わりません」
ぼくの持つカードの中で一番頼りたくない、けれどその切れ味は檻神付きの。
玖渚友。
元、死線の蒼。
元、歩く逆鱗。
元、青色サヴァン。
片目を黒く染めた今であっても、そのカリスマ性は健在で。
もしも玖渚が「死ね」と言えば。それだけで三桁の死者が出る。
そういう、女。
ぼくの――宝物。
「有りっ丈のカードを用意して、哀川さんを迎撃します」

ぼくは通信室のキーボードに打ち込んだ。
「玖渚友の名において、戯言遣いが回る鈴木に命令する。この回線を王の下に」
それだけ。たったそれだけのたった一文で、モニタに彼女が映り込む。
青い彼女が、映り込む。
「うにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
玖渚友は、絶好調だった。
「いーちゃんだいーちゃんだいーちゃんだいーちゃんなんだよ! 今日は何の日!? ちょっと待って! 今、ログを記録するから! はい、完了! さあ、いーちゃん! 僕様ちゃんに何でも言ってよ!」
玖渚友は、超絶絶好調だった。
「えっと……友。お願いが有るんだけど」
可愛らしく小首を傾げる彼女は、まるであの頃みたいで。
少なからず成長したその姿を見ても、まるで昔に戻ったみたいに、少しだけ錯覚してしまう。
「何?」
「哀川さんに殺されかけてる」
「分かった」
友は頷く。ぼくを至上とする、ぼくの至上の少女はただの一言で全てを理解する。
「いーちゃん。世界大戦になっても、いーちゃんは大丈夫」
少女は、青さを半減させた、それでも彼女は青い。
青く、強い。
「人類がぼく様ちゃんといーちゃんだけになるまで、潤ちゃんと戦うよ」
「おい、友!?」
「潤ちゃんの敵には出来るだけ回りたくなかったけど。でも、しょうがないね。いーちゃんの敵はぼく様ちゃんの敵だから」
人類最強を、愛の名の下に敵に回す事が出来る、そういう少女。
「いーちゃんは、ぼく様ちゃんが守るから。だいじょーぶ!」
世界の全てとぼくを天秤に掛ける事すら、彼女はしない。
……まあ、さ。
ぼくも逆の立場だったら同じ様な事を言うんだろうけど。
……戯言、なんかじゃなく。
掛け値無しに本気で。

「そしたら、ぼく様ちゃんに動かせるのを全部動かすね。玖渚機関の総力戦なんて考えてみたら初めてだよ!」
場違いに楽しそうに言う彼女。
「……友。えっと……非常に言いづらいんだけどさ」
「なになになになに!? なんでも言ってよ! いーちゃんの為ならなんでもやっちゃうよ、僕様ちゃん!」
なんでも。
その言葉は嘘でも誇張でもなんでもなく。
なんでもなく、なんでも。
なんでも、やるのだ。友は。
だけど。
ぼくはそこまでは望まない。
なんでも、なんて、しなくて良い。
ぼくは、出来るだけ、の関係が良い。
ぼくに出来るだけ。友に出来るだけ。
共に、出来るだけ、互いを、愛する。そんな関係が、ぼくは好きだ。
「えっとさ。応援をして貰いたいのは間違い無いんだけど、でも流石に世界大戦はマズい」
「うにー? でもさ、潤ちゃんと僕様ちゃんが喧嘩するってなったら避けられないと思うー」
それはそうかも知れないけれど。だけど、何事にもやりようって有るだろう?
友に避けられないなら、ぼくが避けさせるだけ。
「友」
「なにー?」
「ぼくは、友には悪いけど、結構大切な人が、結構たくさん居るんだ」
「うん」
「だから、その『戦争』ってのは無しにしよう」
玖渚は、笑った。にぱ、とでも音が聞こえてきそうなほど、鮮やかに、笑った。
ぼくの好きな、ぼくの一等好きな、ぼくの世界で一番好きな、その笑顔。
「いーちゃん、好き」
「ああ、ぼくもだ。ぼくも、友が好きだよ」
「ぼく様ちゃんが好きなのはいーちゃんだけ。でも、いーちゃんにはぼく様ちゃん以外にも好きな人がいっぱい居るけどね」
でも、良いんだよ、と。玖渚は微笑む。
「いーちゃんの嫁は僕様ちゃんだけだからねえ」
モニタに大写しで少女の細い薬指が映る。
ぼくのと、左手と、モニタの中のそれはお揃い。
「一番好きなのがぼく様ちゃんなら、それでいーよ? ねえ、いーちゃん?」
「なんだよ、友?」
「もう一回、言って欲しいなー。死線の蒼はね、とってもよくばりなんだよ」
その呼称、元って頭に付くじゃん。
いや、別に良いけどさ。
「分かった。だけど録画は無し。こういうのは、その場限りだから価値が有るんだ」
友は、困ったような、嬉しいような、そんな表情をして、そして手元のキーボードを弄った。
「あいあいさー。はい、これでおっけー。さあさ、いーちゃん。奥様が愛に飢えているんだよっ? いーちゃんにはしなきゃいけない事があるよねえ?」
分かってる。急かさないでくれ。
ぼくは、戯言遣いの戯言遣いたる意地に賭けて、言葉のプロとして、言葉を捨て、選び、玩ばなければならないのだから。

だけど、戯言の出る幕、無し。

「友、愛してる」

だけど、戯言の出る幕、無し。

「あ、ちぃくんからだ」
回る鈴木。凶獣(チーター)だから、ちぃくん。「チーム」の中の走査役。
彼に分からない事は、この銀河系には存在しないとか、そんな触れ込みだったはずだ。
「いーちゃん、バッドニュース」
玖渚は精一杯な神妙な顔をした。けれど、その表情は少しだけコミカル。
ニュースの方は、まるでコミカルじゃなかったけれど。
「さっちゃんとひーちゃんがやった妨害が失敗。僕様ちゃん達がそっちに着くよりも潤ちゃんがそっちに着く方が早い」
まあ、予想はしていたけれど。
妨害なんて、彼女には有って無いようなものだから。
トラック走の障害が例えトラックでも、きっと哀川潤には関係無いだろう事は知っていた。
「飛行機を墜落させても良いけど、多分無意味だねー。だって、潤ちゃんが本気で走ったら飛行機より速いもん」
……。
……うん。
……うん。あの人の事だから、まあ、予想はしていたけれど。
音速を超えるスピードで笑いながら走る女。
どんな人外だ。
《嵐の前の暴風雨》とか呼ばれるワケがソレ。ソニックブーム付きが哀川さんのダッシュのデフォルトなんだもん。
ぼく、とんでもない人敵に回しちゃったな。
今更だけど。
――本当、今更だけど。
「あ、でも良いニュースも有るよ。潤ちゃんはそっちに向かうのに真剣になってるから、僕様ちゃん達への妨害は無いみたい」
妨害は無い。けれど……それは、多分。
「いや、わざとだろ」
手持ちのカードを全て使って自分を楽しませろ、と。
哀川潤は、孤高の紅虎は。そう、ぼくに言ってきているのだろう。
「ふーん、なるほどねー」
「なあ、友?」
「はいやー」
「応援が到着するのは哀川さんがこっちに着いてからどれだけ後だ?」
「約三十分」
三十分か……三十分ね……。
「それが限界ギリギリの最速タイム。持ち応えられる、いーちゃん?」
モニタの中で心配そうな友。
ぼくは、お前にそんな顔をさせる為に生きてるんじゃないよ。
ぼくは、友に笑っていて欲しいから生きてるんだよ。
そう思うから。
「余裕」
そんな戯言を、ぼくは吐く。
そんな虚言を、ぼくは吐く。
「戯言遣いは時間稼ぎで誰にも負けた事が無いのが、自慢なんだ」
そんな睦言を、ぼくは紡ぐ。

彼女はぼくの妄言に、果たして、笑った。
それは、ぼくの大好きな、笑顔だった。


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