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 パチン、パチン。鋏が鳴る。稔に白木蓮を取って貰いながら、当り障りのない話を続けていた。つぼみの先は必ず北を向く、方向を指示する植物だということ。白木蓮の花言葉は持続性、自然な愛情、忘却……。
 卵形の花がついた枝を五・六本まとめて渡されると、私は稔に「もう良い」と言った。自室と彼の部屋と、医師に持ち帰ってもらう分。木の為にも切り過ぎるのは得策と言えない。
 逃げる機会を伺っていると、唐突に稔が口を開いた。

「あいつから手紙が来た時、どうしようかと思った」
 ――それは、彼に抗議してまで聞きたかったことなのに、どうしてだろう、今は聞いてはいけないと思った。
 目を閉じて耳を塞いで、情報を受け付ける全ての器官を遮断してしまいたい。何で、どうして。ぎゅっと目を瞑り暗闇の中で考えば、次第に答えが浮かんでくる。
 稔は絶対に嘘を言わない。夫のように、話を誤魔化したり逸らしたりしないからだ。
「最初は嫌だと突っぱねた。何で好き好んでお前の傍に行かなきゃいけないんだ、幸せそうな所を指をくわえて見る必要がどこにある」
「……誠さまは、ただ稔が優秀だからと」

 口の中がカラカラに乾く。眩しい日差しが容赦なく地面を照り付けて、遠くの玉砂利が光を反射している。
 私たちの話は、明るすぎるこの空には不似合いだ。
 稔はまるきり信じていないという風にせせら笑い、両腕を組んで私を見下ろした。上背があるのも手伝い、より威圧感が出ている。表情は、陰になってよく分からない。
「ただ優秀なだけの庭師なら他にも沢山いるだろう。国一の庭師を抱えたってびくともしない資産を持ってるんだ。あいつにもそう言った……そうしたら」
 目を閉じて、耳を塞いでしまいたい。
 きっと篠崎医師と夫は分かっていたのだ。私が知りたいと何度言っても、大丈夫だと胸を張っても、本当はその奥底にあるものを怖がっていると。
 私が強く、知ってなお彼を支えられる女性であれば、二人は包み隠さず教えてくれたと思う。全部、私が弱いからいけない。
「お前、これからどうするつもりだ?」
「え?」
 考えに耽っていたのと、稔の話が飛躍しすぎていて、顎を上に向けて訊き返すと稔は何が嫌なのか片手を額にやり、不機嫌な声音を隠さずに言った。
「誠には子供がいない。家はおそらく、あいつの妹婿が継ぐ。成人するまでは誰かが後見の役割をするだろうが、それもお前ではなく親戚から選ばれた適当な奴だ」
 ありえない、とは言えなくて。全面否定が出来なくて。私はずいと近寄って精一杯胸を反らし、稔の表情を見つめることにした。いや、どちらかと言うと喧嘩を売ることにした、が近いかもしれない。

「誠さまが死ぬとでも言いたいの?」
 ぽたり、頬に冷たいものが当たった。
 何かと思って手を伸ばせばすぐに次から次へと、雫が空から落ちてきて。そこでようやく、雨が降っているのだと理解する。
 雲はなく、日は照っている。緑の香りを含んだ風はそれほど強くないから、どこかで水を撒いているのでもないだろう。何て言うんだっけ、この雨。
 水滴が滲んでより濃い色となった着物を眺めていると、小さく答えが聞こえてきた。

「狐の嫁入りだな」
 ……それだ。納得して頷きを繰り返す私と、満足げに唇を歪める稔。こほんと咳払いをし、先に本題へ戻したのは稔だった。
「口で何を言っていても、長生き出来ないことは誰よりよく分かってるさ。後ろ盾がない綾子は、僕がいなくなったら必ず家で孤立してしまう。遺言を書いても無意味なんだ、とあいつは言っていた」
 心臓が早鐘を鳴らす。
「か、考えすぎよ」
 警報は本物だ。やっぱり来るんじゃなかった。
 わざわざ東屋まで行かず、適当な花を選んでおけば良かった。引き止められても何を言われても、気にせずに自室に戻っていればこんな思いはしなくて済んだのに。
 稔は作業着に付着した雨を手で払い、空を見上げた。小雨がじんわりと髪を濡らし、顔に打ち付けられて耳から肩へと落ちていく。頬を伝うのが雨か涙かは分からない。分からなくしているのかもしれない。

「そうか? 俺は妥当だと思う。血を引いた子供もいない、実家は成金に毛が生えた程度で特に利用価値もない。誠と一緒に英才教育を受けた、変に頭と勘は良い前当主の妻。邪険にされるのは目に見えてるな」
 私と視線を合わせて。
「あいつは頼んできたんだ。何をしても良い。もし自分に何かあって、それ以上お前を守れなくなった時は」
 最後の言葉を聞いた瞬間、私はすぐさま稔に背を向けて走り出した。物心ついた時からずっと着物を着ていたけれど、ここまで窮屈な服装だと思ったことはなかった。大股で走れない、膝を曲げるのも許されず、お腹は絶えず圧迫されている。これなら高等学校に通っていた頃着ていた、行灯袴の方がずっと動きやすい。
 ふんだんに水を吸った小袖は重く、濡れた髪はぼさぼさになっているだろう。ぜえぜえと肩で息をしているのもみっともないに違いない。
 それでも、走らないわけにはいかなかった。彼の傍へ戻りたかった。

『綾子を宜しく頼む、と』

 邪魔なもの全てを取り払って、もう一度真正面から向き合えたら。

 私の言い分を全部聞いた夫は、にこにこと微笑んでこう言った。
「じゃあ、傍にいてくれる?」
 何をもって『じゃあ』なのか、全然分からない。話が伝わっていないじゃないか。そう伝えても、彼は「まあまあ」と私を窘めるだけで、最終的にその意見を翻そうとはしなかった。
 私に望んだのは、最初から最後まで傍にいることだけだった。


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