[携帯モード] [URL送信]

企画モノ
いっそこの眼を抉って【後】
 里奈ちゃんの幼馴染みのお兄さんは、名前を桐島さんと言った。

 桐島さんはよく男子テニス部を見学に来ていて、同じく金網越しに練習を見ていた私にとって、顔は知っていても名前は知らない人の一人だった。
 特に話もしない、本当に同じ方向を向いているだけの仲。けれど、私は好感を持っていた。

 桐島さんの、里奈ちゃんを見る目がとても優しいものだったからだろう。

「似合うとか似合わないとか、マスクってつける人選ぶよね。でも、花粉症の人はつけなきゃやってられないんでしょう?」
「……私の場合は、そうです」

 その桐島さんに、私は自宅まで送ってもらっている。

 里奈ちゃんが好きそうな可愛いフォルムのミニバン。その後部席に座って、ひっきりなしに鼻をかんだり目を擦ったり。学校では外していたマスクも着用。
 多分ひどい顔になってると思う。桐島さんが赤信号になっても後ろを振り向かない人で良かった。

 やや遅れて返事をすると、小さく微笑まれたのが斜めの角度から分かった。
 ――いきなり、どうしたのだろう。
 困惑への答えはすぐ返ってきた。

「大西さんは偉いなぁって感心したんだ」
「え?」
「マスクを外していたところ。彼氏の前で可愛くいたかった、そういう思いが透けて見える」

 何かを言いかけた口が閉じない。……バレていた、わけだ。私が克己に隠したかったこと。

 今日は克己達の練習試合だった。

 マネージャーの里奈ちゃんによるとかなり力の入っている試合らしく、克己からも応援に来てと頼まれていた。
 試行錯誤しながら作ったお弁当は思った以上に良い出来で、今日は楽しく過ごせると思っていた。

 昨日雨が降ったこと、今日が快晴になること、更に風も強くなること、到着がお昼頃になること。
 以上の、症状がひどくなる条件を家の玄関から出て思い出すまでは。

 私はマスクが似合わない。

 まずマスクのせいでめがねが曇る。それを防止しようとクッション付きのマスクを選べば、サイズが合わなくてめがねの位置がずれる。
 ついでに声もこもる。必ず変な状態になってしまうのが嫌だった。

「自己満足も良いところです……。結局帰ることになっちゃいましたし」

 だから、花粉注意報が最大になっている日に、無謀にも出かけて途中でマスクを取った。
 せめて克己の前では変な顔を晒したくなかったから。

 そうしたら案の定、途中でリタイヤ。
 それを桐島さんと喋っていた里奈ちゃんに言ったら、送るのを申し出てくれて今に至る。ほんと申し訳ない。

 しゅんとした私を慰めるように、桐島さんは言う。

「恋なんてそんなものだよ。自己満足だし身勝手だし、わがままにもなる。現に僕もそうだ」
「桐島さんもですか?」

 意外。優しいし、紳士的だし、身勝手やわがままという言葉と縁遠そうな人だと思っていたのに。

「うん。いっそ男は僕以外見えなくなっちゃえば良いと願ってるって、立派なわがままでしょー」

 くすくす笑いながらの発言に聞き覚えがあった。いつだったか、里奈ちゃんが克己の近眼専ぶりに対してそんなコメントをしていたっけ。

 その時はまさかと笑い飛ばしたけれど、克己との付き合いが長くなるにつれ完全には否定出来なくなっていた。
 もしかして、克己が視力の悪い女の子が好きなのはそういう理由から来ているのではないかと。

 組んだ腕も、ぼやけた視界の中で嬉しそうに笑うあの顔も、独占欲の表れ。そう考えたら……怖くなって、考えるのを止めた。代わりに少しだけ身を乗り出して聞いてみる。

 交差点の信号は赤になっていた。

「桐島さんも、女性はその方以外見えなくなっちゃって良いんですか」
「ギブアンドテイクだね。仕事に支障をきたすかもしれないけど、まあ、それで彼女が手に入るなら構わないよ」

 その時初めて、桐島さんは私の方を見た。

「ごめん、怖がらせた?」

 何とか頭を横に振って、噛み締めていた唇を離していく。
 多分、桐島さんが考えている『怖さ』と私のそれは違うだろうから。

「いえ――あ、そちら右です」

「分かった、曲がる。……つまりね、見たところ君の彼氏は君が大好きなようだ。だからその努力を大っぴらにしても良いんじゃないかな、って言いたかったんだよ。そうしたら彼氏はもっと君を好きになる」

 苦笑するほかなかった。中学時代、大好きだったゆかり先輩にすら面と向かって尊敬しているとも、大好きだとも言えなかったのだ。
 真面目な良い後輩として可愛がって貰ったから良かったものの、自分からは何も行動できなかった。

 克己に対してもっと積極的になれるのだろうか。今だっていっぱいいっぱいなのに。

「性格上、難しいです」
「出来るとこからで構わないさ。考えてみてよ」

 考えて、それから頷いた。

「……そうします」


 
 本当に怖くなったのは、変わりつつある自分。
 克己と共にあることに慣れきった自分。

 克己は『視力の悪い』子を好きなだけなのに、いつか他の誰かが現れるのに。
 愛されるのが私だけでありたいと、思うなんて。





TOP


[*前へ][次へ#]

8/10ページ


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!