あしひきの、やまのしづくに【1】
柔らかな銀の糸が曇天の空から降り注ぐ、日曜日の午後のことだった。
喫茶店のBGMはワーグナーの『婚礼の合唱』。ここのマスターはどんな感性をしているのだか。
結婚式でよく聞く曲だが、この後に実はこの曲が出てくるオペラの二人は別れ、主人公は死んでしまうという代物。
知っていてこれを選んだのだろうか。
絶妙な選曲センスに私はふっと笑みを漏らした。
総ガラス張りの窓からは外の様子がよく見える。
所々水滴がついて見辛い部分もあるが、人間観察にはぴったりだった。
待ち合わせ場所にはうってつけの時計台。
季節は春。
花壇には花々が美しく咲き乱れており、近くのベンチは目にも鮮やかな緑色。
雨さえ降っていなければ、もっと賑やかなのだろう。
時計台の下、一人の少女と男。
少女は赤い傘を差し、退屈そうにポケベルを弄りながら、ちらちらと隣の男を気にしている。
どうやら待ち合わせの相手は隣の男ではないらしい。隣で立っている男は、随分な美形だった。
どうと言われれば形容しにくいのだが、強いて言うなら和風。
中性的で、女装も似合うかもしれない。
その男はずぶ濡れになっていた。
雨自体は霧雨だが、何時間も立っていればずぶ濡れにもなるだろう。
傘はもちろん、鞄や何かで雨から避けようとも思っていないらしい。
店に入り、雨宿りをしようともしない。
けれども、私にとっては好都合だった。何なら台風でも良かったのに。
雪でも良いかもしれない。
どちらにせよ、あの男を――精神的にでも肉体的にでも――傷つけられるなら、それで構わなかった。
もっともっと、降ってしまえば良い。
もっともっと、あの男が濡れてしまえば良い。
私の視線は、時計台の下にいる男から外れなかった。
ぬばたまの黒髪は雨に濡れることにより一層艶やかさを増し、水も滴る良い男振りをまじまじと見せ付けている。
何をしても様になるのだ。
……微妙にむかつく。
時間は午後三時を過ぎている。
そろそろおやつの時間とあってか、喫茶店には子供連れの家族が増えていた。
確かに、ここのメニューは甘いものが多い。
日替わりケーキセットがお勧め、と入り口の看板に立っていたのを思い出した。
いつまでもここの席を独り占めしていては悪いだろう。
私は席を立ち、席に引っ掛けていた傘を手に取った。
会計を済ませ、外へ出る。
あの男は私に気付いていないようだった。
何をするでもなく、男は時計台の下に立ち続けている。
少女のようにポケベルを弄るのでも、誰かを探すように辺りを見回すのでもなく。
黒の地に一輪の百合が描かれた傘を差した私が近付くと、ようやく男は気付いたようだった。
手を軽く上げ、薄っすらと微笑む。
私は男の少し手前で立ち止まった。
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