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終焉【1】
 記録を司る三坂家に己の過去をあらいざらい話し、その後、家系図から己の名前を抹消しなければならない。
 その仕来りに沿って夏夜が過去を語り終えたのは三月初旬のことだった。

 円を描くように配置された本棚を幾つも通り過ぎると、書斎の中央にどんとマホガニーの机と椅子が鎮座している。
 その手前には来客用のスツールが置かれ、髪の長い少女が背中を丸めて座っていた。

 珍しい。三坂冬哉は通路を歩きながら思った。
 少々特殊な環境で育ったとはいえ夏夜は基本的には紛れもないお嬢さまだ。
 人目がなくても気を抜かず、凛と背筋を伸ばして座っているのが常だった。

 振り返って欲しいわけではないがこうも無反応だと気になってくる。
 まさか、この短時間にぐーすか寝てしまったのでは――ちらりと考えが頭を過ぎる。

 背後にまで近付くと軽く夏夜の肩に触れた。

「お待たせ、夏……」
「ふぁ」

 ふぁ? 何だそれは返事のつもりか。

 更に問い質そうとした冬哉は夏夜の口元に目を留めた。
 紅い唇がまるで蜜でも塗ったかのようにべたべたと濡れている。
 しゃくしゃく、ごっくん。間違いなく夏夜から聞こえる咀嚼の音に冬哉は眉を潜め、次いで自分から見えていない方の腕を掴み引き寄せた。

 隠し持ち、冬哉が席を立ったのを見計らってこっそり食べていたそれは――りんご飴、だった。
 割り箸に差した姫りんごとその周りにかかった飴。
 正月や夏祭りに屋台で売っているのと同じものだ。

「何食べてんだよここ飲食禁止だって考えりゃ分かるだろ君なら! しかもよりにもよってりんご飴っ。君からさんざその話聞いて僕だって食べたくなってるのに!」

「あ、じゃー冬哉くんも食べる?」
「そういう問題じゃない!」
「味なら美味しいよ」
「……なんか、すごく疲れた」

 半分以上齧られたりんご飴を「食べかけだけど」と笑って差し出す神経が信じられない。

 脱力気味に椅子に座ってジト目で夏夜を見る。
 その問題児は何でそんなカリカリしてるの、とでも言いたげに首を捻っていて、冬哉は色々と諦めて食べるのを促した。
 万が一零しても良いように大事な書類は自分の方へ引き寄せておいた。

 頬杖をつきながら食べ終えるのを待つ。

 年が明けて夏夜の制服姿を見る回数が増えた。
 早々に受験を終えた夏夜は卒業までは割合時間を自由に使える。

 よって、これ幸いと予約を入れる際に平日の放課後を指定されたのだ。
 同じく受験学年の自分も高等部への内部進学が決まっているので問題はない。

 しかしこの訪問も今日で終わりだ。
 妹とも思っている――本人は姉だと言い張りそうだがどう考えたって自分が兄だろう――夏夜の成長が喜ばしいのと同時に、一抹の寂しさも覚える。
 冬哉はそっと目を細めた。

「明日は、卒業式だな」
「よく知ってるねぇ」

 意外そうに言われた。予想はしていたものの、実際言われるとがくっとくる。

「高等部と中等部の卒業式は午前午後に別れて同日に行われる。すなわち」

「はいっ。冬哉くんの卒業式イコール私の卒業式!」
「イコールじゃないけれどね。そういうことだよ」
「そっかぁ……」

 夏夜は感慨深げに黙りこんだ。
 ややするとりんご飴の欠片を口に入れて立ち上がり、大きな机を回りこみ、何をされるのかと身構えた冬哉の後ろに立つ。
 もごもごした顎が動きを止めた頃、小さな手の平が頭を撫でた。

 子供っぽいとばかり思っていたのに、と冬哉は思う。
 いつの間に、こんな聖母のような笑みを浮かべるようになっていたのか。

「多分明日は会えないだろうから先に言っておくね。卒業おめでと、冬哉くん」
「……君もな」

 今日もこれから仁科家に行く用事があるくらいに夏夜は多忙だ。
 
 明日どころか明後日も明々後日も会えないだろう。
 春休みに入れば引越し作業で更に忙しくなることは目に見えていた。

 冬哉はあえてそのことには触れず、夏夜の手を優しく退けるだけに留めておいた。
 誰も見ていないからどうこうじゃない、夏夜。恥ずかしいんだよ全く。

「将来やりたいことは決まった?」

 話題の変え方が多少強引なのは仕方ない。

 夏夜は名残惜しそうに「えー」とぼやいたが、次の瞬間には表情を真剣なものにした。
 考える様子もなく喋り始める。

「とりあえずねー茶道のさの字も聞かなくて済むように生きてくよ。やりたいことは大学で見つけようと思ってる。でも今はとりあえず普通の女子大生やりたいかな」

 尋ねる前から答えは決まっていたのだろうと思わせるような流暢な口ぶりで、夏夜はあれをしたいこれをしたいと次々に言った。
 どれもが良家の子女らしい今までの生活と正反対で、思わず硬くなると夏夜はまた小さく笑う。

 一番やりたいことはね、と。

「あの家から離れたいんだ。私はあそこにいない方が良いなって判断したから」



 言うなり謝られ、何なんだと夏夜は目を丸くした。
 思い切り頭を下げた冬哉は、過去を聞いた自分なら夏夜がそう言うのは分かっていたはずで、なのに気遣いの欠片もない無神経な質問を向けて申し訳ない、と続けざまに述べる。

 かなりオブラートに包んでいるが、アレだ。
 マインドコントロール。
 夏夜もつい最近思い出した、一成に心を操らせていたという過去を気にしているらしい。

 確かにそれもある。正直言って、一成とどう関われば良いのか全然分からない。
 けれどもっと深く夏夜の心に闇を落とす存在があった。

 再び提供者と執筆者の位置関係に戻り、スツールに座る。
 さて、順序だてて説明するにはどれから話すべきか。

「この前のクリスマス、私が蔵で何を見たか言ってないよね?」
「僕が訊いて良いものなのか、それは」

「分かんないけど、三坂家に過去の資料として残ってるんじゃないかなぁ。だから良いとする」

 それに知ったところで今更どうにもならないだろう……多分。
 冬哉くんなら口も堅そうだし大丈夫だよ、と一言付け足しておいた。

「仁科家の家系図を見たの。名前だけじゃなく死んだ年齢も書いてあって、ずーっと前の代まで遡ってあるやつ」

 蔵でこれだけは見ようと心に決めていた資料の一つだった。
 中二の夏に一成に挑発されてから始まった願い。自分のルーツを知ること。
 仁科の本家から遠縁まで載っている詳細な家系図はその糸口になってくれるだろうと思って、無邪気に現在から過去へとページを捲った。

 パンドラの箱だとも知らずに。

 手から二の腕にかけてが小刻みに震えているのを、冬哉の視線の先を追って気付く。

「『ある時代』を見るまでは普通だった」
「……な」

「若き当主の病死が続くの。原因は不明。まあ当主だけじゃなくて性別関係なく死んでたんだけどね。何でだろうって思ったら――」

「言うな」

 夏夜は制止を振り切って言った。

「『ある時代』が来る直前まで、一族での婚姻を繰り返していたのよ」

 あの時、自然にキモチワルイと思えたのがまともなのかそうでないのか今となっては分からない。
 従兄を好きになっておきながら否定する自分の浅ましさ、厚かましさが浮き彫りになったのだ。

「いとこ、はとこが一番多くて、もっと古くには叔父姪や異母姉弟もぽつぽついた。それで免疫とか抵抗力とか、色々問題が出ちゃったんじゃないかなって思うの」

 例えばヨーロッパの貴族のように。

 『ある時代』が過ぎてからは積極的に一族外の人と結婚し、数百年経った自分達の代には血も薄れているはずだと思う。
 しかしどうだろうか。
 ここに、実際に従兄妹同士でありながら恋に落ちた者がいるではないか。

 説得力も何もあったものじゃない。

 自然に自嘲めいた笑みが漏れた。
 もしかしたら一成もこの事実を知っていたのかもしれない。
 知ってしまったから偽の彼女を仕立て上げ、恋を諦めようとしていたのかもしれない。

 そうであれば我侭や意地悪を言って困らせた十三歳の自分は、なんて無知だったのだろう。

「そして私にも一成くんにも、その呪われた血が流れてる」
「言うなってば」

 ううん、と夏夜は頭を横に振って、思い出すように目を瞑った。
 重い話を聞かされる冬哉には悪いと思ったけれど、ここで言葉の奔流を止めれば溢れかえって溺れてしまいそうだった。

「しっくりくるんだよね。道理で仁科家に変な言い伝えが多いと思った。例えばね、『狂気に囚われた当主が逃げ出そうとした妻を殺した』なんてあるのよ。やっぱりこういう環境が人を狂わせるのかなぁ。後は『当主の初恋は報われない』のも穿って考えれば周りにいる女性がお手伝いさんや親戚、また兄弟の婚約者なんかに限られて」

 全て言う前に冬哉の手が肩を掴んだ。

「分かったから、夏夜!」

 前後に揺らされて体が揺れる。
 目を瞑っている間に冬哉は後ろに移動していたようで、スツールの空いた場所に片膝を乗せ覆うように抱きしめられた。

 互いに親愛しかない抱擁だった。
 友情というよりも姉弟のような親愛。長い腕と頭の上に置かれた冬哉の顎がお姉ちゃんとしては面白くない、なんて強がりを思ってみる。

 頬を伝う涙を無視して。

「自分を傷つけるのは止めろって。泣いてまでそんなことして何が楽しいんだよ」
「……考えを強固にさせるためだよ」

 その理由を繰り返し口に出し、自覚することが考えを強固にさせる。

 雪が止んだ時にはもう答えは出ていたように思う。
 翌朝、襖の隙間から光が差し込むのを見ながらこれで終わりにしようと思った。
 古い仕来りに従うのも誰かのための人形になるのも、この身に流れる血が次の世代へ受け継がれるのも。

 女性である夏夜にはそれが出来る。

「私は、仁科家を離れるの」

 想いあっているのに血のせいで結ばれないのは、自分だけで十分だ。


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あきゅろす。
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