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永夜【3】
 爛々と怒りを秘めた目で、後で知って嫉妬に狂えば良いのよ、とでも暗に語っている様子は傲慢をその名に冠した堕天使のよう。

 マシンガントークを繰り広げて、もこもこのコートで抱きしめてくれた面影はどこにもない。
 日生が偽彼女だったというのなら、ふとした瞬間に見せる退廃的な雰囲気こそが本当で、夏夜に対する全ては嘘だったのだろうか。
 ついそう思ってしまう。権利もないのに寂しかった。

 日生の抱え持つ紙袋がぐしゃりと潰れ、夏夜ははっと我に返った。

 日生のフォローのお陰であまり感じずに済んでいたが、今の自分は完全にお邪魔虫だった。
 見上げた一成からは相変わらず表情が読み取れなくて、このままここにいていいのかどうか迷う。

 邪魔じゃない?
 嫌がられてない?
 クリスマスに会えた喜びよりもそちらが大きかった。
 ――だって見捨てられたら耐えられない。

「……じゃあ夏夜はこれで」

 天秤にかけると一定の距離を保つ方がマシだった。「失礼します」と会釈し、体を反転。
 一成の横をすり抜けるようにして玄関の扉を開けば後ろから日生の声が追いかけてくる。

「ちょっ仁科! 引き止めなくて良いの?」

 歩みが遅くなる自分が浅ましい。そのつもりはないのに。諦めていても心のどこかで期待しているのだ。

 一息分の間を置いてガラリと音がし、ややして夏夜の名が呼ばれた。
 柔らかく安心させる響きはそう聞こえるように意識してのことか。つられて足を止め、時間をかけて振り返る。
 一成は意地悪な笑みを浮かべていた。

「帰り際に連絡を入れろ。車くらい出すし、台所にお前の好きなケーキがあるから土産に持って行けよ」

 またこのひとは夏夜を甘やかす。
 中二の夏の、あの夜と同じように普通の従兄妹らしく振る舞える切欠をくれた。
 唇を引き結んで、それから口角を上げる。それが一成の意向ならば夏夜に刃向かう気持ちはない。

「……お前の好きなって、まるで夏夜が食い意地張ってるみたいじゃない」

 言いながらゆっくり歩いて戻ってくる。
 風が入ってきて寒いはずなのに、一成はそのまま扉を開けて待っていてくれた。

「本当だろ?」

 まあ、そうだけど。後ろ手に扉を閉め、土間を進んで。許可を貰う前にパンプスを脱ぐ。
 勝手な振る舞いにも文句をつけないということは、一成もそれを望んでいると受け取って良いだろうか。せめて今日くらいは近くにいたいと我侭を貫いても。

「食べていっちゃダメかな。出来れば、一成くんも一緒に」
「好きにすれば」
「ありがとう。そうする」

「あーあ結局ラブラブしてやんの」

 続いて一成も玄関ホールに上がると、一人取り残された日生はむぅと膨れて視線を逸らした。
 入れ替わりのようにして乱暴にブーツを履き、立ち上がれば手を団扇代わりにパタパタ扇ぐ。もう片手には日生の私物が入った大きな紙袋二つがまとめて握られていた。

「あてられちゃってお姉さん熱いしぃ、お邪魔虫は退散しますよぅー」
「それから雪下」
「ん?」

「先程、ここに不法侵入しようとした男を捕まえたと連絡が来たぞ。門番五人がかりで取り押さえて、話を聞けばお前の彼氏だと言っているそうだ」 

 告げる視線は下段にいる日生の目の高さより高くずれていて、日生を通り越し、おそらくは扉の先にある駐在所を見ているのだろう。
 見方によっては顎をしゃくって場所を示しているようだった。
 ――それにしても門番五人ってどれだけ強いんだ。

 無謀にも仁科家に不法侵入した腕っ節の強い男。で、自称彼氏。
 その情報で十分だったみたいで、日生は僅かに目を見開くと「嘘」、声に出さずに言った。すぐにくるりと踵を返して。

「……なっちゃんまたね!」

 急いで出て行ったのである。

 開け放された扉からは門近くの駐在所へ一目散に走っていく様子が見えた。
 一成は日生の彼氏を不問に処したのだろう。夏夜と同様、一成と付き合いが長かったから門番に顔が知られている。
 迎えに行けば釈放、何事もなく一緒に帰れるはずだ。

 いつか彼氏を紹介してくれる日は来るだろうか。

 彼氏のことでは恋する女の子になってしまう日生を、今度は自分と一成がからかって、良かったねと言って。
 彼氏からは根掘り葉掘り惚気話を聞いて。そんな日が来れば、きっと楽しい。

 一成も同じ気持ちだろうと思い、そっと視線を送った夏夜は出そうとした声を失った。

 もう建物に入って見えなくなっているのに、一成の目は日生を追っていた。隣にいる夏夜のことなど一ミリも見ていなかった。
 振り子のように揺れる心を抑えつつ、じっと見ていると一成から自嘲気味に笑みが漏れた。

 スニーカーをもう一度つっかけて土間に下り、扉を閉めて戻ってくる。

「なっちゃんまたね、だと。あいつは二度と俺に会う気がないんだろうな」

 苦笑しつつ言ったきり、何もヒントを出してくれない従兄の後ろを追い、廊下を歩く。右、左、右右左とランダムに曲がる。
 行き先も自分が屋敷のどこを歩いているのかも分からなかった。

 夏夜の頭は一成に占められていた。
 中一の新年会で、一成に好きな人が出来たのだと告げられた時のことも思い出した。あの顔と先程の一成がだぶって見える。
 なのに訊くことは出来ない。
 彼女でもないのに、ずかずかと一成の心に踏み込んで訊いて良い話題ではないのだ。

 同じスピードで歩かなければはぐれてしまう。
 曲がり角が多い仁科の屋敷では見失ってしまう。

 でも足は重くて、次第に距離は開いていく。

 そんな折、先に立ち止まったのは一成だった。
 下を向いていた夏夜は気付かずに衝突しかけて、振り向いた一成に抱きとめられる。ふわりと白檀が香った。

「何を考えているのか知らないが、訊きたいなら迷ってないで訊けよ」

 背中に力を込められればくふ、と息が漏れた。

「……ちゃんと答えてくれるんだ」
「昔は別として、全部バレた今ならその権利はあるだろう」

 そっか、答えて俯く。
 関係は偽物でも、一成は本当に日生を好きだったんじゃないのか。そして今でも日生を好きなんじゃないか。

 ――言おうとして一成を見上げ、その直前になって質問を変えた。
 あの態度を見てしまった今、一成の夏夜への告白が本気なのかは分からない。
 でも自分を好きだと言ってくれている人にそれを言うのは、限りなく残酷な仕打ちだって知っている。

 漆黒の瞳には、泣き出しそうな自分が映っていた。

「ちょっとでも」
「ん」
「ちょっとでも日生さんを、恋愛対象として好きになったこと、あった……?」

 鼻で笑われた。大きな手の平で顔の下半分を掴まれ、頬の肉を内側に押し込まれて強制的に口を開けさせられる。
 突然の行動に抵抗する隙もなかった。
 間抜けな顔を晒させて何が楽しいのか、一成は喉の奥を震わせて笑っている。遠慮の欠片もなかった。

「バカヤ」
「ふぁっ……ふぁふぁあっへ」
「一つ言っておくけど。答えを言ったら困るのは俺じゃない。聞いたお前だ」

 手が背中から腰へ這い下りる。声音に艶が滲んで、長い指はまるで犬猫にするように喉を擽り。

「それでも良いなら五秒以内に申告しろ。五、四、三、二」

 一、が聞こえる前にぽんと顔を掴む手が離された。

「聞く!」
「じゃあ言おう」

 真っ直ぐに向けられる眼差しには、優しい光とじわりと夏夜を炙る闇が見え隠れしていた。
 このままでは焼き尽くされる。分かっていたが夏夜は動かなかった。
 否、動けなかった。



 通された和室は仁科のお屋敷と違う匂いがした。
 道案内をしてくれたお姉さんは左目が眼帯で覆われていておどろおどろしく、夏夜は後ろにいる人の首へ縋りついて腕を回した。

 知らない土地に連れて来られて、頼れるのはこの人しかいない。まさか自分は売り飛ばされてしまうんじゃないか。
 子牛のように、このお姉さんの元へ。そんなの嫌だ。
 夏夜は……でなきゃいけないのに。

 甘えてぎゅうっとしがみつけば、その人は背中をぽんぽん優しく叩いてくれた。温かい。
 胸に顔を擦りつけ、目を閉じると薄闇の中で温かみが浸透していく気がする。あの場所と同じだ。安心出来る。
 命令されるのさえ心地良い。

 見ろと言われればお姉さんだって見た。
 お姉さんは光の下でよく見ると茶色の髪がきらきらしていて、夏夜に気付くと微笑んでくれた。

 悪い人じゃないのかもしれない。
 あの人が読んでくれたおとぎ話に出てくる魔女や、お茶会で挨拶する遠縁のおばさん達の唇は毒々しい赤だったけど、お姉さんはそうじゃないし。ピンク色で綺麗だし。
 笑うと手を振ってまた笑い返してくれた。

 夏夜がようやく緊張を解いたというのに、あの人は沈み込んだ様子で俯いている。
 腹の前でシートベルトのように回り、拘束する腕を擦って注意を自分に向けた。
 ぺたりと頬を触る。

 大丈夫?

 そう訊くと頷いてくれる。
 でも顔色は蒼白で、漆黒の瞳もどこか虚ろで、お世辞にも大丈夫なようには見えなかった。

 お姉さんならどうにかしてくれるかな。
 この人を元気にしてくれるかな。
 期待を込めてもう一度お姉さんに視線をやると、お姉さんは眼帯を外して夏夜達を見ていた。

 隠された左目は金茶の色。右目と全然違う。何て言うんだっけ、そう、オッドアイの猫みたいだった。

「どうしたら良いのかなんて、愚問ですね」

 眼帯を外していた時間は一分ほどで、せっかく綺麗なのに、お姉さんはまた眼帯を目の上から当てた。
 呟いた言葉は多分あの人に向けて言ったんだろう。後ろからため息が聞こえてきた。

「簡単なことですよ」

 お姉さんは尚も続けて、今度は夏夜に向けて言った。
 わざわざ立ち上がってこっちに近寄って、正座して。夏夜の手を包み込みながら言ってくれたんだから間違いない。


 ――全て忘れる『魔法』をかけてあげなさい。最後まで彼女の尊厳を踏みにじってね。


 ……ねえ、彼女ってだぁれ?
 あの人は困った顔をした。


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