恋響【3】 一成が夏夜のために買ってきたのは明白で、もし要らないと断っても自分で食べるとは思えない。 だが無邪気にありがとうと言って飛びつくことも出来ない。 何せはぐれた理由は意地汚くりんご飴を見ていたからなのだ。 「良いのも何もない。また迷子になられたら困るんだ」 りんごが鼻先にぶつかりそうな距離まで更に突きつけられる。 飴を被う透明な袋のすぐ下におずおずと手を伸ばし、受け取った瞬間パッと割りばしから手を離された。 まるで夏夜が触った物など、一秒たりとも触れていたくないとでも言うようで。 「……大丈夫だよ」 もう迷子になんかならないよ。 一成の顔を見ないように俯いて、無理やり声を喉の奥から絞り出す。 みるみるうちに告白する決意がしぼんでいく――めげて、しまいそうだった。 前なら夏夜を叱るとしても目をしっかり見て、分かりやすい言葉を使ってこちらが理解するまで説明してくれた。 一方的な恐怖など感じないで済んだのに。 「食べれば?」 夏夜は手元に目をやった。 宵闇の中でりんご飴と下駄の鼻緒だけが赤い。 丸い形に見覚えがある、去年の夏に一成から買ってもらったのと同じ甘くて食べやすい種類のものだろうか。 姫りんごは水飴で薄くコーティングされたことにより艶が増して見え、私を食べてと誘っているように見えた。 教えられた通り、歯を立ててりんごと一緒にかじると美味しかったっけ……。 けれども、今食べたところで前と同じようには味わえない。 少し考えた後、頭を振って答えた。 すると一成は身をひるがえして夏夜に背を向ける。 「帰るぞ」 「え?」 聞き間違えかと思った。 開始十分前、ジンクスの恋響どころかまだ花火大会が始まってもいない。 夏夜は慌ててずらしていた足の指を戻し下駄を引っかけ、先を行く一成に追いついた。 座って忘れていた痛みがズキンと主張する。 「今の俺はお前の保護者なんだよ。夏夜を守る義務も連れ帰る権利も俺にある」 「だって、花火は!?」 「また来年」 「そんなぁ……」 浴衣の袖をつかみ、うるうるの上目遣いで訴えてもすげなく却下。終いにはしつこいのが疎ましかったのか無視され夏夜を置いて歩き出してしまう。 そうなれば駄々をこねることも出来ず、一成を追いかけるしかないのが年下の性だった。 家までは約ひと駅分の距離がある。 車を呼び寄せる方法もあったが、両親の意向で一般家庭の子と同然に育てられてきた夏夜はそれを頼まずに仁科の屋敷を出てきた。 来年には中学生になるんだし、自分でちゃんと帰れるから、と。 帰る時になって、夏夜は伯母が出迎えを強く勧めた理由が分かった。 足の指が擦れて一歩進むのさえ辛い。 一成が前にいなければ今頃歩みを止めていただろう。 ずっと振り向かずに歩いていた一成が、突如振り向いたのは駅近くになってのことだ。 駅を過ぎ、十分ほど歩けば仁科の屋敷に着く。 ちょうど土手と屋敷との中間点だった。 「後でコンビニ寄るから、もう少し我慢しろ」 (……何を?) 首を傾げる夏夜に、一成はそっけなく言い放つ。 「足」 もしかしてと淡い期待を抱くが、次の瞬間にはそれを打ち消そうとした。 きっと一成の足のことか、もしくは交通手段を指しているのだろう。 けれど下駄を履き慣れた一成が鼻緒ずれをするわけがなく、『もう少し我慢しろ』とも矛盾するような――。 助けを求めるような視線を受けると、一成は溜息をついて「お前だよ」と短く誤解をとき、そのまま身を屈めて夏夜の浴衣を直そうと手を伸ばした。 一成を追いかけ走ったせいで襟元がかなり乱れていたのだ。 やりやすいように爪先立ちになり、目を閉じるとまるで昔に戻ったようだった。 今なら甘えられるかもしれない。 言えるかも、しれない。 「おんぶが良いな」 気付いた時には思いを口にしていた。 自分が何を言ったか理解してはじかれたように口を塞いだがもう遅く、一成は不自然なほどに薄く笑みを浮かべて夏夜の髪を撫でる。 一成の母に結ってもらった細い三つ編みを両耳の横で持ち上げ、するりと指を滑らせて離した。 「噂好きな近所のオバサンからバレて母親父親その他お手伝い全員に散々からかわれても良いなら、してやるけど?」 ……とくん。胸が高鳴る。 「良いよ。一成くんのこと、好……えっ?」 周りの人々のどよめきと、数秒後、全身を包み込むように聞こえてきた花火の音。 夏夜も一成もほぼ同時に空を見上げ――夜空に赤く咲く、ハートの形をした花火を見た。 角度によって歪んで見える型物花火は夏夜たちのいる場所では綺麗なハート型に見え、更に白い矢が刺さっている。 友達に見せてもらった携帯の画像と、全く同じものだった。 ただ夏夜の想像と違い、花火大会の半ばではなく最初に打ち上がる花火だっただけで。 「恋響、か」 小さく呟かれ、夏夜は一成に視線を移した。一成が博識とはいえ、まさか恋響のジンクスまで知っているとは。 「知ってるの?」 「まあな。良く出来た名前だとは思うよ」 口をつぐんだ。……ジンクスについて聞いたのに、体よくはぐらかされた気がする。 夏夜が普段から意識している五年の差を、ことさら大きく感じるのはこういう時だった。 「夏夜、行こう」 星の見えない夜空には、代わりに次から次へ花が幾つも咲いている。 恋響はもう消えていて、今は夏夜もよく知る菊を模した大きな花火が人々を楽しませていた。 差し出された手の平に、夏夜はそっと指先を重ねる。 「うん」 結局おんぶもなかったけれど、まともに告白も出来なかったけれど。 それでも、十二歳の夏夜は幸せだった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |