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伽【6】
 夏夜に一言も喋らせたくないとばかりに、一成はいつになく饒舌だった。

 例えば面白い先生の口癖とテストの勉強の仕方。
 例えばカフェテリアで一番人気のメニューと日当たりの良い席を効率よく取る方法。

 図書館の前ではある一定の条件を満たすと現れる女の子の幽霊の話を、巨大な鳥かごの形をしたガラスの温室の前を歩きながら怪談を。

 自動販売機で買ってもらったチョココロネを齧り、多岐に及ぶ話をふんふん頷きながら聞くと、「ちゃんと聞いてる?」と胡乱な眼差しを向けてくる。

 聞いてたよ――それなのに、一成は奇妙なものを見るような目つきで夏夜を見た。
 数秒遅れて理解する。首が痛くない。

 半年前よりもずっと、まっすぐに一成の顔を見て話を聞く回数が減っていたのだ。

 喉に詰まりかけたパンの欠片を胸に手を当てて飲み込む。
 一口大に千切り口に運んでいた指を唇から離し、不自然なくらいに満面の笑みで生ぬるい空気を吸い込んだ。

「何だか不思議な感じがする」

 明かりは足元を照らす屋外灯のみ。
 今歩いている庭園は周りに高い建物がなく、都会の四角く切り取られた夜空とは一線を画している。

 証拠に小等部では夏休みになると地域の人たちを招いて天体観測を催し、夏の大三角を見つける。
 ……探す順番は東の空の高いところで輝くベガ、直角三角形を描くようにアルタイル、それから少し暗いデネブ。

 ただ今日は時間が早いのか、これぞという星はない。

 たっぷり時間をとって、一成が落ち着くのを待ってから夏夜は続きを告げた。

 ――忘れて、なかったことにして。
 そうすれば今のままでいられるから。
 そう念じてまた一歩踏み出す。行先は知らなかった。

「だって小等部で、それも一年生以来だもん。こうやって同じ学校にいて一緒に歩くとか絶対無理だって思ってたのに」

 一成の表情を見るのが怖い。

 それでも話題を変えようとした張本人である自分は結果を知らなければ、そう思って油の差してない機械みたいにぎこちなく斜め上に顔を向けた。

 夏夜の考えなどお見通しなのだろう、大好きな従兄は意地悪く笑っていた。
 ここで怒るのが『半年前の夏夜』の行動だが、今の夏夜はそんな器用なことはできない。

 安心して薄く笑みを浮かべる。

「ああ。まさか俺もここでパンを奢ることになろうとは」

 半年経ってもこのひとは、夏夜をとても甘やかす。
 チョココロネについても望みを叶えてくれるところも。

 今だって夏夜がそれらしく振舞える切欠をくれた。

「ちょっ、それは一成くんが悪いんだよ! こんな時間に連れて来るから」
「お前が冬哉を盾にして逃げ回らなかったら、今頃もう家に帰れてるだろうな」

 ぐっと言葉に詰まった。

 それを言うなら、考えて止める。
 この事態を回避するために、元々を突き詰めていけば自分が他校を受験したいと言ったことが悪くなってしまう。

「そういう言い方するのズルイ」

 唇を尖らせて拗ねると、一成は口の端を吊り上げたまましゃあしゃあと言ってのけた。
 かと思えばパンを持っている方の手首を掴んで、顔の高さまで持ち上げる。ビニールの袋が小さく音を立てた。

「残念、最初っからズルイ奴だから。夏夜、一口」
「……ん」

 良いよと言う前に消えていく食べかけのチョココロネ、それも一番チョコレートが多い部分に食いつくのを見ながら、夏夜は霧がかかった頭でぼんやり考えた。

 半年前まで日常的にしていた行為が今となっては甘いものに見えて仕方ない。
 女友達とならまだしも、相手が異性であれば間違いなく恋人同士のやり取りだ。

 夏夜は相手として認められない。

 流石にこれで気兼ねなくは食べられず、一成が口をつけた部分の近くを千切って今だもぐもぐしている唇に躊躇いなく差し出した。
 無意識で、何も考えてはいなかった。

「一成くん、甘いの好きだったっけ?」

 嚥下し、雛鳥が餌を貰うごとく口を開けたのを見計らって放り込む。

 一成はしれっとした目で夏夜を見ていたが、食べ終えると「あのなぁ」と呆れたように言って。

「家元候補が餡子を食べられなくてどうする」
「そっか、嫌いだったら困るもんね。バレンタインのチョコも返品されたことなかったし」

 お菓子作りが上達すればするほど年々凝っていくチョコレートを、突っ返すどころか目の前で食べてくれた年だってある。
 過去を振り返ると同時に夏夜は内心首をかしげた。

 ……ではどこから今の問いは出てきたのだろう。
 訊いた以上、自分は心のどこかで一成は甘いものが嫌いだと認識していたことになるのに。

「今年は?」

 表情を見ていれば微かな揺れ動きで分かったかもしれない。

 しかし俯き黙々とパンを食べていた自分にはあまりに唐突で、冗談を言っているのか真剣なのか、あるいは『今年は』の後に何の言葉が省略されているのかの響きを一瞬で判断できなかった。
 聞いてから見上げたのではもう遅く、一成が望む答えを見失ってしまった。

「雪下さんから貰ったんじゃないの」

 やっとのことで答えると、すぐに、自分の答えは少なくとも一成が望んでいたものではないことに気付く。

「そうだな」

 薄闇の中で浮かんでいた感情は今度こそ正しく読み取った。
 落胆だった。

 居た堪れなくなって夏夜がふいと目を逸らしてからは話が弾まず、終始無言で庭園の遊歩道を歩いた。随分と長く時間が経ったように思えた頃、先に自分が沈黙の怖さに音を上げる。

 早く車に戻るか、あるいは数十分前までの楽しい雰囲気に戻りたい。

「これからどこ行くの? もう全部周ったよね」

 一成の答えはあっさりしたものだった。返事と、それから小さな呟き。

「次が最後。そうか、中等部には新しいのしかないんだったか。あれ」

 補足説明はなく、外灯に照らされた芝生の奥の奥を指差される。

 庭園でも外れにぽつんと立っていて、先ほど見た光景とほぼ同じものに夏夜は思わず目を擦った。
 見間違えでなければ確か図書館の隣にもあったはずだ――ほぼ同じような建築のお聖堂が。

「お聖堂だよね。さっきもなかった?」
「あっちは随分前に一度立て直した方。こっちは便宜上みんな古いお聖堂って呼んでる」

 遊歩道を古いお聖堂のある方へ曲がる。

 近付くにつれ輪郭がはっきりし、緑の蔦が張っていることや、図書館の隣にあるお聖堂よりもずっと古いことや、本当に紫苑の施設なのかと疑う荒れ果てた感が夏夜にも分かってきた。
 近くの花壇には申し訳程度に黄色い花が咲いている。

 建物の前まで来ると、カフェテリアの前を通った時のように一成は一通り知っていることを教えてくれた。
 けれどただ一つ、今までの説明と違ったことがある。

「所々悲惨なほど壊れてて今はもう使わなくなってる、俺のお気に入りの場所だよ。あそこにいると何故だかお前を思い出してさ、案内するなら外せないと思ってた」

「それって、遠まわしに夏夜の悪口言ってる……?」

 いいや、と頭を振ってチョコレート色の扉をそっと撫でた。

「ただ単純に、連れて来たかっただけだ」


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あきゅろす。
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