伽【4】 半年振りに会った従兄は少し髪を切ったのだろうか、顎もシャープになって前よりも男のひとらしい精悍さを増しているように思える。 惜しむらくは普段屋敷にいる時のように和服を着ていてくれなかったことだ。 よく似合うのに何でスーツなんだろう。 半強制的に体ごと振り向かされた夏夜は一通り喜んだり悲しんだり悔しがったりすると、まだ制服の後ろを掴んでいる一成の手をそれとなく外して尋ねてみた。 何とか理由をつけて逃げられれば一番のこと、ダメならばせめてご乱心である一成を立腹させないように。 「冬哉くんと話すって意味じゃなかったの?」 「いや、お前だ」 「それって今じゃなきゃダメなこと……?」 指名されるとそれが何であろうとも反射的に胸が高鳴るのは止めて欲しい。 頬に集中した熱を隠すべく俯き、夜の暗さに見えないのを願ってぽつぽつと言葉を紡ぐと、一成は「行くぞ」と言って急に手を握り強く引っ張った。 夏夜の様子などおかまいなしに歩く一成にペースを合わせれば小走り状態でついて行くのがやっと。 脇で談笑している大人達は止める気も皆無らしく、まるで成長した孫を見るような目で見られた。 「ちょっ、待ってどこに?」 「とりあえず、離れ。鞄はあっちにあるんだろ? 制服なら着替えなくて構わないか」 「う、うん」 そういえばこの構図は小六の夏に花火大会へ行った時とまるっきり同じである。 まるっきり変わっていない関係に肩を落としかけると、離れに続く赤い反り橋を渡ったところで一成が歩くスピードを緩めた。 そして斜め後ろにいる夏夜を一切見ず、前を見据えたままに言う。 「元気そうで良かった」 (……やっぱり違う、同じなわけない) 二年以上の時を経た自分達は、あの頃とは随分と遠いところに来てしまった。 だって一成にはカノジョがいて今預けてもらっている手も本当は夏夜のものではなくて、次にいつ会えるかも分からないのが『普通』なのだ。 世間一般の従兄妹としての。 「一成くんも、元気そうで良かったよ」 この挨拶にも慣れなきゃな、と大好きなひとの横顔を見ながら思った。 離れに戻って鞄を取り、お屋敷前の門に行くと夏夜は無言で頭を抑えた。 今日はとことん拉致されて車に乗せられる運命なのかもしれない。 ただ運転手がお手伝いさんの彼女から本職の運転手さんに代わって、更にシルバーのセダンから黒くて縦に長い車になっただけ。 それと同乗者が一人増えた。 「別の高校を受験したいんだって? お前の担任がわざわざ大学まで来て、家庭か俺に問題があったんじゃないかって訊いてきたぞ。とりあえずノーコメントで通しておいたが職員室でどんな話をされてるか」 仕切りが最後まで上がり、運転席と完全に遮断される。車がゆっくりと走り出す。 待ち構えていたように早口で話し始めた一成に視線を送ると夏夜は苦く笑った。 当たっているからもう笑うしかないが、夏夜が夏夜なら周りも周りである。 両親を呼び出すのが通例であろうに、まず先に一成に聞きに行くとは。 「まずね、先生が思う一般家庭なら、夏夜んとこは最初から破綻してない?」 両親はいつまでもラブラブ新婚状態、自分を育てたのは誰かと聞かれれば一成と答える自信はあった。 「俺もそう思う。問題は何でお前が今更そう言い出したかだ」 「あと一年以上もあるのに?」 先日の昼休みにメグヘ言ったことと矛盾してる、とっさに思ったけれども一度言った手前引き返せなくてそのまま突き進む。 しかし一成は簡単に騙されてくれなかった。 「一年後に言ったんじゃ間に合わない。もし本気で別のとこに行きたいと思ったんなら、根回しの為に俺でもそうする」 「そうなの?」 「嘘つくな。どうせお前もそう考えたんだろ」 日本人らしく曖昧に首をかしげて微笑んだ。 否定をしないのは肯定と同じ、そう解釈したのか腕と長い足を組んでむすっとした不機嫌そのものの表情になる。 一成にとっては従妹の進路なんてどうだって良いだろうに、担任によほどしつこく言われたようだった。 だからって自分に八つ当たりされても困る、なぞ全く考えない夏夜は素直に心苦しく思う。 迷惑をかけるつもりはなかったのだ。 「今言い出して、本気が透けて見えたから皆焦ってんだよ」 「あーそっか……」 要するに考えがど真ん中を突いていて、それ故に思ったよりも波紋を広げていたらしい。 口ごもり、どう続けようか視線を彷徨わせた。 (……あれ?) 窓の外を流れる風景が違う。 たまに家へ送ってもらう時に使う道ではなく、どちらかと言えば今日、屋敷に連れて来られた時の道をそっくりなぞっているような。 夏夜は窓にへばりついた。 「ねえねえ、行く方向逆じゃない? 家に送ってくれるんじゃないの?」 「ンなわけあるか。一応言うけど俺は夏夜を何が何でも説得しろって命令されてる、親父や慧さんや担任を通じた学校サイドにな。 誰が言うよりも俺に任せた方が効果があると思われてるらしい。それから行くのは紫苑学園高等部、お前が嫌がってる俺の母校」 一気にもたらされた情報で頭が混乱しそうだ。 ええと、一成が命令されて仕方なく行動しているのは理解出来る。 一成の説得に効果があるのは誰よりも夏夜が知っているけれど、なぜ学園の高等部? しかもその言い方では、嫌がってるがどちらにかかるのか分からない。 「……嫌がってるのは一成くんじゃないよ」 窓から手を離して少し距離を取れば、透明なガラスに薄く一成の姿が映っている。 ぼんやりとした影が小さく頷いた。 「知ってる。で、他に何か聞きたいことは」 「どうして夏夜が他の学校に行くのを阻止したいの?」 メグが引き止めたいと思うのは、傲慢かもしれないが分かる。そこには友情があるのだ。 でも夏夜は一成が結婚して子供をなせば当主の相続権が遠くなる立場なのだから、どの高校に行ったって知ったこっちゃない、それが皆の考えだと思っていた。 「学校サイドは知らないが、おそらくイメージダウンに繋がるからだの六条系列の娘は入れておきたいだのそういう理由」 系列と言っても分家で傍系で、更に「面倒だから要らない」の一言で相続権を拒否した失礼極まりない男の娘である。 夏夜は口をあんぐりと開けたが、気を取り直して質問を重ねた。 「伯父さまは?」 「親父は紫苑に良い思い出があったクチ。後はイジメ防止かな、あそこは同じような境遇の奴らが集まってるから金持ちでも浮かないで済む」 ハッとしたように振り向き、だらしなく開けていた口を閉じていく。 同じような境遇――それは自分も考えた。 だからこそぬるま湯に浸かっているような気がして、いつか自分が戻るべき『現実世界』に馴染めなくなりそうな気がした。 理由の一つとして、学園に愛着があるだけじゃダメだと考えた。 それを伯父は別の角度から見ていた。 「今、やっぱ紫苑の方が良いかなーなんて思った?」 揶揄するように聞いてくる一成に、夏夜は静かに頭を振る。 「……そんなこと、ない。決めたんだもん」 「そうか」 一成はそれからずっと、疲れたように伏せた夏夜の頭を撫でてくれていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |