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ナイチンゲール【2】
 帰る訳にはいかない。
 何ものにも捕われない自由の鳥でいるために。
 飛び続けることは辛い。
 安心できる唯一の場所は籠の中だったから。



「うっ……今回も素晴らしいです先生。最後のどんでん返しといい、細やかな文章といい」

 ショートカットの小柄な女性がぐすぐすとティッシュ片手に鼻を啜っている。

 ……別に構わないんだけど、駅前でよく配られるポケットティッシュがもう三つ目をこしていたことが微妙に笑えるんだよね。

 いや、失礼なのは分かってるのよ。
 それでもさ、堪えきれないってのはあるわけで。

 差し出された原稿を受け取りながら、泣いても大丈夫なよう『化粧しているのかどうかすらも分からないナチュラルメイク』にしているのだ、と最初にナイチンゲールを見せた時、本人が言っていたことを思い出す。

 私はくすりと小さく笑って、ソファーの上から上目遣いに二人を見上げた。

 今は『ぺルセ』という作品の続編を、ちょうど担当さんに読み直しして貰っていた所だ。

 家族愛と恋愛と神話がごっちゃになった異世界ファンタジー。
 闇鍋のような作品だけど、中々どうして人気らしい。

 半年前に何を書こうかさんざん迷って、結局前のような純愛物じゃなくなった。

 書けなかった。
 理由は私の心の問題、なんていうとかっこ良く聞こえるかもしれない。

 処女作、ナイチンゲールの続編リクエストも沢山届いてた、と担当さんが言っていたけれど、あれはほぼ自伝に近い。

 現実の二人が結ばれていない、結ばれる予定もない以上物語のハッピーエンドなんてどうやっても書けなかった。

 今更だけど、小説家失格だなと自分でも思う。
 寧ろこんな自分を小説家にしておいていいのか編集長。

「誤字脱字のチェックもしておきました。次も宜しくお願いします」
「うん、ありがと。今回もお疲れさま」

 まるで対になっているように、ロングヘアを頭の上で一つに纏めた、モデル体型の女性が頭を下げる。
 未だ涙が止まらない彼女に、顎に手を当てて苦笑じみた表情を向けた。

 二人とも、デビュー当時からお世話になっている大切な担当さまだ。
 しっかり者の後輩と涙もろくおっちょこちょいな先輩の組み合わせ。

 今のところ、仮面作家、椿の正体を知っているのはこの二人と出版社の編集長だけとなっている。

 プロフィールを晒したら直ぐに止めて他の出版社に寝返ってやる、と初対面の頃に思いっきりわがまま、というよりもはや脅迫めいた言葉を口にしたのが功をそうしたようだ。

 笑顔だったから更に怖かったらしい、失礼な。

「そういえば、先生。これ、一通だけ香坂奈々の名前で書かれてあったんですけど」

 泣いている相方を見限ったのかどうかは知らないが、シニヨンの担当様は小さくため息をつくと黒い鞄から封筒を取り出した。

 私は頭の上にハテナマークを浮かべながら黄緑の封筒を手に取り、躊躇なく引っくり返した。

 さぁて、何が出て来るかな?

 パンドラのように希望でも、もしくはどっかのドラマのように剃刀でも面白い。

 どっちにしたってバッチコイ、何だって小説のネタにしてみせる――とまでは、さすがに思ってなかったけど。それに近いものはあった。
 
 かさりと音を立て、一枚の絵葉書が落ちてくる。

「奈々っていうの、先生の初期ペンネームでしたよね。デビューする前の。何で知ってるのかなぁって思って、一応持ってきました」

 話半分にロングヘアの彼女の話を聞きながら、視線は手元の、飾り気の全くない絵葉書に集中していた。
 灰色のナイチンゲールの写真がプリントされている。

 差出人は見るまでもない。


 ――バレた。


 葉書のメッセージ欄を見ると、ただ一言だけ書いてあった。
 『もう一度歌って欲しい』と、ただそれだけ。

「先生、もしかして歌手目指したりとかしてたんですか? あ、私先生の歌一度も聞いたことないですよ!」

 いつのまにか泣くのを止めた小柄な彼女が、赤い目を擦りながら不満の声を上げた。

 気付かない間に、後ろから覗き込んでいたらしい。
 慌てて葉書を後ろ手に隠す。

「ううん、違う。……ごめんね、二人。今日はありがとう、もう帰って良いよ」

 大きく頭を横に振った。
 こんなワガママには慣れたのか諦めているのか、もしくは、事情の一欠けらでも理解してくれたのか。

 それは分からないけど、彼女達は分かりました、と微笑みながら頷いて手際よくテーブルの上の荷物を纏めていく。



 音のしなくなった部屋に、脱力しながら座り込む。

 自分の知らないところで、ナイチンゲールの新しい章が始まっている。 
 そんな気がして、仕方なかった。



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あきゅろす。
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