[携帯モード] [URL送信]
六条遼が犯した罪
 あそこでマイクを取るのは、ホントは私だった。
 まさか、悔しがってるんじゃない。
 そんなの私のプライドが許さない。

 リコールの司会進行をするのはその年に不信任の届けを出した者の中から選ばれるのが筋で、私――安沢瞳以外がそれをしたことだって何度もある。
 なのに、お二人がピンチに陥っている状況なのに自分勝手にも妙にしんみりしてしまうのは。……もう二度と、あの場所に立つことはないからよね。

 総会の会場となる広間は既に暗くなっていて、明かりといえば出入り口の非常灯や壁際の照明、後は友美を浮かび上がらせるスポットライト。
 今年のリコールは遼さまお一人だけの様子。
 発表した当初はうるさかったくらいのざわめきが今はひそひそ程度に静まって、皆の視線はリコールとなった理由を述べる友美と遼さまに二分されていた。

 そんな中、私は壁の花に納まっている。
 今中心に出て行くと何かと目立……兄がダメなら次は弟とでも思っているのか、取り入ろうとする人垣の奥に六条旭が見えた。
 奴は誰かを探すようにきょろきょろ周りを見渡していて、最悪だわ、目が合った。

 人を掻き分け迷わずこっちにやって来る。
 手を伸ばせば届く位置で止まると、始まる会話の主導権をまずは私が握った。

「この状況でよりによってあなたがこっちに来るなんて、空気が読めないか空気を読まないか私に嫌がらせしたいかのどれかよね。私は目立ちたくなかったのに」
「あのさ安沢」
「ねえ」

 困惑しきった目で何を訊かれるのか知らないけど、そのどれにも答える気なんてない。私は顔ごと背けて友美の方を見た。
 十二月の終わりに予想していた光景とは随分違っている。司会は親戚の友美で、遼さまに対して不信任届けを出したのは数人いて、すれ違うばかりのお二人をくっつけるための私と奴が企んだ騙し打ちじゃなく、更にはリコール理由が多い。

 友美が詳しく説明してくれるそれらに、一つ聞き捨てならないものがあった。

「……遼さまが、晴乃さまに離婚出来る方法を教えなかったって本当?」

 奴はあっさりと頷きはしなかった。返答を避けるように沈黙を続け、それから、私の横に肩を並べて同じ方向を見た。
 詳細は友美が話していて嫌でも耳に入ってくる。でも聞きたいのは本当かそうじゃないのかの二択なのよ。だってもし本当だったら――。

「そうだよ。遼に限ってタイミングを逃したはないだろうから、おそらくは故意に」

 奴が言ったその時、数秒だけ友美は息継ぎのために言葉を切った。
 実際には招待客たちのお喋りがうるさかったんだろうけど、私には大広間がしんと静まり返ったように感じた。だから聞き間違えだなんてありえない。
 確かに今、奴はイエスと言った。

「何で!」 

 それがバレたら総会で咎められるのは必須なのに。
 ううん総会でだけじゃない、あの一途で健気な晴乃さまだって遼さまに愛想尽かして出て行っちゃうわよっ。
 みっともなく声を荒げた私の熱は、両手で耳を塞ぐ奴が水をかけて冷ましてくれた。

「そんなの俺が聞きてぇくらいだし」
「……そうよね。ごめんなさい」

 考えなしで当たってもしょうがないのに、何やってんだ自分。

 俯きながらため息を一回、それからパンッと両頬を軽く叩いて気を持ち直して、奴だけに聞こえる程度に声をひそめる。
 単なる野次馬根性じゃないことは真剣な表情で分かってもらえたようだった。

「晴乃さまは、本当に何も知らなかったの?」

 六条本家の人間の、『一生に一度の願い』は確かに他人……この場合は晴乃さま、の人生さえ左右させてしまうけど、丸っきり人権が認められない訳じゃない。
 強固な意思さえあれば願いを拒否し続けることだって出来る。
 ただ本家の人間が社会的に強い権力を持つのは避けようがなく、求められた側を無理強いさせた過去もあった。

 だから成立する、一方的に突きつけることが出来る離婚の方法。法が許さなくても六条家が許し取り計らってくれる、晴乃さまにとっての縁切り寺。
 特例を除き、配偶者の同伴なしで実家に戻ること――遼さまはそれを教えなければならなかった。

 質問の答えを知っているのか、奴は不機嫌そうに目を細めた。

「かろーじて鍵の位置。でもそれって遼のデスクの引き出しの中。つまりは遼のテリトリー」
「……引き出しに鍵は」

 かかっていたら最悪だ。晴乃さまの権利を奪う意図があったと見なされて、何を言われても弁解出来ない。

「かかってない。それだけが救いだね」
「救いならまだあるわ」
「例えば?」

 初めに関わった時はそんなつもりなかったのに、今はつい、お二人を擁護するために熱が入ってしまう。
 握った手の平が薄っすらと汗ばんでいた。
 ゆっくりと開いて、また握って。自分に言い聞かせるのは安心させるための言葉。

 大丈夫、まだ守れる。真実を見抜く瞳は節穴なんかじゃない。
 後悔して泣く破目になるのは、もう十分だわ……!

「ここ最近の振る舞いがあるとはいえ、あの方が優秀かつ努力家な素晴らしい人物だとこれまでの実績が証明してる。だから、全部を聞いた晴乃さまがそれでも遼さまを選べば」

 何だかんだで両思いなんだもの、理解と許しさえあれば望みは繋がる。
 けれど奴は目を輝かせるでもなく、安堵して息を吐くでもなく、「どーだか」と冷めたように呟いて肩を竦めた。さっきから、というか会った時からこんな虫の居所が悪い態度だった。
 真剣にお二人の行く先を考えているだけとは思えない。何が奴をイラつかせているのか、私にはさっぱりだ。

「決定打に欠けるね」

 ほら言った。

「あのねぇ、旭さまはお二人を別れさせたいの? 決定打ならあるわよ」
「だから何なんだそれ」

 に、と口の端を吊り上げる。遼さまはフロア中央から少し外れた所のソファに座り俯いていて、その傍らに晴乃さまの姿は見えない。
 そういえば今日、一度もお会いしていない。とうに総会は始まっているのに?

「私」

 気もそぞろのまま言ってしまったけど、正しく伝わっていただろうか。
 失礼致します、お義父さま――。スピーカーから流れてきた晴乃さまの声に掻き消されて、聞こえなかったかもしれない。

 冷静でいられた人三分の一、何かしらの声を発して私が聞き取るのを邪魔してくれやがった人三分の二、ってところ。
 続けて六条家当主の挨拶も聞こえ、わざとなのかそうでないのか、分かりやすく『晴乃さん』と名前を呼んだから実は聞き間違いなんて幻想も崩れる。
 同時にマイクを離した友美が一礼して壇上から下がり、困惑は更に広まって会場を埋め尽くしていく。
 うるさくて聞き取り難いったらない。

「は、晴乃ッ? 何やってんだよあいつ」
「騒がないで。せめて旭さまだけでも落ち着いて」

 例に漏れず、声に出してしまった奴をぴしゃりと注意して、旭さま目当ての人垣を掻き分けスピーカーの前まで移動。

 その間も二人の会話を一言一句漏らさないようにする。
 ――とにかく状況を確認しないと。
 何でこの録音を流しているのか、推測するヒントは一つでも多い方が良いもの。

 会話の運び方は把握できた。
 当主が晴乃さまと友美をねぎらい、友美が退出し、晴乃さまはソファに座る。
 重みを持った茶器を持ち上げ、静かに、そして優雅に紅茶をティーカップに注ぐ。小さな音までよく聞こえてきた。

「友美がいる。今この時より前に録音されてるのね。……あ、それに紅茶を淹れているのは当主さまだわ。じゃあ場所は六条邸だわ、もし会社なら秘書が黙っているはずない」

 六条のトップにお茶組みなんてさせられない。他に誰かいれば即座に茶器を奪い取っていただろう。
 とするとおそらく登場人物はお二人だけだ。
 録音されたのはいつだろう。晴乃さまが外出した日にちを、もし知っているとしたら遼さまだろうか――。

「……晴乃がいないのは必然だったってことか」

 スピーカーを見上げ、小さく呟いた言葉にはっとする。会場を見渡してもやっぱり、晴乃さまはいない。

 その間も耳はスピーカーの声を聞き取り、当主は随分と晴乃さまの訪問に対して渋っているようだった。
 本当は来ないで欲しかった、だって。
 ……会話の先行きが不安というか、嫌な予感。

「晴乃さま、六条邸には来ていたのよね。最後に見たのは?」

 自ら姿を消したんじゃないか。あえて口には出してないけど、奴も同じことを考えているはずだ。
 真剣な横顔は眼差しの鋭さを増して、兄のためにチャラけた男を装っている奴の有能さを露わにさせていく。

「開始一時間前、遼と一緒に控え室で。……一時間か。車か、電車か。移動してたら捉まえられねぇかも」
「移動していない可能性だってあるわ」

 意表をついてまだここに留まっているとか。

「そうかな」

 きっとその後に省略されていたのは『そりゃ違うだろ』だ。

 奴の予想を裏付けるように、またその場にいない人――つまり私達のことだ、が聞いても分かる説明含みで、当主が晴乃さまとの取引条件を述べた。
 はっきりと。広間の喧騒に勝つべくそこだけ音量が上がったんじゃないかとも思えた。
 リコールを却下させる代償として、妻の座を降りる。

 私の嫌な予感が当たった瞬間、でもあった。

「妻の座を降りる覚悟をした晴乃が、いつまでも遼の近くにいるかな。俺さ、いざって時、一番行動が読めなくなるの晴乃だと思うんだよね――ッ!」

 誰かがごくりと息を呑む。

「何?」

 奴じゃなく、私に視線が集中していることに知らん顔して微笑みかけ、さりげなく距離を……ちッ。手首を捕られたか。

 円を描くように私達の半径数メートルには人がいなくなっていた。見世物になっているのは嫌でも分かったので、無駄な抵抗はせずに腕から先の力を抜く。
 一気に重くなったのが分かったようだ、繋がれた手を見る目が細められた。

「一緒に来いよ」
「……晴乃さまを探しに行く、ってことよね。何で? 単独行動の方が効率良いじゃない」

 もぞもぞして居心地悪くて仕方なくて、出来れば華麗にスルーっていうか右から左にすり抜けるの希望っていうか、つまりは詳しく突っ込んで欲しくなかった話題だった。

 時間のかかった返答が苦し紛れに違いなくても、あわよくば上手く話がすり替わってくれないかなーなんて期待。しかし効果はからきしなかった。

「明日も確実に会社に来るか?」

 まるで今この手を離したら、私が消えるとでも思っていそうな口ぶりで。
 まるで恋人に縋る……これはないか。

「馬鹿ね、引継ぎくらいするわよ」

 思わせぶりにため息を吐きながら言った時の、奴のカチンコチンに固まった顔ったらないわ!
 何たってこの顔を見られたんだもの。実家を捨てたのも悪くなかったかもしれない。

 噴出しかけるのを抑えて深呼吸を一つ。

 ――誰がどう庇ってくれようとも、こんな展開になる発端を作ってしまったのは私だ。
 だからこれは私が犯した罪に対しての、私が決めた罰。お二人を救いたいなんてお綺麗な理由だけじゃない。

「そりゃあ安沢を捨てた今、旭さまの判定者やる理由はどこにもない。従って遼さまの秘書を続ける理由もない。私個人の伝手は広いし、就職先は探さなくても降ってくるし」

 氷漬けから溶け出した表情が今度は険しくなっているの、奴は気付いているのかしら。

「だから確信しているの」

 色々考えて、そして思った。果たして償いは安沢の名を捨てただけで終わるのだろうか。
 私はこれだけのことをしたんだからもう良いでしょうと言って、後のことは見ない振りして姿を消して。
 私は自己満足に浸れるかもしれない。でも残された人は何を思うの。

 奴の手を抓って小さな痛みで意識を向けさせた。挑戦的な目つきで見上げ、ルージュを引いた唇でにんまり笑う。
 ――きっと私は、この優しくて、少し不器用な方々の傍に居続ける。

「他の誰より旭さま、貴方が一番良いお給料と待遇を提示してくれるだろう、ってね。そうでしょう?」
「……ああ、そうだよ」

 疲れたように同意した口調から推し量るに、一様に安堵とは言い切れないごちゃごちゃ混ざった複雑な心境ってところだろうか。
 口に出してないだけで内心、何言ってんだこのワガママ女、とでも思っているのかもしれない。
 それならそれで、ワガママついでにこれも。

「私は行かない。お二人のために動ける人間は限られているわ、固まって動くべきじゃない。それに、やりたいこともあるし」

 やりたいこと、というのは遼さまのいる方向を見るだけで伝わったようだ。
 奴は「そっか」と頷いてゆっくり手を離し、おそらくは晴乃さまを探しに出て行くのだろう、踵を返す直前に言った。

「やりたい放題だな、お前」
「自分の信念に忠実にいられるのって、かなり幸せよ」

 振り返らずに歩いていく。
 罰を受けなければならない、もう一人の方へと。



 遼さまは、一人で革張りのソファに座っていた。
 テーブルにひじをついて、その片手で米神を押さえて、外界を拒絶するように固く目を瞑っていた。

「ごきげんよう、遼さま」

 録音の再生が終わった時、会場は遼さま援護の雰囲気に傾いていた。

 妻の意思を無視していた傲慢男のイメージが一転、失うことを恐れるあまり気持ちを伝えることに臆病になった男へ。
 己を犠牲にして旦那を立てた晴乃さまへの賞賛だけでなく、ちらほらと遼さまへの同情や共感の声も聞こえてきた。
 六条一門の男は皆へタレか。

 分家、本家の当主達は採決のため移動された。
 例年だとここでお開きって感じになって、リコールされなかった人や飽きてしまった子供や興味のない人はここで帰る。
 今年はというと、出て行く方は格段に少なかった。
 私が見たのでも旭さまくらいだ。皆、どんな判断が下されるか気になるんだろう。

 遼さまの周りはそこだけ世界が切り取られているか、あるいは結界が張られているようだった。

 見知らぬ小父さま方が、ずかずか近寄って向かいのソファに座る私をぎょっとした様子で見ている。
 ふふん、自由に動けるのは守る立場がない奴の特権だわ。
 その遼さまは声をかけると目を開け、微笑を浮かべて迎えてくれた。それが何の理由によるどんな微笑かは、曖昧でよく分からないけど。

「うん、ごきげんよう」
「旭さまが晴乃さまを探しに行きました」
「……そう。情けないね、自分では何をすることも許されないなんて」

 自嘲交じりの言葉で、私は遼さまが六条を見捨てる気はないのだと知る。

 実際、以前にはいた。次期当主の名も、家も何もかも捨てて愛する女性と生きていこうとした人が。
 遼さまはそうしようとしない。私はそれにがっかりして、それより多く安堵した。
 旭さまは補佐にはなれても、自分がトップになることは出来ない性質だもの。

「遼さまが次期当主でなければ晴乃さまと出会うことも、結婚なさることもなかったはずです」
「正論だね」

 テーブルのおかげで死角になった手で携帯の短縮ボタンを押す。――録音が、始まった。

「本当のことを、お聞かせ下さいますか」

 私の行動に気付いてはいないみたいで、遼さまは私の顔から視線を逸らさずにゆるりと首を傾げた。

「どこから?」
「最初からお願いします」
「……構わないよ。僕がずるい男だってのはもうバレてしまったからね」

 聞きたかったのは、そして話し合っているだろう当主達に伝えたいのは、リコールに対して一切反論せず沈黙を貫いた遼さまの心情だ。

 晴乃さまへの気持ち、鍵の意味を教えなかった理由。そして、これからどうするつもりか。
 この録音を聞いたとしても決定は変わらないかもしれない。安沢を辞す私の持ち込みだし、笑って一蹴されてしまう可能性だってある。

 でも私は当主達の心が揺さぶられる方に賭けたかった、ううん、賭けるの。

「式を挙げるくらいまではまだ晴乃は可愛い妹分だった。身元と金銭感覚と信用性、僕の提示した条件を一番満たしていたし。恋愛感情を持つようになったのは結婚後、一緒に暮らしていくうちだ。傍にいる時間が長くなって、これはもう駄目だと思ったんだ。事実、自覚してからは落ちていくしかなかった。どろどろに甘やかしてた」

 晴乃は気付いてなかったみたいだね、と遼さまは続けた。
 ……それは遼さまが最初にそんなこと言ったからでしょ。

 傍から見ていれば呆れてしまうラブラブ夫婦でも、晴乃さまの目から見ればはっきりしない、微妙な関係だったんだろう。
 きっと、態度だけでは愛されているのか分からなかった。言葉が欲しかったんじゃないかな。
 それが何らかの切欠で、言葉を待っている状態から一気に諦めの姿勢になった。

 考えられる理由としてはあの、紅薔薇を思わせる外見だった女性。御堂あおい。他にはあるんだろうか。
 そこで思考を打ち切って、今度は質問を変えてみた。携帯で録音出来るのには時間に限りがあるんだし、サクサクいかないと。

「鍵の意味を教えなかったのは? 晴乃さまが手に取りにくい所に置いたのは、わざとですか」
「あの家で最も警備が厳重なのは執務室を兼ねた書斎だよ。鍵を安全な場所に置きたかったのがまず一つ。それから、これは最近気付いたことだけど、場所を決めた時には晴乃を手放すつもりはなくなっていたのかもしれない」
「自分でも意識なさってないうちに?」
「そんなところかな」

 そこで分かった。遼さまは無意識から入る人だ。
 そういえばなれ初めだって、お見合い写真を横から覗いた旭さまに「遼が選らばねーなら俺が晴乃と」って言われて衝動的にお見合いを決めたんだった。

 私達の周りだけしんと静まって、こっそり聞き耳を立てられているのに気付いていた。

「鍵の意味を教えなかったのは、初めは単に言いそびれていたんだ。婚約時代にさんざん花嫁修業をしていたとはいえ、晴乃は慣れない環境に戸惑っていたようだから、話して困らせるのもどうかと思った」

 新婚ほやほやの奥さんに、権力を振りかざして妻を縛り付けてしまった当主がいたとか最悪な例を言って、どうしても離婚したい時は、と言うのは私が男だったとしても躊躇う。

 変に意識されるのも困るだろうし、晴乃さまの笑顔を壊すことにもなりかねない。何より実家が気軽に帰れるところじゃなくなるもの。
 恋愛結婚だったならまだしも、お見合いで再会して結婚した。その頃はまだ手探り状態だったはず。

「その後は晴乃が離れていくのを想像しただけで怖くなって、ついに言えなくなってしまった」

 ――そして、すれ違う二人。不器用すぎる二人。

「今、この席を立って自ら探しに行くのが正しいんだろう。でも釘をさされたからね、晴乃が望むならそうするべきだ」

 晴乃さまが望んだのは、遼さまが引き続き優秀な次期当主であること。

 そして遼さまと離れて自分自身が大人として成長し、精神的に対等になることだ。
 ここで遼さまが無理やり晴乃さまを探しに行き、連れ戻したら話がおじゃんになってしまう。
 願いを叶えられない。そう遼さまは言っている。でも、でも。それじゃあ、あまりにこの人が。

 瞳さん、と呼ばれた。はいと返事した。
 顔を上げてみれば遼さまは穏やかに微笑んでいて、少し離れてしまえばとてもリコールの結果を待つ人にも、たった一つの自由に逃げられた人にも見えない。
 私だけだ。その唇がほんの僅かに、震えていると知っているのは。

「もしリコールが棄却されたら、僕は立派な当主になる。努力し続ける」
「はい」
「企業の力を高め、発展させ、六条の当主達がこれまでしてきたようにその名の地位を守るよ」

 そこまで言うと、くしゃりと泣き笑いの形に顔が歪んだ。

「……いつか、それが皆に認められたら。今度は僕の願いを叶えても良いかな」

 ……ええ、きっと。



目次

[*前へ][次へ#]

20/21ページ


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!