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繋いだこの手を
 電話が鳴ったのに気付いて、キッチンから出てきた私は電話を取りました。お屋敷の所々に電話は設置されており、勿論二階にもあります。

 水仕事をしていた私がわざわざ出ることもないのですが、それは下っ端だからこそ。メイド長始め先輩の方々にお願いするのも気が引けます。

 いつもなら快く出て下さる奥さまもお友達とお出かけのようですし、不肖私がお役目を頂くことになったのです。

 最近の電話はハイテクなもので、少し表示を見れば誰からかかってきているのか分かります。内心、奥さまからの電話かと思っていたのですが、違いました。
 非通知、見慣れない携帯の番号だけが無機質に並んでいます。

「……はい」

 もしやどこぞの会社の重役からの電話でしょうか。
 私は運良く今までそのような電話を取ったことがなかったので、ついに、と身構えました。粗相をするわけにはいきません。

『遼だけど、晴乃は帰ってる?』
 旦那さま。違う意味で身が引き締まります。
「いえ、まだです。何かご連絡でもお有りでしょうか」
『たいしたことじゃないんだ。じゃあ、晴乃に会ったら今日は帰れそうだと伝えて』

 たいしたこと、とはそれなのでしょうか。一瞬不思議に思いましたけれども、単なるメイドに過ぎない私が口を挟むことは出来ません。

 受話器を軽く離して、近くにあったメモに書き写しました。このままボードに貼っておけば、万が一私が忘れてもお伝えすることが出来るのです。

「分かりました。あの」
『何?』
「番号が、いつものと違うのですけれど……?」

 旦那さまの携帯も登録済み、その携帯からであればきちんと六条遼と表示されるはずです。そう尋ねると、電話越しの旦那さまはくすっと笑って答えて下さいました。

『プライベート用の携帯は家に置いて来ちゃったんだ。こっちは仕事用だから、一応新しく登録しておいて』
 なるほど、仕事用。
「はい、分かりました」
『それじゃ』

 カチャリと音がして、通話が切れました。ふと視線を窓に向けると、外は雨が降り始めていて。そういえば今日から三日間、雨が続くと天気予報で言っていた気がします。

 ――奥さまは傘をお持ちになられたのでしょうか。そうだ、夕飯のこともお聞きしないといけません。ですが携帯に電話をかけても、奥さまは出て下さいませんでした。

「――奥さま?」

 いえ、もっと言えば。電波の届かない場所にいらっしゃるか、電源を切られているらしいのです。おそらく、地下鉄にでも乗ってらっしゃるのでしょう。

 そう思った私は、再び仕事に戻りました。





 外は、今日も朝からずっと雨。激しくはないけれどしとしとと降り続いて、ベランダの網戸からは冷気が流れ込んでくる。私が早苗のマンションに逃げ込んでから、もう三日が経っていた。

 夕食を食べ終わって、一人分の洗い物を片付けていたら八時をとうに過ぎていて。リビングで荷物をまとめていると、さっきまで必死にキーボードを打っていた早苗がこっちを見ていた。
 夕飯だよって声をかけたら「明日までなんだから邪魔しないで!」と返されて、何だか申し訳なく思ったくらいなのに。もう、仕事は大丈夫なのかな。

「もう行くの?」

 早苗の分の夕食はラップにかけて、まだテーブルの上に置いてある。チキンサラダにじゃがいもの冷製スープ、お肉は焼くだけの状態にまで準備OK。早苗は面倒そうにサラダのラップを剥がすと、上に乗っていたチキンだけを摘んで訊いてきた。

 一昨日に切ってから、怖くてまだ携帯を開いてすらもいない。電源を入れた瞬間、何通もメールが入っていたらどうしようって思うし、逆に一つも連絡がないのも怖い。わがままなのは十分よく知っていて、期待と不安がごちゃまぜの感情を自分でも持て余してた。
 でも、きっとこれ以上は逃げられない。

「……あんまりいると、帰れなくなりそうな気がして」
「そっか、残念だなあ。料理する必要なくて楽だったのに。晴乃みたいなお嫁さんが欲しいなぁと思ってたのに」

 本気か冗談か分からない口調でぼやく。チキンの欠片をもう一つ追加した早苗は、口をもぐもぐと動かしながら電話に近付く。薄っすらとほこりを被ったそれを退かし、裏側を覗いて。もしかして……そこになにか、ある?

「――でもね、真面目な話、晴乃は自分がどれだけ大切にされてるのか知った方が良いよ」

 目に入ったのは、抜かれていた電話線だった。
「電話?」

 唖然としている私をよそに、早苗が電話線を繋いだとたんタイミング良く電話が鳴る。顎でしゃくるのは『代わりに晴乃が出て』って合図なんだろう。確かに早苗は電話に出られる状態じゃないけど、良いのかな。

 躊躇いがちに受話器を耳元に当てると、すぐに聞き慣れた声が聞こえてきた。六条直属のメイドの一人、友美さんだ。

『もしもしっ、晴乃さまですか?』
「そ、そうだよ?」

 いつもならまず、六条だと名乗ってから本題に入る。相手が私かどうか確かめないのも普段ならありえないことで、友美さんは滅多にない慌てぶりだった。いったいどうしたんだろう。

 行き先は早苗のところだと分かっていたとしても、この家の電話番号までは教えていない。プチ家出をしてから三日。こんな短期間で番号を調べさせるなんて――。



『お願いです困ってるんです早く帰ってきて下さい! 遼さまが――!』


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あきゅろす。
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