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「女の子の顔を踏みつけるなんて、最低だわ」


 麗夜は剣を収め、後ろ手に髪を縛っていたピンクの毛糸紐を外した。はらりと落とされた黒髪が、まるで帳を降ろすかのように夜闇を覆う。

 そしてその毛糸を指に絡めると、ずっと後方で成り行きを見守っていた十六夜に目をやった。

 麗夜が毛糸を髪から外すよりも早く同じように指に絡めていた十六夜は、こくりと頷く。そして不様に倒れこんでいる神に嘲笑を漏らすと、すっと息を吸った。


「我の前に閃光有り、我の後ろに常闇」


 形の良い口が開かれ、詩(うた)が紡がれる。

 抑揚に乏しく声音も低いそれは、本物の呪文のように響き、澄み切った声を場に満たしていく。


「我の右に太陽有り、我の左に月」


 影男の顔が見る見るうちに青くなった。

 気付いたのだろう。彼が何をしようとしているのか…………

 だが、もう遅い。


「神の前に人間が有り、人間の前に神が有る。この世の理は、正しく等しい」


 影の右手に向かって、麗夜は毛糸を放った。

 毛糸はそのまま、まるで意志を持っているかのように曲がりくねり、影男を捕らえる。

 麗夜のにこりと嗤った表情が、夜闇に美しく映えた。


「その律を曲げることを承知で申す」


 影男は逃げようとするが不可能だった。毛糸は体中を捕らえて離さない。

 そして、詩はもうすぐ終わろうとしていた。

 十六夜が最後の仕上げとばかりに、大きく息を吸う。


「神の中に我が有り、我を神の器とせよ。我は神の憑坐となることを誓う」


 十六夜の詩が終わるのと、ほぼ同時だった。

 突然影男の動きが止まり、ゆっくりと壊れ始めた。まるで造られた時の映像をスローモーションで逆回しに見ているかのように、ゆっくりゆっくりと、影は崩れていく。

 それと同時に、十六夜の体も、力を失ったかのように倒れた。

 ただし、存在も意識も消えたように見える影とは違い、十六夜にはまだ僅かながら意識があるらしい。

 秀麗な顔はどす黒く染まり、充血した瞳で真っ直ぐ麗夜を見た。

 その瞳には、夕方見たような余裕の色はない。あるのはただ、苦痛と、それに負けない程強い意思だけ。


「早く、切れ」


 彼の額から油汗が一滴、垂れて地面に落ちる。

 その様子を、麗夜はただ黙って見下ろしていた。

 嘲るつもりはない。ただ、自分と彼の覚悟を確認していた。

 着物が汗に濡れて、肌にぴったりとくっつく。

 滑りそうになる天叢雲剣をしっかり握り締め、呼吸を整えた。

 息は荒い。心も熱い。動悸も激しい。

 でも、それが少しだけ心地好かった。


「麗夜……っ!」

「……分かってる」


 今、十六夜の体の中にはあの影が収まっている。物理的ではなく、存在だけが取り込まれている。

 憑坐、と言えば大抵の人は分かるだろうか。恐山のイタコを始め、生霊や死霊を自分の身に移すアレである。

 憑坐といえばオカルトの代名詞扱いされ、一番胡散臭く感じられる物だが、それが出来る人間は存在する。ただ、その魂に合うだけの器である事が必要最低条件であり、他にも相性などがあるため、出来る人間が限られるというだけだ。

 その中で、十六夜は希代の憑坐と呼ばれている。

 器の大きさは類を見ない程の物であり、何より彼には、相性という物が全く存在しなかった。そのため彼は、どんな存在であろうとも、自由に憑かせる事が出来る。

 とはいえ、彼が今憑かせているのは神。

 その体への負担は計り知れないし、例え希代の憑坐とはいえ、普通憑かせられる類いのモノではない。下手をしたら、命に関わる。

 ましてや今からしようとする事は…………


「……っ」


 麗夜は、あまりにも重すぎるプレッシャーに泣きそうになった。だが今は泣いている場合ではない。

 息を吐くだけという簡単な精神統一だけをすると、後は心を無にし、天叢雲剣の柄の感覚以外全てを外した。

 必要のないモノは、何も要らない。

 心の中で三つ数えて、麗夜は十六夜の方へ斬り掛かった。

[* bACk][NexT #]
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あきゅろす。
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