小説 変化 いつものように琴は幸村の着替えを手伝う。 ただ、お互いに会話はなかった。 琴は、自分が幸村に嫌われていると思っていた。 幸村は、琴が自分に愛想を尽かしたのだと思っていた。 「琴」 幸村に声をかけられて琴の肩が微かに跳ねる。 「琴…最近元気がないような気がするんだが…気のせいでござるか?」 幸村の、大きな黒い瞳に顔を覗かれた琴の胸がうるさく音を立てる。 「そんなことは…ない…ですよ」 あまりにも近い、幸村の顔。 いつもの幸村なら破廉恥と騒ぐのにそれがない。 だんだん女性に慣れてきたのだろうか。 琴は内心嬉しく思いながらも、幸村にとって自分はあくまでも練習台なのだし、と言い聞かせる。 日に日に溢れそうになる幸村への想いに必死に蓋をしながら。 「琴…。好きな男がいるのか?」 「…え…」 突然の幸村の問いに、琴は幸村の顔が見れなくなって目を伏せる。 いつもの琴なら顔を真っ赤にさせてそんなことを言う暇があるなら破廉恥という言葉をひとつでも減らしてくださいよ!と怒鳴るはずなのに、それがない。 「…いますよ、好きな人」 琴の言葉に幸村の喉からその相手は佐助かと出そうになったがかろうじて押し戻した。 「そうか…」 ほんのりと頬を染めた琴を見て、幸村は琴の想い人は佐助なのだと自分の中で確信した。 …でなければ…夜に二人で抱き合ったり、口づけなどするはずがないのだから。 震える手で、幸村は琴の髪に触れた。 さらさらとした、綺麗な黒髪が幸村の手を心地よくくすぐる。 「幸村様…?」 琴は驚きつつも髪に触れている幸村の大きな手におそるおそる自分の手を重ねる。 「こ…琴…」 うろたえた幸村だったが、琴の髪から手を離さなかった。 (もしかしたら…私…今まであれこれ言い過ぎていたのかもしれないな…。急かさないで幸村様の思うようにしてあげる方がいいのかもしれない…) 幸村に髪を撫でられ、琴は気持ち良さそうに目を閉じる。 自分が信玄の前で幸村を投げ飛ばした事を、幸村は叱らなかった。 それだけでも、琴は嬉しかった。 (琴は…こんなに可愛かったか…?こんなに可愛い顔で…佐助と口づけをしていたのか…?) 幸村に追い討ちをかけるように、琴からふわりと甘い香りが幸村の鼻をくすぐる。 独り占め、したい。 もっと、琴を知りたい。 触れたい。 そんな気持ちが幸村の心を支配していく。 けれど、この手は強くなるためだけの手、女に触る手ではないと信玄の前で言ってしまったし、琴もそれを聞いていた。 そして…投げられた。 今更この手で琴を抱きしめたいなどと幸村が思っている事を琴が知ったら何と言うだろうか。 おまけに…琴は自分ではない者を想っているというのに。 目の前にいるのは、いつも眉間にシワを寄せて怒っている琴ではない。 閉じられた目には、長い睫毛。少し丸い鼻にふっくら柔らかそうな唇。 ほのかに染まった頬が可愛らしい。 どきん、と幸村の心臓が跳ねる。 「こ、琴…」 「はい」 幸村の声に、琴は目を開ける。 「最近…よく眠れなくてな…。だからその…。今日の夜、俺の部屋に茶を持ってきてくれぬか…?琴も一緒に…茶を…」 精一杯の幸村の勇気に、琴は全力で向き合いたかった。 「…おつるさんや、おさやさんじゃなくて…私でいいのですか…?」 もしかしたら…今の幸村なら…女と一緒に茶を飲むだけではなく、その先まで進むことができるかもしれない。 念のため、琴は幸村に確かめる。 「琴が、いい…」 目を合わせても、もう視線はうろうろしていない。 幸村の目には琴が、琴の目には幸村がしっかりと映っていた。「わかりました。それでは夜お部屋にお茶をお持ちします」 「う、うむ」 失礼します、と琴は頭を下げて静かに部屋を出て行った。 琴の甘い香りが微かに残る部屋で、幸村は嬉しいような恥ずかしいような照れたような、複雑な顔をしていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |