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小説
あなたのそばに
間もなく、半兵衛は大量の血を吐いて倒れ、起きあがることもできなくなった。
刻々と変わる戦況で、秀吉のそばにもいれず、指揮をとることも、策を巡らせることもできない自分が悔しかった。
日に日に悪化していく病。
せめて…親友秀吉と共にこの国、日ノ本の未来を一歩でも多く歩みたかった…。

「あ…やめ…」
半兵衛の枕のそばには、あやめの遺品である銃が置いてある。
とはいっても、もう銃弾は入っていない。
普段の半兵衛なら軽々と持てるのに、痩せ細ったこの腕には、二丁の銃は重たすぎた。
「うう…っ…ごふッ…!!」
起き上がり、桶に大量の血を吐くと、手ぬぐいで口元を拭う。
もともと色白の肌が、最近は青みがかかってより一層病を重く見せている。
美しさは保っているものの、頬も随分と痩せこけてしまった。

「すまない…秀吉…。僕がこんな体じゃなければ…。君と一緒に…強い日ノ本を…」
はぁ、はぁと肩で息をする半兵衛は胸を押さえて自分がまだ生きていることに安堵すると同時に、何もできず床に臥せているならいっそのこと誰か息の根を止めてくれという気持ちがぐちゃぐちゃに乱れて半兵衛の体を、心を病とは違うもので蝕んでいく。

「あやめ…」
もういない、あやめの名を呼ぶ。
装束を変えたと言っては半兵衛様、半兵衛様と騒ぎ、簪を買ったと言っては似合うかどうかとあちこち半兵衛を探してまわったあやめ。
今となっては、そんな騒がしくてキンキンうるさい甲高い声も懐かしい。
あやめがいなくなってから、この城はずいぶん静かになった。
半兵衛に煙たがられても、怒られても、素っ気なくされてもあやめは半兵衛にくっついてきた。
あんな忍は初めてだった。

「吹雪…」
やはり今はもういない、吹雪の名を呼ぶ。
柔らかな笑顔の吹雪。けれど、吹雪は半兵衛の目が大嫌いだと言い放った。
「まさか…吹雪の心を開いたのは猿飛君だったとはね…」
ふふ、と半兵衛は微笑んだ。
吹雪が佐助と一夜を共にし、体を重ねたというのは後から知った話である。
幼い顔立ちにそぐわない、しなやかな体術に鮮やかな技。
そんな吹雪に半兵衛は心を奪われ、惹かれ…いつの間にか愛していた。

けれど、今の半兵衛の心の中にはあやめだけがいた。
今となっては…あやめが吹雪に殺意を抱いたことも少し理解できるような気がする。
「あやめ…。君をもっと優しく可愛がってれば良かったな…」
後悔ばかりが口をついて出てくる。
もしかしたら…自分はそんなにあやめが苦手じゃなかったのかもしれない。
あの時は…秀吉の夢を実現させるために必死だった。
今こうして床に臥せ、考える時間がたくさんある今、半兵衛はいろんなことを思い、考える。
そしてまた…大量の血を吐いた。

ある日、半兵衛は絵師を呼び、色紙に美しい菖蒲の絵を描いてもらった。
色鮮やかな美しい菖蒲の絵。
『菖蒲の花が見頃の季節にあやめは生まれましたの。だから、菖蒲の花が大好きですの』
以前あやめは半兵衛によく言っていた。
「これで…一緒にいてあげられるよ…あやめ…」
うとうとと眠くなってきた半兵衛は、色紙を抱きしめたまま目を閉じる。
まぶたが重い。
けれど、とても心地よい。

「半兵衛様ー!」
縁側の向こうであやめが手を振っている。
キンキンうるさい甲高い声に、露出の激しい忍装束。
ああ、あやめだ。
半兵衛はゆっくりと起き上がり、部屋の外に出る。
「あやめ…あやめ…!ごめんよ、あやめ…」
「どうして謝るんですの?半兵衛様らしくありませんわ!背中を丸くした半兵衛様なんてあやめ、見たくないですの!」
「あやめに怒られるなんてね。いつも僕があやめを怒ってばっかりだったから」
半兵衛はゆっくりとあやめに向かって歩いていくと、にっこり笑って両手を広げる。
おいで、というように。
「半兵衛様…半兵衛様…っ!」
溢れる涙を拭わず、あやめはまっすぐ半兵衛の腕の中に飛び込んできた。
半兵衛はあやめをしっかりと抱きしめる。
「あやめ…これからは僕と一緒にいてくれるかい?」
「もちろんですわ!だって、半兵衛様の隣にいていいのはあやめだけですもの!」
強気な言葉もあやめらしい。

辺り一面、菖蒲が咲き乱れる美しい庭にいるのは半兵衛とあやめだけ。
菖蒲の季節ではないのだが、そこだけ切り取られたように幻想的な空間が広がる。
「ずっとここで半兵衛様をお待ちしてましたのよ…」
「秀吉はもうすぐ天下を取るだろう。僕の役目は終わったんだ。これからはずっとあやめのそばにいるからね…」
「嬉しいですわ…。あやめもずっと…半兵衛様、あなたのそばに…」
柔らかな体を抱きしめて、そっと唇を重ねると、あやめが嬉しそうに半兵衛の腰に手を回してきた。





「眠っているのか…?」
秀吉が声かけても、冷たくなった半兵衛の瞳はもう開かない。
「幸せな夢を見ているのだろうな」
毎日血を吐いていた半兵衛の姿を見るのが秀吉も辛かった。
眠っている半兵衛はとても穏やかな顔で、幸せそうに微笑んでいる。
「…?」
秀吉は半兵衛が抱きしめている色紙をゆっくりと取った。
しばらく眺めた秀吉はそっと半兵衛の腕を取り、半兵衛がそうしていたように、絵を元に戻した。
「菖蒲の絵か…。半兵衛、あやめにはもう会えたか…?」
優しく秀吉が話しかけると、返事をするように半兵衛の閉じられた目から一筋の涙がこぼれた。





あなたのそばに(半兵衛)  終

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あきゅろす。
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