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小説
折れた心
凪は自室で布団をかぶって泣いた。
「痛い…痛い…」
髪を切られたことでも、肌を傷つけられたことでも、自分の正体が女だったことでもない。
心が抉られたように痛くて、泣いたら泣いただけなおさら痛くなる。
元就が凪に投げつけた言葉だけが頭に鮮明に残って離れない。
「僕は…みんなを…元親様を裏切ってしまった…ッ!」
ぎゅうっと胸が締め付けられて、呼吸をするのも苦しい。
まぶたを閉じれば浮かぶ、仲間一人一人の顔。
いつも和ませてくれる人、美味しそうに自分のご飯を食べてくれる人、厳しいけれど優しい人、物知りな人、怒ってばっかりいるけど家族には甘い人…。
みんなみんな、凪にはあたたかかった。
そして…最後に浮かんだのは元親。
決して仲間を見捨てず、面倒見がよくて、誰からも慕われている元親。
凪が寂しいときや辛いとき、必ずそばにいてくれた元親。危ないときには守ってくれたり、病気で寝込んだ時には毎日必ず様子を見に来てくれた元親…。
「もと、ち、か…さまぁ…」
しゃくりあげすぎて酸欠気味の肺から押し出される僅かな呼吸でやっと紡ぐ元親の名前。
声はかすれ、何かに喉が塞がれたように言葉が出ない。
痛い怖い切ない寂しい苦しい情けないという負の思いが凪を支配していく。
「う…ううっ…うっ…」
涙は止まることなく、布団を濡らした。

「このまま…生きていても…。仲間に…元親様に迷惑をかけるだけ…。それならいっそ…!」
ゆらり、と起きあがると護身用の短刀を手に取る。
「元親様…お許し下さいませ…」
目を閉じ、一筋の涙を流したあと、ひたりと短刀を喉元に当てる。
「凪ッ!」
ガタンと音がして振り向けば、先日毛利軍が攻めてきた際に肩を負傷した太郎丸が部屋に飛び込み、凪の手から短刀を奪おうとしていた。
「太郎丸さんっ!離して!僕はもう生きる資格などない…っ!」
「凪!お前が死んで何になる!?一番悲しむのはアニキなんだぞ!!」
「でも…でも…ッ!僕はみんなを…アニキを今まで…!死ななくても僕が…女だと知られた今、もう船にはいられない…!」
「とにかくその手を離すんだ。…その刀は…そんなものに使うものじゃないだろう…?」
優しく言うと、ゆっくりと凪の手から力が抜ける。
「太郎丸さん…うわあぁあぁっ…あぁ…っ!」
凪が感情を爆発させ、太郎丸の腕の中で大声をあげて泣いた。
太郎丸はそんな凪の体を抱きしめ、赤子をあやすように背中をとん、とんと優しく叩く。
少し落ち着いた凪の髪を太郎丸は優しく撫でる。
「ちょっと整えたほうがいいね。これじゃちょっと…」
毛利に乱暴に切られた痛々しい髪。
太郎丸は先ほど凪が握りしめていた短刀を手に取って凪の首に手ぬぐいを巻く。
「少しだけ切るから。あんまり短くしないからね」
凪は下を向いたまま、しょき、しょきという髪が切られる音を聞いていた。
「ん、これで大丈夫」
太郎丸は手ぬぐいを取ると、凪の方を向く。
「湯を張った桶を持ってきたんだ。きっと今の凪は誰にも会いたくないだろうから…。これを使って体を拭いて欲しくて。そしたら凪が短刀を…。…でも思いとどまってくれて良かった。使い終わった桶は部屋の外に置いててくれていいから」
「…いいえ…僕…自分で…」
太郎丸はじっと凪の目を見て言った。
「アニキが凪を呼んでるんだ。部屋に来いって」
その言葉に凪は眉を下げ、不安な顔になる。
「…大丈夫だ。アニキは部下を見捨てることなんてしないのは凪が一番わかっているだろ?アニキだって悪いようにはしないさ」
「でも…僕が女だとわかってしまった以上は…もう…」
「それはわからないさ。でも…」
太郎丸は少しだけ目線を落とした。
「俺は…凪が女で良かった、と思うよ。俺はいっぱい凪に助けられてきたし、凪といると元気になれるし優しくも強くもなれるから。凪の笑った顔、みんなが大好きなんだよ」
「…」
弱々しくうつむいたままの凪の背中は小さくて今にも消えてしまいそうだ。
いつもの元気で勇ましく、凛として敵に立ち向かい、それでいて楽しそうに料理をする凪とは全くの別人のようである。
「アニキが待ってるから、な」
太郎丸はそう言うと部屋を後にした。

元親の部屋には行きたくないが、命令なら仕方ない。
何を言われても仕方ない。
女は船に乗る資格はないと言われるかもしれない。
「…」
凪は着物を脱ぎ、晒も取り生まれたままの姿になると手ぬぐいを桶の湯に浸し、かたく絞ると丁寧に体を拭き始める。
体中についた傷に触れると、ピリッとした痛みが走る。
けれどそんな痛みは心の痛みに比べたらたいしたことはない。
時間をかけて体を拭き、昼間ほどではないが晒を巻いて浴衣を着たあと、お守り代わりにと政宗からもらった蜜蝋を薬指に少し取り、唇に塗って元親の部屋に向かった。

まだ、寝るには早い時間だが、元親の部屋に向かう時には誰にも会わなかったのが凪には幸いだった。

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