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小説
揚羽蝶
ひと月たってもふた月経っても政宗の軍は戻ってこない。
長期戦になる、と政宗が言っていたのは本当だったのだ。
あれだけ政宗様が、片倉様が、と騒いでいた女中たちは次々と親の縁談で輿入れ先が決まっていった。

夏の暑さにも負けず、真理は黙々と小十郎と一緒に育てた茄子や胡瓜を一生懸命収穫して、水をやり、草むしりをした。
真理はふと上を見上げると、鳶がくるり、くるりと空を舞っている。
「あの鳶は…政宗様や片倉様が今どうなってるか知っているかな…」
どうか、どうかご無事でと真理は祈った。
祈ることしかできない自分が歯がゆく、悔しい。
草むしりをしながら、野菜が病気になってないか葉を見ていると、葉物野菜に小さな緑の虫がついているのを見つけた。
とっさに放り投げてしまおうかと思ったが、よく見ると虫がゆっくりゆっくり葉を食べている。
「…このちっちゃな虫も…精一杯生きているんだな…」
虫のついたまま、葉を一枚取ってそっと邪魔にならないところに運んでいく。
「いっぱい食べて、大きくなってね」

畑の脇には、小十郎に許可をもらって植えた花が順調に育っている。
真理の部屋で見つけた花の種を植えた。
まだ咲いてないのでどんな花なのかはわからない。
「政宗様たちが帰って来る頃には花が咲くといいな…」
大根も白菜も順調に育っている。

何度か、長曾我部と凪が昆布や若布など海産物を持ってきたので真理はその都度野菜を持たせてやった。
「真理、必ず竜の右目はお前の元に帰ってくる。俺が約束する」
「真理ちゃんを置いて片倉様がどこかに行ったりすることはないから。僕も約束する」
長曾我部と凪の言葉が何よりも嬉しかった。
「長曾我部様…凪様…。ありがとうございます…。でも…この戦が終われば…片倉様は…」
しばらく話をした後、長曾我部と凪は帰って行った。
「凪、お前竜の右目がそんなことになっているのを聞いたか?」
「…いえ、僕はてっきり…」
二人は首を傾げながらも船に戻っていった。

やがて季節は秋になり、夏野菜は終わりの時期を迎えた。
「真理ちゃんがたくさん野菜を持ってきてくれたから助かったわ」
「…片倉様が戦の前にほとんどやってくれていましたから。私は何もしていません」
真理は女中の仕事もこなしながら、ひたすら畑に向かった。
「政宗様の案山子も…片倉様の案山子も…ありがとうございます。作物を守ってくださいまして…」
真理は案山子に向かって頭を下げる。
萎んだ野菜の茎を刈り取り、畑の端に寄せておく。
こうしておけば小十郎が戻ってきたときに後々作業がしやすいだろう。
「…ん?」
この前、芋虫が食べていた葉に小さな何かがついている。
「蛹だ…!」
真理は葉についた蛹をじっと見ている。
「うわぁ…!しっかり成長してたんだね…!すごい…!」
それから真理は畑仕事を終えた後、蛹を毎日観察するようになった。
「季節はずれなんだけどねぇ。蝶になったら嬉しいけど蛾になったら嫌だなぁ。でも、元気に育ってくれたら何でもいいや」

数日後、朝早く目覚めた真理は寝間着に軽く羽織を肩にかけ、畑に向かった。
「蛹がいない…」
真理は急に不安になって辺りを見回す。
「どこ…?」
立ち上がると、真理の植えた花に一匹の見事な揚羽蝶が吸い込まれるように止まって蜜を吸い始めた。
「あ…!」
真理の声に返事をするように揚羽蝶は羽を揺らす。
「よかった…!無事に蝶になれた…!蛾じゃなかった…!」
自分のことのように嬉しくなった真理はじっと揚羽蝶を見つめていた。
「この花…確か…秋桜っていうんだっけ…。おばあちゃんが教えてくれたっけな。確か…えーと…花言葉は…」

「乙女のまごころ、だ」
真理の背後から、聞き慣れた声がした。
穏やかな時でも、地鳴りのような、怒りをほんのり含んだ低い低い声。
ゆっくりと振り向くと、確かにその人物はしっかりと立っていた。
綺麗に流した髪は乱れ、顔や戦装束もあちこち泥や血で汚れている。
「真理」
「か…たくら…さま…」
堰を切ったように真理の目から涙が溢れる。
怖くなんてなんてなかった。
小十郎という花に吸い込まれるように、真理は勢いよく走り出し、小十郎の胸に飛び込んだ。
「かた、くらさま…っ!か…く…さまぁっ!」
「ここにも…揚羽蝶が…いたな…」
小十郎は優しく真理を抱きしめる。
小さな小さな体。
「俺が…怖くないのか?以前は随分怖い怖いと言っていたが…」
真理は首を横に振る。
「俺は一旦城に戻る。お前の顔が見たくて真っ先にここに来たのだからな…」

戦は伊達軍の勝利に終わったが、戻る途中に酷い霧に襲われ視界が妨げられたのだという。
「これでちったぁ農民も救われるだろうよ。年貢の取りすぎは良くねぇぜ。しっかり灸を据えてやったぜ」
政宗の話によればしばらく戦はないという。
戦の動きがないということは…みねが小十郎のもとに嫁ぐ日が近いということだ。

「ところでよ、小十郎」
夜、飲み足りずに政宗の部屋で政宗と小十郎は二人で飲んでいた。
「お前…嫁を迎えるんだってな。急いだ方がいいぜ。相手も待ってるだろうしよ」
「はぁ…まぁ…」
言葉を濁した小十郎に政宗はふっ、と唇の端をあげて笑った。

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