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恋桜―こいざくら―


  相手が男だったとしても、空にとっては初めての経験なだけに、キスの甘さを覚えさせられてしまった空の頭からは、どうやっても消せるものではなかった。   


「はっ!オレ、何で泣いてたのか聞くの忘れてた!…くそっ!」 

  それを聞き出して、馬鹿にしてやれば良かったんだ…と、今更ながらに反撃の方法を思い浮かべて悔しがる空。
  しかし、悔しがるのも僅かの間だけ。 
  直ぐさま、空の頭の中はまたオートリバースの様に、あの時のことを映し出してしまう。   
『あっ!オレ、内藤貴史(ナイトウタカフミ)って言います!』 
  ふと、茂みを抜け出す瞬間に背中に向けて発せられた自己紹介。
  聞き逃したと思われた台詞を突然思い出す。   

「そうだ、あいつ内藤って言ってた」 

  やけに調った顔立ち。
  ずっと座りっぱなしだったけど、どう考えても空より大きいだろうと思われる体格。
  すっかり耳に染込んでしまった、魅了されるテノールの声音。
 涙で濡れていた長い睫。
  そして何よりも、形の良い唇…。   

「お、オレは男だぁ〜〜っ!!」 

  怒りが度を越した所為なのか、キスの心地よさの方が印象深かったのか、それとも、内藤貴文と名乗った相手が気になるのか。   

 抑えきれない、モヤモヤとした気持ちを持て余し、空は部屋中を暴れまわる。   

「空っ!!煩いわよっ!いい加減にしなさい」   
「う゛っ…」 

  階下から突然聞こえた、母親の怒鳴り声にピタリと動きを止める。 
  母親の一声は、空にとってはかなりの抑制薬となるらしかった。      

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