恋桜―こいざくら―
2
相手が男だったとしても、空にとっては初めての経験なだけに、キスの甘さを覚えさせられてしまった空の頭からは、どうやっても消せるものではなかった。
「はっ!オレ、何で泣いてたのか聞くの忘れてた!…くそっ!」
それを聞き出して、馬鹿にしてやれば良かったんだ…と、今更ながらに反撃の方法を思い浮かべて悔しがる空。
しかし、悔しがるのも僅かの間だけ。
直ぐさま、空の頭の中はまたオートリバースの様に、あの時のことを映し出してしまう。
『あっ!オレ、内藤貴史(ナイトウタカフミ)って言います!』
ふと、茂みを抜け出す瞬間に背中に向けて発せられた自己紹介。
聞き逃したと思われた台詞を突然思い出す。
「そうだ、あいつ内藤って言ってた」
やけに調った顔立ち。
ずっと座りっぱなしだったけど、どう考えても空より大きいだろうと思われる体格。
すっかり耳に染込んでしまった、魅了されるテノールの声音。
涙で濡れていた長い睫。
そして何よりも、形の良い唇…。
「お、オレは男だぁ〜〜っ!!」
怒りが度を越した所為なのか、キスの心地よさの方が印象深かったのか、それとも、内藤貴文と名乗った相手が気になるのか。
抑えきれない、モヤモヤとした気持ちを持て余し、空は部屋中を暴れまわる。
「空っ!!煩いわよっ!いい加減にしなさい」
「う゛っ…」
階下から突然聞こえた、母親の怒鳴り声にピタリと動きを止める。
母親の一声は、空にとってはかなりの抑制薬となるらしかった。
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