[携帯モード] [URL送信]

小説
この世で、唯一の。
 雪に変わりそうなほど冷たさを伴った12月の雨が、アスファルトに叩きつけるように降っている。
下したてのブランドスーツの裾が泥水の跳ね返りで汚されるのが嫌で、水溜りを避け、それでも足早に会社に戻ろうと道を急ぐ、その道すがら。雨降り特有の、もやがかった視界の悪さの中、自分の勤務地であるデパートが視界の隅に入ってきた頃合、少しでも帰り道を短縮しようと、馴染みの公園のど真ん中をつっきろうとしたそのとき。
あれ、と、眼鏡の奥で、政宗は目を瞬かせた。
(もしや、真田?)
 雨が視界を盛大にさえぎる中、見かけた彼は、いつもの元気いっぱいの彼らしくなくて。その天真爛漫な、片鱗さえ見えなくて。
 項垂れたまま、こんなどしゃぶりの、しかも冷たい雨の中を傘もささずに、夢遊病者のごとくおぼつかない歩みで、ゆるりゆるり進んでくる。その状況のおかしさに不審に思い、駆け寄って近づいても、幸村は政宗の存在に気づかず、そのまま通り過ぎようとする。
「真田っ、おいってばっ。」
 名を呼ぶと同時に、透明なビニール傘を彼にかけかけるけど、小さな一人分のそれはお互いの肩がはみ出し、意味が無かった。
 返事をしない幸村に、しびれを切らした政宗は、無理やり肩を強く掴む事で、こちらを振り向かせる。
「俺、・・俺、しっぱいしてしまって。」
 突然、前触れ無く、幸村は、そう言葉をたどたどしく漏らす。
 大雨が狙いを2人に定めたように、幸村の顔中に降り注ぐ。やっと振り返って顔を上げた彼の表情を目の当たりにして、政宗は、くっと息を飲んだ。
 一瞬、泣いているのかと、思ったから。
「あ〜えっと。」かける最善の言葉がすぐには思いつかず、政宗は空いている左手で頭をかく。
「ああ、元親に怒られたのか。あいつさ、素行は乱暴だし口も超悪いけどさ、根は悪くない、すっげ優しいやつだから・・・ちょっと気が立って、なんか、あんたにあたっちゃっただけじゃねえの、だから・・・。」
 ふるふると幸村は力無く首を横に振る。そのゆるやかな動きに合わせて、髪の毛から水しぶきが飛ぶ。それを見咎めて、こんなにぐっしょり濡れて、どんだけ悠長に水浴びさせたんだと、政宗は脳の隅っこで憤る。別に自分が彼をそんな目に合わせたわけでは無いのに、何故か自分に対して許せなかった。もっと早くここにたどり着けなかった自分に腹が立った。
「長曾我部バイヤーは、怒りませんでした。これから気をつけてくれたら、それで良いから。事後処理は自分がやっとくから、気にすんなって肩を叩いてくれて・・・。それが逆に、本当に、本当に申し訳なくて。俺のせいで・・・迷惑かけて・・・。」
 腰のあたりにあった両手が強く拳を握る。掌に爪が食い込んでいて、痛々しかった。
「自分が・・・、自分が、本当に、許せなくて。」
 吐き出すように呟いたそれが言い終わると同時に、つつっと大きな雫が、頬を伝う。雨とは違う種類のそれは、容易に見つけることが出来た。
「真田・・・。」
 背広の内ポケットからハンカチを取り出し、それを拭おうと、涙を追うように手を進めたけれど、幸村は、拒絶するみたく、ますます頭を項垂れる。
「もう、俺なんて、なんで、ここにいるのだろうと・・・。」
 言葉を発しながら幸村は、自分は優しさを受ける資格なんて無いかのごとく、政宗を拒絶するのだ。
「だんだん、なんで、何の目的も無く、俺なんて、生きているのかなって思えてきて。」
 自分の爪で傷ついた右手で、顔を覆う。その指が、凍える寒さからなのか、自分への憤りなのか、小刻みに震えていた。
「ずっとずっと、思ってました。意味が無い俺なんて、俺なんて、いらないんじゃないかって・・・。この世に、必要無いんじゃないかなって。」
 呆然と、ぼろぼろに打ちひしがれている幸村を見下ろしながら、政宗は、前に幸村が自分に話してくれたことを思い出していた。
―――何故、自分が生きているのか、なんのために生まれてきたのか、分からないときがあるんです。なにをしたいのかわからなくて、もがいてる・・・。
 切なげな笑顔にのせて、幸村はそう言っていた。
「俺なんか、俺なんかっっ・・・。」
 静かな呟きが、徐々に肩を震わせる慟哭へ変わる。
「俺なんかいなくなっても、誰も困らないんじゃないかって。迷惑かけるくらいなら、逆に、俺がいない方が、いいんじゃないかってっ・・・っ、」
「何言ってんだよっっ、あんたがいてくれないと、俺は・・・っっっ。」
 静かにそこに佇んで、その言葉、表情ひとつも漏らさないように、記憶する様子で、聞き入っていた政宗が、反発するように、激しく声を荒げた。

 初めて見た笑顔、優しかった。
 幸村のそれは、心が荒んでいた俺にとって、救いのような気がした。
 そして、会えたら、顔が見れたら、嬉しくて、それだけで心が温かくなって、1日、また頑張ろうと思えた。
―――だから、彼は、俺にとって、大切で、大事で、唯一な、かけがえのない、人。
「馬鹿野郎っっ。」
 瞬間、スーツが濡れてぐしゃぐしゃになるのも厭わず、傘を地面に叩きつけるみたく投げ出し、幸村の震えて丸くなる肩を自分の方へ引いて。
 両腕で、しっかりと背が軋むほど、抱いていた。
 冷たさが触れた場所からじんわりと伝わってくる。切なさも辛さも、幸村の感情がそこから波のように流れ込んでくる気がした。それを、受け止めたいと、思った。
 何度も子供のようにしゃくりあげる幸村を、熱を与えるかのごとく、強く強く抱きしめる。
「必要無くなんかねえよ。人間、必要無い人間なんていない。現に、俺は、あんたが必要なんだよ。」
「伊達バイヤー・・・。」
「俺を見ろ、幸村。あんたを必要としてる人間がここにいる。俺は、俺に必要なのは、幸村。あんただけなんだよっ。」
「・・・うっ・・・、うううっ・・・。」
 堰を切ったように大きく激しく泣き出した幸村は、たまらず政宗の背中にぎゅっと手を回して、抱き返してきた。それに応えるように、政宗は幸村を抱いた腕に、再度、ぎゅぎゅっと力を込めた。


[*前へ][次へ#]

8/18ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!