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小説
<2>
 幸村は、残った付け合せのプチトマトを食べる様子でもなく、持ったフォークでコロコロと皿の中を転がしもてあそびながら、独り言のように言葉を落とした。
「つきあうって、なんだか難しいな・・・。」
「ん?」
 そんな空気に溶けて消えそうな儚い声を、佐助は聞き漏らさなかった。
佐助の両手を塞いでいるマグカップには、なみなみと食後の珈琲が注がれている。自分用には砂糖が無くて、逆に幸村用には糖分多め。これは小さい頃からの習わしのように変わっていない。
「なあ、佐助?」
「はい?」
 佐助は律儀に返事をしつつ、ダイニングテーブルに脱力気味で張り付いたままだった幸村の、向かいの椅子に腰をかける。
「付き合いだして、二、三ヶ月経つと、・・・その、えっと・・・。」
 眉毛をハの字にした困り顔の幸村は、人肌に温められたマグカップを両手で持つ。そして、その揺れるこげ茶色の水面に視線を落としたまま、何かを言おうとしては辞める、を繰り返す。
「なあに?どうしたの?」
 まるで子供に問いかけるように、優しげな微笑で幸村を見つめ、佐助は根気よく待つ。
 幸村と実年齢的には二つしか違わないのに、どこか大人びている佐助。
 それは、彼の境遇がそうさせているのかもしれない。
 幸村と佐助の関係は、遠い親戚。
 幸村の両親の計らいで、東京の学校に通うため、小学生卒業と共に田舎の山奥にある実家から出て、幸村の家に居候させてもらっているのだ。
率先して家事を手伝ったり、あれこれ大人顔負けに気を回したり。
 一人で何でも器用にこなせるようになったのは、誰にも頼らず生きていくために、覚えるしすべがなかったのだろう。
 けれど、高校生になった今になってやっと、体の力を抜くことを知り、今の生活を楽しめるようになったらしく。今では海外赴任した幸村の両親の代わりに、家事を全て引き受けている。ついでに、自ら進んで幸村の面倒まで。
「だからっ、三ヶ月もつきあっていると、き、キス、とかするのは当然なのか?」
「ええええええええええ?」
 突然飛来した未確認飛行物体に出会ったような最大級の驚きに、佐助は、思わず持っていたカップを、つるつるっと踊るうなぎのごとく手放しそうになった。並びに、噴出しそうになったブラックコーヒーを慌ててごっくんと飲み下す。
「何?いつの間に、旦那、誰かとお付き合いしていたの?」
 普段、いつでも完璧にポーカーフェイスな佐助が、珍しく平然を装うとして失敗している。何故か右手は首にかけていたタオルで、無意識だろう、傍のテーブルをしきりに磨きだしている。
「・・・そう、みたい、だな・・・。」
「誰、誰、ねえ誰?」
 身を乗り出して問うてくる佐助から逃れるため、傍にあったクッションで顔を隠し、防護壁の代わりにする。
「うっ・・・それは、いくら佐助でも言えぬっ。」
「何でよ?俺様は、今海外赴任中のご両親に代わって、旦那の親代わりなんだよ。」
「それでも、だめでござるッ。あの人の名前は、いくら佐助でもぜったい言えないでござるっっ。」
 首が頭ごと、もげ落ちそうなほどの勢いで、何度もぶんぶんと振る幸村に、勘の良い佐助は、今の会話でピンと来る。
(言えないということは、知り合いの中の誰かだ。大体、おおかたの予想はつくけれど、とりあえず、ここは様子見か。旦那は意外に繊細だから。)
 佐助は、今度はタオルをせわしなくたたみながら、頭の中で解決策を模索していた。
「それよりさあ、キッスだなんて、旦那も大人になったんだねえ。」
「それはっ、いきなりっキスしようとするのだ。しかもっ無理やりっ、酷いであろう?」
 からかい口調の佐助に、幸村はドンドンと両こぶしでテーブルを叩きながら訴える。その表情は、顔から湯気が出そうなほど真っ赤だ。
「え、相手から?それはそれは、積極的な子なんだねえ。旦那が何もしてこないから、その子、しびれ切らしたのかな?」
「積極的じゃなくて、あれは、強引過ぎるのだっ。」
 さきほどからの佐助の反応が不服な幸村は、口を尖らす。それから、カフェオレで尋常じゃないほど乾いた喉を潤した。
「で。」
 小さく畳んだタオルをマイク代わりに、幸村の鼻先にずずいと突き出し、佐助は誘導尋問する。
「それで、そのとき旦那は、どう思ったの?嫌だったの?」
「いや、じゃない、と思う。けど、突然だったから、心の準備が・・・っ。なあ、本当に、三ヶ月もつきあっていると、き、キスなんて、当たり前なのか?」
 こういう話題に慣れない幸村は、尻がこそばゆい感じで、ごにょごにょと口ごもりながらも、逆に問い返す。
「そうだねえ・・・、つきあってんなら、三ヶ月は長いよね。」
 よく我慢したよな〜と、ぽりぽりと頬をかきつつ、佐助は相手に同情していた。
「まあ、そうだな・・・、年月とか関係なく、好きなら、キスくらいするんじゃないかな?」
「・・・好き、か。」
 考えことをする様子で、幸村はじっとテーブルの一点を眺めていたが、意を決したように、佐助に向き直る。
「なあ、好き・・・、好きって、どんな気持ちなんだ?」
「えっっ、旦那、自分のことなのに、分かんないの?」
 思わず失礼承知で、オーバーリアクションで反応してしまう。
 いまどきの小学生より、その辺にうといのか。
「うっ・・・。はっきりとは、分からない。どれが、好き、という感情なのか・・・。」
 語尾が尻きれトンボみたいにフェードアウトしてゆく。
 佐助は、プイっと横を向いてしまった幸村の少し戸惑いが混じった表情を見つめ、心の中でため息。
 純情すぎると思っていたが、ここまでとは・・。
 自分ではなんともしがたい問題に、内心、頭を抱えそうになった。
「好き、というのはね。」
 佐助は、先ほどとはうって変わって真剣な面持ちで、言葉を紡ぎだす。
「説明しにくいけど、はっきり言って理屈じゃないよ。そのときが来たら、分かる。絶対、分かるはず。だって、どの感情よりも、それは強いから。」
「分かる、のか・・・。」
「大事で、大切で、その人になら、なんでもしてあげたくなるんだよ。それは、自分では止められない、魔法みたいな感情。」
「ま、ほう、か。」
 幸村が、反復する様子を見て、佐助は更に声のトーンを落とし問いただす。
「ねえ旦那、つきあってる子に対して、そうは思わないの?」
 言葉に反応するかのごとく、はっきり見て分かるほど、ビクンと一つ大きく震えた。
「わからないんだ、自分自身が・・・。」
 目線を横に流した幸村は、心の揺れの現われか、少し心細げに、ぎゅっと両腕で抱いていたクッションに力を込めた。
「なら、本当に、その人のこと、好きなのかな?」
 優しげな声だけれど、心を戒める破壊力を伴って、幸村に届く。 
「期待させるのは、可哀想だよ。気持ちが無いなら、別れてあげるのも、優しさだと思う。」
 佐助は、今度は本当に、その少し息詰まる空間に、ため息を一つ零した。


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あきゅろす。
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