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小説
<1>
 さらさらと指どおりの良い、幾分茶色がかったの髪をすきながら、頭を撫でている。その大きな、されど無骨な掌の動きはこのまま寝てしまいそうなほど優しくて、与えられる温もりはどこまでも穏やかで。
 切れ長の眼を隙間無く埋める長いまつげが仄かに揺らぐ。
 この世の中に、こんな綺麗な顔立ちの人がいたなんて。
 そんなことを脳の端で思いながら、夢心地で眼に映していた。
 けれど、それが近すぎて視界がぶれた瞬間、息が頬にふっとかかった瞬間、はっと幸村は、今置かれている状態にやっと気づき・・・。
「うわあああああっ。」
「ッ。」
 その素っ頓狂な声より、先に素早く手が動いていた。考えるよりもまず前に体が俊敏に反応していた。
 両手を突っぱねて、思いっきり、こん身の力で彼を押し返していた。
 哀れ無防備な状態の身体は、もんどりうって後ろの壁にそのまま激突する。
「いってー。」
 派手に打った後頭部を、政宗は右手で抑えながら、自分に大きなたんこぶをくれた張本人に不満をぶつける。
「おい、何するんだよ、いきなり。」
「それはっこっちの台詞でござるっっ。破廉恥なっっっ。」
 いつの間にやら、ボタンは全て外され、はだけられていた開襟シャツの前をしきりに両手で閉じながら、幸村は真っ赤になって息も切れ切れに叫んだ。
「破廉恥、破廉恥って、もうかれこれ付き合いだして三ヶ月も経つんだぜ。自分で言うのもなんだが、この俺が三ヶ月も待ったんだ。キスの一つや二つ、させてもらってもおかしくねえよ。」
「なっ・・・っ。」
 あまりの一方的な物言いに、あいた口が塞がらない。
「なあ、幸村。」
 けれど、その呼ぶ声は甘くほどけて鼓膜に届き、幸村の胸を切なく締め付ける。政宗は目の前の幸村の身体を、両腕できゅっと抱きしめた。密かに嗅ぐ幸村の香りは、甘い砂糖菓子のようだ。
 そして、その身体は変に強張ったままで、その緊張が数ミリの布越しに伝わって、政宗は心の中で苦笑する。
 どんだけ奥手すぎるやつなんだ、と。
「こんな場所でっ。ここは道場でござるよ。何より部員の皆が帰ってきたら・・・。」
 幸村の次に出る台詞が分かっていたかのように、政宗はすらすらと言ってのける。
体温の高い幸村の両頬を掌で包み、ついでに、目の前のぷくぷくで柔らかいほっぺたに、チュッと音を立て啄ばむキスを落とした。
「もう帰宅時間はとっくに過ぎてんだ。もう誰も戻ってこねえよ。」
「あっ・・・。」
 幸村は政宗の腕の中で、思い当たる節があったのか、声を小さく上げた。

 約一時間半前。部活終了間際。
幸村は、道場の端の方で部員仲間と乱打ちをしていた。
―――幸村。
 フイに呼ばれて、幸村は面を取る。
―――はい。
―――この後、罰として、講堂の掃除な。
―――ひ、一人で、でござるか?
―――ああ、部長命令だ。
 有無を言わさぬ不機嫌顔の政宗の言葉に、真面目な幸村は言うとおり、一人居残った。何が、部長としての政宗の逆鱗に触れたのか、見当が付かなかった幸村だったのだが、従順に従い、普段は一年生全員で行う道場の拭き掃除を一人で行った。その道場は一人で掃除をするには広すぎる。けれど、一時間かけてなんとかこなし、鍵をかけて家路につこうとしたそこへ、制服姿の政宗が現れた。手元にはジュースを二本たずさえて。


「たばかったっ・・・。」
 容易に騙された自分の浅はかさを悔やみ、幸村は唸るように声を出す。
 最初から、これが目的で、幸村を一人、この場所に残したのだ。
 そして、いつのまにか、その今、自らの手で綺麗に磨いたばかりの床に押し倒されていて、その見下ろす顔も、腹立たしいくらい均整がとれている。
「ほら、もう観念しろよ。」
 政宗は、幸村の後ろ髪を束ねていた紐を解き、乱れて床に散らばった色素の薄い髪を指でもてあそびながら、耳に直接低く囁く。そして柔らかい耳たぶにキスを一つ落とした。
 チクリと痛みに似た、みぞおちあたりに走った得体の知れない何かに、ピクンと幸村は身をよじる。顔を横に背けてしまった幸村は小さく呟いた。
「こっ・・・。」
「こ?」
 その音を真似るように反復しながら、政宗は、眉間にしわを寄せた幸村の顔を覗き込んだ。
「このっ、大事なときに、部長がこんなことをしていてよろしいのか?」
「・・・この大事なとき?」
 思い当たらない政宗は、いぶかしげに眉根をひそめた。
「ほら、剣道部の都大会が近いではないのですか。」
「都大会・・・そういえばもうあと一ヶ月きってんな。」
 ああ、と政宗は、他人事のごとく思い出し、あごの辺りを爪でかく。
「そうっ、今年こそ、全国大会へ行かねばっ!でござろう?部長自ら率先して頑張っているところを見せるのが、部員への示しになるのでは?」
「その都大会と、今、この状況と何の関係が?」
「去年の新人戦、政宗どの、決勝で慶次どのに負けていたではござらぬか?慶次どのは、きっと今頃練習に打ち込んでいるはず!こんなことしている場合ではないと思うのですが・・・。」
 この貞操の危機の状況から何とか逃げたい幸村は、思いつくまま言葉をまくし立てる。
 政宗は、そんな幸村の話に、じっと耳を傾けているだけだったが・・・。
「ところで、あんた、何でそれ、知ってんの?」
 発した政宗の口調は静かだったが、明らかにその場の温度が変わった。
「それは・・・。」
 次に繋がる言葉が思い浮かばす、幸村は口ごもる。
「あんた、一年だから、俺が去年の新人戦で負けた事なんて知らないはず・・・、それに慶次、前田慶次は桜ヶ丘高で、うちの高校の生徒じゃない・・・。」
 正面の政宗の顔が、先ほどとは違う意味で、怖くて見られない。
「・・・慶次どの、ねえ。」
 政宗は、どこかひっかかるらしく。 
「そうか、あんた、あいつの知り合いかよ?」
 へえ、と、一人何かを悟った政宗は低く続けた。
「yes・・・。」
「え?」 
「分かったよ。」
 幸村の体を穏やかに包んでいた温もりが去った。政宗がいきなり、すっくと立ち上がったのだ。
「それで、二言はねえな。」
「え?」
 事態がいまいち呑み込めていない幸村は、大きな目を更にまん丸くする。
 いつの間にか辺りは、燃えているかのごとく緋色に染まり、見上げた政宗も、それに侵食されたようだ。それを眩しげに見つめたまま、幸村はひんやりと冷たい床にひじを付き、上体を起こす。
「政宗どの・・・。」
「じゃ、都大会、いや全国大会でも一番になってやる。そしたら、あんたも、四の五の言わず、俺に全部ささげろ。」
「・・・え?」
「キスだけなんかじゃ駄目だ。最後までやるからな。」
 腕組みをして仁王立ちの政宗は、そう強い口調で宣言する。
「泣いても喚いても、もう待たねえ。」
 政宗はきびすを返し、最後に、肩越しに呟く。  
「あんたが、あおったんだから、責任取れよ。」
 自分たちを包み込む夕日が泣きたくなるほど、あまりに目に染みるほど綺麗で。
 何も言えず幸村は、夕日以上に赤く染まった顔を両手で冷ますように覆った。


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あきゅろす。
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