小説 <9> 「幸村。もうすぐ誕生日だな。」 経済新聞を読んでいた政宗は、新聞に目を落としたまま、何気ない口調で言った。最近何かを読むときと、車の運転のときにかけるようになった眼鏡。それが鼻から微妙にずれて未だ違和感があるのか、角度を直している。 「俺の誕生日、覚えていてくれたでござるか?」 「ばっか、当たり前だろ。」 クスッと政宗は苦笑する。その笑顔も、幸村にとっては、心を締め付けるほどのすさまじい破壊力だ。 「あんたの誕生日は、自分の誕生日忘れても、ちゃんと覚えてるよ。」 短くなったタバコを灰皿に押し付けながら、政宗は邪魔な眼鏡を外す。 「なんか欲しいものはねえか?」 「…俺の欲しいもの・・・。」 手元のマグカップに残った、温くなったコーヒーに目線を落とす。茶色の液体は、幸村の心を映すかのように、水面の波紋は儚げに揺れた。 一番、欲しいものが、ある。 それは、ある人の心。 あるとき、自分だけを見て欲しいと、想った。 けれど、到底、口に出来るはずなかった。 叶うはずもない、恋心。 心の中でそっと願っても、きっと、きっと罪になる。 「何でも・・・。」 その感情は、心の奥底に閉じ込めて、何重にも鍵をかけて、そして、死ぬまで開ける事はない。 そう決めたから。 じゃないと、傍にいられないというなら。 俺は、この想いを封印する。 棺おけまで、この感情は道連れに。 決意した幸村は顔を上げ、晴れやかな笑顔で告げた。 「何でも良いでござるよ。政宗どのが俺にくれるものなら何でも。」 「なあ、幸村。あんたは、俺に・・・。」 そこで言いよどんで、政宗はもう一本タバコを咥えた。 ここ数日で、タバコの量が格段に増えた。 増えた理由は、なんとなく分かってる。そう、心に溜まる鬱積と比例している。 「え?」 「いや、何でもねえ。そうだ、俺、明日ちょっと野暮用で帰らないから。ちゃんと戸締りして寝ろよ。」 政宗はリビングから自室に戻ろうと、いまいち釈然としない幸村を置きざりにして、椅子から立ち上がる。 そして、数歩行ったところで、ふと、歩みを止める。 「幸村、俺に隠している事無いか?」 こちらに背を向けたまま、政宗は低く問うた。 政宗の表情をうかがい知れない。 けれど、返事は決まっている。幸村は密かに息を吸う。 「ないでござる・・・、あるわけないではないか。」 悲しい嘘。 嘘をつくことを覚えてしまった自分。 うす汚れた自分。 我ながら嫌悪感を拭いきれない。 「そう、だよな。」 政宗は、最後まで振り返らなかった。 「おやすみ。」 [*前へ][次へ#] [戻る] |