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小説
その1
「まだ雨か…。」
 人や物が多い雑多な駅の改札を出て、出口から曇天をしかめ面で見上げた小十郎は独りごちて、水溜りを避けながら、足早に家路へ急ぐ。朝から降り続くこの雨で、どう足掻いても、スーツの裾が水はねで濡れてしまうのが嫌だと思う。
 でも、そのままここから徒歩5分のマンションへと直行するかと思いきや、小十郎は商店街へと寄り道して馴染の八百屋へ足を運ぶ。冷蔵庫の中がすっからかんなのを思い出したのだ。
―――政宗様は偏食だからな。新鮮な野菜で煮物でも作るか。高校生で、まだまだ育ち盛りだから、肉も食べさせないと。
 物事を考える時の癖か、口元へ右手をやり、ぶつぶつと献立を考えながら、小十郎は傘の中で真剣な表情になる。傘を避けつつ擦れ違う人々には、その渋い表情はまるで会社の経営動向について悩んでいる位に深刻なものに映ったが、実際は、メインを肉料理にするか魚料理にしようか、という他愛もない二者択一で。
 そして、ふいに我に返って、ああ、我ながらベテラン主婦みたいだな、と、小十郎は、1人複雑な心境になる。まだ結婚もしてないのに、何だか枯れている。最近色恋沙汰にもとんと無縁だ。どこかに運命の出会いとか落ちているものじゃないのか、と、昨夜寝る間際に読んだ恋愛小説を恨めしく思う。
―――昨日の小説は、こういう心滅入るような雨の日に、偶然出会った女性と、恋に落ちて…。
「いらっしゃいっっ。」
 若干自分の残念具合に肩を竦めていた小十郎が、威勢良く挨拶されそちらを振り向くと、ニコニコと愛想良く微笑んでいるのは。
「えっ?」
 小十郎は、普段クールな眼を、驚きから丸くした。
 いつもは、ここは老夫婦が営んでいるはず。なのに、目の前にいるのは制服に白いエプロン。学生か。しかも、この制服見覚えがある。政宗様と一緒の高校だ。
 黒目勝ちの目がクリクリと大きくて、吸い込まれそうに印象的だ。
「えっと…、ここの店主は?」
「ああ、おじいさんは、ぎっくり腰で病院へ行っていて。あの、自分はこの近所の道場に通っている者で。えっと…とりあえず、店番を手伝っていて。」
「そう、アルバイトか?」
 容赦無く打ち付ける大粒の雨から、軒先に避難して傘を閉じながら、小十郎は会話を続ける。
「おじいさんが病院から戻るまでの間の、場つなぎのようなものでござる。」
「へえ、それはご苦労だな。」
 話を聞きながら、小十郎は大根を目利きする。惚れ惚れするくらいに太くて白い大根。
「じゃあ、これ、貰おうか。」
 傍に佇む彼に、無垢っぽい瞳でじいっと穴が開くほどに見つめられて、小十郎は内心狼狽える。
「な、なんだ、おれの顔に何かついてるか?」
 思わずペタペタと掌で自分の顔を抑える。されどそこには、人より少し高めの鼻があるばかり。
「い、いえ、あの、奥さんに頼まれたのですか?…その…すごく男前なのに、だ、大根とは…。」
 その渡された大根をビニール袋に入れながら、眼を伏せて言い難そうにとつとつと呟くように告げているが、よく聞いてみると失礼千万な内容だ。
「おい、はっきり言うと、大根と俺が似合わねえって言いたいんだな。大きなお世話だ。」
 大根を掴む手に力を込めながら、大事な部分を強く否定しておく。
「それに、俺は結婚してねえっ。勝手に所帯持ちにするな。」
「わわわっ、そ、それは失礼しましたっ。」
 千円札を黒い長財布から取り出して、学生アルバイトの鼻先にズズッと出す。それを両手で受け取って、慌ててレジから小銭を出そうとする彼に。
「ああ、おつりいらねえから。これで、帰りに何か美味いもんでも食えよ。」
「えええっ、そんなの、困るでござるっ!」
 大げさな態度で、ブンブン首を振りまくる彼に、小十郎は財布をスーツの上着ポケットに直しつつ苦笑する。
「どうせ、店番って言っても、店主からバイト代貰うつもりねえんだろ?そういう面してる。」
「ど、どういう面で…。」
「困った人をほっとけない、お人好しの面だな。」
押しに弱そうで、将来、壺とか押し売りされないか、関係無いのに心配になる。
「…こ、これは…、人助けでござるから…。」
ムムムと、目の前の彼は若干ムスッとした感じに眉間に皺を作って、口を尖らせた。
「言い方悪かったな。これでも褒めてんだよ。」
 もう一度苦笑を零して、小十郎は彼の肩を軽く叩く。
「なあ、あんた、名前は?」
「俺は、真田幸村でござるっ。」
 ニッコリと笑顔で名乗った幸村に、心がほっこりと温まった気がした。この世知辛い世の中、こんな純朴な少年がいたんだな、と、まだまだ世の中捨てたもんじゃないと、老婆心みたく嬉しくなる。
「俺は、片倉だ。またな、真田。」
 ブンブン尻尾を振って懐いてくる様子が、昔子供の頃に飼っていた柴犬に似ているな、と、心の中で思いながら、くしゃと彼の頭を一撫でして、またもや雨の降り注ぐ外へ出てゆく。
「ありがとうございましたっっ!!!」
 周囲半径5m以上響く、幸村の元気いっぱいの声を背中に聞きながら、こういう出会いがあるなら、滅入る雨の日の寄り道も悪くないな、と密かに思った。

★★★★
「何を悩んでいるので?政宗様。」
 キッチンに立ち、買ってきた大根と向き合いながら、小十郎は、3人掛けソファに制服のまま皺になるのも厭わず寝転んでいる政宗に声を掛ける。マンションに帰ってきたら、電気も点けず政宗が部屋で一人、項垂れていたから、心底ギョッとしたのだ。
「先ほどから溜息ばかり。そんなに溜息をつきますと、幸せが逃げて行きますぞ。」
「ああ。」
 体全体から深刻そうなオーラを出しまくっている政宗は、こちらの話を耳半分で聞いているようだ。
「でも、俺、やべえ。小十郎。」
 ダランと横になっている政宗は、目元に手の甲を置き、ぶつ切りの言葉を、投げやりの声で出す。
「すっげえ、好きになった。あんなやつ。なんでだ。」
「はあ。」
 なんと、恋愛問題か。どう反応してよいものか。今、政宗様は17歳で多感な時期だ。ここで判断を誤ると、後々の人格形成に響く。とりあえず小十郎は、曖昧に相槌を打った。
「あんな単純単細胞、鈍感で、熱血バカで…、天然ボケで…剣道しか頭に無くて…。」
 おいおい、好きだという相手をこうも悪く言えるものか?
 神妙な顔つきの小十郎は口には出さないが、微かに首を横に捻る。
 今夜は冷える。温かいふろふき大根にしようと、大根の皮をくるくると器用に桂剥きながら、思春期の頃の自分もこんな摩訶不思議な感じだったか?と、遠くなった記憶の糸を脳内で手繰る。
「くそーっ。俺好みの可愛くてノリが良い女の子じゃねえし。堅物が服着て歩いているみたいな…、まあ、顔だけはすっげ可愛いのか…、ハー。」
 またもや止める方法など知らぬ感じで、深々と溜息。ソファに座っている政宗は、文字通り頭を抱えた。
「政宗様。」
 料理の手を一時休めて、小十郎はガックリ肩を落としている政宗の方を見遣る。端正な横顔が、今日の天気のごとく曇っている。
 ああ、これは見るからに重症だな、と、心配げに眉根を顰めた。
「俺、こんなに人を好きになったの、初めてなのに。なんで、あいつなんだろ。」
 いつでも自信満々な彼に似合わず、弱音を吐きまくっている。
 政宗様をこんなに骨抜きにする相手、一体どんな女子なんだ、と。
 昆布から取った出汁に慣れた手つきで調味料を入れ、お玉ですくい味見をした小十郎は、それを素直に知りたいと思った。


★★★
 政宗が恋の病に侵されてから、早1週間。未だ打開策を見つけてないのか、表情は今朝も冴えなかった。いつもは女性ファンが多いのも頷けるほどに凛々しくビシッと身支度を整えて、颯爽と玄関から出てゆくのに、頭の後ろに寝癖をつけたまま、重い足取りで自宅から出て行った。コンタクトを入れる暇も無く、黒縁眼鏡で学校へ行くのも、高校生になって初めてではなかろうか。おまけに命の次に大事だと言う携帯を忘れ、代わりにテレビのリモコンを持って行ってしまったので、慌ててロビーまで追いかけたくらいだ。
―――今夜はゆっくり話を聞くとするか。
 勿論、余計な足を突っ込むことは許されないが、少しぐらいなら、背中を押してやることも出来るかもしれない。
 そんなことを考えつつ、煙草を切らしているのに気づき、自宅マンションの近くのコンビニに立ち寄った。
「あれ?」
 ピロリロリーン。気の抜ける音と共に、温かいコンビニに入ると、見知った背中を見つけた。
そこには、もう会うこともないだろうと思っていた相手、幸村が、弁当が整然と陳列されている前で、難しい表情で立ち尽くしている。
「おい、真田じゃねえか。何してんだ。」
 その学生服の彼に声をかけると、振り返った幸村は、小十郎の姿を確認してニコッと破顔する。
「ああ、片倉さん。お久しぶりでござるっ。今、夕ご飯は何にしようかと悩んでいたので。」
 がっつりトンカツにしようか、ジューシーハンバーグも捨てがたく、片倉さんはどちらが良いと?と幸村は顔の横に弁当を2つ持って朗らかに聞いてくる。
「夕ご飯だと?コンビニ弁当がかっ?」
 思わず小十郎の語尾が荒っぽくなる。その思わぬ迫力に、えええ、と、幸村はビクンッと少し体を身じろがせた。
「はあ、親代わりの従兄弟が、今日から4泊5日で九州へ修学旅行で。恥ずかしながら、俺、料理をしたことが無く…。」
 何故だか凄い形相で詰め寄ってくる小十郎に、幸村は腰を引け気味にしながら、コンビニ弁当の理由を、声を上ずらせて述べる。
「駄目だ、駄目だっ。」
 眉間に皺を盛大に寄せた小十郎は、幸村の語尾に被せるように、強く否定する。
「え?」
「てめえ、育ちざかりだろうが。昼飯ならまだしも、そんな栄養が偏ったもの、夕飯にしてんじゃねえよ。」
「えええっ、そう、言われ申されても…、俺、自分では…。」
「俺が栄養満点の飯、作ってやるから。家まで来い。」
「そ、そんな、それは悪いでござるっっ。」
「良いんだよ、俺が勝手に許せねえだけだから。ここまで来たら自己満足の世界だ。」
 険しかった表情を緩めると小十郎はポケットに入ってるスマートフォンを取り、ワンタッチでどこかにかけ始めた。数コールで相手と繋がったらしく、少しだけ顔を引き締めた。
「ああ、政宗様、ちょっと、夕ご飯、1人増えますが良ろしいですか?ああ、それは俺の知り合いで。」
 小十郎と電話の先にいる相手との会話の間、幸村は小十郎の横顔を、少し不安げに見つめている。
「有難うございます。では、あと数分で戻りますので。」
 小十郎が携帯を内ポケットに直すのを確認して、幸村は声を発した。
「まさ、むね、さま?」
「ああ、俺の主だ。」
「主、でござるか?」
「俺は、その御方のボディガード兼、保護者みたいなもんだ。」
「へえ…。」
 長く黒々とした睫毛を瞬かせた幸村は何かひっかかる表情で、ぼんやりと頷いた。
 当初の目的である煙草、その番号を店員に告げてレジを済ませ、心持ち幸村の背中を押しながら店内から出ようとする。ありがとうございましたーという間延びした店員の声を聞きつつ、軒下から心が滅入るほどに暗い空を見上げる。
「ああ、雨、本降りになったな。おい真田、お前、傘は?」
 傘立てに置いといた傘を取り、傍らに立つ幸村に話しかける。
 こちらを見上げてくる幸村は、眉毛をハノ字にしてフルフルと首を左右に振る。
「家まで走って帰ろうと思ってたので、傘は持参しておらぬので…。」
「おいおい、お前ってやつは…どこまで、手がかかる。」
 眉根を顰めた小十郎は、ハーッとこれ見よがしに盛大に溜息をつく。
「今何月だと思ってる。11月だぞ。もう本格的な冬が近づいているんだ。雨なんか被ったら風邪ひくだろうが。」
「申し訳ないでござる。」
 政宗より数倍手のかかる大きな子供みたいな幸村に、小姑みたく口を酸っぱくしてしまう。
「しゃーねえから、俺の傘に入れ。」
「えええ、そんなの悪いでござるよっ。」
「迷惑は既にかかってるんだ。これ以上1個や2個増えても、問題ねえよ。」
 小十郎は、15pほど身長差がある幸村の学生服の肩を抱くと、傘の中に強引に入れてしまう。
「は、はあ…、それは、かたじけないでござる…。」
 体を縮こまる感じで小十郎に近づいた幸村は、緊張しているのか、少し尻すぼみに声を出した。
「そういや、真田と前に会ったのも、こんな雨の日だったな。」
「俺、実は雨男らしくて。」
 たははと、幸村は頭をかく。
「そうなのか?イメージ的には晴男っぽいけどな。」
 初めて会った時に、向日葵みたいに笑うなあと思ったんだ、と、小十郎は続けた。
 幸村は密かに顔を赤らめる。男前な小十郎にそんなことを言われて、何故だか照れてしまったのだ。
「…あの、主の方は、どのような方で?」
 これから会う、しかも夕ご飯をご一緒するということで、どんな時でも物怖じしない幸村でも相手が気になる。
「ああ、真田と同じ学校らしいな。制服が一緒だ。高2。」
「えええええっ!片倉さんの主の方は高校生でっ!」
「そうだ。」
「俺の1個上、同じ学校、まさむね、さま…。」
 蝙蝠傘の裏側をぼんやりと目に映した幸村は、何か思案するように、ぽつぽつと単語を口の中で発音する。
「おい、真田。」
 ふと気づくと、幸村の学生服の肩の紺が、濃くなっている。傘から食み出して雨を受けているようだ。
「肩、濡れてるぞ。もう少しこっちに寄れよ。」
「は、はあ。」
 ますます体を密着するほどにぐっと抱き寄せられて、幸村はううう、と、顔を赤らめて俯いてしまう。そんな幸村の思わぬ反応に、こちらまで気恥ずかしくなった。
「今日の献立は何にしようか。真田は何か食べたいものはあるか?」
 場を取り繕うようにコホンと咳をして、ますます闇を濃くしてゆく空を見上げながら、何気なくを装い問いかける。
「俺、甘いものならなんでもっ!」
「それは飯じゃねえだろが。」
 即却下だ、と、小十郎は眉間に皺を寄せた。
「鍋にするかな。温まるし…。」
「鍋も、大好物でござるよ。」
「そうか。そりゃあ良かったな。沢山作るから好きなだけ食えよ。」
「ありがとうございますっ。」
 温もりを感じる幸村の笑顔に釣られて、小十郎も薄く微笑む。
 何だか、調子が狂う。徐々に真田の雰囲気に絆されてしまっているようだ。
「おっと、ここだ。」
 歩みを止めた小十郎に合わせて、幸村は立ち止まると。
「これは、凄いマンションでござるなあ。」
 ハーッと感心したように高層マンションを見上げて、感嘆の声を上げる。駅近で、この外装。値段を考えるのでさえ、躊躇われる。
「まあ、俺のじゃ無くて、俺の主の家だがな。」
 俺の給料じゃ一生稼いでも無理だが、と、軽く自嘲しつつ、小十郎は大理石の壁の鍵穴に鍵を指して玄関ロビーの戸を開いて、続いてエレベーターへ入る。その箱は16階で止まった。部屋の前まで着くと、流れる動作で、ピンポーンとチャイムを鳴らして、玄関扉の鍵を開け、ロビーから部屋までのゴージャス感に引け目を感じてか、体を強張らせている幸村を、中へ押し入れる。
「政宗様、帰りました。お待たせして申し訳ございません。今から、御飯の支度に…。」
「おじゃましますっっ!」
 小十郎に続いておずおずと入ってきた幸村は、小十郎と並んでも余裕のある玄関で、緊張気味に直角にお辞儀をしている。
「あ、あんたは…真田、幸村っ。」
 いつの間にか玄関までやって来ていたスウェット姿の政宗が、小十郎の背中に隠れていた幸村を見て、黒縁眼鏡の奥で目を見開く。
「や、やっぱり、政宗先輩でござったか…っ。」
 幸村も、鏡みたく、政宗同様の驚きの表情をしている。
「なんでっ、あんたがっ、小十郎と知り合いなんだよっ!」


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