小説 その5 「お肌、すっごい綺麗ですね。透き通ってる…。」 メイク担当の鶴姫が、ファンデーションを肌に撫でつけつつ、至近距離に近い場所で、うっとりとした感じで言ってくる。 「いや…そんな。」女性に慣れない幸村は、恐縮そうに、もごもごと返事する。 「衣装…ちょっと、胸の辺りが苦しいかもな。」 今、本当に時間が無く、立った状態で、メイクと同時進行で着付けをしている最中だった。孫市は、無理やり白いドレスのジッパーを上げようとしたが、胸が大きすぎて腰辺りで止まってしまった。 「おい、何カップなんだ?これ。」 「え?…あの、これは…その…。」 カップ数なんて分かりっこない幸村が、顔を真っ赤にして狼狽える。 「孫市姉さまより、大きい人がいるなんて、吃驚ですヨ。」 付け睫毛片手に鶴姫が、ほとほと驚いている。 「…しょうがない、これ、使うか。」 孫市が取り出したのは安全ピン。 とりあえず応急処置として、上がる所までジッパーを上げて、それで止める方法を取ることにした。そして安全ピンで止めた後ろは、最初から用意されていた羽根で誤魔化した。 超特急で化粧を全て完了させて、最後に、ロングのウィッグにヘアアクセをつけて。 「よし、可愛いな。」完成形を見た孫市が、安心したようにフウと息を吐く。 「本当の、妖精さんみたいですね☆すっごく可愛いですよ!」 顔の前で両手を握った鶴姫が、目をキラキラさせて称賛した。 ☆☆☆☆ 「石田さん、出来上がりました。」 「え?」 衣装をチェンジしてメイクを施して表れた幸村に、書類片手に広告代理店の人と打ち合わせ中だった三成は、振り返って、くっと息を飲む。完全に見惚れてしまったのか、ワンテンポ遅れて、コホンと咳払いして声を発した。 「…想った通りだ。最高のCMになりそうだ、本当に有難う。感謝する。」 感慨深げに言った三成は、ぎゅっと幸村の手を握って、薄く微笑んだ。 「いえ、俺、頑張ります。」 「よし、行こう。」 そのまま三成に背中を押され、忙しなく、幸村は、スタジオ内に設置された、森の中へ迷い込んだようなセットへ移動した。中央の切り株に座らせられる。 そこで、監督らしき人が挨拶もほどほどに、幸村に、身振り手振りで動きを説明をする。監督は、カメラを指さしながら。 「大好きな人が、あのカメラの先にいるように考えて、合図をしたら、目を閉じて俯いていた姿勢から、顔を上げて、笑顔になって下さい。この化粧品のコンセプトが、大好きな人にもっともっと好きになってもらう自分になるために、可愛く変身する。化粧品は、その魔法の道具という設定なので。君は、相手俳優の心を奪う森の妖精、という役どころです。」 ―――大好きな、人…。 「じゃあ、まず、君のシーンから、先に撮りますんで。」 監督は、舞台前の、中央の位置へ移動する。 「本番、始めまーす!」 沢山の、眩いばかりの光を浴びる。 「3、2、1。」 目を閉じた幸村は、ただ1人のことを想って、華が綻ぶように、ふわっと笑んだ。 それを見ていた周りの人全員が、一瞬にして心を奪われるほどの威力を持つ、最高の笑顔だった。 ☆☆☆ 「政宗先輩っ!」 トレーナーのポケットに両手を入れ、壁にもたれた姿勢で、スタジオの隅っこで見学していた政宗の元へ、そのままの妖精の姿の幸村が手を振って、パタパタと元気よく駆け寄ってくる。 「…ああ、お疲れ。」 その黒縁眼鏡の下で目を眇めた政宗の、少し不機嫌そうな感じに、幸村は不安げに瞳を揺らす。 「あの俺、ちゃんと出来ていなかったでござるか?」 「ううん、ちゃんと出来ていたよ。あんた、本番に強んだな。堂々としてたし。」 あんな表情されたら、まじで、たまらないよな。理性ぶっ飛んで、ガッと両腕で抱き閉めてしまいそうだ。と、政宗は斜め上を見て、幸村に聞こえない音量で、ブツブツ何か独り言を言っている。 キャミソールワンピに素足の姿で肌寒いのか、コンコンと、咳をし始めた幸村に。 「おい、これじゃ寒いんじゃねえの?」 幸村の剥き出しの二の腕を、温めるように両側から掌で摩りながら、政宗は心配げに眉根をひそめる。 「せっかくメイクさんや先輩の幼馴染さんに綺麗にしてもらったんで、先輩にもちゃんと傍で見てもらおうと思って。」 ニコッと朗らかに笑って、本人は全く意図していないのだが、そんな殺し文句的なことをサラッと幸村は言った。 「え?わざわざ、そうなのか…。」 今のヤバイ、キュンと来たかも…と、政宗は、内心思いつつ。 「うん、すごく、可愛いよ。」 にやけない様に注意しながら、幸村の頬を撫で、政宗は声に甘さを滲ませて告げる。 でも、幸村が、くしゅんっと背を折って、大きくクシャミをした瞬間に、後ろの応急処置の安全ピンが吹っ飛んでしまって。 「あの…、ゆ、ゆき…。」 思わず政宗の視線が、幸村のソコに釘付けになってしまった。 「ええ?」 政宗の視線を追って、目線を下に落とすと、大きな白桃のような胸が、政宗の前で露わになっていた。 「う、うわあああああ。」 スタジオ中に響いた幸村の悲鳴に、後片付け中だった孫市と鶴姫が、大急ぎで駆け寄ってきた。 「わあ、ゆ、ゆきさんっ、これ着て下さい!」 びっくり仰天の鶴姫が、自分の着ていたピンクのカーディガンを脱ぎ、顔を真っ赤にして硬直中の幸村の肩に羽織らせる。 「政宗、貴様ってやつは、前々から女性に手が早いと思ってはいたが…こんな場所で見境なく…。」 女の敵、とばかりに、孫市が殺気を帯びた目で、ゆらりと政宗を見て。 「違う、これは誤解だって。」 「問答無用!」 及び腰になっている政宗に、空手有段者の孫市の鉄拳が振りかざされた。 ☆☆☆☆ 「お待たせしました。」 学校の制服と政宗から借りた上着に服装を戻した幸村が、玄関ロビーで待っている政宗の元へ少しでも早く辿り着こうと、息を弾ませ律儀に走ってくる。 「なんか腹減ったな、食べてく?奢っから。」 「え?そんな、悪いでござる…。」 「昨日バイト代入ったから、遠慮することねえよ。あんたの好きな甘いお菓子を沢山食べようぜ。今日頑張ったご褒美に。」 言うが早いか、鼻歌交じりの政宗は、レッツゴーと先導するように歩き出す。 「あ…。」 幸村はヒールが慣れないのか、少しずつ政宗との距離が離れてゆく。 「ほら、手、貸せよ。」 そんな幸村の状態に気付いて立ち止まった政宗に、さりげない感じで手を差し伸べられて、幸村はおずおずと手を出す。すると、指を絡ませて、ぎゅっと握られた。 ビルから出ると、外はすでに濃紺とネオンの世界になっていた。 「CM始まったら、こんな街中で、手を繋ぐことも出来なくなるな。」 「なんでで?」 理由が分からず、きょとんとする幸村に、逆に政宗の方が驚きを隠せない。 「テレビとか新聞とか見ねえの?芸能人と一般の俺が手を繋いでいただけで、熱愛発覚か?って、翌日の芸能ニュースに大々的に出ちまうぜ。それに、ツイッターとかで呟かれまくりだぜ。」 「俺、あまり、テレビとかに詳しくなくて。ずっと、年がら年中、剣道ばっかりやっていたので。」 「へえ、剣道?ちょっと意外な感じ。言い方悪くて申し訳ないけど、ちょっとドジというか、トロいのかなって思ったから。よく派手にこけてるし。」 と、何か思い出したのか楽しげに笑って、政宗は、からかう感じで言ってくる。 「確かに…俺、よくこけるでござるが…。」 幸村は拗ねたように、ぷうと口を膨らませる。政宗は面白そうに、そんな風船みたいになってる幸村の頬を、つんつんと突いてきた。一しきり笑った政宗が顔を上げると、空には、あまり都会では見かけない月が、ぽっかりと浮かんでいて、気持ちをセンチメンタルにさせる。 「…俺、あんたに、テレビとか出て欲しくねえな、あんまり。」 何だか、しんみりとした感じで、政宗は本音が出てしまう。 「や、やっぱり、俺には、役不足でござるよな…。」 見るからにシュンと落ち込む幸村に、政宗は、慌てて言い直す。 「違う、その逆。あんた、すげえよ。アイドルになるために生まれてきたみてえ。きっとCM見た大勢の人が、あんたのファンになっちまうじゃねえの。あんな笑顔を見せられたら、誰だって虜になるよ。」 「なら…何故?」 「だから、何か、遠い存在になりそうだろ?せっかく、俺達、友達になれたのに。」 「え、と、友達?」 「違うか?俺は、勝手にそう思ってっけど。」 ブンブンブンと、幸村は大きく首を振る。 「友達でござる!!」 繋がった手をますますぎゅっと握って、凄く嬉しそうに、幸村は微笑んだ。CM撮影時の皆を魅了する微笑みとはまた違う、心がほっこり温まるような笑顔に、密かに政宗は、キュンと胸をときめかせてしまう。 「そうだ、今度はドラマに出てくれって、あの石田っていうマネージャーに言われたらどうすんの?一度きりって言ってたくせに、なんか、ゆきに対して未練タラタラだったしな。どさくさまぎれに、ゆきの電話番号とか、アドレス聞いてきてるだろ、あいつ。」 実は、再会した時に不機嫌だったのは、それを見ていたからだった。携帯を出して、赤外線受信していたのを、バッチリ確認してしまったから。 「ど、ドラマ?」 「ああ、ドラマとか決まったら、相手俳優と、キスシーンとかあるかもだぜ。」 「き、ききき、キスでござるか?」 そんな破廉恥なこと!と、耳まで真っ赤にした幸村は、思わず外だということを忘れて、声を張り上げてしまう。 「え、なに、その初心すぎる反応。あんた、高校生だろ。キスくらいあるだろ?普通。」 「俺、…無い…です…。」 うううう、と、幸村は、泣きそうな顔と声で、途切れ途切れに言葉を出す。普通じゃないことにショックを受けてしまった。キスどころか、女の子と、フォークダンス以外で手を繋いだことさえない。唇なんて触れてしまったら、心臓が壊れてしまうかもしれない。 「なら、ちょっと、止まって。」 突然少し広めの歩道の上で、政宗は立ち止まって、くるりとこちらへ振り返った。 「目えつぶって。」 「な、何でござる?」 「いいから。」 注射を待つ時みたいにぎゅっと目を閉じて、不安そうに、せんぱい?と、声を出す幸村の、そのグロスを塗ったままの唇に。 真剣な表情になった政宗は、自分も目を閉じて、そっと顔を寄せて、自らの唇を押し付けた。 ぷにっと柔らかくて温かい何かが、唇に触れた感触に。 「え?」 幸村は、何が起こったのか分からなくて、驚きながら目を開くと。 「ゆきのファーストキス、貰っちゃった。」 「ええええっ!!!」 フッと力が抜けてしまった幸村を、おっと、と、政宗は抱きとめて、そのまま、ぎゅうときつく懐に納めてしまう。 「せ、せんぱい?」 「…ホント、あんたには適わねえな、全く。」 と、抱き閉めたままの幸村の頭に頬を寄せて、政宗はぼやくようにボソッと零した。 「魔法にかからないわけねえよな。」 「せんぱい?」 「じゃ、ケーキ、食いに行こうぜ。」 「は、はい…。」 密かに顔を赤らめた政宗は、ばれないように体ごと幸村から背けて、火照った頬を、夜風で冷やした。 [*前へ][次へ#] [戻る] |