小説
その4
学校からも駅からも徒歩圏内にある高層かつ高級マンション。親が転勤族のために、今は三成だけが住んでいる。けれど、自分からすすんで家族以外の人を入れたのは初めてだ。三成は雨が染みこんだ傘を、とりあえず開いたまま靴置場に置いた。それでも、2人余裕で立っていられるほど、玄関も広々している。
「おじゃまします…。」
少し緊張気味に、三成の後ろについて幸村は中へ入る。
「ほら、入る前にさっさと服を全部脱げ。」
「え?」
驚いて目を瞬かせる幸村を、蛍光灯の下、明るいところで見ると、状況はもっと悲惨だった。幸村の前髪から滴がポタポタ零れ落ちている。一言で表すと、ずぶ濡れ状態だ。
「ブラウスと下着と靴下は洗濯機へ突っ込め。洗って乾燥機回すから。学生服はとりあえず、その辺に置いとけ。後で、エアコンの前に掛けて干すしかない。」
てきぱきと指示されて、とりあえず幸村は、かじかんだ指でぐっしょり重くなった学生服を脱ぐところから始めていた。そして、幸村を1人玄関に置いて、学生服の上を脱いでシャツ姿になっている三成は、お風呂場へと消えてゆく。戸から上半身だけ出して、更に幸村に付け加える。
「今からお湯をはるから、ちょっとリビングで待ってろ。それと風邪ひくから、これに包まっとけ。」
三成が投げたバスタオルが、幸村の頭にすっぽりかかる。ふわりと柔軟剤の良い匂いが辺りを包んだ。
初めて来た、人様のお家(しかも玄関)で全裸になるのは気が引けるけれど、言われた通りにしないと駄目みたいなので、勢い付けて全てを脱ぐ。そして、言われた定位置に全てを入れ終えると、バスタオルに包まった幸村は、少し興味津々な目でリビングをぐるりと見回す。
広い15畳はありそうな部屋。対面キッチンで、その近くにダイニングテーブル。部屋の中央には、大きな壁かけ型のテレビと、これまた高そうなソファセット。ブオーッと壁はめ込み式エアコンから温かい風が高速で出てきている。そして、圧巻なのは、窓から見える夜景。さすがに20階からの眺めは、人口の星空を見下ろしている感じだ。
窓際に立った幸村は、うあーと口を半開きで、Xmas前でキラキラが倍増したようなその煌めきを眺めていた。
一方、お風呂場でお湯はりをしていた三成は、お湯がバスタブへ徐々に溜まってゆく状況を眺めながら、ため息。
「なんで…、こんなことになっているんだろ。」
帰ってきたら、まずは夕飯の時間まで、受験勉強をしようと思っていたのに。
目指している医大の入試が、刻一刻と近づいてきていて。時間的にも気分的にも余裕なんて全くないはずなのに。
でも、彼をほっとけなくなってしまう。
気付くと、目で姿を追ってしまっている。
状況は更に上を行っていて、傍に置いておきたくなってしまっている。
なんなんだろう、この感情は。
よく、分からない。全然、分からない。
「先輩…。」
「!!!!」
背中におずおずと声をかけられて、物思いに耽っていた三成は、背中をビクンと揺らすほどかなり驚いた。声はさすがに堪えたけれど。
「全部、服、入れ終わりました、けど。」
「リビングで待ってろって、言っただろ。」
驚いているのを隠したくて、声が刺々しくなってしまう。
「でも、なんか、広すぎて落ち着かなくて。」
俺、貧乏性で、と苦笑気味に、幸村は言う。バスタオルを肩からすっぽり被っているだけのその姿は、すごく寒々しく見える。剥き出しの足は、うっすら鳥肌が立っている。
「分かった、一緒に行くから。」
ため息交じりに三成は告げて、腰を上げる。
ここに一緒にいられたんじゃ、風邪をひかすだけだ。
「ごめんなさ…っ。」
めんどくさいと思われたと感じた幸村は、少し悲しそうに、目を伏し目がちにする。
「……。」
その微かな表情の変化を見つけてしまって、三成は胸を詰まらせる。
こんな時、本当はどうすれば良いのだろう。優しい言葉のかけ方が分からない。優しい接し方が分からない。正解が分からない。本当は傷つけたくないのに、きっと、自分の言葉足らずのせいで、誤解を招いている。
前までは、別に、それでいいと思っていた。人に嫌われても、しょうがないと諦めていた。
けれど、今は…。
三成は、ぐっと腰の横で拳を握る。
「その…、正直に言ってもらった方が、良いだけだから…。私も、幸村が嫌だったら、こんな自分の家まで連れて来ない、し…。風邪をひかせたくないんだ、その格好だと、ここにいたら悪化しそうだ、から。温かいリビングの方が、良いだろ。」
なんか、変な、たどたどしい日本語になってしまったけれど、三成は精一杯考えて、言葉を伝える。
「え?」
弾かれたように、幸村は顔を上げた。
「…だから、温かいとこへ行くぞって、言ってるんだ。」
少し照れくさそうに三成は早口で言う。
「はいっ。」
幸村は、瞬間、華が綻ぶように、無邪気な笑顔で頷いた。
ああ、駄目だ、と三成は思う。
駄目だ、この笑顔。今の自分には、破壊力がありすぎる。
「早く行くぞ…。」幸村の背中を押しながら、風呂場から出ようとした瞬間、どういうタイミングでか、「お風呂が沸きました」と電子音が伝えてくる。
「仕方ない、このまま風呂に入るか。幸村はさっさと先に入ってろ。」
「え?」そこに立ち止まったまま動こうとしない幸村に、咎めるような目つきでさっさとしろ、と三成は促す。
「ええええ?一緒に入るので?」
狼狽える幸村を横目に、三成はすでに服を脱ぎ始めている。
「お互い待っている間に凍えるぞ。一緒に入った方が、色々短縮出来るし、効率が良いだろ。」
三成はシャツのボタンを左手で外しながら、眼鏡を無くさないように、脱衣篭の中へそっと置いて。
「さっさとしろ。」
「ううううう、」
と、まだ躊躇している幸村のバスタオルを、強制的に剥いだ。
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