小説 その9 あれよこれよと言う間に始まった新入生歓迎会は、大盛況に終わった。軽音部のバンド演奏に、演劇部のミュージカル公演、校内ミスコンテスト等々、盛りだくさんの内容で、新入生は勿論、在校生まで大いに楽しんでいた。 一方の完全裏方の幸村は、疲労困ぱいで重い体を引きずり、やっとこさ、5階という僻地の生徒会室へ戻る。 ―――誰か、いるのか? 少しだけ開いていた扉の隙間から中を覗き見ると、そこには椅子に腰かけ、手紙を読んでいる政宗がいた。まだ寒い、初春の淡い陽の光を受けながら、いつも以上に真剣な表情で、熱心に見入っている。 「…あ。」 そこは、神聖な場所みたく、入りにくい雰囲気に思えた。 幸村はコンクリートの床にしゃがみ込んで、どうしようかと思案する。 邪魔したくないけれど、鞄はそこにあるから帰れない。それよりもすごく気になるのは…。 ―――誰からの、手紙なんだろう…。 周りの雑音を遮断して、一字一句食い入るように読みふけっている。 ―――きっと、大切な人からの、手紙なんだろう。 あんな真剣な顔、自分の前では見せたことが無い。立ち入ることなんて出来ない、大事なプライベートな聖域。凄く社交的に見えるけれど、本当に大事な部分には他人を入り込ませない人だと、この数日間で知った。 幸村の扉を掴む手に、不自然に力がこもる。 ―――どこかに、大好きな、人、がいるのかもしれない。 あ、ヤバイ。また泣きそうになってきた。フラれた後、あれだけ泣いたのに、涙は枯れないものなのか。 そういう時に限って、ズボンのポケットからカタンと家の鍵が落ちた。その密かな金属音には何故か反応して、政宗はこちらを素早く見遣る。 「誰かと思ったら、何だ、幸村か。お疲れ。」 ズビと鼻を啜り、あわあわと慌てながら鍵を拾う。扉にしがみ付くように小さく丸まっている幸村に気付いた政宗は、見られたくないのか、手紙をくしゃりと無造作にポケットに入れて、おいでおいでと招き入れる。 「お疲れ様です。」 本当に言葉通り、お疲れ様だった。睡眠不足な状態で大道具運び等、いろいろこき使われたから、関節の節々がすでに悲鳴を上げてきている。華やかそうな生徒会の裏側って実際は雑用が多いんだなと、実情を知った気がした。 「あんたの今日の仕事は大体終わりだから。」 「そうですか、…じゃ、俺、お先に失礼します。」 生徒会室に置きっぱなしにしてあった、虎のキーホルダーが目印の鞄を脇に抱えながら、出て行こうとする。クラスの皆は帰ったかな、と、慶次と元就に連絡を取ろうと、幸村はポケットの中の携帯を探る。佐助からのプレゼントのストラップを指先が確認する。 政宗は、「そうだ、」と、回れ右して帰ろうとする幸村の背を止めて。 「昨日手伝ってもらったお礼に、飯でも、今日どう?」 「あ…、すみません、夕飯は、いつも従兄弟が作って待っているんで。」 佐助の京都からの帰りの新幹線はもう着いている時刻。きっと土産話も披露したくて、うずうずして待っているだろう。 「じゃあさ、お茶でもしてこうぜ?甘い物苦手じゃなければ、俺、美味しいケーキ屋知ってるんだけどさ。」 「う…、ケーキ、で、ござるか…。」 思わず生唾をごくんと飲み込んでしまった。甘いものには、とてつもなく惹かれてしまう。 「まあ、ケーキなら。」それを食べても、佐助が作ってくれる夕飯もちゃんと食べれそうだし…。 鞄を抱いた状態だった幸村は、コクンと、大きく縦に頷いた。 ☆☆☆☆ 通学路の途中にある、高校近くの喫茶店。メインの女性客を意識してか、英国風の落ち着いたインテリアだった。ケーキが美味しいと評判なこともあって、今時分の店内は学校帰りの女子高校生でいっぱいだった。その中、制服姿の男2人は、そこの雰囲気に違和感以外の何物でもなく、しかも、政宗が有名人ということもあって、ファンらしき女子の熱烈すぎる視線が痛い。政宗の一挙一動に注目している。 「あー…。」 政宗は、自分の今目の前で繰り広げられている事実に、驚きの声。 甘い物を見つめる幸村の眼の本気度が違う。テーブルの上に次々とケーキの皿が並ぶ度に、目を爛々と輝かせている。 「あんた、甘い物、本当に好きなんだな。」 政宗は、感嘆の息を漏らす。 モンブランにストロベリーミルフィーユにガトーショコラ、はちみつシロップがたっぷりかかったホットケーキ、季節の果物が盛りだくさんに乗ったフルーツタルト。好きなだけ頼んでいいと言った結果がこれだった。飲み物は、砂糖たっぷりのカフェオレだと言うから、もう、見るだけでお腹いっぱい、口の中が甘ったるくなりそうだ。 「伊達先輩は、はえはいんですか?」 口の中をケーキでいっぱいにして、もごもごと幸村はしゃべる。食べないんですか?と聞こうとしているのに、日本語になってない。 「政宗で良いよ。あー、俺、甘い物苦手だからな。実は食えねえの。」 苦笑気味に、シロップもミルクも入っていないアイスコーヒーのストローを、ぐるぐる手持無沙汰に回している。 「じゃあなんで、俺とケーキ…。」 自分が言うのもなんだが、男2人で来るより、女の子を連れてきた方が楽しいと思うけれど。校内人気投票ではいつもぶっちぎりの1位、超女の子好きで泣かした女性も数知れず、隠し子でもいるんじゃないか、という噂が立つくらいだし。この前まで、読者モデルの可愛い彼女がいたという、華やかな経歴の持ち主。自分の、小さい頃から日々剣道漬けで、女子とはフォークダンス以外では手も繋いだことの無い、目を合わせて話すだけで緊張しまくってしまうそれとは対照的だ(鶴姫だけは幼稚園から一緒なので例外だが)。 フォークで贅沢にも苺丸ごと1個をすくい上げ、あーんと、開けた口元へ持っていく。 「んー、別に、何となく、あんたともっと一緒にいたいなって思ったから。このまま帰っちゃうのは勿体ねえって、考えちゃったからかな…、そんな大した理由じゃねえよ。」 「あえ?」 ポロッと苺がフォークから零れて逃げてゆく。せっかくのメインのお楽しみが、コロコロとテーブルクロスの上を転がる。 「ポロポロ落として、まるでお子ちゃまだな。」 クスッと政宗が笑ってテーブル越しに体を伸ばすと、幸村の口元についていたクリームを親指で拭って、それを舐めた。 瞬間、監視しているギャラリーから、歓喜とも悲鳴ともとれる黄色い声が上がった。 「ううう…。」また一段と視線が痛い。視線が凶器にもなりうることを今知った。それに慣れているのか、政宗はごく涼しい顔して、幸村が美味しそうに食べているのを眺めている。 「高2のくせに、かーわいいのな、あんた。」 頬杖をついた政宗は、ニヤニヤと笑う。 「女子じゃあるまいし、可愛いなんて言われても、これっぽっちも嬉しくないでござるっ。」 断腸の思いで大好きな苺を諦めて、ミルフィーユの層にフォークをブッ立てた。 「そんなムキになんなよ、ますますガキみてえだぜ。あんた、ホント、周りから大事に大事に育てられたんだな。あんたを構いたくなるのは、すっげえ分かるけど。」 「むううううう。」フォークを噛み締めて、幸村は口を尖らせる。 「…と、それより、ごめんな、昨日無理やり…、なんかやっちまって。」 「ぐっっ!」 急にその話題を振られた幸村は、途端、喉を詰める。むせて苦しがる幸村は、カフェオレを懸命に吸い上げた。 「大丈夫か?」 「いえ、あの…、俺は、全然、全く気にしてないでござるし、だ…政宗先輩も、気にしないで下さい。あれは、その…事故みたいなもので、ござる。」 顔を耳まで赤くした幸村は目を伏せ、意味なくフォークでクリームを弄びながら、とつとつと告げる。そんな幸村の顔は、目の前のクリームたっぷりのケーキよりも、甘ったるく、可愛らしく見えた。 「俺も、もう全部忘れます。」 ―――そうなのだ。 あの行為には恋愛感情なんてない、ただの性欲処理だと思い込むようにした。そうしないと、頭が、心が、ぐちゃぐちゃになって、彼と普通にしゃべることもままならない。もう、好きだという事実さえも、心の奥底に閉まって忘れてしまおうと、この甘辛い気持ちも時間をかけて風化させていこうと、決心したのだった。 本当は、本当の自分は、今でも、彼のことを考えると、息をするのも苦しくて苦しくて、涙が出てくるほどに辛いけれど、自分には、自分なんかには、手の届かない存在だったのだ。 「キスも抱擁も、全部忘れんの?」 前髪をかき上げ、政宗は真剣な表情で、そう聞いてくる。 「え…?」幸村はよく分からないまま。「はい、俺は気にしてないです。」と、力強く答えた。 「そう、か…。」 テーブルに肘をついた政宗は何か考え事をするように、視線を横に流し、窓から車の流れを見遣る。 「ま、これから1年間、よろしくな。仲間として、仲良くやって行こうぜ。」 「は、はあ…。」 手を差し伸べられて、幸村はついつい手を繋ぎ返す。すると案の定、ギャラリーから声が上がって心がどんよりした。 「あ、雨、降ってきたみてえだな。」 「え、し、しまった、折り畳み…、学校に…っ。」 そう呟いた幸村は、ガタッと音を立てて半分腰を上げて窓の外を見る。 突然降ってきた雨に、歩行者は雨宿り場所を探して、小走りに走ってる。 佐助に持たされている折りたたみ傘、ロッカーに残したサブバックの方へ入っているんだった。またぐしょ濡れで帰ったら、佐助に叱られそうだ。 「傘持ってきてねえの?駅までなら、俺のに一緒に入ってくか?」 「え…?」 「あんたに風邪ひかせて寝込ませたら、また今日の朝みたいに三成にどやされそうだしな。」 苦笑気味に言った政宗は、さりげなく伝票と鞄を取って立ち上がる。 「は…はあ。」 幸村はあまり政宗の言葉を理解せぬまま、愛想笑いで頷いて見せた。 「じゃ、行くか。」 「あの、ご、御馳走様でした。」 食べ終わった皿を見て、幸村は、よくよく考えたらすごい金額になってるんじゃないかと、後の祭り的に後悔する。 「どういたしまして。」 あんなに気持ち良く食ってくれたら奢りがいがあるよ。と、言うことまでも男前に政宗は微笑む。 会計を終え、店から一歩出ようとすると、土砂降りの雨が阻んだ。 「あーあ、こりゃ、傘があってもヤバイかもな。」 政宗は鞄を脇に抱えると、折り畳みの傘を開ける。そして、微妙に離れていた幸村の肩を自然に抱くと、濡れないように引き寄せた。 「えっ!…あっ、あのっ。」驚いた幸村は、声を上ずらせる。トン、と幸村の頭が、自然に政宗の首元に触れた。 「濡れるだろ、俺から離れんな。」 「…は、はい。」 雨を含んだ外気が気持ち良いくらい、顔が火照りっぱなしだ。 もう政宗ファンの女の子のやっかみなど届かないくらい、政宗との近すぎる距離に、幸村は頭をボーっとさせていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |