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小説
その3
 脳のどこかで昨夜の出来事が何度も蘇る。そんな上の空で聞いた授業が終わり、友達からの誘いを平謝りに断り、1人学校を後にした。
 とぼとぼと重い足取りで歩きながら、ポケットの中に手を忍ばせると、ひんやりとした人工的なものが指先に触れる。
 寝て起きたら覚めると思っていた摩訶不思議な体験の証拠。
―――俺が女の子になったなんて。
「…夢じゃなかったのか…。」
「夢だと思ってたのか?」
 すぐ耳元で囁かれて。
「うわあああああっ。」
 幸村はざわっときた右の耳を両手で塞ぎながら、大きな動作で振り返る。
「こんな所でふわふわ浮いていたら、みんなが驚くでござるよっ。」
 170pの目線の高さに、大きな目をパチクリさせるいつきが昨夜同様空中遊泳のごとく浮いていた。幸村は斜め上を指差して大声でわめく。
「大丈夫だべ、おらのことは皆には見えてねから。」
「え?」
「だから皆には、お兄ちゃんが1人で騒いでるように見えてるんだべ。」
 かなり残念な人になっていると指摘されて、幸村はうっと声を無くし、顔を茹蛸みたいに真っ赤にした。確かにたった今、親子連れが不自然に1m以上避けて足早に去って行った。
「なあなあ、今日も変身してみるだよ。で、渋谷へ買い物に行くべ。」
「君は…能天気で良いでござるな。」
 少し恨みがましいジト目で、いつきを眺め、大きく溜息をつく。
 でも掌の上に置いたコンパクトにじーっと数秒間視線を送り、むくむくと育った好奇心に負けてしまった幸村は、人目につかぬよう、変身している場面を見られぬように、こそこそと公園の木陰に蹲って、コンパクトを開いてみた。そして中から昨日と同じ手順で、爪楊枝大のステッキを慎重に摘まみあげる。こんな外で落としてしまったら見つける自信が無い。
「なあなあ、お兄ちゃん、変身の呪文覚えているだか?」
「…教えてください。」
「いいよ☆」
 教えてあげる、と、腰に手をやりモデルばりにポーズを決めて、お姉さんぶっていつきは言った。
『ポメラン』で、手の中の小さな棒が、大きなピンク色の魔法のステッキに早変わりして。
『ラメパスラメパス、ポメポメポ〜ン』
 と恥を取り去って、唱えてみると。
 辺りが、目が開けていられぬほどの眩い、色とりどりの温かい光線に包まれて、体中にこそばゆい痒みが走った。
「今日は女学生さんみたいだべ。これまためんこいなあ。」
 パチパチパチと、いつきは我がごとのごとく満面の笑みで拍手する。
「…これ、俺の通ってる学校の女子の制服でござるな。」
 白いブラウスに朱色のリボン。紺系のタータンチェックのミニスカート。
 幸村は土下座のような姿勢になって背を丸め、自分の恰好をしげしげと確認した。
 ぼとり。
 目の前を黒い何かが上から下へ掠めた。地面を見ると、蛍光に近い鮮やかに黄緑の、親指大の芋虫がうごうご蠢いている。
「うわあああ…。」
 考えるより先に行動していた。わたわたと四本の四肢を使い、へっぴり腰で草陰から飛び出す。そして、幸村は慣れないヒールのためか、地面の窪みに足を取られ足首をグキッと横に捻り、アスファルトの上へ豪快にヘッドスライディングのごとき恰好で転んでしまった。
「…いたあ…っ。」
 幸村は尻餅をつき、ズキズキと自己主張する痛みの発信源を見てみると、痛々しく膝の皮が剥け、そこから血が止めどなくどくどくと出ている。
「…つうううっ。」
 その状態を確認し、視覚からの情報で何故かますます鈍い痛みがその場所から広がった。
 傷口には触れられないので、太ももと足首を掴み、苦痛に唸る。
「大丈夫か?」
 歯を食い縛って痛みを堪える幸村に、いつきが声をかけてきたのかと思ったら違った。それが可愛い女の子の声と違い、若い男性だったから。しかも、この声には聞き覚えがある。
「え?」
 目の端に涙を浮かべた少々情けない顔で、半信半疑ながら声のする方へ面を上げると。
 瞬間、心臓が全速力で駆けたと同じくらい急に早まった。生理的な涙で潤ませた目はこれ以上無く見開かれる。
(こんなの、こんな偶然って…。)
 幸村は顔をじわじわと首まで真っ赤にして、ぽかんと口を半開きにした、その状態で固まってしまう。
それは前にもあった図。約一年前と同様、困る幸村をわざわざ立ち止まって覗き込むのは、カフェの店員の彼だったのだ。黒縁の眼鏡をかけ、ラフなトレーナーの出で立ちで立っていた。幸村と目を合わせた相手もそう思ったらしく、彼は首を傾げ、ぼんやりと小さく呟いた。
「デジャブかと思った。」
 あの子と似てたから、とも、彼は付け足した。
(あの子って…?)
はっと両手で押さえた胸を高ぶらせて、幸村は刺すほどの痛みのはずの怪我を忘れて、彼をじっと見続けている。
 そして、一方の彼の目線は、幸村のドクドクと血液の筋が太腿へ下り落ちている、絶賛流血中の膝頭に注がれる。
「おい大丈夫か?膝からすっげ血出てんじゃねえか。」
 その悲惨な状態に気付くと、声を荒げ座り込み、これ使ってないからと断って、ポケットから蒼いハンカチを取り出して幸村の傷口を躊躇無く押さえた。
「このままだとバイ菌入るな。しゃーねえ、俺の家近いからそこで消毒するから、それまで我慢しろよ。」
「…え、そんな、これ以上迷惑かけるのは…。」
 申し訳ないと、幸村が両手を突っ張り気味に前に出し、ふるふると首を振るけれど。
「この足じゃ動けないだろ。ほら、さっさと行くぞ。」
 問答無用に彼は、幸村の膝下に手を入れると、起き上がると同時に、幸村の体をひょいと横抱きにして軽々と歩き出した。足から落ちそうなハイヒールが視線の先で、首の皮一枚で繋がっているかのごとく、ぶらんぶらんと不安定に揺れる。
「ええええええっ、ちょっちょっっ。」
 必然的に幸村は耳から彼の胸へと密着する姿勢になって、そのあまりの近さに顔から火を噴きだしそうに真っ赤にして空中でじたばたと慌てる。
「暴れると落とすぞ。」
 すぐ近く、頭上で少し笑いを含んだ優しい彼の声がして、幸村はどうしていいか分からないくらい、ドキドキが止まらなかった。もう体中が敏感な心臓になったみたいに。
両腕が締まって、見た目よりしっかりとした筋肉質の胸に抱かれて、幸村は息を飲んで大人しくなる。
 家まで約五分間。
 擦れ違うみんなが奇異の目で不躾にじろじろ見ている。わざわざ振り返ってまで見る人もいた。当の本人は、涼しげな顔して前だけを見て歩いているけれど。
 早く着いてほしい気持ちと、このまま着いてほしくない気持ちと、相反するそれがぐるぐる幸村の脳裏を巡って、とうとう蕩けてしまった。もうどうにでもなれと、幸村は大きく盛り上がった胸がへしゃげるくらいに、彼へときゅっとしがみつく。
「離れんなよ。」
凄く近い場所で彼は、そう優しく囁いた。

☆☆☆☆
 パタンと玄関の扉が閉まって、先ほどまでの外の喧騒が嘘みたいに、静かな二人だけの空間になった。それでもしばらく、彼は幸村を開放することなく、そのままの状態で抱き締め続けていた。
 なんでこんなことになっているのか、幸村自身、分からなかったのだけれど。
 その間も幸村はただただ心臓が口から飛び出しそうなくらい、たまらなく極限までドキドキしていたのだ。
 そして、何故だか彼は、ぎゅっと両目を閉じている幸村の頬に形の良い唇を寄せた。柔らかいそれが紅潮したそれにふわりと羽根が舞い降りたように優しく触れて、幸村は何が起こったのかと人より大きめの目を開ける。すると、思いの外、顔同士が近くにあって。真剣な表情の彼と克ち合って、ますます幸村は呼吸の仕方を忘れるくらい息が苦しくなり、鼓動の高まりはピークに達していた。
「ああああっ、あのっ…。」
「さあてと、こんなことしてる場合じゃないよな。あんたの中から血が無くなっちまう。」
 声を上ずらせる幸村へ、苦笑気味に彼はそう告げると、名残惜しげに幸村をフローリングに座らせて、こけた元凶のヒールを子供にするみたく片方づつ脱がす。
「立てるか?」
 幸村は肩を借り、怪我している方を避けるようにびっこをひく形で歩き始めて、1ルームの中心、ソファへと辿り着く。
「俺、高校のとき、部活がサッカーだったから、こういう応急処置とか慣れてんだ。」
 そう豪語するのも納得の手つきで、幸村の座るソファの前に跪いた姿勢で、消毒をし、包帯を器用に巻いてゆく。
「これで良し、と。」
 丁寧に巻き終えると、密かな達成感からか、顔を上げた彼の眼が、眼鏡の奥で少し嬉しげに細められた。
「ありがとうございます。」
 恐縮しきっている幸村は、几帳面に巻かれた包帯にしげしげと視線を送って、たどたどしくお礼を口にした。
「あのさ、俺、女の兄弟いないから、こんなこと言っていいのか、よく分かんねえんだけど。」
 ちらりと幸村を見遣った彼は気まずそうに声を出す。そして顔を反らしどこか斜め上を見ながら、ぽりぽりと後ろ頭をかいた。歯の奥に物が詰まったかのような物言いに、幸村は小首を傾げる。
「え?」
「…下着とかつけた方がいいんじゃねえのかなって…、ホントお節介だと思うんだけど。男はじろじろ見ちまうかな、と。」
「し、下着?」
 きょとんとした様子で舌足らずに単語を言う、どこまでも鈍感な幸村に、あーと彼は頭を抱え、長めの前髪に指を入れ、くしゃりと掻き混ぜた。
「胸、乳首、透けてるんだけど。」今度の落とされた言葉はドストライク、ほぼ直球だった。
「胸?…え?え?」
 幸村は顎を引いて、指摘された部分に、視線を落とすと。
 はち切れんばかりに白いシャツを押している胸の、突起部分が透けて見えていた。
「…うわあああああああああっ。」
 幸村は悲鳴に近い叫び声を上げて、ガバッと両手で胸を隠す。
「え、そんなに自信満々に出しといて、気付いてなかったのか?綺麗な桃色してるから、見せびらかしてる…、そんなわけねえか。」
 彼は独り言のようにそう嘯いて、ソファに置いてあった綿素材の上着を無造作にわし掴むと。
「とりあえず、これ着とけば。俺にも、それはちょっとさ、目に毒だから。」
 バサッとそれを幸村の頭の上からかけた。
 俺もそんな理性強い方じゃねえし、と、ぼそりと零したのは、只今恥ずかしさがマックスの幸村には聞こえなかったが。
「そういえば、あんた、名前なんて言うの?」
 この微妙な空気を変えようとしてか、キッチンへ移動して冷蔵庫を開けると、ボトルタイプのアイスコーヒーを取り出した。
「…えっと…ゆ、ゆ、ゆ…幸、です。」
 習慣は怖いもので、正直に「幸村」と口から出そうになって慌てて堪える。辛うじて、「ゆき」で止まった。
 きょろきょろと何気に今いる空間を眺めてみる。間取りは大学生らしい、1DK。独り暮らしには狭くも無く広くも無く。黒を基調としたモノトーンがお洒落だった。今座っているソファも黒の革張りだった。
 彼の住んでいる場所。それだけで幸村にとっては、ここにいるのが夢みたいで、ふわふわ足元も夢心地だった。
「ゆき?俺は伊達政宗って言うんだけど。」
 コーヒーを脇に抱えたまま、今度は食器棚へ移動していた政宗は、何気に問いかけてくる。
「そういやさ、あんた、兄貴、いる?」
「兄…ですか?」
 兄と言えば、就職と同時に1人暮らしを始めた年の離れた兄を思い出していた。公務員の仕事が忙しいのか、お盆と正月にしか会えないのだが。
「あの制服はこの近くの市立の高校生だよな。あんたにすげえそっくりな子、知ってんだけど。」
「え?俺に、そっくり…。」
 あ、と合点がいって声を漏らす。それが変身前の自分自身のことだということに気付くのに間が開いた。一御客の自分のことを認識してくれている事実に、幸村は嬉しくて嬉しくて、ホント嬉しすぎて感激でじわりと目頭を熱くする。それでも何とか、コクンと幸村は頷き「兄、です。」と上ずり気味に返事する。
「やっぱり、そうだと思った。すげえ双子みてえにそっくり。目がクリクリしてて、小動物みてえの。」
 振り返って、思い出し笑いみたいに政宗はクッと喉の奥で笑った。
 ミルク多めで薄茶色になったコーヒーがなみなみとあるカップを持ってこられて、幸村は慌てて両手で受け取って礼を言う。
「あんたも兄貴みたいに甘いの好きなのか?」
「は、はい。」
「あんたの兄貴、いつも同じ、カフェモカ頼んでて、いつもいつも同じの頼むからさ、どんなに美味いんだろって興味湧いて試したら超甘くてさ。俺甘いの苦手だからちょっと全部飲むの辛かったんだけどな。あ、悪イ、説明不足で。俺、駅前のカフェでバイトしてんの。兄貴は、そこの常連さん。」
 勿論知ってます、と幸村は間髪入れずに心の中で訴える。
 立ったまま、ブラックのコーヒーを啜っていた政宗は、袖を捲り、黒の腕時計を確認して、あ、と少し慌てた声を出す。
「そうだった、俺、そろそろちょっと行くところが…。」
 と、そこまで言って、何か思いついたのか、声を少し張った。
「そうだ、あいつならあんたの下着のこと、なんとかしてくれっかも。」
「え?」
 下着と聞いて、幸村はまた恥ずかしさがぶりかえしてきて、肩に羽織った上着を被り直した。
「一緒に来るか?」
 幸村はカップに上唇を付けながら、このまま離れるのも嫌だと考えてしまって、思わずコクコクと数回頷いていた。
 
この何気ない選択が、後々の運命を変えることになるなんて、今の幸村は知る由も無かった。


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