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小説
その1
「一年間の契約だから、よろしくな!幸村おにいちゃん。」
 笑顔を顔中いっぱいにして、空中遊泳みたく宙にフワフワと浮かんだままではしゃいでいる女の子と、鏡に映る、一昔前のアイドル風の派手派手なミニスカートの丈が短すぎて心許ないのか、腿のあたりを両手で押さえ気味にしている、恥ずかしそうに俯き気味の女の子と。
 こんなの、こんなヘンテコな状況、どうやって信じろというのだ。
 幸村は、頭を抱えるしかなかった。


★★★
「カフェモカ、トールサイズお待たせしました。」
 いつも通り彼は営業的なスマイルを見せて、美声でそう告げた。それが耳にくすぐったくて、両手で受け取りながら幸村はただの仕事の一環だと知っているのにも関わらず、これまたいつも通りに胸を微かに高鳴らせた。少し緊張気味の微かな笑みを浮かべると軽く会釈して、幸村は日当たりの良いテラス席に陣取り、まだ湯気が立ち昇るドリンクにフーフーと息を吹きかける。その瞬間も芳醇な香りが漂ってきて、心躍った。
 それは学校帰りの、密かな一週間に一度の楽しみ。
 甘党の幸村好みの舌の上で蕩けるような甘さの美味しいホットドリンク。まだ熱々のコクがあるそれを口の中に含ませて、幸村は得も言われぬ幸せに心が満たされ、自然にニッコリ微笑んだ。通学途中にあるそのカフェに、本当は毎日でも来たいのだが、一杯500円の飲み物代を捻出するのは高校生である幸村のお小遣いの範囲内では、一週間に一度がせいぜいだった。
 温かさを保っているカップに手を添えつつ、幸村はカウンターをこっそり盗み見する。そこにはさっきの店員が、次々に来るお客の接客に勤しんでいた。
 不意に目が合いそうになって慌てて反らして、肩を竦めた瞬間、すぐ横の席で女子高生の集団がキャアと黄色い声を上げたので、幸村は少し驚き顔でそっちを見遣る。
「目が合っちゃったよー。絶対、今、私たちを見てたよね。」
「伊達さんって、ホント、カッコいいよね。マジ、恋人になって欲しい〜。」
「彼さ、この近くの王政大学一年生なんだって。」
 耳をそばだてて入り込んできたその情報を踏まえて、幸村は視線をまたカウンターに流した。今度こそこちらに気付いた彼が、今度はフワッと微笑んだ気がした。
 また隣の女子高生集団から歓声が沸き起こる。
 自分は男なのに女の子達と同化していると気付き、幸村は少しいたたまれなくなって、目を伏せた。
 実は、彼と自分は以前会っているのだ。向こうはきっと、忘れているだろうけど。
 あれは今日とは真逆の、雲泥の空から降り注ぐ土砂降りの雨の中。小走りで急ぐ幸村は、傘を持っていなくて、しかも腕の中には紙袋に入った辞書やら教科書やらを抱えてひた走る。そう、中学二年生の最終日、終業式を終えて家路を急いでいたのだ。
『あっ』
声を小さく上げたその時、案の定、紙の重さとじわじわと浸食した水気に勝てなくて、底が破れ、中身をアスファルト製の広い歩道にぶちまけてしまう。
『…。』あまりな状況に、幸村はしゃがみ込んで声も出ない。幸村の脇を足早に過ぎ去ってゆく人々は、同情の顔を見せているが、立ち止まろうとはしない。
 すると、自分自身にも打ち付けていた雨が、急に止んだ。這い蹲ったままの幸村はぼんやりと天を仰ぐ。雨が止んだわけではなかった。そこには、紺色の傘が差し掛かっていたのだ。その傘の向こう側には、1人の若い男の人。彼は見たことのある進学高校の制服に身を包んでいる。
『大丈夫か?ほら、立て。』彼は、雨の中ベッタリと腰を落として、尚且つ呆けたように口をあんぐりと開けている自分の腕を引き立たせ、ついでに傘の柄の部分を握らせると、自ら持っていたスーパーの袋の中に、地面に散らばっていた本を大雑把な手つきながら入れていき、声をかけてくる。
『どこまで?』『え?』『どこまで行くんだって聞いてんの。』『とりあえず駅まで…でござるが…。』『じゃ、行くぞ。』『えええ?』
 二人で一つの傘を使いながら、駅に向かって歩き始める。
 『ほら、肩、濡れてる。』と幸村の肩を、力強くぐいぐい抱き寄せて。『相合傘なのに、相手が男で悪かったな。』そういたずらっぽく微笑んだ彼の顔が忘れられなくて。でも、名前を聞いてもはぐらかされて、そのまま彼は雑踏の中消えて行った。
 一年後、従兄弟の佐助に初めてこのカフェに連れて来られた時、「あっ。」と、声を上げてしまうほどびっくりしたのだ。その彼がここで働いていたから。それから何度も、お礼を言おうとしたけれど、いつも忙しそうな彼には話しかけられなかった。それに緊張して、踏ん切りがつかなかったのだ。
 何故だか、初めて会った時から、彼の傍に行くとドキドキが止まらなくて、不思議な呼吸困難に陥るのだ。
「ゆーきむらっ。」
「ぶぶっ。」
 驚いた瞬間、熱々のドリンクを吹き出してしまって、「あっつ」と幸村は慌てふためく。
「おんぶおばけだぞー。」
 舌を火傷し涙目の幸村が、肩越しに振り返るとそこには、ふざける中学の先輩がおぶさる形でいたので、その近すぎる顔に、また少し度肝を抜かれる。
「け、慶次先輩っ。」
「何か珍しい場所にいるじゃん。幸村がこんなお洒落カフェにいるなんて意外だなあ。」
「俺がここにいるのが、そんなに珍しいでござるか?」
「うん、幸村はどっちかっていうと、マックとか吉牛とか、そういうのを必死でかき込んでるイメージ↑。」
 慶次が手身近な椅子を引いて傍に座るのをジト目で見つつ、鞄から取り出したタオル地のハンカチで幸村は自分が噴いたもので染みが出来そうな学生服を忙しなく押えた。染みになったりでもしたら一緒に暮らしている佐助にお母さんのごとくガミガミ怒られるのだ。
「そんなめっちゃ可愛い幸村に、俺からプレゼント。」
「え?」
 ジャーンと口での効果音付で眼前に堂々と出されたのは、ピンク色の封筒。仰け反り気味に驚いた幸村は、大きな目を数回瞬かせた。
「え?え?慶次先輩から?」
「うそうそ、同じクラスの女子から預かってきたの。」
「手紙、俺にでござるか?」
「うん。可愛い幸村君に渡してほしいんだって。」
 受け取った封筒を複雑な視線で見つつ、俯いて黙り込んでしまう。
「幸村も実はモテるんだからさ、彼女作りなよ〜。」
 ひょいと幸村の手の中から取り上げた慶次は、そのドリンクをゴクゴク飲みながら、へらりと笑う。
「恋は良いよ。」 
「恋…で、ござるか…。」
 恋と、その単語を口の中で反芻して、思わず脳裏に思い浮かんだのは…。
 瞬間、そんなわけないと、幸村はブンブン超高速で眩暈がしそうなほど首を振って、画像を打ち消す。
「それより知ってる?…って芸能オンチの幸村が知ってるわけないか。」
 バンバンと幸村の猫背気味の背中を叩きつつ、慶次は決めつけるように言う。
「何でござるか。」
「あそこのカウンターにいる店員さ。」
「え?」
 こそこそ内緒話のごとく囁いて、慶次が幸村の肩を抱いて目配せする相手は、自分がさっきまで見ていた彼だ。幸村は自分の一連の行動を全て見られていた気がして、気が気じゃない。
「あの…、あの店員さんが、何でござるか?」
 声が1オクターブ裏返って、しかも語尾が震えてしまった。
「芸能人とつきあってるっていう噂。目撃情報が多数。」
「え…、つきあって…あの…店員さんが…。」
 ショックが大きすぎて、呆然と単語を呟いた。
声が上手く出せない。血液がサーッと下へ下へと落ちてゆく。大きな苦しみで胃が満タンになった。
「うん、超美人なんだってー。」
 片腕で頬杖を突いた慶次は幸村の変化には気付かず、彼の両手の中にドリンクを戻しながら、楽しげに話を続ける。慶次は女の子同様、恋愛話やら噂話が大好物らしい。
「まあ彼有名だし、カッコいいもんね。俺たちとは住む世界が違うって感じ?」
 慶次に肩を抱かれたまま、思わず振り返ると、皿を拭く作業をしている彼がこっちを、今まで見たことの無い冷めた目つきで見ている気がして、ますますズキンと心臓が痛む。
「幸村…?ドリンク飲まないの?冷えちゃうよ。」
 慶次は自分が三分の一位飲んでしまったドリンクを、ほい、と幸村の鼻先に持ってくる。
「……。」
 幸村は重く沈んだ顔で、フルフルと力無く首を横に降った。
 何故だか食欲がなくなってしまった。もう、水一滴体に入れたくない。
「何だろ、苦しいでござる…。」
 おもわず、心の中で考えていた言葉が、ポツリと漏れた。


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あきゅろす。
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