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小説
その十
「某は、もう、何も望めない、そんなの許されない人間だったのでござるよ…。」

★★★
―――俺は、あんたを、大好きだったよ…。幸村。
 一か月以上経った今でも、その絶望を滲ませた声が鼓膜にこびりついて離れない。忘れられるわけがない。
 崩れ落ち、雨に打ち付けられ続ける幸村は、激しくしゃくり上げ泣き続ける。
―――俺を憎んで、そして、忘れないで。あんたの心に憎むべき相手として刻み込んで。
 自分は「彼女」をこれ以上の無いほど傷つけた。そして同時に、苦しさのあまり、自分の初恋を心の中から抹殺したのだ。
 今自分の前に呆然と立つ尽くす「彼」と、そっくりな瓜二つの「彼女」を。
★★★
いきなりそれは前触れも無く表れた。否、本当はいつかこうなることは予想がついていた。その人は、自分の視界の中にあるもの、自分に触れるもの、自分に関わるもの、全てをなぎ倒す勢いで、一心に自分へと近づいてくる。その徐々に迫ってくる足音も存分に怒りを纏っている。
「いるか、幸村っ。」
 バシンッと鋭い音を辺りに響かせて跳ね返るほどに強い力で襖は開けられた。
 もし眼と耳を塞がれようとも、相手は分かっている。その強いテレパシーのごとく届いてくる感情。びしびしと体に打ち付けてくる熱い怒りの矛先、それは自分以外無い。
「…政宗殿。」
 振り返りもせず幸村は、部屋の隅で書き物をしていた手を止めた。
 語尾に被せるように早急に、唸るふうに低く出された声。
「あんた、近々嫁ぐって本当なのか?」
(やっぱり、その件。)
 瞼を閉じていた幸村は、一つ深呼吸するように息を吐いた。口の中の水分が一瞬にして飛び、尋常無く乾く。
「ええ。婚礼は一か月後と決まっておりまするが。」
 どうにか平静を保とうとして声色を調整しようとして失敗した。声が密かに震えてしまった。
「嫁ぎ先の相手は、誰なんだよ。」
「それは政宗殿といえど、それは言えませぬ。隠密事項でござる。一か月後には風の噂ででも分かることですし。」
 声の温度が違い過ぎて、会話が噛みあわない。別の次元でしゃべっているかのようだ。
「俺のこと…、俺のこと好きだって言っていたのは嘘だったのかよ?いつまでも一緒にいたいと言っていたのは嘘だったのかよっっ。」
 政宗はとうとう怒りに任せて声を張り上げ、近くの土壁を拳で叩いた。
「…申し訳ございませぬ…。某…。」
 幸村はぐっと縋るように筆を握った。反対の手は着物の合わせ目を皺くちゃにする。息が出来なくて、心臓が苦しい。それは脈が跳ね上がるほどに鼓動を高めているからだ。
「某、政宗殿のこと、友人以上に好きではござらぬ。女同志で道徳的にも有りえませぬ。あれは気の迷いであった。」
 一気に捲し立て、感情を押し殺そうと幸村は下唇を噛む。
「おい、話しているときはこっちを向けよ。」
 ずんずんと地響きみたいな音を立てて畳を踏みしめながら政宗は近づいてくる。
「幸村…。」
 左肩を粉砕するくらいの力で掴まれて、無理やり政宗の方へ顔を向けさせられた。
 くっと政宗は息を飲む。僅かに華奢な肩を握る手の力が緩まった。
「俺を好きだったのが嘘だと言うのなら、じゃあなんで、あんた、泣いてるんだよ?」
「それがし、泣いてなど…っ。」
 泣いてなどおらぬと言おうとした言葉は、それ以上の衝撃に飲み込まれる。
 政宗は間髪入れずに震える幸村のか細い体を腕の中に抱き寄せ、ぎゅっと両腕で包み込んだからだ。
「…幸村、一緒にここから出よう。俺があんたをずっと幸せにする。約束するから。」
 耳元で満願の心を込めて囁く声。幸村にはそれは勿体なく思うほどに、尊いものだった。
 政宗が自分をこんなに大事に想ってくれている。それはあまりに恐れ多いことだと思った。本当は嬉しくて嬉しくて、それだけで死んでしまってもいいくらい、もう思い残すことの無いくらい、幸せなことなのに。なのに、それに応えられない幸村は、今にも心が木端微塵に張り裂けそうになる。
「今日はあんたを連れて帰るつもりで来たんだ。奥州へ行こう、共に。」
「それは、無理でござる…。」
 俯く幸村は、ドンと両手で政宗を突っぱねる。
 今度は幸村が叫びだす番だった。
「無理でござるっ。政宗殿と某では…駄目なのでござるよっっ。好きだから、好きだったらば一緒になれる、今はそんな世の中ではござらぬっ…分かって下され…。某は武将の家に女として生まれた身、こうなることは覚悟の上でござる…。だから…っ。」
「なら、なんで嫁ぐんだ、理由を教えろよ。相手は何を代償に、俺の大事なあんたを娶るんだ。あの武田信玄がそんなの決めるわけねえよな。あんたのことあんなに大事にしているんだから。あんたを自分の利益のために差し出そうなんてことするわけねえ。」
「そう、お館様のご意志ではござらぬ…っ。お館様は最後まで反対なさった。某が、自ら望んだことでっ…。某の…願いでござるっ。」
 何の代償に?それは、口が裂けても言えるわけがなかった。その理由は、墓場まで持っていくと心に決めた。きっとそれは政宗がこの世で一番絶対に許さないことだと思うから。
 声を張り上げたせいで喉が痛み、ゴホゴホと激しく咳き込んで背を丸めてしまう。
「…じゃあ、俺のことは…どうでも良いのかよ…。残された俺はどうなってもいいのか…。」
 どうでもいいわけがない…一番大事な貴方をどうでもいいわけないのに、そう零れ落ちそうになった言葉を必死に胸の中へ逆流させるために飲み込んだ。ここでそんなことを口走ったら、自分の意志が無駄になる。自分の決意が無駄になるのだ。
「政宗殿には某のような一武将の相手より、素敵な殿方と結婚された方が…幸せだと思いまする…。某はそれを願っておりまする…。」
「そんなのが俺の幸せだって言いたいのかよ。俺の幸せなんて、俺が決めるさ。」
 綺麗な政宗の顔が苦痛に歪む。
体の痛みより数倍激しく心が軋んで、魂が傷口から血を流しているからだ。
「俺はあんたしか好きにならない。どんな女であろうと男であろうと、今までもこれからも、俺にとっては世界で唯一、あんただけなんだよ、幸村。」
「ま…政宗殿…っ。」
 心が押し潰されそうな幸村は、はらはらと堪えきれない涙を零し続ける。
 涙だけは自分のものだった。自分の感情を表せるものだった。
もう我慢の限界だった。心がポッキリと折れそうだ。
 本当は、本当の自分は、このまま、一緒に逃げてしまいたいのに。
「もう某は決めたのでござる…どうか、分かって下され…っ。」
 ゆるゆると幸村の零れ落ちる涙を追うように頬に伸びてきた政宗の指先を、幸村は取ることをせず、逆にパシっと軽い反発音を立て払い除けた。
「分かったよ…あんたがそこまで言うのならな。」
 聞いたことの無い低く、感情の削ぎ落とされた冷たい声。
「政宗殿…。」
 それが鼓膜に届いたと同時に、幸村の視線はくるりと回転して、薄暗い天井を背に背負った政宗と克ち合う。
「政宗…どの?」
「その代り、俺はあんたの体をもらう。それで、俺はあんたを名目上は諦める。」
「駄目でござる…そんなの…っ。」
 上から圧し掛かって抵抗する幸村の四肢を抑え込んで、幸村の体を覆う着物をびりびりに破っていく。
「あんたが大人になるまで待とうと思ったけど、限界だ。」
「んんっっ、だ、駄目っ…政宗殿っ…。」
 覗き込んだ彼女の黒目には、絶望しか無い。幸村はそれを知ってしまい、愕然とする。
「誰かのものになる前に、俺のものにする…そう決めた。」
 政宗は言葉を絞り出す。
「俺を憎んでくれよ、幸村。」


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