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小説

 大阪の城下町、食事処や問屋がひしめく真昼間の繁華街。人が所狭しと行き交う中、人目を避けるように笠を深めに被った幸村は、ある場所に一心不乱に向かっていた。誰かに肩がぶつかってししおどしのごとく頭を下げて平謝りつつも、歩む足は止められない。
 そしてやっと目的の、一軒の古めかしい門構えの店が見えてきた。辿り着くと、息つく暇も無く、幸村は重々しい戸に手を引っかける。
「頼もうっ。」
 重く閉ざされていた玄関の木造の引き戸をギシギシと耳障りな音を立てつつ、二の腕に血管を浮き立たせた片手で開け放った。
「へえ、どちらさんで。」
 中では休憩中だったのか、座布団に正座していた初老の男性が湯のみを両手で抱えて、驚愕の顔で振り返っている。降って湧いてきた壁に穴を開けそうなほどのあまりの大声に、あんぐり開いた口が塞がらない。
「某に、不治の病にも効くという薬を、分けて下されっ。」
「は、はあ…。」
 突然の訪問者、突然の要求に、薬屋の店主はあっけにとられている。手に持った斜めに傾いた湯呑から茶がタラタラと零れ落ち畳に緑の染みをつけているから、その驚きは半端無いのだろう。
「ちょいと旦那、おじいさん驚いて固まってしまってるよ。ちゃんと分かるように説明しないとさ…。」
 傍らにいた佐助は終始苦笑いでその様子を見守っていたが、もう我慢の限界か口を挟んできた。佐助の耳打ちに振り返り、うむと頷いて見せた幸村は、店主に両膝でにじり寄り、畳に頭を擦りつけそうなほど潔く下げた。
「お願いです、病に伏せている主に飲ませたいのでござる。日本中でもここにある薬でないと治らぬ病気だと知り、唐突で申し訳ないが、訪問仕った。貴重なものだとは重々承知、されど僅かでも薬を分けて頂きたいので…。」
「そ、それは、あるにはあるさかいに、とても希少なもので…」
 困り顔の店主は、思案気に伏せた目線を泳がし、握った両手をしきりに揉んでいる。
「お礼は幾らでも払いますので、お願いしまするっ。」
 必死な形相でお願いする幸村に同情したのか、それとも降参したのか、ため息を一つ零すと、店主は奥にある隠し戸棚から大切そうに両手で包み込み、茶色の小瓶を出してくる。
「…とりあえず、今ここにあるんは、この小瓶だけでございますが…。」
「かたじけないっ、ありがとうございますっっ。」
 ぱあと顔を弾ける笑顔で満面にし、手渡しで受け取ろうと幸村が体ごと腕を伸ばした瞬間。
「っええっ。」
ふわりと小瓶は独りでに浮いて、天井まで届きそうな場所までふわりふわりと羽根が生えたかと錯覚するほど縦横無尽に飛んでゆく。
「このっ、なにゆえ、動くのかっ。」
 そんな小悪魔な小瓶に弄ばれるように、ぴょんぴょんと飛び上がりながら幸村は天井を仰いだ姿勢で手を伸ばしている。少し滑稽なんだけど…と佐助は自分の主ながら、苦笑を滲ませる。
「このような場所で、何をこそこそとやっておるのか。」
「え?」
「ここがどこの領地だと知っての所業か?」
 瓶はまるで自分の意志で動くかのごとく、玄関から入ってきた第四の人物の掌の上にぴたっと納まった。
「おおおおお、大谷様っ…。」
その入り口付近の人物を確認した途端、盛大にどもり、顔面蒼白にした店主は、その人物へ、ははーと平伏す。
「…。」それを伺っていた無言の佐助はそっと着物の合わせ目に手を差し入れていた。体温より数度低い鉄で出来た武器に指を触れて、静かに戦闘態勢に入っている。
「ええ?」一方の幸村は相手が誰なのか分かっていない。それを証拠に目をぱちぱちと何度も瞬かせている。それとは逆に聡い佐助は相手が誰か瞬時に分かったのか、眉根を潜め表情を引き締め、低くぼそりと声を押し出す。
「豊臣の家臣…、大谷吉継…。」
「これがそんなに必要なのか、真田の。確か甲斐の虎は床に伏せっておると風の噂で聞いておるが…まさかここにぬしが表れるとはの。」
「…へえ、何もかも御見通しなんだね。」
 皮肉交じりの笑顔で、佐助は口を挟んだ。その傍らの幸村は、土下座しそうな勢いで大谷に懇願する。
「大谷殿、後生でござるっ、それがどうしても必要なのでっ。」
 ふむと、大谷は思案するようなポーズをとって。
「われの出す条件を飲むのなら、これを譲ってやらんでもないが…。」
「その条件とは…っ。」間髪入れずに幸村は問う。
「交換条件として、一時、石田三成に仕えること。」
「え。」その難題に、幸村はうっと息を飲み黙り込むと、顔ごと俯き下を向いてしまう。
「そんなの飲めるわけないでしょうがっ。」
そんな幸村の代わりに、耳に入った途端血が沸騰したのか食って掛かってゆこうとする佐助を、右手で抑えて、幸村はキッと口元を引き締め、顔を勢いよく上げた。
「わかり申した。」
「え?」
 そんなはっきり聞こえてきた幸村の返事に一番驚いたのは佐助だった。入り口付近から一歩も動いていない大谷は、無表情な上に室内が暗がりなのも相まって、何を考えているかさっぱりつかめない。
「ちょっと、わかり申したって、旦那…。」
 通せんぼみたいに右手で行く手を遮られたままの佐助は、信じられず、すぐ傍の幸村の顔を覗き込む。傍らの幸村は決意が固いのか、真剣な面持ちを崩さない。
「じゃあこちらへ来られよ。」
 おいでおいでと緩やかに手招きされて、幸村は誘われるままに近づいてゆく。大谷が幸村の肩に手を置くと同時に、佐助の手の中に手品のごとく先ほどの薬瓶が表れた。
「旦那、駄目だよ。危ないよっ。」
「佐助、それをもって甲斐に先に戻ってくれ。」
 佐助に背を向けたまま、幸村は静かに告げた。
「…っ、旦那。」
 押し出すように名を呼んだ佐助は、苦しげに眉間に皺を寄せている。
「大丈夫だ、すぐに帰るから。お館様にもそう伝えてくれ。」
 振り返った幸村は心配かけまいとしてか、笑顔でそう囁いた。
「お館さまを、頼む。」
 その笑顔が切なげに震えた。
 そう見えたのは、自分の心が震えたからだろうか。腰の横で密かに拳を握り、虚ろな目で幸村を映しながら、佐助はそう思った。

★★★★

 大阪城の一室に案内された。
だだっ広い畳敷きの部屋の中央に心細くぽつんと座る。
早く使命を終わらせて帰りたい。そう思い気が急くのか、正座をした幸村は、大谷に開口一番こう尋ねた。
「で、某は何をすれば良いので。」
 気が逸る幸村とは真逆、ゆったりとした動作で、大谷は幸村の前に来て、口を開いた。
「真田には、三成が良いというまで、ずっと傍についていてほしいのだ。」
「…え?それだけでいいので?本当に?」
 一拍間を置いて幸村はそう問うた。信じられないのか何度も聞き返す。もっと過酷なものを想像していたから、少し拍子抜けを否めない。
「まあ小間使いみたいなもの…三成は自分の食事も自らは欲さぬ。あまり自分に対して欲が無いのだ。ほっておくと餓死してしまいそうでな。ある時期から自暴自棄になってしもうた。ぬしには、三成が良いというまで傍にいてやってほしいのだが。」
「はあ、某、精一杯頑張る所存で。」
 半信半疑の表情だったが、そう幸村は大きく頷いた。
「まあ…このままではおもしろうないわな。」
 独り言のごとくそう告げると、しなやかな動きで指先を緩やかに宙に上げて。
「え?」
ぼんっと爆発音を立て火の気のない場所からいきなり煙が出て、幸村は度肝を抜かれる。
 視界に入る自らの足は、筋肉質のそれから細く華奢に、着物から出ている手は一回り以上小さく。俯いた先には、その先の膝が隠れるほどの胸の二つの山。
「おおおお、おなごにっっ。な、何故このようなっ。」
 狼狽え気味の幸村は真っ赤になって抗議する。その声も、高く可愛らしいものに変わってしまっている。それさえも信じられず、頬を紅潮した幸村は、わなわなと唇を震わせる。
「まあ、三成も男に世話してもらうよりこの方が喜ぶやもしれぬ。これも早う甲斐に戻るためであるぞ。」
「そのようなことを言われても…。」
 うううと幸村は泣き言全てを飲み込み、自分の変化してしまった体を物珍しく眺める。
「……このままややこが出来るのも、まあ、一興…。」
「え?」ぼそぼそと大谷が何か呟いたことに、聞き逃した幸村は不思議そうに問いかけるけれど。突然、背中の方向にある襖が開いたことに意識は持って行かれる。機敏な動きで幸村は反射的にそちらに振り返る。
「やれ三成、新しい小間使いが来た。」
 重苦しい緊張で体を雁字搦めにしたまま、幸村は頭を深々と下げる。
「…よろしくお願い申し上げまする…。」
 ドスドスドスと埃が舞い上がるほど大げさなくらいの足音を立てて、素足がこちらに近づいてきて。
「え?」
 手加減無しに顎をぐっと掴まれて、幸村の表情は苦痛にゆがむ。その力があまりに強すぎて顎を潰されると思ったからだ。そのまま上に目線を上げられると、思わぬ綺麗な顔と出くわす。細面で綺麗で、だけど、怖いぐらい生気が無い。
「…この顔…貴様…。」
 その男は幸村の顔を間近で見て、驚きを隠せない。幸村の驚きよりも、更に上を行っているようだ。
「某の、顔で、ござるか…?」
 幸村は痛みを堪えながら、その驚きの意味が分からずに、たどたどしく問い返す。
「三成、おなごに手荒なことはするな。その愛い顔に傷をつけるのは、われは賛成しかねる。」
口調は止めようとしているが、大谷の顔はにやりと笑っている。その不気味さに、幸村は戦慄を覚える。
「……っ。」
 これからどうなってしまうのか。
 氷のごとき冷気を伴った二つの眼に睨まれて、幸村は内心途方に暮れていた。


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あきゅろす。
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