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小説
その9
 何度も何度も跳ね除けても、彼は不気味に息を乱すことなく追いかけてくる。その見上げるほどの巨体では考えられないくらいスムーズに滑るように迫ってくるのだ。
「…致し方ないっ。」
 逃げても無駄だと腹を括った幸村は、足を止めると振り返り、今のその女性仕様の細い腕では不似合な、背に背負っていたその重厚な二本槍をすらりと取り出し、眼前に構えて。
「もう逃げも隠れもしないっ。いざ、勝負っ。」
 そう声を張って、目の前の敵に戦いを挑んだのだ。

今から半日前の佐助は、ひどく浮かない顔でこう切り出した。
―――本当に、あそこに行く気なの?
佐助は、朝からもう何度目かの、確認をする。
―――あそこを避けて通っては駄目だ。最終的には必ず行かねばならぬ場所なのだ。
―――俺様が一番行ってほしくない場所は、勿論、奥州なんだけど、そんな冗談通じないくらい、別の意味で行ってほしくない場所だよ、旦那が今行こうとしている「あそこ」は。
佐助は普段のひょうひょうとした声色とはあまりの段違いの、低い沈んだ声で呟いた。
―――今回の場所は、他とははっきりいって違いすぎる。捕まる=死、だから。あそこには「戦国最強」がいる。
その別名に、体を震わすほどの恐れと一緒に湧き上がる高揚からか、ゴクリと幸村は息を飲んだ。

―――本多忠勝。
城の敷地に足を踏み入れた途端、まるで来ることが分かっていたかのごとく、彼は自分の前に行く手を阻むように、ドスンと両足で降り立った。砂煙から現れたそれは、最初、まるで山か岩が降ってきたかと錯覚したほどだ。眼前の景色がその巨体のせいで出来た陰で覆われたのだ。
 
 グァシンッ。
 辺りにわんわんと反響するぐらいの衝撃音を立て、相手は片手で大きな剣を振り落としてきた。
 それを幸村は両手で持った槍で受け止めたが、痺れを伴い重く圧し掛かるそれを跳ね除けることが出来ず。そのまま、顔に向かって大きな剣がじりじりと近づいてくる。
 つつと背中に気持ちが悪い汗が伝った。全力で応戦しても、全然歯が立たない。
 顔数pまで不気味に光る刃が迫ってきたその時。
「忠勝、待った待った、そこで辞めるのだっ。忠勝っっ。」
 息を飲む緊迫した状態に、誰かの声が割って入ってきた。
 瞬間、相手の力がはっきりと緩まった。ギギギと機械特有の不協和音を立てて、忠勝は体制を垂直に直す。
 幸村は、はああと胃の底から大きく息を吐いてその場にガクリと崩れた。そして、軽やかに土を蹴り上げ走ってくる音を聞いて、そちらに、力無くゆるりと視線をやると。
「…徳川、家康。」
 忠勝の側に来た彼は、広すぎてわからないのだが、多分彼の背中らしき場所に手を添えて、笑顔で労っている。
「もう下がってよいぞ。お疲れさん、忠勝。」
 忠実な忠勝はコクリと頷くと、その巨体では考えられぬほど、俊敏に飛び去って行ってしまう。そのスケールの桁違いに、見送った幸村は口をぱかりと開いたまま、ただただ感心するしか出来なかった。そして、全力を出し切って槍でやっと自分を支えている幸村に、向き合って家康は言った。
「ほう、お主が世間を騒がしている泥棒か?」
 先ほどまでの手に汗握る緊迫した雰囲気とはあまりに違う、和やかなそれを醸し出す家康は、しげしげと幸村を足の先から頭の天辺まで見ると。
「動きやすそうな出で立ちだな。いつかはわしのところへも来てくれるかと思っておったのだが…ひい、ふう、みい…五番目か。まあいい、わしは、主が来てくれるのを、首を長くして待っていたのだぞ。」
 家康はペタンと尻餅ついて座り込んだままだった幸村に手を貸しながら、ニコニコ笑いかけ、ついでに内緒話をするように、少しおどけた様子で告げた。
「お主、実は、真田幸村だろう?」
「え」と口の中でボソリと呟いた幸村は、丸く目をいったん見開いて、「ええええええええっっ?」と背を仰け反りながらリアクション大きく驚いた。
「おいおい、真田、そんな驚き方したら、正解と言っているようなものだぞ。」
わははははと、腹を抱え、家康は豪快に笑って見せる。
「今回の罪、見逃す代わりに、お主に、頼みがある。」
「た、頼みとは?」幸村の顔がサッと曇る。
「お主を狙っているものがいる。その者は血眼になって今頃お主を探しているはずだ。」
 狙っているもの?そんな存在がいたなんて、幸村はさすがに狼狽を隠せない。
「その者と決着がつくまで、わしのところにいて欲しいのだ。」
「…それは、どういう…。」
「理由と相手は、まだ言えぬのだが、お主が、切り札になりそうなのだ。」
 そう告げた家康の顔は、その相手を想ってか、表情に闇を落とした。
「某は…傍にいるだけで良いので?某は武田の名以外では戦わぬと心に決めております上。それに、その決着とやらが終わったら、某は自由にさせてくれるのか?」
「ああ、わしに味方して戦えとかそんなことは言わぬ。ただ、真田が、やつの手に渡るのだけは阻止したいだけなのだ。」
「話は分かり申した…されど、某、急いでおります上。」
(早くお館様の探し求めている宝の元へ行かねばならぬのだが。)
 神妙な面持ちで俯いた幸村は思案気に視線を彷徨わせる。そんな彼の迷いに気付いてか、家康は力強く続ける。
「出来るだけ早く、解放してやれるようにする。」
 不安げに瞳を揺らせる幸村の、子供のほっぺたみたく弾力がある頬を素手で撫で、じいっと一度視線を合わせると、家康は猫みたいに目を細めて、静かに呟いた。
「「あいつ」がぬしに何年も盲目的に執着するのも分かる気がする。」
「…あいつ?」
「それぐらい、魅力的だな、真田は。」
「え?」
 その言葉の意味が分からず呆けている幸村を置き去りに、家康は踵を返すと、首だけ振り返りざま太陽みたいにカラリと微笑んでみせる。
「今日は大事な客人も来る。ぬしもお召替えを。」
「…お召替えで、ござるか?」
 幸村は自分の今着ている服を再び見る。それは、かすが印の布面積が少なすぎる戦闘服。確かにこれでは人前には出られぬな、と、ガックリと肩を落とした。



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あきゅろす。
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