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小説
ツメタイヒカリの中で。
 救急病院の何も無い殺風景な、そして無音に近い廊下で、簡素なベンチに座った幸村は背を丸め、ただ祈るように、両手を爪が食い込むほど握っていた。空調が行き届いた病院内は寒くも無いのに、ブルブルと腕が震え、そして、ガクガクと独りでに膝が笑う。
 手術中を示す赤ランプが暗闇の中、そこだけが鈍く光っている。
 政宗が救急車から手術室へ運ばれて、もう2時間以上。
 吐き気を伴う極度の緊張が身体を蝕む。傷だらけの心が、募る不安で、今にもペシャンコに押しつぶされそうだった。
「・・・政宗殿・・・っ。」
―――お願いだから、神様、俺の命に変えてもいい。どうか政宗殿を助けてくださいっ・・・。
 幸村は叫びだしそうに、ただただそれだけを願っていた。
 全部、思い出したんだ。自分が、全てを忘れてしまっていた、真実から逃げていたわけも。こんなことが、生まれ変わっても、もう一度起こってしまうなんて、こんなの・・・っ。
「真田っ。」
 呼ばれて、両目をきつく閉じていた幸村は、ハッと弾かれるように顔を上げた。
 普段のスーツ姿とは違うラフな格好の元親が、長い廊下をバタバタと走ってくる。
「政宗が、重傷って・・・。」
 はあはあと息が荒いまま、どこから全力で走ってきたのか、汗だくの顔で、幸村に問いかける。
「今、手術中で・・・傷が深くて、危ないって・・・。俺のせいで、俺のせいなんです。こんなの・・・二度も俺のせいで・・・ッッ。」
 元親に両腕を伸ばして縋った幸村は、見知った彼の到着に、限界まで膨らんでいた不安がとうとう弾けて、感情の波が体外に押し出るように、激しく嗚咽を上げて泣き出していた。
「・・・お前のせいじゃねえって。」
 眉間に幾重に皴を寄せた元親は、そんな崩れ落ちる寸前の、錯乱状態の幸村を、ただ背中を宥めるように摩りながら肩を抱く事しか出来なくて、手術室のドアを鋭い目で見遣る。
「あいつは、こんなことでくたばったりしねえから。」 
「俺・・・っ、彼が死んでしまったら・・・、もう、生きてはいけない・・・っ。」
 幸村のそのただならぬ、尋常ではない取り乱しように、元親は驚きを隠せず目を見開く。
「・・・二度って・・・。」 
 前触れなく手術室のドアが観音開きでスッと開いて、2人は息を飲んでそこを注視する。
疲労感を体中から滲まし、マスクを取りながら出てきた医者は、静かにされどはっきりと告げた。
「手術は、無事、成功しました。」
「成功・・・。」2人は声を合わせて呆然と呟く。
「大丈夫、命には別状はありません。」
 元親は安堵の息を盛大に吐き表情を緩ませ、隣の幸村に大きな声で呼びかける。
「よ、良かった、良かったなあっ・・・っておい、おい、真田っ。」
 瞬間、糸が切れたようにガクンと足元から崩れた幸村の腕をはっしと掴み、元親は慌てふためく。
「おいって・・・、な・・・何だよ、安心して、気が抜けたのか・・・。」
 その冷たい床の上で、くたりと寝てしまっている幸村の頬を、ぱしぱしと軽く手の甲で叩きながら、元親はふうと大きく肩で息をつくと、苦笑いした。

★★★
「伊達政宗様、と。」 
この消毒液の独特の鼻につくにおい。そして、前面に清潔感を出したいのか、白を基調とした壁。それらが、あまりに過度に綺麗過ぎて、人工的で落ち着かなくて、一生病院は好きにはなれねえな、と、元親は一人苦笑する。花束を左手に持ち替えて、そっと、不用意な音を立てないようにドアを開き、人並み以上に大きな身体を屈めて中を窺う。
扉の向こうには、手術は成功したのにずっと目を覚まさない、その顔の精悍さが増した政宗と、その傍らに、看病疲れか、椅子に座ったままで、子供のような愛らしい寝顔で眠りこけている幸村。その幸村の右手は、政宗の右手にごく自然に重ね添えられている。
「・・・真田。」
 遣りきれない声で、元親はそっと小さく名を呼ぶ。
 さっきすれ違った看護婦に、政宗の病室がどこか尋ねたとき、途端表情を曇らせて彼女は早口でこう言っていた。
『真田さんがずっとずっと伊達さんに四六時中付き添われていて、その間ろくにご飯も食べてないみたいで。このままだと彼の方が倒れそうだから・・・。』
 ちゃんとご飯食べるように、貴方から言ってもらえますか?
 心配げな看護婦さんの声が耳に残る。
―――俺の、せいなんです。二度も俺のせいで・・・っ。
 そして折り重なるように聞こえてくる、あの必死な形相で声を枯らしながら告げた幸村の言葉の、解りかねない真意。
「二度も俺のせいって・・・、真田と政宗・・・過去に何があったんだよ・・・。」
 この数日間、意味が分からない事が多すぎて、元親は混乱していた。そんな遣り切れない想いを語尾に込めて独りごちた元親は、政宗の眠る布団に上半身を突っ伏している幸村の肩にそっと、視界に入った毛布を不器用な手つきでかけてやる。
「んん・・・。」
 そのちょっとした空気の揺れに、眠りからじんわりと覚めた幸村は、目を右手で擦りながら、未だ夢と現実をいったりきたりしているのか、ゆっくりと焦点の合わない目で元親を見る。
「おっとわりい、起こしちまったか。」
「長曾我部バイヤー。」
 語尾を問いかけるように上げて、元親へ振り返った幸村に、彼は少し焦った口調で謝る。
 大きな怪我を負って人形みたく眠り続ける政宗はまだしも、伝染したように幸村まで少し頬がこけて痩せたみたいだ。そんな幸村に、元親は痛々しげに顔をしかめた。そこらにあったパイプ椅子をガタガタと無造作に引いて、元親はそこにどっかりと座ると、まだ少しぼんやりしている幸村に目線を合わせて問う。
「政宗、まだ、起きないのか?」
「はあ・・・まだ、起きません・・。」
 もう、2日になるのに。
 眉根を顰めると幸村は俯いて、表情に暗い影を落とし、口の中で囁くように告げた。
「真田、あのさ・・・。」
「はい?」
 携えてきた花束を手身近にあったサイドテーブルに置きながら、元親は言い難そうに口を開く。
「お前と政宗さ・・・。」
 過去に何かあったのか、と、とうとう元親が意を決して聞こうとしたその時、入り口のドアが不意に開いて、聞きなれない声が室内に響いた。突然降って沸いた女性の声に、2人は弾かれたように同時にそちらを見る。
「伊達政宗さんの病室はこちらで?」
 少し緊張気味に入ってきたのは、簡素な病室にあまり似合わない、モデルのような若い綺麗な女性。少し茶色がかった短くボブスタイルにした髪はきちんとセットしてあって、顔もはっきりとした外国人みたいな顔立ち、手足も長くてスタイル抜群で。
「はい。」
 その容姿の非の打ち所の無い完璧さに、普段オモチャ売り場でおばさんと子供相手に仕事をしていて若い女性に免疫が無い幸村は、思わず見惚れて返事にワンテンポ遅れてしまっていたが、慌てて縦に1度大きく頷く。
「南条怜子・・・?」
「え・・・。」入ってきた女性を知っているのか、元親は凝視するように目を見開いて、ボソリと信じられない様子で呟いた。そして、その小さなそれに、幸村が素早く反応する。
「伊達君・・・っっ。」
 中央に存在感を持って鎮座していたベッドを確認した途端、そこに駆け寄った女性は眠る政宗にガバッと縋った。それをはっきりまざまざと見てしまった幸村は、冷水を浴びせかけられたかのごときショックを受け、程なく息を詰まらせ、固まってしまった。
「俺さ、今日のところは帰るな、真田。」
直立不動で動けない幸村の肩をぽんと叩き、元親が居心地悪そうに苦笑いを零しつつ、病室からスイッとでてゆく。そして、幸村はその背を俊敏に追いかけた。
「バイヤーッ。」
 本当は聞こえている距離のはずなのに聞こえないのか、元親は無視して足を進める。
「待ってくださいッ。」
幸村の必死さを滲ませた声を振り切るようにずんずん前を進んでいた元親は、病室から数メートル離れた場所でやっとこさ止まった。
「・・・あの・・・あの方は?」
 おずおずと聞いてきた幸村に背を向けた状態、進行方向を見たままで、元親は声を押し出す。
「あれは・・・。」
 嘘をつけない性質なのか、幸村を見れない元親は、あーとかうーとか、言葉を濁す。
「・・・あのな・・あれは・・・。まさか病室まで来るとは。」
「はっきり教えてください。俺は、何を聞いても、大丈夫ですから。」
 幸村の今まで見てきた取り乱しようとか考えて、今の今まで、元親はその核心を言っていいものか悩んでいるふうだった。鼻やら口元を忙しなく指で摩って、思案している。
「バイヤーっ。」
 とうとう痺れを切らし、腕を取ってきた幸村を見下ろして、元親はふうと胃の底から、重く深いため息をつく。
「・・・分かったよ、分かったって。そんな噛み付きそうな顔で俺を見んなって。言えばいいんだろ、言えば。」
 そして、諦めたかのごとく、投げやりに早口で言った。
「あの子、南条怜子は、うちの百貨店のグループ全体の社長令嬢だよ。目下の噂では、政宗はあの子と結婚して、うちの百貨店の社長を継ぐんじゃないかって言われている。もうすでに、つきあってるっていう噂も・・・あるにはある・・・。俺は信じてねえけど。」
「・・・そう、ですか。」
 捲くし立てるような元親の話を一気にそこまで聞いて、真剣な面持ちの幸村はとうとう俯いてしまった。
「噂だよ、噂。」
 元親は、この重苦しい雰囲気をどうにかしたくて、ハハハと豪快に空笑って、バンバンと幸村の背を叩く。
 ピカピカに鏡のごとく磨かれた床を穴が開くほど見ていた幸村は、じっとそのままの状態で、バッテリー切れのロボットのように微動だにしない。
「おい、真田、気にすんな・・・。」
 そんな元親の慰めの言葉を遮るように、幸村が顔を上げて告げる。
「お似合いですよね・・・その方が、俺も、伊達バイヤー、幸せだと思います。」
「・・・」
 悲しそうにどこか痛そうに、されど、全てを受け止めて、そして、全てを諦めてしまったように、ふわりと柔和に綺麗に微笑んだ幸村に、元親はかける声を失って、息さえも飲み込んでしまった。
「過去も今も、俺は、彼の、疫病神でしか無いから。俺が傍にいたら、不幸になるから・・・。それなら・・・俺は・・・俺は・・・。」
 密かに拳を握った幸村は、どこか、どこかずっと遠くを見つめて、苦しげに一語一語、声を押し出した。
「俺、おかげで、やっと、決心、つきました。」
 そんな全てを悟ってしまったかのごとき幸村の表情を逐一目に写しながら、何を、と、元親が震える唇で口にしようとしたとき。
 突如、バタバタと周囲が慌しくなった。看護婦や医者が数人、政宗の病室へ入ってゆく。
「伊達さんが目を覚ましましたよっ。」
 担当の看護婦が廊下に佇む幸村を見つけて、自分のことのように嬉しげに弾んだ声をかける。さっき、元親に幸村を心配していた当の看護婦だった。
「真田、おい、目を覚ましたってっ。」
 行くぞと、幸村の肩を鷲掴み、元親も病室へ向かおうとする。
「俺は、後で行きます。先に、行っててくれますか?」
 その肩にあった元親の手をゆるりと払い、何故だか幸村は、その場から動こうとしなくて。
「真田?」
 幸村の様子を怪訝に思いながらも、とりあえず元親は幸村をその場に残し、病室へ戻って行った。 


そんな皆が吸い込まれて行った病室を見遣り、感慨深げに、泣きそうに下唇を噛み締め、1度微笑んだ幸村は、その場でしばらくじっとしていたが、病室とは逆の方向へ足を踏み出していた。


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