[携帯モード] [URL送信]

猫は頭上で丸くなる
感傷的な放課後
 幽霊はしばらく何か言いたそうにこちらを見ていたけれど、やがて苦笑して俯いた。
 その姿が酷くさみしそうに見えて、こちらも言葉を失ってしまう。

 やがて、シロが小さく吠えた。
 すると幽霊がその場に膝をついて、シロの頭を撫でる。
「子供の頃は楽しかった。俺が死んだら、またお前と散歩できるのかなあ」
 幽霊の声は穏やかだ。
 なのに、痛みを感じる。胸を突かれるような感覚。
 シロが頭を彼の膝に擦りつけた。乱暴にも思えるくらいに強く。
「いこうか、シロ。母さんが待ってるかもしれないだろ」
 またそこでシロが吠える。
 そして、がつがつとぶつかるような勢いで幽霊の身体に何度も飛びかかる。
 幽霊は愛犬の暴力的な愛情表現をただ受け止め、笑いながら立ち上がった。

 そして、魔法陣がひときわ激しく光を放つ。
 俺の魔術が消えようとしている。魔術をかける対象が消えていこうとしているからだ。
 幽霊の身体がさらに透き通り、彼の足もとにいるシロの姿もゆっくりと宙に溶けるかのように曖昧になっていった。
 そして、気が付けば。

 そこには、何もなかった。
 幽霊も、シロの姿も。

 コンビニの中に電話の音が鳴り響く。
 そこでやっと皆、我に返ったように息を吐く。
「帰ろう」
 榊原先輩が俺の肩を叩いて、俺は一瞬遅れて頷いた。西園寺先輩も困惑気味ではあったけれど、優しい笑みを俺に向けていた。
 そして、視界の隅に見えるのは、電話の受話器を慌てたように取り上げている由紀子さんの姿。
 肩を落としている男性二人。
 俺たちはそんな彼らをその場に残したまま、学校へと戻った。

 美術室に戻る気分になれず、ただのろのろと廊下を歩きながら窓の外を見た。
 日常。部活のそれぞれの練習風景。
「魔術師。魔法使いだっけ?」
 やがて、西園寺先輩がゆっくりと歩きながら話しかけてくる。俺は彼を見ないまま応えた。
「魔術師です。三十歳になったらきっと新しい魔法が使えます」
「まあ、それはどうでもいいけどさ。何だかすごいものを見せてもらった気分だよ」
「どうでもいいんだ」
「いいよね。別に後輩が彼女ができなくて寂しい大人になろうが何だろうが」
「ひでえ」
「それより、君が本当に魔術とやらを使えるということのほうが重要じゃない?」
「あれは集団催眠術です。魔術なんてものがこの日本にあるわけないじゃないですか」
「まだ言うか。何で認めないかなあ」
「認めたら『中二病乙』とか言われそうだし。どこからどう見ても立派な変人というか変態というか」

 俺は自分が小学生だった頃を思い出す。
 下手に魔術を使って、とんでもないことになったこと。曖昧な記憶のままに魔術を使ってみても、ろくな結果にならない。
 色々面倒なことを引き起こして、墓穴をいったいいくつ掘ったことか思い出せない。

「まあどっちにしろ、この学校には変人はたくさんいるから、あまり目立たないだろうね。色々怪異現象も多いし、何かと問題がよく起きるしね」
 西園寺先輩はとんでもないことを簡単に言う。
 俺は胡乱な目つきで彼を見つめた。
「怪異現象って、さっきみたいな幽霊とか?」
「それだけじゃないよ。何て言うか、奇妙な現象が多いんだよね、ここ。だから君はここにきたんじゃないの?」
「え?」
「楓さんは『そう』みたいだよ」

 西園寺先輩の視線がそこで榊原先輩に向けられた。
 彼女は俺たちから少し離れた場所の廊下の窓のところで足をとめていた。
 その窓からはさっきのコンビニが見えた。もう、その駐車場には車はない。きっと――病院にいったのかもしれない。

「まあ、いくつか他にも候補はあったんだけどね」
 そこで、榊原先輩が苦笑を漏らした。
 窓の桟に手をかけ、まるで鉄棒か何かをするかのように身体をのけぞらせながら。そして、首を捻ってこちらを見やる。
「でもまあ、この学校は悪い意味でずば抜けていたというか、それに入試の時、校庭にやばそうなものを見かけたんだよね。だから入学するならここ、って決めた」
「へー、物好きな」
 俺は思わずそう口にしたけれど、西園寺先輩が笑いながら鋭く突っ込みを入れた。
「君もそうなんでしょ? 何も気づかずにこの学校に入学するなんて考えられないけど」

 俺は少しだけ考え込んだ。
 しかし、今さら誤魔化しても通じないだろうなあ、と笑い出してしまった。

「まあ、何かあるとは思ってましたよ。この学校の磁場というか、何だか普通じゃないし」
 俺は痒くもないのに頭を掻きながら応えた。「俺の魔術……じゃなかった、手品っつーか、さっきのやつはこの学校内とかだと凄く上手くいくし。何だか久々に天才魔術師の片鱗を見せた気分」
「天才か」
 西園寺先輩がくくく、と声を上げて笑った。
「今は平凡以下ですけど」
 俺も笑う。

「平凡ではないだろうな」
 榊原先輩がそこで俺のそばに近寄ってきた。軽やかな足取り。
 まただ。
 また彼女の顔が近すぎる!

「落ち込んでるだろう」
 榊原先輩はふと薄く微笑んだ。
 眼鏡の奥に隠れている瞳は、今は酷く優しげに見えた。最初に会った時とは全然違う。
「何がですか?」
 俺は後ずさりながら訊いた。
「さっきのだよ。どちらにせよ、わたしたちには何もできるはずがなかった。関わるべき問題でもなかったんだろう。でも、あの幽霊を放っておくとどうなっていたか解らないし……難しいね」
「……まあ、解ってますけど」
 榊原先輩と西園寺先輩が顔を見合わせ、少しだけ笑い合ったのが見えた。

 同病相憐れむ、か。
 何となく、西園寺先輩の言葉を思い出す。
 その後、彼らは俺に部室に帰ろう、と促してきた。先に立って歩き出した彼らの背中を追いながら、俺はつい、ひとりごちた。
「後で、掃除にいかなきゃなあ」
 窓の外に見える太陽は、少しずつ地面に沈んでいっているようだった。
 コンビニは誰もいないらしく、窓の中が薄暗く見えた。

「悪かったねえ、色々世話になって!」

 数日後、俺はコンビニの中に入って身体を硬直させることになった。
 嫌な予感だけを抱えて過ごすこと数日。
 週末を迎えたその日、コンビニが営業を再開させたことに気づいて、俺は思い切って顔を覗かせることにしたのだった。

 そして、そこで会ったのは。

 どこからどう見ても、間違いなく紛れもなく、あの幽霊のオッサンで!
 しかも身体が透き通っていない、実体の姿で!

「いやー、死んだかと思ったけどねえ、生き返っちゃったみたいで」
 コンビニのカウンターの中に、折りたたみ式の椅子に座ったオッサンが照れくさそうに頭を掻いていた。
 俺はカウンターの前に立って、ただ口をぽかんと開けていたと思う。
「まさか、夢じゃなかったんだねえ。病院で目が覚めた時は、絶対に夢だと思ってたんだけどさあ」
 オッサンはどことなく上機嫌だった。
 コンビニのバックヤードから姿を見せた由紀子さんは、呆れたようにオッサン――自分の父親を見つめた。そして、ため息をこぼしてからこう言った。
「鬼の霍乱ってやつでしょ。本当にびっくりしたんだから!」
「いやあ、すまんすまん」

 俺の後ろには榊原先輩と西園寺先輩もいる。
 俺が『掃除にいかなきゃ』と言ったら、彼らもついてきたのだ。
「……予想外だな」
 榊原先輩が唸るように呟いている。
 ああ、見事に予想外な展開。
 俺は馬鹿みたいにそこに突っ立っていた。そして、内心で考えた。

 この数日、妙に感傷的になっていた自分。
 飼い主を迎えにやってきた愛犬、シロの健気さとか。
 家族に裏切られて傷心のまま消えていったオッサンの姿とか。
 何て言うか、そう、あれだ。世の中の無情ってやつ!
 そういうことばかり考えて、地を這うようなテンションのまま生活していたってのに、何だこれは!

「やっぱり、アレだね。急に暑くなったから、身体が追い付いていかないっていうかねえ」
 オッサンは明るく笑いながら言っている。「まさか、梅雨にも入らないうちに暑さにやられて日射病で死にかけるなんて思わないよ!」
「もう年なんだから無理しちゃダメってことなのよ! 当分、外出禁止だから! 田んぼは放置ね、放置!」
 明るいけれども由紀子さんの必死な声。
 オッサンも笑いながら言葉を返す。
「まあ、まだ死ぬわけにはいかんしおとなしくしてるつもりだがな! しかし、あのクソガキどもの根性を叩き直してやらんといかん!」
「……それはとめないけどね……」

「おい、トール生きてるかー」
 後ろから榊原先輩の声が聞こえたけれど、何も応えられなかった。
「良かったね、魔術師」
 西園寺先輩が俺の肩を叩いた。

 何が良かったんだ、何が!
 俺は頭を抱え込んだ。

「まー、アレだな」
 オッサンが少しだけ申し訳なさそうに俺を見た。「シロは俺を迎えに来てくれたわけじゃなかったらしい。てっきり俺はそうだと思ったんだけどな。何だかよく解らんけど、あの後、思い切りシロに体当たりされたと思ったら病院のベッドの上よ、ベッドの上! あれはきっと幽体離脱ってやつだな! 本当、びっくりしたわー」

 ――こっちだってびっくりだよ!

「でも生きていれば、ある意味やり直せるかもしれないしな」
 オッサンは椅子から立ち上がり、大きなガラス窓のそばにあるアイスのケースに近づいた。そして、中から棒アイスを数本取り出してきて、俺たちに一本ずつ配った。オッサンも一本。
「バカ息子どもを教育しなおしているうちに、少しは何か……変わるかもしれないし、まだあきらめるのもどうかと思うんだよ。今回のことはなかなか面白い経験だった。色々思うところもあったし。……また気が向いたら店においで。後で話を聞かせてくれないかね。一体、君たちが何者なのか、とかもね」
「……考えときます」
 俺は受け取ったアイスを手に、そう応えた。

 そして結局、掃除もしないまま俺たちは外へと出た。
 アイスを食べながら道路の端を歩いていると、榊原先輩が小さく言ってきた。
「うちへの入会、期待しているんだけど」
「んー」
 俺は唸る。「……それも、考えときます」
 すると、彼女は俺の横で苦笑していた。

[*前へ]

5/5ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!