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猫は頭上で丸くなる
校内探索
「何してるんだ、お前たち」
 そこに、大人の女性の声が響いた。
 俺は榊原先輩に肩を掴まれたまま、その声の主を見た。美術室の入り口に、白いポロシャツと黒いスカート、というシンプルな服装の先生が立っていた。美術の先生である、赤石恭子。肩の上で揃っているくるくるパーマの髪の毛、くっきりとした目は多分化粧によるもの、唇は小さめだけど整った形。
「ああ、先生」
 西園寺先輩がにこやかに彼女に微笑みかけて言った。「こちら、入会希望者」
「いや、希望してない」
「してないしてない」
 と、小声で俺と町田が囁くと、西園寺先輩が言い直した。
「入会希望者未満ですが現在、勧誘中です」
「あ、そう。じゃあ、とりあえず絵でも描いてもらって」
 赤石先生はにこにこ笑い、美術準備室の中へと入っていった。そして、ドアの陰から頭だけ覗かせて俺たちを見ながら言う。
「それとも変な映画のDVD持ってきたから見る?」
「変な?」
 西園寺先輩と榊原先輩が顔を見合わせ、少しだけ苦笑し合ったのが見えた。そこに、美術室の中でデッサンをしていた他の生徒たちが集まってきて、興味津津といった感じに先生に問いかける。
「何のDVDですか?」
「B級サメパニックホラー」
 なんじゃそら。
 俺が困惑して先輩二人の顔を見やると、西園寺先輩が頭を掻きながら笑った。
「うちの顧問、B級ホラー好きなんだよね。ちょっと変わってる人だから、オカルト研究会なんてものにも寛容なんだけど、たまにこういう上映会がある」
「なるほど」
「本当にクソ映画らしいよ! 低予算でサメ映画とか、嫌な予感しかしないよね!」
 そう言いながら赤石先生は上機嫌で美術準備室に姿を消した。つい、興味を惹かれてその中を覗き込んだら、奥にある机の上に小さめのテレビモニターがあり、その横にDVDデッキがつながって置かれているのが見えた。
 他の生徒たちは、何だか楽しげに言葉を交わしながら、美術室から美術準備室へと椅子を運び込んでいる。あまり広くないその部屋が、一気に暑苦しい空間になった。
 そして先生がいそいそとテレビに電源を入れて、さらにDVDデッキにソフトを入れ、そして始まった映画のタイトル。

 『ゾンビシャークVS悪夢の昆虫軍団』

「……あ、そうだ、犬だ犬!」
 俺は我に返って手を叩いた。「それどころじゃないんです、犬ですよ犬!」
 と、西園寺先輩を見やる。彼はどこか遠くを見ているかのような目つきで窓の外に顔を向けていたけれど、その言葉にぴくりと反応を返した。
「犬って、また何かあるの? さっきから楓さんも様子が変だけど、昨日の今日でまた君たちは何かやったの?」
「俺がやったわけじゃないですけど」
 俺が原因で何か問題が起きたみたいに考えているなら大間違いだ。
 ただ偶然、今日は幽霊に出会っただけじゃないか。昨日は偶然巻き込まれて付き合っただけ。
「いや、間違いなくお前が元凶だろう」
 俺の後ろから榊原先輩が低い声で囁いた。
 俺は彼女のほうを振り向いて、心の底から不本意と言いたげな表情をして見せた。俺は何もしてないし、とにかく平凡極まりない男である。俺が何をしたっていうんだ。
「元凶とか言うなんて酷い……」
 と、ぼそりと呟いてみた。

 俺の隣では町田が途方に暮れた様子でテレビ画面を見つめ、緊張した様子で固まっている。そういやこいつはホラー映画が苦手だったが、こんなしょっぱい感じの映画までダメなんだろうか。どこからどう見ても、悪い意味で地雷満載の映画のはずなのに。
 近藤だけは他の誰よりも興味津津といった様子でテレビに近づいて、始まった映像を見てころころと笑う。何だかよく解らないけど、パニックものにおける映画のお約束すぎる展開がツボだったらしい。
 うん、これも放っておこう。

 俺はもう一度、美術室の入り口へと戻った。扉のところで立ち止まって廊下を見れば、階段のそばに少年は立ち尽くしているのが見えた。ただ、少しだけ少年は首を傾げていて、何か考え込んでいた。
「どうしたんだ」
 俺は少年のそばに近寄って、そっと訊いてみた。
 何もない空間に話しかける変人と思われないように、辺りを見回して榊原先輩と西園寺先輩しかいないのを確認してからだ。他の生徒に見られたら絶対変な目で見られる。
「……学校」
 少年は困惑したような瞳で俺を見上げた。「ここ、高……等学校。高校だよね」
「ああ。結構綺麗な校舎だろ? 私立だからな」
「私立……」
 そこでまた少年は腕を組んで唸る。「何で僕、ここにいるんだろ? 名前も思い出せないし、こんな学校も知らない」
「偶然通りかかった迷子なんじゃないの。自宅も解らないのか」
「うん。でも、シロを飼ってた。散歩は僕の役目だったから、いつも連れてたはずなんだけど、シロがいない」
「犬だな」
「うん」
「そうか、犬か」
「うん」

 俺は一瞬だけ考えた。
 そして、結論をあっさりと出した。
「よし、探しに行こう。お前が幽霊ということは、犬も幽霊のはずだ!」

「それはどうかな」
 急に背後から榊原先輩が口を挟んできて、俺は振り返る。どうして彼女は頭を手で押さえているんだろう。
「頭痛ですか」
「ああ、そうだよ」
 彼女は俺を見ないまま言う。
「じゃあ、ここで休んでたらどうですか。DVDが上映さ」
「うるさいわ! お前を放っておいたら何をしでかすか解らないということに気づいた!」
 急に彼女はカッと目を見開いて、俺を睨みつけながら大声を上げる。美少女の怒った顔は迫力がある。
 驚いて俺が眉を顰めて後ずさりすると、彼女は少しだけ息を整えてから続けた。
「大体、そいつが死んで幽霊になっていたとしても、犬まで幽霊になってるとは限らないだろう。その子だけ死んでたらどうする」
「あ、そうか」
 俺はぽん、と手を叩いて考え込む。それから、身体の透き通った少年を見下ろしてじっと見つめた。
「犬がいないんじゃ意味ないよなあ……」
「え、どうして?」
 少年が驚いて俺を見上げた瞬間、俺の頭が後ろから軽く殴られた。

「……お前は動物以外には興味はないのか」
 手を挙げた格好のまま、榊原先輩が苦々しく言う。俺は後頭部を手で押さえながら目を細めた。
「暴力反対です。これ、DVって言うんですよ、きっと」
「違う」
 そこに西園寺先輩が真面目な表情で話しかけてきた。「パワハラが正しい」
「どっちも違うわボケ」
 榊原先輩は意外と口が悪い。
 西園寺イケメン先輩は、彼女のことを『ナイーブ』と表現していたような気がするけれど、全然違うと思う。なかなか凶暴だ。

「とにかく、思い出せないことには仕方ない。何か思い出してもらって、帰ってもらおう。もし無理なら、うちの猫が」
 榊原先輩は真剣な眼差しで少年を見下ろしている。
 きっと、少年は彼女の頭の上に乗っている猫が自分を喰おうとしている小悪魔だと気づいていない。きょとんとした表情で彼女を見上げ、少しだけ考え込んだ後に微笑んで頷いた。
「ついでにうちのシロ見つけてくれる?」
「ああ、いいとも。うちの猫は雑食だ」

 訂正しよう。なかなかではない、かなり凶暴だ。

 俺はとりあえず二人の間に身体をねじ込んで立つようにした。
「まあまあ、とりあえず少年がどこからここに入り込んだのか探しましょうよ」
 そう笑いながら言うと、彼女は小さく頷いた。
 そして、美術準備室の扉へと歩いていって中に声をかける。
「少し、この新入生を学校の中、連れ回してきます」
「了解了解」
 俺も彼女の後ろから美術準備室を覗き込むと、赤石先生がテレビ画面を見つめながらひらひらと手を振って応えている。
 近藤は他の美術部の生徒と一緒に笑いながらB級サメ映画を見ていて、町田はテレビから遠く離れた場所で困惑したようにぶつぶつと呟いていた。そして俺と視線が合うと、町田は掠れた声で問いかけてくる。
「何で昆虫が巨大化してるんだ。何でサメが海から川に上ってくるんだ」
「そんなことを俺に訊かれても」
 俺は肩をすくめて見せた。
「やだあ、すっごい偽物くさい! あのサメ、絶対にハリボテだよぉ」
 俺たちの困惑をよそに、近藤の浮かれた声が美術準備室に響く。
 そんな反応を満足げに見やる赤石先生の横顔は、まさにしてやったり的な表情をしていた。同じ趣味を持つ人間を見つけた時の表情だと思う。

「この校舎は、十年くらい前に造りなおされているみたいなんだよね」
 俺たちは西園寺先輩のガイドを聞きながら校舎の中を歩いている。
 俺のすぐ前を歩く少年は興味深そうに辺りをきょろきょろと見回し、廊下の壁に貼られた掲示物を見上げて立ち止まったり、教室の中を覗き込んだり。
 途中、何人もの生徒たちとすれ違ったけれど、誰も少年が見えていないらしく、廊下をぱたぱたと歩き回る小さな影に目にとめる人間は誰もいなかった。
 西園寺先輩の話は続く。
「職員室の前に、昔の校舎の写真と、航空写真が貼り出されてある。気が向いたら見てみるといいよ。今の校舎は、昔に比べて随分立派になったのがよく解る。で、よくある話ではあるけれど、その建て替えの工事の時には、土の中から色々怪しいものが出てきたという噂があってね。昔、ここはお墓だったって言われてる」
「あー、よくありますよね」
 俺は苦笑しつつ応える。「俺の中学もそういう話がありました。校庭からお墓の一部分が出てきたとか何とか」
「そうそう。僕の中学でもあったなあ。日本はどれだけお墓だらけなんだって話だよね」

 そんな他愛のない会話をしながら廊下を歩いているうちに、俺は校舎の一角に立派なエレベーターが設置されていることに気づいた。運搬用エレベーターの小さな扉ではなく、どこかのデパートか病院か、と言いたくなるような大きな扉。
 さすが私立、当たり前のようにこんなものがある。
「ここの理事長は、万が一この学校が閉鎖されることになったら、ここを老人介護の施設にするつもりなんだって言っててね」
 エレベーターに目を留めた俺を見て、西園寺先輩はさらに言った。「だから、ここのエレベーターは介護用のベッドが入るような大きさに造られてるって」
「へー。金持ちなんだなあ、この学校」
 でも、確かに効率的な考えかたなんだろう。
 窓の外を見てみれば、この辺りは見事な『田舎』である。確かに、少し離れた場所に大きな県道が走っていて、大型トラックが行きかっている。その通り沿いに凄く広い道の駅があったりしていても、やっぱり田舎は田舎。
 この学校はそれなりに有名だ。
 俺や町田たちは普通科の平凡な生徒ではあるけれど、特進クラスの優秀さで学校の名前は一般的に知られているし、この学校狙いで入ってくる生徒も多い。
 でも、いつまでこの状況が続くか、と言えば何とも言えない。
 少子化とか色々言われてるし、生徒だって減り続けていくはずなんだから。

「やっぱり、見覚えがないなあ」
 そこに、少年の困り切った声が響いた。
 すっかり落ち込んだようで、肩を落としながら泣きそうな表情で窓の外を見つめている。
「でも、何となく外は……あの木は、見たことあるかも」
 と、少年が手を挙げて指さした先にある大きな木。
 ちょうど、野球部の連中が練習をしているところで、キャッチャーが座っているところの背後辺りにある大木。
「銀杏の木だったかな」
 西園寺先輩が同意を求めるかのように榊原先輩を見やる。
「ああ、確かそうだ。いってみようか」
 榊原先輩は静かに頷いた。

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